プロローグ
日本には古来より、「〝モノ〟には〝心〟が宿る」という言い伝えがある。
そこに価値や大きさ・用途等は関係ない。例えば、長年使い続けている腕時計。どれだけ年数が経っても使っている間は絶えず時を刻む。しかし新しく買い替えたが、捨てるのはもったいないと物置の隅に片付け、数年後に手に取っても針は微動だにしない。
このような経験がある人も多いのではないだろうか。単に経年劣化とも取れるが、まるで永い時を共にしていた主人に見捨てられ、悲しみのあまり魂が抜け落ちてしまったかのようにも感じる。この言い伝えを決してオカルティックにではなくある種の道徳として捉えるのは、資源が少なく近代に至るまで質素な生活を送ってきた日本人特有の感覚なのだろうか。
私は冒頭に「そこに価値や大きさ・用途等は関係ない。」と書いた。腕時計や手帳、近頃ではパソコンやスマートフォンのほうがイメージしやすいだろうか。彼らは、私達人類の生活を「便利に」「豊かに」する用途で産まれ、期待通り生活や社会に馴染み、人類の生活に恩恵をもたらし感謝されるが、そうでない〝モノ〟も存在する。
争いの為に産み出された〝兵器〟である。
戦争により残酷な歴史を辿ることとなった民族は、この〝モノ〟を忌み嫌う。ここでは戦争の善悪については語るつもりは毛頭ないが、「敵への攻撃」つまりは「人を殺す」用途で産み出された彼らは、どのような〝心〟を持っているのだろうか。
涙を流したくなるような感情を抱きながら銃口から弾丸を撃ち出していたのだろうか。
後継となる兵器の登場によって、または終戦により退役した兵器はどうだろうか。
戦闘機達は「今度は争いのない空を飛びたい」と想うのだろうか。
ここまで話してきたことは当然ながら科学的な根拠はなく、あくまで我々の想像の域を出ない。しかし、そんな彼らにもしも感情があったら。もしも言葉が喋れたら。そんな世界があったら覗いてみたいと思うのではないだろうか。
この物語は、そんな〝兵器〟達が蔓延るとある惑星での出来事を記したものだ。
この惑星では戦車や航空機が暮らす特殊な環境が形成されているが、大陸の分布や気候、植物の特徴など我々の住む地球との差異はほとんどない。地球程の数はないものの国家も存在している。そんな惑星に存在する国家『大日本帝国』の衰勢と、同国家に所属する戦車『チハ』を取り巻く出来事を共に見ていこう。