刺客
数日後、大島警部の葬儀がアメリカでしめやかに行われた。
大島警部を殺した『メリル・ハーン』はその後姿を暗まし、FBIの捜査もむなしく行方不明になったために全米で指名手配されていた。
「なんで…… こんな事になってしまったの」
大島警部の棺の前で泣き崩れるキャサリンだった。
20年前に中国の警察署で初めて出会った二人。
最初は気持ちのすれ違いで喧嘩が耐えなかった。
しかし、共通の敵を追っていく中で信頼関係が生まれ、そしてその想いは愛情へと変わっていった。
「母さん…… 」
座り込んでいたキャサリンを抱き起こしたマイケル。
そして肩を抱きしめるのだった。
そんな中、棺が穴の中に納められると、同僚の警察官たちによって土が被せられていった。
「大島、必ずお前の仇を取るからな」
土を被せながらそう言う同僚たち。
そして葬儀も終わり、マイケルはキャサリンの身体を支えながら駐車場に向かった。
ゆっくりと歩く二人の足取りは重かった。
同僚たちも声をかけることが出来ずにいた。
そして車を止めたところまでたどり着いた時、後方から黒い影が二人に迫ってきた。
自分の父親が殺されたことで、やはりただ事ではないと考えていたマイケルは、ここで何か起こるかもしれないと警戒していた。
「いきなり何をするんだ。
お前は、一体何者だ」
黒い影を直ぐに察知したマイケルは、その後の攻撃を回避しながらそう叫んだ。
「お前たちね。
なぜ夫を殺したのよっ!!」
キャサリンもそう叫びながら銃を構えた。
しかし、二人の動きは黒い影の者たちにはよまれていた。
俊敏な動きでその場を離れると、再び攻撃の態勢を整えていたのだ。
「母さんは車に乗って。
ここは僕に任せて自分の身を守って」
目の前にいる黒い影の者が只者ではないことを察知したマイケルは、自分の身体を盾にキャサリンを守っていた。
黒い影の者の容姿は、頭のてっぺんからつま先まで真っ黒いボディスーツに包まれ、顔も何も解からない状態だった。
そして再び襲い掛かってきた黒い影。
低い姿勢で素早くマイケルのところまで来ると、腹部に鋭い突きがマイケルを襲う。
「ぐうっ」
その場で後ろに下がるマイケル。
だが我に返って黒い影を追った時、それは銃を構えたキャサリンの側だった。
「か、母さんっ!」
マイケルが叫んだ。
しかし、黒い影が腕を大きく振った瞬間、キャサリンの首から真っ赤な血しぶきが宙を舞っていた。
その場に倒れるキャサリン。
その横から残影を残しながら、黒い影は姿を消した。
「か、母さん、しっかりして」
痙攣を起こすキャサリンの身体を抱き起こしたマイケルだった。
そこへ騒ぎに気付いた同僚たちが、二人のところに駆けつけてきた。
「キャサリン、どうしたんだ」
「それが、いきなり黒い影が見えたかと思うと、何者かが僕らを襲ってきたんだ」
「これも奴の仕業か。
あの大島を遣ったヤツか」
一人の同僚がそう言うと、もう一人の同僚が救急車を呼んでいた。
そして二人は病院に運ばれていった。
かすり傷ですんでいたマイケルは、ベッドの上で眠るキャサリンをじっと見ていた。
そして、
「一体、誰がこんなことを…… 」
そうつぶやいていた。
そこへ主治医が病室に入ってきて
「マイケルさんですか。
ちょっとお話がありますのでこちらへどうど」
そう言ってマイケルを病室の外に呼び出した。
「お母さんのことですが、出血が多くショック状態もかなり酷い状態で」
そう言った主治医をじっと見つめるマイケルに、更に悪夢のような宣告が襲った。
「おそらく、このまま目を覚ますことはないでしょう。
つまり、植物人間の状態です」
その言葉に、壁に強くこぶしを当てるマイケルだった。
「せ、先生っ! どうか諦めずに治療を続けて下さい。
どうか…… どうか母さんを助けて下さい」
主治医の肩をつかんでそう叫ぶマイケルだったのだ。
「私共も全力を尽くしてみます」
そう言うしかない主治医だった。
そしてマイケルは、深々と頭を下げてキャサリンの眠るベッドのところに戻っていった。
酸素吸入器を口に付けられたまま動かないキャサリンを、涙をいっぱいためたマイケルの瞳がじっと見つめていた。
そして、
「どうして…… 一体誰がこんなことを…… 」
そう言いながら膝から崩れるように座り込むマイケルだった。
そして同じ時に、香港の九龍でも事件が起きていた。
「フェイママ。
はい、これあげるね」
「ああ、またこんなに泥んこになっちゃって。
でもミャンちゃんが一生懸命に作ってくれたものだから、美味しく頂こうかな」
「それじゃ、こっちもあげるね」
フェイが楽しそうに、子供たちと遊んでいた。
そこに居たのは、ジンとフェイが大切に育てている孤児たちだ。
十人ほどいる子供たちは、幼い子供から中学生になる子供まで年齢もバラバラだった。
その頃ジンは、別の子供たちを学校まで迎えに行っていた。
「ジンパパ、ただいま」
「お父さん、ただいま」
「おかえり。
さあ、フェイママが家で待っているから帰ろうか」
小学校から出てきた子供たちを迎えるジンだった。
そのむこうからは、別の子供が走ってきた。
「ただいま、お父さん」
「おお、レイ。
それにシュウにコウエンも一緒か。
もう学校は終わったのか」
「はい。
今日はテストの日だったから、早く終わりました」
そう答えていたのも、ジンと一緒に暮らす子供たちだった。
三人は中学生で、レイと呼ばれた娘が15歳で一番歳が上だった。
「その顔だと、いつも通り学年トップだったようだな」
ジンがそう言うと、
「そうだよ。
レイ姉さんはコウエンと違って頭いいからな」
「お前が言えたことかよ。
勉強しないでいつも居残りさせられていたくせに」
「なんだよっ!」
側でコウエンとシュウが喧嘩を始めた。
「おいおい、やめないか」
と言いながら、二人の腕を取って止めに入るジンだったのだ。
子供たちが通っていた学校までは、2kmほど離れていた。
子供の足で歩くと40分ほどの距離で、毎日ジンが迎えに行っていた。
そして、大きな声で歌を歌いながら帰る六人だった。
その日も六人で歌っていると、前方から二人の男女が歩いてきた。
車も通れないほどの狭い路地だった。
そして、その男女がジンたちとすれ違う時に、事件が起きた。
二人が、いきなりジンめがけて襲ってきたのだ。
身体を張って子供たちを守ろうとするジンは、
「いきなり何をするんだ!」
そう叫びながら身構えた。
しかし、無言のまま更に攻撃を加えてくる二人だったのだ。
ジンは子供たちをレイに預けると、
「レイ、この子達と一緒に逃げなさい」
そう叫んだ。
しかしレイは、心配そうな目でジンの方を見ていた。
そこへ再び、二人の攻撃が襲い掛かってくると、
「早く逃げなさい」
そう叫びながら子供たちを守るジンだった。
「は、はい」
返事をしたレイは、子供たちの手を取ってその場から走っていった。
子供たちが逃げていったことを確認したジンは、大きく深呼吸をして二人に言った。
「お前たちは一体何者だ。
なぜこんなことをする」
だが、二人の男女からは何も答えが返ってこなかった。
それどころか、再び攻撃を仕掛けてきたのだ。
その二人の動きは、並みの格闘家の動きではなかった。
一つひとつの攻撃が、確実に人を殺すための急所だけを狙うものだったのだ。
ジンは直ぐに感じ取った。
それは『殺し屋』のすることだと。
男の方は空手を基本とした技が多く見られた。
そしてもう一人の女の方は、テコンドーの技を多く使っていた。
(この二人、人を殺すことだけが目的で雇われているようだ。
何が目的か解からないが、かなりの使い手だな)
二人の動きを見てそう考えていたジンだったが、一瞬動きが鈍くなった。
そこへ女の回し蹴りがジンの頬にヒットした。
咄嗟に身体ひねらせて回避しようとしたジンだったが、あまりの早さに食らってしまったのだ。
昔のジンであれば、この二人とも互角に渡り合えたかもしれないが、ここで歳を感じさせられていたのだ。
「痛っつう…… 身体が思ったように動かないな
僕も歳を取っていたことを忘れていた」
そんなことをつぶやきながら、周りを見渡すジンだった。
目の前の二人は、ジリジリとジンとの距離を縮めていた。
(逃げるには、上しかないな)
そう考えたジンだったが、二人が同時に攻撃を仕掛けてきた。
その場から真上にジャンプしたジンは、咄嗟に目の前の男の顔面を蹴り上げた。
そして、目の前で反り返る男の足にもう片方の足で体重を預けると、その勢いで上に伸びていた木の枝をつかんだ。
そして鉄棒のように身体を揺さぶって、目の前の家の屋根に飛び移った。
しかし、もう一人の女の方が、手に持っていたナイフをジンめがけて投げつけると、刃先がジンの足首に刺さったのである。
「くううっ!」
悲痛の叫びを発したジンだったが、足を引きずりながらその場から逃げ去った。
逃げながら後ろを振り返るジンだったが、二人の殺し屋はジンを追っては来なかった。
その頃、家の前まで逃げてきたレイと子供たち。
だが、庭に居る筈の子供たちの姿はなかった。
只ならぬ気配を感じ取ったレイは、ゆっくりと家の玄関口に歩み寄った。
すると、家の中から思いも依らないフェイの言葉が返ってきたのだ。
「家の中に入ってきては駄目よレイ」
その言葉に危険を感じたレイは、その場で身構えた。
レイもまた、ジンとフェイから毎日のように鍛錬を受けていたのだ。
ゆっくりと他の子供たちの下に歩み寄るレイだった。
暫くすると、勢いよくドアが開いたかと思うと、中からフェイが飛び出してきた。
そして、フェイを追いかけるように二つの黒い影が家から飛び出した。
レイの元にやって来たフェイは、
「この子達を連れて家の中に入っていなさい」
そう叫んだ。
今まで見たことのないフェイの状況に、怯えるレイだったが、
「だって、母さん一人じゃ…… 」
と言いながらフェイの下に来るレイだった。
だが、フェイは更に強い口調で言った。
「いいから、早く家の中に入りなさい」
その言葉に、身体を震わせながら子供たちを家に引き入れるレイだった。
子供たちが家の中に入ったことを確認したフェイは、近くにあった棒で入り口を塞いだ。
そして、こう言い放った。
「いいレイ!
どんな事が起きても、絶対に外に出ては駄目よ。
あなたが兄弟の中で一番上のお姉さんだから、あなたが弟や妹たちを守るの。
解かったわね」
そう言いながら、庭の方に歩いていくフェイだった。
家の中では、必死にドアの方に向かおうとするレイだったが、周りの子供たちがそれを身体で止めていた。
「母さん!
一人じゃ無理だって!
あなたたちも放しなさい。
お姉ちゃんの言うことが聞けないのっ!」
そう叫ぶレイだったが、周りの子供たちはフェイの言いつけ通りにレイを身体で抑えていた。
家の前では、フェイの前にさっきの黒い影が姿を現した。
その容姿は、頭のてっぺんから爪先まで、真っ黒いボディスーツに包まれていた。
「こんなオバさんに、二人がかりとは相当な臆病者ね。
家の中ではあまり動けないから、外に出てみたけど変わらない様ね。
あなた達なんか、私のようなオバさんでも勝てそうよ」
そう言ったフェイだったが、子供たちの前での強気な態度だった。
内心では、二人の動きを見ただけで解かっていた。
自分には勝てない相手だと言うことを。
だから、子供たちを家に閉じ込めたのだ。
「さあ、どこからでもかかってきなさい」
そう言いながら身構えるフェイ。
その動きが止まった瞬間、一人の黒い影が動いた。
地面をけった足から砂煙が舞ったと同時に、フェイの横をすり抜けた影。
フェイの髪が風に揺らいだかと思うと、
「ぐうっ」
そう声を発して膝を突くフェイだった。
その手は影の通った方のわき腹を押さえていた。
そして指の間からは、真っ赤な血が流れ出ていたのだ。
影の動きは、フェイの想像をはるかに超えていた。
そして次の瞬間、フェイの前後にいた二人が一斉に動いた。
その動きは、家の中から見ていたレイの目から見ても、残影を見るのがやっとなほどの素早い動きだった。
そして二つの影が交じり合う時、フェイの身体が宙に舞った。
その動きは休むことなく続いた。
そして、その度にフェイの身体は宙を舞っていた。
倒れることなど許されないように。
あのフェイが、何の抵抗も出来なかったのだ。
それどころか、フェイの身体は見る見るうちに赤く染まっていった。
家の中でその光景を見ていたレイだったが、子供たちの手を振り払って外に飛び出そうとした。
すると、一つの黒い影の動きが止まったのである。
そしてゆっくりと地面に倒れた。
レイの視線が庭の外を見たとき、傷ついた足を引き摺りながら走ってくるジンの姿があった。
ジンは、走りながら自分の足に刺さっていたナイフを抜いて、黒い影めがけて投げつけたのだ。
そのナイフは、見事に影の額に突き刺さっていた。
フェイのところにたどり着いたジンは、倒れたフェイを抱き起こすと、
「フェイ!
大丈夫か、フェイ!」
そう、何度も名前を呼びかけた。
必死に叫ぶジンに、
「ジン…… あなたの方こそ大丈夫なの」
自分がぼろぼろになっているにもかかわらず、ジンの体のことを思いやるフェイだった。
「フェイ、子供たちは…… 」
ジンがそう言うと、フェイは震える手で家の方を指差した。
そこでは、泣きながら二人を見ているレイと子供たちがいた。
その時、ジンが抱いていたフェイの身体が少しゆれたかと思うと、家の方を指差したフェイの手がだらりと地面に落ちた。
ジンが目をやった先には、フェイの胸に深く突き刺さったナイフが見えていた。
「フェ…… フェイ」
ジンが叫んだ。
「い、いやぁっ!」
家の中からもレイの叫び声が聞こえた。
そして、フェイはジンの胸の中で息絶えてしまった。
その身体をゆっくりと地面に寝かせたジンは、目の前の黒い影の者に言い放った。
「何が目的なんだ。
なぜこんなことをするんだ」
すると、今まで何も声を発しなかった黒い影が言葉を放った。
「修羅…… 拳山…… 」
その言葉を聞いたジンは、言葉を失った。
そんなジンに対して、黒い影が襲い掛かってきた。
咄嗟に身構えたジンだったが、風のようにジンの横をすり抜けた黒い影は、そのまま姿を消した。
そして同時に、ジンはその場で倒れた。
ジンの身体には、ナイフが深く刺し貫いていたのだ。
外に飛び出したレイは、直ぐに倒れている二人のところに駆け寄った。
「父さん、母さん、しっかりしてっ!」
レイはそう叫ぶしかなかった。
そんなレイに、残った力を振り絞るかのようにジンが言葉を発した。
「レイ…… 僕はもう駄目だ。
だから、今から言うことをよく聞くんだ」
ジンの言葉に、レイは泣きながら頷いた。
更に、ジンは話を続けた。
「奴らは殺し屋だ。
それもかなり大きな組織だ。
君が仇を取ろうとしても到底かなわない相手だ。
奴らの名は『修羅拳山』といって、大昔から人を殺すことだけを習得した者たちだ。
僕の父がこんな事を言っていた。
『修羅拳山』とだけはどんな事があっても争ってはいけない。
だから君たちも、僕や母さんの仇を取ろうなどと思ってはいけない。
いいね、約束だ。
お願いだから、約束してくれ。
そして事がすんだら、中国の上海に行きなさい。
そこに行けば『王道』と言う大きなレストランがある。
そこのワンという人を訪ねるんだ。
その人なら、君たちを大切にしてくれる。
解かったね。
僕が愛するレイ。
子供たちのことは頼んだよ」
その言葉に、レイは泣きながら頷いた。
それを確認したジンは、静かに息を引き取った。
家の中から他の子供たちも出てきて、二人の前で泣きじゃくっていた。
ゆっくりと立ち上がったレイは、流した涙を服でぬぐいさると、逃げていった黒い影の方をジッと睨み付けていた。