最後の船
おじいさんの住処へ帰ることがあっても魔王との因縁について話しをすることは避けていた。自分にできることが無いのであれば話をしても意味がない。この年老いた竜の力になってあげたいという思いはどこかで叶うだろうか?
船の出港は順調だった。問題らしい問題は起きず遂に明日には最後の船が出発する。
予定では一年を必要としたこの計画は、実際には二ヶ月程早く完了することになりそうだ。魔王の持つ技術力の高さは人の何百年も先を行っている。この調子であれば最後まで問題は起きないだろう。
いつものようにテラスで夕食を用意していると、またリヘラが入ってきた。前と同じように臭そうに鼻を押さえている。
「また食べに来てくれたのですか?」
「いや、その……。前に少し言った創成の竜の話なのだが……」
「おじいさんがどうしたのです?」
「悪いが、その創成の竜に伝言を頼めないだろうか?」
「おじいさんに伝えればいいのですか? お安い御用ですよ」
このリヘラという魔族には嫌な顔をされながらも、それなりに世話になっている。伝言くらいはなんの問題もなく承ろう。
「『あの時はすまなかった』それだけ伝えてくれればいい」
「それで伝わるのですか?」
「そうだな……。ゼノ様の横にいた者がそう言っていたと言えば伝わるはずだ」
「よくは判らないけど、そう伝えます。でも、ちゃんと伝えたいから、できれば事情を話してもらいたいですね」
「事情か……。おまえはゼノ様と創成の竜との因縁は知らないのだろ?」
「あの後、ターゲに聞きました。ゼノ様と戦ったって」
「そうか。それなら少し話しておくか……」
リヘラは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「実は……、その……、――創成の竜に致命傷を与えたのは私なのだ……」
「ゼノ様ではなくて?」
「……そう。両者の戦いに水を差してしまったのだ……」
そのリヘラの顔は悔やむに悔やみきれないという顔だ。
「ゼノ様からは手を出すなと命令されていたのだが……。ゼノ様が体勢を崩した時に、その……、なんというか……、――思わず手を出してしまった」
「それが致命傷になったということですか」
「――まさかあの一撃が竜を動かなくする程のものになるとは思っても見なかったが、創成の竜は動かなくなってしまったよ。――それ以来、私の中にある後悔の念が消えることがないんだ……」
横で聞いているターゲがなんとも言えない顔で聞いている。その一撃がどんな物なのかを知っているらしい。そういえば治っても動けなくなる傷といっていたが、それと関係しているのだろうか?
「それであやまりたかったということですね。判りました。伝えておきます」
「そうしてくれると助かる……」
「でも、自分で行って、直接伝えたほうが本人は喜ぶと思いますよ。次に帰るときにでも一緒に行きませんか?」
「残念ながら遅すぎたようだ。明日、私は……、船に乗ることになっているんだ……」
驚いた。魔王の第一の側近だと思っていたが、その側近が自らあの星へ行くことを志願したのだろうか?
「あなたがあの星へ移住するのですか? まさか強制されたのではないでしょうね?」
「それは違う。もちろん自分から志願した。――ゼノ様は止めてくれたが私は行くことにしたのだよ」
「どうしてです? ここの暮らしが嫌になったとか?」
「いや、私も新しい大地というものが見たくなったのだ。ただそれだけさ……」
「そうですか……」
本当にそれだけなのだろうか?
おじいさんへの伝言と絡めて考えてしまうと、その卑怯とも取れる行為を悔やみ、その罪滅ぼしではないかと勘繰ってしまう。
「謝ることで済むことではないが、伝えてくれるのであれば、少しだけ気が楽になるよ。――心機一転、新しい場所で前向きに暮らしていけそうだと感じている」
そういうと少しだけ曇りが晴れたような顔をして、リヘラは部屋を出ていってしまった。
何百年も前の事をずっと思い悩んでいたのかと思うと、あのリヘラという魔族が不憫に思えてしまう。たった一言を伝えられなかっただけで何百年も苦しんだのだ。それだけでも十分な罰を受けているのではないだろうか。
最後の出港もいつもと変わりはなかった。
リヘラを見付け最後の挨拶を交し、別れの握手をしたがいつもの不機嫌そうな顔は変わらなかった。
「伝言は必ず伝えます」
「ああ、頼むよ」
その一言には少しだけ微笑んだように見えたが、すぐに真剣な顔に戻り船に乗り込んでいった。魔族であっても緊張というものはするらしい。
魔王の側近は見たことはあるが名前すら知らない魔族に変わっていた。やはり不機嫌そうな顔をしている。魔王だけあってその側近は緊張の連続なのだろう。
船はいつものように浮かび、いつものように空へ登り、いつものように消えていった。
「さて、これからは到着する報告を聞くだけだ。こちらで出来ることはほとんど無くなってしまったよ。おまえはもうここに居なくとも良いのではないかね?」
横に座って見ていた魔王は最後の船が見えなくなると肩の荷が降りたような顔をしているが、なんだか寂しそうにも見えた。
「いえ、最後まで見届けます」
確かにこの場所で船を見送ることはもうないのだろうが到着しなければこの計画は全て無駄だったということになるのだ。
「そうだろうな」
そう言うと魔王は城へと降りようと立ち上がった。
「少しお話しをお訊きしてもよろしいでしょうか?」
自分でも話の内容に考えがあるわけではなかった。でも何か、創成の竜やリヘラの事で魔王に話をしたかった。文句を云うつもりではないのだが、なんだかもやもやしたものが自分の中にあるのを感じ、それが魔王を引き止める言葉となって口から出てしまったのだ。
「ん? なにか問題でもあるのか?」
立ち上がった魔王はまた椅子に座りなおし、こちらの話を聞こうと待っている。さて、なにを話せばこのもやもやは晴れるのだろう。




