父が伝えたいこと
普段は多忙な父と二人きりで話すのは久しぶりだな。
「なにか重要な話でもあるのですか?周りの者を下がらせてまでするなんて」
「ああ、とっても重要な話だ。お前の将来にも関わる話だな」
話が見えないな。そんなに大事なら修練場で話さなくとも良いだろう。
「メリル、なぜシオンを助けに来なかった?」
「その話と私の将来は関係あるのですか?」
「ある。だから教えてくれ、メリル。なぜ助けに来なかった、隙はあったはずだ」
背中を向けた時など確かにとりいる隙はあっただろう。
「合理的にメリットとデメリットを天秤にかけた結果です」
「……そのメリットとデメリットを聞かせてくれ」
なぜわざわざそんな事を?父は何が知りたいのだろう。まあ、すぐに分かる事か。
「助ける事のメリットはシオンと共に戦うことで数の有利を得られることです。しかし、これは僕とシオンの連携は大して練習していないのであまり有意義ではありません。」
「……そうか」
「デメリットは罠の可能性、体調を万全に整えられないこと、それに性分です」
「性分?」
「連携するよりも一人で戦ったほうが有効だと判断しました。それに一人で戦う方が好きで」
「そうか」
それだけ言うと父は考え込んだ様だ。そのまま父の口が開くのを待っていると、父は僕の肩を掴んだ。
「メリル、仲間は何があっても助けるべきだろう。それが仲間だ」
「お言葉ですが父上、僕たちは貴族です。そんな言葉が通用しない場面のほうが多いはずです」
「確かにそうだが、貴族にだって何を犠牲にしても守るべきものはある」
「それが仲間…という事ですか?」
父は何が言いたいのだろう?母と違って口がうまい方ではないと知っているが、これでは意味不明すぎる。父は自分の頭の中から必死に言葉を捻り出して何かを伝えようとしているのだろう。
伝えるべき大切なことを。
それは分かっているから、理解したいのだが――これでは無理だ。
「いや、うまい言葉を探すのやめだ。そういうのはレイラの領分だ。だからはっきり言うぞ、メリル」
うまい言葉で納得させるのはやめてしまったらしい。
「メリル、お前は」
紡がれる言葉を待つ。いったい何を言う気だろう?
「まわりを見下しているのだろう?」
肩を掴む力が強まる。
「周りの者をとるに足らない存在か、すぐに踏み越える壁としか見ていないだろう?」
そんな風に思われていたのか。
「そこまで歪な感情はもっていません。父上だって尊敬していますよ」
「うむ、少し言葉が過ぎたな。しかし、そのお前の言う「父上」はどうも本気で言っている気がしないのだ」
「敬意が無いという事でしょうか?」
「今は越えられない壁としては敬意をはらっているのだろう、だがそれだけだ」
「……それで父上は他人を見下すような事をするなと言いたいのですか?」
<記憶>の中の人間は他人を見下すという感情を持っている生き物だった。
しかしそれは必ずしも人を悪い方向にのみ動かすものではないし、捨てられるものでも無いだろう。そしてそれはこちらの世界だって同じだ。
「いいや、見下すなとは言わない」
僕は眉をしかめる。その動作で父に問う、分からないという事を示す。
「メリル、このままではお前は外の世界でやっていけない。人はつながりをもって協力しなければ生きていけない生き物だ。だが、お前は他人から一段高いところに自分を置き、つながりを断っている。メリル、お前は自分以外を信頼していないのだ。」
「つながりが無いと生きていけないのは弱者だけです、父上。それに最後に頼れるのは自分だけです」
いつだって自分を肯定できるのは自分だけだ。
自分を肯定し続けられるのも自分だけだ。
僕は思う。つながりなんて不確かなものにすがってもあまり有意義でないだろうと。
無駄とは思わない。でも一人でやることも肯定されるべきだ。
「お前の言うことも間違っていない。もしかしたら枠を超えた強者は何もいらないのかもしれない。ではメリル、お前はその強者か?」
「いえ、まだです」
「未来ではそうなるような口ぶりだな。でも、そうはならん」
「なぜでしょう?」
「お前が人だからだ。感情をもって他人と協力し、共に事を成す。それこそ人だ」
「ゴブリンやオークだって協力して生活していますが、人はそれと同じだとでも言いたいのですか?」
「同じようなものだ。この世界で生きるには協力するしかないのだ。それにつながりはな、幸せをもたらすぞ」
「幸せですか?」
曖昧な宗教の勧誘文句みたいだな。
「曖昧だが確実につながりの中にもあるものだぞ。そしてその幸せは人に不可欠なものだ」
「そうですか」
「まあ、色々変なことを言ってしまったが、私の言いたいことは他人と肩を並べることも覚えろということだ」
まだ、わからないな。つながりか…。
「もう少し考えてから答えを出します」
「それでいい、メリル。お前にはまだ考える時間がある。私も昔は過ちを犯し、悩みながら、仲間とともに世界を駆け回ったものだ。最高な時間だったよ、あの頃は」
寂し気に、過去を思い出しながら言っているだろう父。
「それは今よりもですか?」
「今も好きだ。お前たち家族がいて、騎士団の仲間がいて、国を守るという誇れる職についている。私は今も大切だ」
なぜだか父が眩しく見える。積み上げた年月が父を輝かせているようだ。
「お前にもいずれ分かるさ」
まだ分からないが、今はただ考えるとしよう。
だが、その前に。
父に少し反撃をしよう。言われっぱなしでは気が済まないのだ。
「そういえば父上、過去の過ちの件ですが」
「なんだメリル?」
僕がまさかここで会話を続けると思わなかったらしく、少し驚いている。父の説教が終わり、僕が色々悩みながら自分の身の振り方を決める流れだったのだから。
いきなり過去の過ちについて言われたら驚くだろう。
「父上は大貴族でありながら、側室をとってない愛妻家だとか」
「ああ、そうだが」
僕は言葉を続けない。ただ怪しい笑顔を浮かべるだけだ。そんな僕を父は訝しんでいたが、はたと気づく。
「まさか、メリル……」
父は今度こそ大きく驚いている。
何で知っていると言わんばかりの驚愕の感情が顔に表れている。
あれはそう、以前母が長期にわたって家にいなかった時、僕はシオンと朝から父に庭に呼び出されたのだ。
なんでも珍しく多忙ではなかったから、朝から我が子と訓練したかったらしい。自分が見ないうちに我が子がどこまで成長しているか楽しみだったようだ。
だが、あの父がなんとあの日だけは遅れたのだ。 騎士団長らしく規律や時間には厳しい父が、である。
遅れてきたときは、まあこんな時もあるだろうと勝手に納得していたが、父が着替えだしたとき、僕は発見してしまったのだ。
体にいくつかのキスマークがついていることを。
そんなに目立つものではないため、見つけたのは偶然だ。父は用心深く、その時は訓練中に誰も修練場に入らないようにしたのだ。まだそういうことを理解していないだろうと考えたシオンと僕以外を。
隠ぺい工作はほぼ完璧だといえるだろう。しかし、僕には<記憶>がある。そういうのは男と女のアレコレだと瞬時に察し、母が長期でいないことと合わせて理解したのだ。
してしまったのだ。
浮気だな、と
この世界の貴族では別に珍しくないことだ。
問題は、父が母と繰り広げたラブロマンスは国内で本になっている程有名だということだ。この告白の時の決め台詞は平民の間でも未だに流行っている。
「君だけに俺の愛を捧げる!」と。
全てを知った僕は大笑いした。今となってはなんて薄っぺらく聞こえるのだろうと。まあ、母に愛をぶちまけた父は少なくともその時は本気だったのだろう。
訓練の時もやらかした人の様に元気なかったし。母にどう申し開きするか聞いてみたいものだ。
「メリル、なぜそれを…」
「最近思い出しましてね。不自然に跡がついていたもので」
父が全然眩しく見えない。長い年月による輝きは霧散したようだ。
「レイラにはもう言ったのか?」
まるでこれから処刑されていく断罪人の様だ。
「いいえ、母上に申し開きするのは父上自らやるべきことです」
「そうか。…そうだよな」
お互い頭を悩ませる事ができたし、夜はやすまらないだろう。
「さあ、父上。今宵はお互いに頭が痛くなりそうですね」
父はこちらを恐ろしげに見ている。まあ、そんなものに構っている暇はない。
これから考えなくてならないのは「つながり」や「他人と肩を並べる」だ。今まで考えたこともないし、必要だとも思わなかった。
しかし、それではダメだと言われてしまった。
今は意気消沈しているみっともない父だが、その言葉には価値があると思っている。
少なくとも父は示し続けてくれていたのだ、貴族としてあるべき姿を。今度もそれを信じたい。
考えて、悩む。
メリル・シュティーアのこれからの在り方を。