西へ
外へ出ると氷竜は突然脱ぎだした。脱ぐといっても一枚の動物の皮、多分、熊の皮だと思うが、それを身体から剥ぎ取っただけだ。一瞬にして素っ裸になってしまった。
「ちょ……。なにやってんの?」
脱いだ皮をこちらへ差し出して「持ってて」と云うと一瞬の光と共に竜の姿へ変身した。
「飛べる所までは飛んで行ったほうがいいだろ?」
「それは……、そうね……」
自然を装おって答えたが顔が熱い。私の顔は真っ赤になっているだろう。二十三歳の乙女はあまり他人の裸には免疫がないのだ。あ、もう二十四だったわ。
それよりも一つの発見があった。
重大な発見だ。ことによると竜研究の歴史に名前を残すことができる程ではないだろうか。これまで読んだどの文献にも書いてはいなかったことだ。
突然脱がれたのだから見るなと云われても目に入るのだから仕方がない。見るつもりは、たぶん、なかった。
なかったのだが、一瞬の事で、なぜかその場所を見ていた。本当に見るつもりは無かった、はず、なのだが、見てしまった。そして、その両足の間に、つまり人の部位の呼称で言えば股間と呼ばれる場所に、在るべきものは、無かった。
女だったという意味ではなく、なにも無かった。木で出来た人形のようにつるりとなにも無かった。
これはメモに記録するまでもなく、記憶に焼きついてしまっただろう。
今回の飛行は快適だった。前に乗せてもらった時は人が寒さに弱いということを忘れていたらしい。今日の氷竜の背中は氷竜の住処へ泊まった時のように暖かく熱を持っている。
ただ少しでも顔を上げると、風が顔を刺して痛みを感じるほどに寒く、景色を見るために数分間だけ頭を上げているのが精々で、すぐに竜の背中へ顔をくっ付けなければならなかった。
寒冷地の観光には不向きな方法だろう。私には景色を眺める余裕はなかった。
「二人じゃ、少し寂しいわね……。他の氷竜は誘えないかしら?」
「実はここへ来る前に、何体かの氷竜へ同行してもらえないかと頼んでみたんだ」
「そうだったの? でも、誰も来ていないということは駄目だったということ?」
「そういうことだね。でも、二人で行動した方が目立たなくて良いとも思うんだ。戦うことが目的ではないのだろ?」
確かにそうだ。人の身体であっても頭数が多ければ目立ってしまうだろう。魔王が居る場所までは魔族に見付からずに進みたい。
それにしても他の氷竜達はなんて冷たいのだ。この竜の背中を見習って欲しい。
「他の氷竜って冷たいのね。冷たいのは名前だけにして欲しいものだわ」
「そうでもないよ。俺も最初の竜に尋ねたとき言われたんだけど、この地を守る竜が居なくなってもいいのかって。対抗できるくらいの竜は残っていなきゃまずいだろ」
私の考えはどうやら浅はかだったようだ。
目的地まで六時間くらい飛ぶと言われていたが、普段、空を飛ぶということが出来ない人間にとっては素晴らしい体験だ。
高い所を飛んでいるので、どれくらいの早さなのかは良く判らないのだが、とんでもない早さなのだろう。初めて乗せてもらえた時は、歩いて数週間の距離を数時間で飛んでしまったのだから、馬など話にならない程の早さのはずだ。
誰かにこの話をしたくなってしまうが、するだけ無駄だ。信じられる訳がない。
そんな誰もが経験できない事を経験しているのだから喜ぶべきなのだが、いや、実際、喜んではいるのだけれど、六時間は長すぎる。頭を上げると寒いので氷竜の背中に顔をくっ付ける必要があり、姿勢を維持するのも大変になってくる。
残念ながら景色もあまり見ることができないので話でもする他にない。
「竜に名前はないものなの?」
いつまでも氷竜と呼ぶのも変だ。創成の竜にも何度か訊いたが教えてはくれなかった。
「名前は……。後で人の姿に変化したら教えるよ」
「変身ではなく変化なのね」
「まあ、どちらでも同じだよ。竜達は変化と云っているね」
「でも、どうして今ではなく人の姿でなければならないの?」
「竜の姿で自分の名前を名乗るのは……。なんとなく駄目なんだ。竜同士だと念話で会話するからイメージを伝えることになる。だから名前を呼ぶことがなくて人の言葉にすることが別の名前を呼んでいるような感覚になってしまって……。とにかく人に説明するのは難しいな」
とにかく難しいらしい。だから創成の竜は教えてくれなかったのだろうか? おじいさんは面倒だからという理由の方が大きいかもしれない。
話も疲れてきた。こちらは念話ではないので大声を出す必要がある。
氷竜の背中が暖かいというのもあって、いつのまにか眠ってしまっていた。
落ちなくてよかった。