図書館
白竜の事は子供の頃に聞かされたお話としてしか知識はない。
遠い昔、竜同士の戦いで巻き添えにならないように白竜が人間を守っただとか、この国の元となった始皇王が北からの侵略者に対抗するために助けを求めたのが白竜だとか、そういう話は聞いてはいるが、実際にこの目で見たことがない白竜は他の竜と同じく、私にとってはお話の中にしか出てこない伝説でしかなかった。
竜のことで調べるのはこれで二度目だ。最初は一年前に完成した図書館で、それも主題は「青竜」だった。その時も図書館で調べては見たが、やはり知っていること以上の目新しい事はこれといって見付けることはできなかった。図書館は私の中にある竜と青という二つのイメージからデザインしたものでしかない。提出まで一ヶ月しかなく、調べたのは一日だけ図書館に行ったくらいで後はひたすら画を描くだけだった。
「とりあえず、図書館で調べよう」
自分が設計した図書館というのは少し照れがあるので、あまり足を運ぶことが無かったが今回はそちらへ行ってみよう。蔵書の多さや古い文献の多さでは南の図書館の方が良いのだと思うが、この数年で大きく変わるということは無いと思うとやはり東だろう。それに東の図書館は青竜に関わりが深いはずだ。たぶん……。
自宅から三十分程歩くと目指す図書館が見えてきた。波打つ屋根が周りの林と調和して森の中に佇む青竜をイメージさせる。
設計した薄く青い壁の色は皆の失笑を買ったが、その図書館の館長となることが決定していた人の推しのおかげで勝ちを得ることができた。
その館長も女性だったからだとか、きっと裏工作があるのだとか、色々と言われてしまったが、こうして見るとやっぱり良い出来だ。
完成直後は馬鹿にしていた連中も掌を返すように褒めてくれたものだが、一年もするとだれも褒めてはくれない。「私ってば天才だわ」そう自画自賛しながら眺めていると前から見覚えのある人がこちらへ歩いてきていた。
「こんにちは」
この図書館の館長さんだ。まさか会うことになるとは思っていなかった。優しそうな、育ちの良い良家のお嬢さんが歳を重ねるとこうなる、という見本みたいな人だといつ見ても思ってしまう。
「ごぶさたしています。おでかけですか?」
「ええ、あなたは図書館へ?」
「はい。少し次の仕事の調べものをと思って。」
ついでに竜の蔵書について訊いてみよう。
「この図書館は青竜をイメージしたものですが、蔵書にも竜関連が多かったりしますか?実は次の仕事では白竜をイメージとしてというものなので。」
「うーん……。そうですね、あまり関係ないかも……」
「うっ。そうなんですか……」
「青竜は縄張りを持たず穏やかな性質で、竜族の中でも知的好奇心を持った竜が多いと言われているのです。そこから図書館のイメージとして採用させてもらっただけで、特に竜に関する蔵書が多いという訳ではないのですよ」
「南の図書館も同じようなものでしょうか?」
「さほど変わりはしないと思いますが、古い文献や蔵書の多さからは、やはり新参もののこちらよりは良いのかもしれませんね。――あ、でも捜してみるだけでも、ぜひ利用してください」
私が設計した建物の利用者が居なくて、無くなってしまうのも嫌だし、せっかくここまで歩いてきたのだから今日はこちらを利用するが、あまり期待はできないようだ。
図書館の中は全ての物が新しく、すっきりしていて、整然と並んだ本棚がまだ木の匂いをさせていた。本棚の本も新しいものが多く、古い文献や希少な本はあまり期待できないかもしれない。
竜に関する本はどのあたりに置いているのだろう。伝記、伝承、神話、そんな本がありそうな一角を見付け、参考になりそうな本を三冊ほど手に取ってテーブルへと持っていった。
この一角にはあまり人が居ず、先客が一人テーブルで本を眺めている。その手にしている本をなにげなく覗いてみると『竜族の系譜』というタイトルが見えた。この人も建築関係者で白竜のことを調べているのだろうか? 本の題名としては興味を引かれる。
その人とは少し離れて自分が持ってきた本を眺めるが、これといって面白いことは書いてはいない。どれも既に知っていることかどうでも良いことが大半だった。
竜を模写した絵があると、それを自分が持ってきたメモへ描き移すということしかしていないが、それでも二時間くらいは過ぎていた。
「模写の模写じゃなくて、実物が見たいな……」
三冊ともに目を通し終り先刻の先客を見ると、まだ『竜族の系譜』を読んでいる。よっぽど面白いのだろう。少し読ませて欲しい。そんなことを思いながらその人を眺めていると視線に気がついたのか、こちらを見ると苦笑いに近い笑顔を見せてくれた。
「建築関係の方ですか?」
思い切って話かけてみた。
「いえ。建築?」
建築関係では無い人に対して、その質問へのその対応は当然だろう。
「あ、ごめんなさい。同じ仕事で同じ調べものをしているのかと思って……」
「いえ、僕は人が竜に対してどのような見方をしているのかと興味があったものですから」
なんだか自分は人じゃないようなことを言う人だ。そういえば髪の色もこの建物の外壁の色と同じ薄い青色に見える。あまり見掛けたことが無い色だった。
その青年の顔色は青白く線が細い。顔は女装でもさせれば私より美人に見えそうだ。歳は私と同じくらいで二十代前半というところだろう。
「竜のことは詳しいのですか?」
「うーん……。知らない人よりは知っている。かもしれない。程度?でしょうか」
なんともよく判らない答えだ。
「竜を研究している学者さんとかですか?」
「いえ、ただの旅人です」
「えっと、旅人が職業?」
「あはは。職業というならば冒険者ということになりますかね」
かなり意外な答えだった。冒険者といえば、しっかりとした体躯を持った、どちらかといえば野蛮な雰囲気すら感じる人達だと思っていたが、目の前にいるその人からは優しそうと言うか、どちらかといえばひ弱そうな感じさえしてしまう。腕相撲でもすれば私でも勝てるのではないだろうか。
「あまり冒険者という感じには見えませんね」
云わなくても良いことを口にしてしまうのは私の悪い癖だ。
「そうですか? これでもこの大陸のほとんどの町や村には行っていると思いますよ」
行くだけなら私にだってできる。問題はその旅費をどうするか、なのだ。この人はどこかの御曹司かなにかだろうか? もしかしたら親しくしておいた方が良いかもしれない。それとなく訊いてみよう。
「すごくお金持ちなんですね」
歯に衣着せてというようなことが出来ないのも私の悪いところだ。それとなく訊くつもりだったのだがそのまま訊いてしまった。
「お金? いえ、あまり持ってはいませんよ。旅費は少なくなったら狩りや畑の手伝いをしたり、魔獣の討伐をしたり、山賊退治を手伝ったり。結構なんとかなってます」
人は見掛けによらないものなのだと実感してしまう。このひ弱そうな人が魔獣や山賊相手に戦うというのはあまり想像ができない。
そんなことはどうでも良いことだ。ここへ来た目的は竜なのだ。大陸を見て回っているのであれば竜にだって会っている可能性もあるはずだ。
「これまで竜に会ったことはありますか?」
「はい。ありますよ」
訊いてみるものだ。これだけでもこの図書館へ来た意味がある。
「近くからですか? 遠くを飛ぶのを見ただけ?」
「まあ……。近くから見たこともありますよ」
本当だろうか? とにかく訊けるだけ訊こう。
「触ったことも?」
「ありますね」
「会話は?」
竜との会話は念話という音を使わない、直接頭に響くような、なんとも私には想像ができない方法らしい。それはものすごく興味を引かれる。
「ありますね」
「すごい。なんの話をされたのですか?」
「内容は……。業務上の秘密ということで……」
この人は結構すごい人なのかもしれない。
「白竜には会ったことは?」
「いえ。私が会ったことがある竜は……。まあ……、炎竜はあまり……、ありませんね……」
この世界には炎竜、氷竜、青竜が居るというのは私でも知っていた。白竜は族としては炎竜に入るというのも読んだのか聞いたのかは忘れたが知っていた。しかし、この人は竜の話に関してはあまり話がしたくないのだろうか? 返事に困っているように聞こえる。
「えっと、そろそろ私は行かなければ……」
「あ、ごめんなさい。長々とお話してしまって。――あの、よろしければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
別段、変な下心が在ったわけではないが、世界を回る冒険者で竜にも面識がある人であれば、また話を訊くことができるかもしれない。決して下心はない。はずだ……。
「名前ですか? オトイといいます」
「あまり訊かない名前ですね。南の方のご出身?」
「いえ、北の生まれです」
偏見かもしれないが、その細い線は確かに北の生まれという気がする。
「私はヴェセミアといいます。この町で建築家をしている者です。またお会いする機会があったら、ぜひ竜や旅の話を色々と訊かせてください。――すいません、図々しくて」
「いえ。人との会話はそれなりに楽しいものです。――それでは失礼します」
そう言うとオトイと名乗ったその青年は少し微笑み、手にしていた本を本棚に戻すと出口に向っていった。
オトイさんが帰ってすぐに本棚に戻された『竜族の系譜』を手に取り読み耽った。しかし知っている以上のことはやはり書いてはいない。竜族というのは謎が多いのではなく、ほとんどの事は人間に知られているのかもしれない。やはり実際に会わなければこれ以上は理解を深めることはできないだろう。
そんなことをぼんやりと考えていると入口からあまり見たくはない顔をした、どちらかといえば嫌な奴に分類される人物が入ってくるのが見えた。イイケだ。あの人も目的は私と同じなのだろう。当然こちらへ来ることになるはずだ。さっさとここを立ち去ることにしよう。
本を戻すために置かれていた場所まで行き『竜族の系譜』を棚に戻すと後ろから声が掛けられた。
「やあ、ヴェセミアじゃないか。ごきげんよう。奇遇だね」
「そうかしら? 昨日の今日だし調べる事は皆同じじゃないの?」
入口に人の気配を感じそちらを見ると、また知った顔が入ってくるのが見えた。
「ほら、あの人も来たわよ」
そう言って入口を目で指すと、そこにはこの町の建築家としてはそろそろ中堅になる、昨日の招集にも来ていた顔があった。あの人とこのイイケは図書館の設計で争った仲だ。あまりこの場所で顔を会わせたくはない。
「それじゃ、私はこれで失礼するわね」
そう言ってさっさと出口へ向い図書館を後にした。
帰りの道で、こちらは本当に奇遇だが、また館長と会うことができた。
「どうでしたか? 参考になる本はみつかりましたか?」
この質問は返事に困る。無かったなんて云えないし、嘘を云うのも性に合わない。
「そうですね。本は……。あ、だけど、竜に詳しそうな人と偶然話をすることができて、それなりに有意義でした」
「そうですか」
すこし寂しそうな館長の顔を見て自分の馬鹿なことに腹が立つ。嘘でも有意義でしただけで良かったのだ。
「もうお帰りですか? そうだ。よろしければ私の家へ来ませんか? 役に立つかは判りませんが実は私の家には竜に関する本が数冊あるのです」
あまり期待はできないのではないだろうか。新しい図書館とはいえ国が運営するこの図書館にも無い本がそれほど多いとは思えない。あっても、また知っていることしか書いていないのであれば時間の無駄になるかもしれない。
「竜の研究でもされていたのですか?」
「いえ、私の祖父が残した本ですので古い本ばかりですが、何冊かはそれなりに価値のあるものだと聞いたことがあります」
これは行くしかないだろう。それに良家の屋敷というのもこういう機会がなければあまり縁の無い場所なのだ。
「ぜひ、おねがいします」
この時間だと「夕飯もご一緒に」なんてことになったりして。