白竜
「おや、珍しいね。雌の人間だね」
竜からすれば人も動物の一種なのだろうが、雌呼ばわりは頂けない。
「人間へは女、もしくは女性といってください」
「でも雌なんだろ?」
「それは人ではない動物に対して使ってください」
「どうして?」
どうしてだろう? これまで考えたことなどない。
「白竜さんだって、雄だとか雌だとか言われたくはないでしょ?」
「私はどちらでもないからね。どちらでも構いはしないよ」
どういう意味だろう?
祠へ入って白竜とでくわした時は恐怖で失神するかと思うほど怖かったが、念話で話し掛けられた後は、なんとなくその念話から安心しても良いという思いが感じ取れ、一瞬にして恐怖が消えてしまった。
それでも目の前に居る白竜の大きさには威圧感を感じる。足は動かせるが人へ対するように簡単に近づくことは躊躇われた。
「それで?なにしにここまで来たのかな?」
恐る恐る近づきながら返事を考えていた。
「えっと、色々と話を訊かせて欲しくてまいりました」
「私はそれに答えなければならないのかい?」
「だめでしょうか?」
「私にとって、なにか得になるようなことでもあれば答えもするだろうさ。なにかあるかい?」
「……ありません」
「それじゃ、お帰り」
苦労をしてここまで来たのに、おめおめと帰るわけにはいかない。しかし、どうすれば良いのだろう?
「白竜さんはなにかしてもらいたいことはありませんか?」
「これといってないね。 ――そうだね。わざわざこんな所まで来たのだからよっぽどの事情があったのだろう? 何も無しに帰すのも少し悪いかもしれないね。私の話を聞きに来たのならば、私に面白い話でもしてくれれば考えるよ」
「話ですか……」
面白い話といわれても私の口は話よりも食べる方が得意なのだ。話が得意ならもっとお金になる仕事をしているわ。
しかたがないので、ここまで来たその理由から始まり、ここへ来るまでにあった、様々な事を細かく話すことにした。
白竜は私の話を無表情に、眠ってしまうのではないかと思う程、細い目つきで聞いていたが、図書館で会った冒険者の話をするとほんの少しその目を開いて聞いてくれていた。
白竜は冒険者に興味があるのかしら? さらに話を続け、今度は館長の邸宅で会った冒険者の話に入った。
「その冒険者も色白で、細くて、化粧をすれば私より美人になるんじゃないかと思う程でしたよ。ただ赤い髪というのはあまり女性だと……」
そこまで話すと白竜が念話を割り込ませて訊いてきた。赤い髪にも興味があるのかしら?
「その冒険者の名前は訊いたかい?」
「ん? ええ。ロヒさんといってました」
白竜はその名前を聞いた後、ほんの少しの間、遠くを見詰め、なにかを考えているように見えたが、すぐに話を続けるように促してきた。その念話の中には、なんとなく優しさや嬉しさというような感情を感じたような気がした。
なんとか話し終えたが、はたして合格だろうか?
「うん。面白かったよ。私に答えられることなら、なるべく答えようか」
本当に面白かったのだろうか? 二人の冒険者には反応したように見えたが、それ以外のことにはあまり興味を示していないように感じた。竜の表情は読み取るのが難しいというのはこれまで読んだ本にも書いてあったが、これほど無表情なのだとは思わなかった。これは一つの収穫だが、宮殿の設計には役に立ちそうにない。
そこからは色々な事を訊いた。
いつの間にか夕方になっている。暗い祠の中に付けた焚き火もほとんど消えかけていた。
「私はそろそろ縄張りの見回りに行ってくるよ」
「あの、ここへ一晩置いてもらっていいですか?」
「ここで寝るのかい? って、そりゃそうか。今からじゃ麓の村まででも朝方になっちゃうね」
「はい。おねがいできますか?」
「しょうがないだろうね。私は見回りに行ってくるよ」
そう言うと祠の入口まで行き「バサッ」という音と共に飛び上がったようだった。
私は薪でも捜そう。そう思い外へ出て周りを見てこの場所の事を思いだした。この標高になると木どころか草すら生えてはいない。周りには砂利と岩しか見当たらなかった。
祠に戻り寝袋を取り出すと、それに入り白竜の帰りを待つことにした。
帰ってきた白竜を見て驚いた。背中には枯れ木を丸ごと一本、背負っている。しかし斧はない。
斧は無いが、実は鋸なら持ってきている。この鋸、鑿、鉋は弟子入りした時に師匠から頂いたものだ。「設計だ、意匠だなんていうのは、基本が出きてからだ。まずはどうやって建材を組み立てるかをその身体に叩き込め」そう言われて、最初の数年は現場の職人さんに教えてもらいながら、その道具の使い方を覚えていったものだ。それからは仕事の時は必ず持って出るが、なぜ白竜に会う為に来たこの旅に持ってでたかは自分でも良く判らない。多分、習慣というやつだろう。
持って来て正解だったらしいと思っていると、白竜は背中から降ろした木を足で踏みつけ、焚き火にくべるには良い加減の大きさにまで粉砕してくれた。やはり持ってくる必要はなかったようだ。いいのだ。あの道具達は既に私の身体の一部なのだから。
「薪を持ってきてくれたんですか?」
「ああ。でも、要らなかったみたいだね」
私が出ようとしている寝袋を見てそう云う。寝袋に入っていたって寒いものは寒い。これから白竜の話を沢山訊かなければならないのだ。メモを取るには寝袋は邪魔でしかない。
「そんなことありません。すごく有り難いです」
そういえば、この焚き火にくべた薪も既にここにあったものだった。数年に一度とはいえ人が来ることになるのであれば薪も常備が必要なのだろう。
「そういえば、ここへは数年に一度くらい、人が来るんですよね?」
「ん? そうかね? 前に来たのはいつだろうね」
「麓の村で聞いた話だと、ここを目指す人が年に数人はいるそうです。そして、貴方に会うことが出来る人は数年に一人くらいだとか。それを聞いて、私が辿り着けるのか、会うことができるのか、ちょっと、というか、かなり不安だったんですよ」
実際、不安だった。地図があるとはいえ、その話からは登山などやったこともない自分がこの祠まで辿り着けるのかは微妙だと思っていた。
「普通はここまでは来れないからね。魔法で来れないようにしているのだし」
「え?」
「ん? あたりまえですよ。人間なんて会いだしたら切りがない」
「でも、それじゃ、なぜ、私は来れたのでしょう? もしかしてこの地図を持っていたからでしょうか?」
白竜はその紙切れを一瞥し云う。
「関係ないだろうね」
「それじゃ、なぜ?」
「それは……。まあ、運が良かったのだと思っておけばいいんじゃないかね。ほんの少しだけ種明かしをすれば、その地図を描いたのは先刻の話に出ていたロヒって冒険者が悪戯で描いたものさ。今度会ったらとっちぇめてやりな」
「え、でも、ここに来る切っ掛けになったものだし。なにより実際に会えたのだから私が怒る必要はまったくないじゃないですか? ――でも、どうしてロヒさんが描いたのが判ったんですか?」
「うん……。まあ、でも本当だから、今度会ったら訊いてみるといいさ」
確かに、あの場所でこれを描いて、本に挟むことができたのはロヒさんくらいだろう。私が白竜に会いたがっていたのを知っているのはロヒさんか館長しかいないとすれば、書斎にずっと居たロヒさんの方が可能性は高い。館長にはそんな時間はなかったはずだ。
さすがは白竜だ。神扱いされるのもうなずける。頭が良いのだと感心した。