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帰路

「ただいま。魔族の問題は完全……、か、どうかは判らないけど、一応の解決をしました」

「そうかい。ごくろうさん」

「これからはゆっくりとおじいさんの話を聞くことができますよ」

「――そろそろ人の世界に帰る時期ではないのか?」

「……」

「人というのは竜とは違い、孤独では生きることができないと聞くぞ。帰るべき場所があるのなら、帰りなさい」

 いつに無く優しさを感じるその念話からは、私の事を心配してくれているのだということが伝わってくる。

「判っています。でも……」

 おじいさんが心配だと言うのは責任転嫁だろう。誰も心配してくれなんて言っていないのだ。ここに居たいのは、自分自身がこの竜と別れたくないという我儘からだ。

「おねがい。今度の春が来るまではここに居させてください。春になったら帰ります」

 この竜とも春には別れなければならない。いつかは来るべき別れを先延ばしにしてきた罰は、長く共に暮らし情が湧いた竜との別れになる。


 それからの日々は、毎日のようにしつこいくらいにおじいさんからの話を訊きだしていた。それでも竜の事を完全に知ることができないだろう。竜でなければ理解できないことというものはやはり存在するはずだ。それは自分には寂しいことだった。

 偶にくるターゲは、やはり人の姿で現れる。竜と人の姿のどちらにも成れるなんて羨ましい。

「最近、あまり森で見掛けなくなったんで心配して見にきたんだ」

 今は冬の真っ只中だ。雪が深くてあまり外へは出たくなかった。食料が無くなりそうになると慌てて狩りに行くが、そうでなければ面倒な狩りはなるべくしたいとは思わない。

「魔王の城のように誰かが食料を持ってきてくれたら嬉しいのだけれど……」

「おれを見ても無駄だ。自分の食料くらい自分でなんとかしてくれ」

「か弱い人間に対して、よくもそんな冷たい言葉が言えるものね」

「か弱い人間が魔王の城に乗り込んで文句を言うことなんかないと思うがね」

 この武勇伝は誰にも信じてもらえないだろう。だけど真実だということは誇らしい。

「だが、確かにおまえには感謝しないといけないな。あれ以来、魔族がこの辺りに現れることがなくなったのは事実だ。今度来る時にはなにか狩ってくるとするよ」

「そうよね。感謝してもらいたいものだわ。お礼は食料か……」

 狩りは面倒だが魔法を使えるようになってからは、さほど苦労することなく狩ることができていた。狩りどころか熊に襲われても太刀打ちできる自信すらある。

「そうだ。北にある温泉。あなたならなんとかできるかもしれないわね」

「温泉?」

「そう、温泉」


 無理矢理、北の温泉まで飛んでもらい、湧き出るお湯を窪んだ穴へと移してもらって雪や氷で湯加減を調整すると素晴らしい露天風呂が完成した。

 素晴らしい設備を完備していた魔王の城ですら、この風呂にはありつけなかった。

「後ろを向いていてよね」

「結局、最後まで意味が判らない作法だったな」

 ターゲと魔王の城で暮らしていても、着替えや、身体をお湯で拭く時などは部屋から出ていってもらっていた。ターゲには意味が判らないと言われたがしぶしぶ従ってくれてはいた。

 男も女も無く、服も着る必要が無い竜に取って、服を脱いだ状態の人間を見てはならないと言われても納得できないことだろう。

 ターゲも毛皮を身体に巻いてはいたが、それは防寒の為だといっていたので、裸を隠すという意味にはあまり納得していないようだった。

「他の動物だって服なんて着ないのだし、恥ずしいというのはどういう所から生まれてくるんだ?」

「動物だから恥ずかしくないのよ。知性があれば服を着るものなの。魔族だって着ているじゃない」

「あれは寒いからじゃないのかなぁ……」

 確かに魔族にも男や女は居ないので防寒だけの意味しかないのかもしれない。

「兎に角、恥ずしいからこっち見ちゃ、だめ」

「見やしないよ……」


 雪景色の中で露天のお風呂に浸かりながら、この三年の事を思い出していた。

 最初の目的である創成の竜に会い、氷竜とも会い、予定外の魔王にまで会ってしまった。当初の目的以上の成果だ。

 それどころか、魔力まで身に付けることができた。この力は苦労したからといって手に入るものではない。とんでもない幸運が私にはあったのだろう。

 ひとつだけ残念なのが青竜との会話が無かったことだけだが、私の幸運がまだ続いているのであれば、まだなんとかなるかもしれない。

「最初に会った時、青竜と話をしていたわよね? あの竜を紹介してもらえないかしら?」

「どうして?」

「私がここへ来た目的は、色々な竜の話を訊くためなの。話したわよね?」

「会ったじゃないか。俺と会った時に」

「あれは見掛けただけで、会話が無いじゃない。話しを訊くのが目的なの。できれば青竜の里も見たいわ」

「悪いが、もう俺は、青竜と会う事は特別な理由が無い限りは無理だよ。里の中なんて余程の事がなければ入ることなんかできないな」

「そう、残念だわ……」

 諦めるしかないのだろうか。

「そういえば、青竜の里って、あなたも住んでいたのでしょ? どうして氷竜のあなたが青竜の里に居たの?」

「……俺が子供の時に親が死んでしまったからだよ」

「ごめんなさい……」

 種族が違う竜が同じ里で暮らしていたのだ。考えればそれなりの事情があった事くらい判りそうなものだ。考える前に口に出すのは三年前から変わらない。私は成長していないなぁ……。


「三年か……」

 風呂に入り、ゆったりとした気分に浸っていたからだろう。意識的に忘れようとしていた師匠のことまでも思いだしてしまった。

「あっちの年寄りにも心配かけすぎだよなぁ……」

 戻ってから聞かねばならない師匠からのお説教は、ちょっとだけ憂鬱であり、ちょっとだけ楽しみだった。


 春になり別れの日が来た。文明的とは言い難い暮らしをしてきたこの洞窟だけれど、ごみごみとした都会よりものびのびと暮らせていた気がする。

「おじいさん……」

 元気でね、の言葉の代りに涙が出てくる。そのままおじいさんの大きな顔を両腕で抱き締めたまま自分の顔をその顔に重ねる。

「人というのは難儀なものだな。言葉なんぞいらん。さっさと行くがいいさ」

 この三年、大泣きしたことが何度あったのだろう。この歳でこれ程泣く機会があるとは思ってもみなかったが、多分、今日がその集大成だろう。

 おじいさんの顔を抱き締めたまま、十分程は泣いたのだろうか。落ち着いて今度こそきちんと別れを言おう。

「おじいさん……。元気でね……」

 もう、泣かない。そう決めた。今日の涙はこれ以上、流さない。

「ああ、まだまだ何百年も生きるだろうよ」

「そうよね。こんど来る時は私の方が老けた顔をしているかもしれないわね」

「また来る気なのか。もう勘弁してくれ」

「そうはいかないわ。絶対にまた来ます」

 そうは言うが、正直、これが今生の別れだろう。おいそれと来ることができる場所ではないのだから。

「それじゃ……、いくね」

 結局はおじいさんの為になにかをしてあげることは出来なかった。その事は心残りだが、人の分際で竜の為になにかをしようなどということ自体が思い上がりなのかもしれない。


 洞窟の外に出るとターゲが待っていてくれた。見送りはいらないと言ったはずなのに。また泣いてしまうじゃないか。

「本当はだめなんだけど、ちょっと先まで乗せていくよ」

「いいの……?」

「ああ」

 交す言葉は少ないが、その優しさは十分に伝わってくる。

 飛んでいる間、この背中に乗ることも最後なのかと思うと、また泣けてくる。決めたことなんか直ぐに忘れてその背中へ涙を落した。

 降ろしてくれたのは最初にこの竜と会った、あの川だった。

「あら、もう少し先まででもいいのよ?」

「これ以上、背中を濡らされるのは勘弁して欲しいからね」

「……そうね。ここからはこの三年を思い出しながらでも歩くことにするわ」

「ああ、すまんな。ここから先は青竜に直ぐ見つかってしまうからね」

「ええ。本当にありがとう。あなたに会えなかったら、この三年は無かったし、たぶん、ここで帰っていたと思うわ。――最後にその顔をよく見せてくれないかしら」

 そう言うと、その巨体のさらに上にある顔を私の前まで降ろし突き出してくれた。

 軽く両腕で抱き締めて別れのキスをする。

「さようなら。また会いましょうね」

 この竜とは、おじいさんよりも一緒に居た時間は長いだろう。人であれば恋に落ちていてもおかしくなかったはずだ。

 乙女は今、二十七歳の春を迎えている。


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