地図
館長の邸宅は図書館からさらに東へ歩いて二十分程の場所にあった。
この辺りまで来ると海が近くなり潮の匂いがしてくる。周りは古く大きな屋敷が多いが、建築家としては中に入って見学したくなる屋敷ばかりだ。
少し小高くなった丘の上まで来ると、さらに大きくりっぱな屋敷が見えてくる。
右手には光をきらきらと反射している海が広がっていた。
「ごめんなさいね。こんな坂の上まで歩かせてしまって」
「いえ。これくらいまったく平気です。建設中の現場なんか数十メートルの階段を行ったり来たりが普通ですから」
「それは頼もしいわね」
既に初老になっているであろう、その人のにこやかな顔は、まるで少女のようにすら見える。私がこれくらいの歳になってもこんな笑顔ができるようになりたいものだ。
中に入り書斎へ案内してもらうと既に先客がいた。
「紹介しますね。こちらはロヒさん。私の叔父がお世話になった方で、旅の途中なのですよ。もしかしたら竜の話も訊くことができるかもしれませんね」
「ロヒと申します」
今日は良く線の細い人と会う日だ。このロヒという人も髪の色こそ赤いが、オトイさんと同じように線が細い、これまた女装が似合いそうな美形だった。この人も旅をしているらしいがやはり冒険者なのだろうか?
「ヴェセミアといいます。失礼ですがロヒさんも冒険者ですか?」
「よく判りますね。職業を訊かれれば冒険者といっていますが、たんなる旅好きな放浪者ですね」
「実は今日の昼間にロヒさんと同じように旅をしているという冒険者さんにお会いしたのです。やはりロヒさんと同じような線の細い方でした」
またやってしまった。男性に向って線の細いなどというのは褒め言葉ではなく貶す言葉だ。きっと私の口が悪いのは師匠の影響だろう。きっとそうだ。
「ごめんなさい。失礼ないいかたをしてしまって」
ロヒさんは一切の屈託もなく笑顔で答えてくれる。
「はは。よく云われます。そんな細い身体で冒険者なんてよくできるなって」
「立ち話ではなく、そちらへ座ってお話されてはいかが?」
館長の言葉に促され、書斎に在った丸いテーブルへと腰を掛けた。
「今、お茶をお持ちしますね」
館長はなんだか嬉しそうだ。
「ロヒさんもやっぱり魔獣や山賊退治をやられるんですか?」
「そうですね。お金がなければ旅は続けられませんので」
「昼間の冒険者さん、オトイさんと名乗られていましたが、その人もそうですが冒険者というと、もっとこう……、なんというか……、身体の大きい……、毛むくじゃらな人、というイメージだったのですが、今日一日でイメージが変わりました」
失礼の無いように言葉を選ぶと、自分でも言っていることがよく判らなくなってくる。自分で言った言葉ではあるが「毛むくじゃら」はないだろう。
「そうですね。剣を扱うような方だとある程度の筋力が必要ですからね。私などは魔法を扱うことができるので冒険者としてやっていけてるのですよ。多分、そのオトイさんという方も魔導士としてやっている冒険者ではないでしょうか」
なるほど。この説明は納得してしまった。魔導士と呼ばれている人というのは身の回りにはいない。日常生活ではまず目にすることのない人種なのだからその考えが頭に浮かぶわけがない。
「オトイさんは竜と会ったことも会話をしたこともあったと言っていました。ロヒさんもあるのですか?」
「私は今の所ありません。見掛けたことならありますが」
「それじゃオトイさんの方が珍しいのかしら?」
「そうですね。冒険者といっても、竜と直接関わるような仕事はまずありませんからね」
「もしかしてロヒさんも北の方の生まれですか?」
「私はヴオリ山の麓にある小さな村の生まれです」
「それじゃ、この町に近いのですね」
「そうですね。歩いて一日くらいですか」
この屋敷へ来た目的も忘れるくらいにロヒさんとの会話は楽しいものだった。
当初の目的は忘れていたが、目論見通りに夕飯をご馳走してもらった。
こんなに美味しい食事を毎日食べることができるくらいに私も仕事を頑張らなければならない。図書館の館長さんは、そんなに儲かるのだろうか?さすがにこの質問は私でもすることはなかったが、訊くまでもなく館長の場合は代々のお金持ちだからなのだろう。
夕飯後はさすがに当初の目的を果たすべく書斎に二時間程篭らせてもらった。
本は古いものが多くあったが、やはりどれも目新しい情報を得ることはできない。しかし、一冊の本に挟まっていた紙切れを見付けた時には心が踊った。その紙切れに描かれていたのはまぎれもなく白竜の住処を示す地図だったのだ。
漏れがないように自分のメモへ描き移すと、それで満足してしまい、他の本は見ることも無く屋敷を出ることにした。
しかし、一点、腑に落ちない事がある。この紙は新しいものなのだ。ここにある本は、その殆どが茶色く変色しているが、地図が描かれた紙切れだけはまだ新しい。誰かの悪戯だろうか?この屋敷に私へ悪意を持つ者が居るとは思えない。本の間に挟まっていた紙というものは変色しないのかもしれない。そんな訳はないのだろうが、その場での思考は家へ帰るころにはすっかり忘れてしまっていた。
「もうお帰りですか? 今日はもう遅いですし、お泊まりになってはいかが?」
館長の嬉しい言葉は心引かれるものがあるが、さすがにそれは世話になりすぎだろう。ただでさえ世間の噂話では館長と私は図書館の繋がりであまり良い噂になっていない。
「いえ、さすがにこれ以上はご迷惑でしょうから、今日は帰ることにします。夕飯までご馳走していただいて、ほんとうにありがとうございました」
「でも、もう日が暮れてしまって、一人で帰るのは危ないわ。そうだ。ロヒさん、あなたが送ってくださらない?」
館長はロヒさんと私をどうにかしたいのかしら? まあ、それは嬉しいのだけど。
「わかりました。それでは参りましょう」
帰りの道もこれ以上にないくらいの楽しい道になった。この幸せの埋め合わせが不幸せにならなければ良いのだけれど。