街に帰還
あの後、すぐに忌命の森から街へと帰還した。僕は消耗していない…という恰好を崩さないためにも、あの場に長く留まるのは不自然だったからである。
だが体にたまった疲労というものは簡単に消せない。帰り道は正直つらかった。
残った護衛の二人があまりおしゃべりな方では無かったのが救いだ。談笑するくらいなら早く帰って休みたい気分だった。
宿の裏口から人に見られないようにこっそり入る。この街で一番大きな宿は貴族が貸し切っているのは知られているので、正面から入ると目立つためである。
一人で歩き回りたい僕としては目立つのは避けたいところだ。
「カレルー?」
一応返ってきたという知らせでも、と専属メイドを呼んでみたが今はいない様だった。
あの笑顔仮面メイドは外出中かな?
あまり外出するタイプではないと思っていたが、せっかくの機会だからと街の散策でもしているのかもしれない。
そんな事を考えていると、待機しているメイドが話しかけてきた。
「メリル様、カレル様は治療所にお出かけになられております」
しかし、カレルが治療所にね…
一瞬、カレルが怪我を負ったのかと思ったが、もっと可能性の高い事を思い付いた。十中八九ハイネケンの奴が何か騒いだのだろう。
そしてカレルはそれを鎮めるために出かけて行ったのだろう。なんとはた迷惑な事か。むしろ鎮めるどころか、沈めてきてもらってもいい。
「ハイネケンに言っておけ、あまり恥をさらすなと」
「かしこまりました」
お、やっぱり予想通りだったらしい。これで間違えていたら、急にハイネケンを責めるようなことをいう横暴な坊ちゃんになる所だった。
ハイネケンには大人しくしておいてほしい—これは本心だ。過剰な情報規制しているわけではないが、一応シュティーア家の者がこの街に来ているのはお忍びという事になっている。
もしどこかでシュティーア家の事が明らかになった時、ビール野郎のせいで家の名に傷がつくのだ。ここまで言って思う—なんで父はあんな男に僕の護衛隊長を任命したのだろう。
悪い奴ではないが──察しも悪いし、変態だ。
シオンの護衛隊長のような文武両道な人物と比べると、少し思う所が出てきてしまう。戦闘面以外での欠点が多すぎる、もっとマシな人選は無かったのだろうか。
まあそういうところがあるから、僕は何度も護衛から逃げおおせているのだが。
「僕は少し休むとするよ。そうだな、風呂の準備でもしてくれ」
「かしこまりました」
早めに騒ぎが終わるといいのだが。
「ん、今何時だ?ああ、もうこんな時間」
風呂に入って汚れを落とし、その後すぐに寝たらしい。無理もない、こんなに疲弊したのは人生でも初めてなぐらいだ。
やっぱり睡眠は最大の休息だな、もう疲れが残っていないように動ける。
「おはようございますメリル様」
「おはよう、カレル。ハイネケンとの逢瀬はもういいのかい?」
「ええ、すぐに黙りましたよ」
おお、ビール野郎はどんな目にあったのだろう。逢瀬とからかったが今日のカレルの仮面は少しも崩れない。
これは少しも脈がないの—という示唆ではないだろうか、ハイネケンよ。今度、人生はあきらめも肝心だと教えてやろう。
まあ、言っても無駄だろうがな。そういえば報告書を書かないといけないんだった。
「何か描くものを用意してくれ」
「忌命の森の報告書の件ですね」
「ああ」
重要な事だ、なるべく記憶が新しいうちに記録しておきたい。報告書が完成次第、すぐにでも家に発送するべきだろうし
「アスタさんに会って少しだけ話を聞きました」
そういやビール野郎を治療所に担ぎこんだのはアスタだったけな。
「ああ、まさかあんな代物があるなんてびっくりだよ」
表には禁忌とされている部類の魔道具。人造モンスターを生み出すオーバーテクノロジー。
アスタの前では平静を装ったが、内心は穏やかでは無かった。早めに情報が出回らないように規制しなくてはならない。
「ええ、しばらくシュティーア家の研究部門はあれのせいで忙しくなりそうですね」
「いつも大変そうだな、あそこは」
シュティーア家の研究部門といえば王都の学院以上の研究機関だ。向こうが学生主体のものと比べこちらは実績のある研究者しか入れない。
だがその門扉は狭くなく、外国からの研究者も受け入れている。つまるところ、この世界でもっとも技術をもった場所なのだろう。
無論、あの忌命の宝玉を生み出した文明や、<記憶>の世界には敵わないだろうが。そういえば忌命の森といえばもう一つ気がかりな件がある。
「まあ、忙しいのは分かるがもう一つ追加注文で研究してほしい事がある」
「何でしょうか」
「忌命の森には人間以外立ち入らない不思議な性質があるのは知っているだろう?」
「ええ」
「でも今回見つけた古代遺物とは関係ないらしい。あの装置はもう稼働していない」
一人の研究者とその仲間の決死隊のおかげで。
「分かりました、早急に伝えておきます」
これで少しは肩の荷が下りたな。さて、さっさと報告書を仕上げてしまおう。そこまで考えると戸が叩かれる。
ん?何か頼んだ覚えはないが。また事前にアポを取っていない客でも来たのだろうか。
「入っていいぞ」
「失礼します。執務中にすいません、お客様だと言い張る人が来て…」
対応に困っている、という訳か。面倒な客であるカスドラク教団は追い払ったのだが。
まだ他にいるのか。
「名前は言っていたか?」
「アデーレ様とエルケ様という王国騎士の方です」
「え?」
誰だそいつら。聞いたことのない名前だが。
まあ王国騎士とならば、一介のメイドでは下手に追い返すわけにもいかなかったのだろうん、そういえば今「え?」と聞こえたが。
話をもってきたメイドのものでは無いだろうし、僕でもないとするとこの部屋にはもう一人しかいない。
おお、カレルの眉が少し吊り上がっている気がする。
ほんの少しだけだが。
それでアデーレとエルケが誰だが分かった。たぶん街のカフェという往来の前でとんでもない話をしていたカレルの友人達だろう。
「事前にアポを取っていないからと追い返しなさい」
「分かりま「まあ、待て待て」
カレルがこちらに振り向く。
おそらく気が付いたのだろう、今来ているのはカレルの友人達だと僕が気がついたことに。
「せっかくいらしてくれたんだ、上がって貰おうじゃないか」
「え…はい」
メイドが早歩きで駆けていく、お客様も出迎えに行ったのだろう。
たまに僕の言う事よりもカレルの言う事を優先する輩がいるが、このメイドは別のようだ。ちなみにカレルの言う事を聞くのはいわずもがな、僕の護衛達である。
まあ隊長からしてアレなのだが、しようがない話だと諦めている。
「メリル様…」
こんな時でも仮面を崩さないカレルは流石だな。だがその伝説もここまでだろう。
その仮面を打ち砕くのが密かな夢だったんだ。
漸く──夢がかなう。
「駄目じゃないか、カレル。友達は大切にしないとね」
ああ、やっとこのセリフが言えた。
友達は大切にしないとね──素晴らしい言葉だ、使い時を間違えなければ。
以前カレルにさんざん僕に友達がいない事をなじられた後にこのセリフを言われたのだ。
友達がいないとなじった後に。
あの時はこんなに心に刺さる言葉があるのかと戦慄したほどだ。
やっと、やっと反撃できる。
ああ、<記憶>の中の作品にもこんな言葉があるはずだ。
ぜひ、カレルにも聞かせてあげよう。
「…恐怖はまさしく過去からやってくる。」
そう言って振り向いた後、カレルはそこにいなかった。
準備にでもいったのだろうか?
僕は誰もいない空間で独り言をさも誰かに聞かせるように呟いたということか。
…ちょっとだけ悲しくなった。




