魔族
朝起きると氷竜は既に目を覚ましていて遠くの方を見ている。氷竜の見ている方を見ると数カ所から黒い煙が上っていた。その煙の上には数体の竜らしき黒い影が飛んでいるのも見える。
「あの煙はなに?」
「魔族が竜と戦っている。起きたかい? 俺はあそこへ行かなきゃならない」
「戦うの?」
「ああ、最近、魔族がこの辺りまで侵入してきているんだ。放っておけば魔族に侵略されてしまうからね」
「昨日、怪我したのもその戦いなの?」
「昨日はちょっと油断したんだ。今日は昨日のようなへまはしないさ」
そういうと氷竜は立ち上がり一度だけ羽撃くと空高く舞い上がった。
「送るつもりだったけど、ごめんよ。悪いが一人で帰ってくれ」
そう言い残すと煙が上っている方へ飛び去ってしまった。
心配だった。しかし自分にできることはない。戦いとなればなおさらなにもできない。それに魔族などというものは見たことすらないのだ。
素直に帰るしかなかった。
洞窟へ戻ると創成の竜は温泉から帰ったときと同じようにこちらを見てくれて、今回は声まで掛けてくれた。
「なんだ、生きていたのか」
「ただいま。氷竜が空から落ちるところに遭遇しちゃって。それで昨日は向うへ泊まったのよ」
「そうかい」
なんだか朝帰りの言い分けを家族にしている気分だ。まあ、実際にもそれに近いのだが。
「そういえば、魔族とやらが攻めてきているらしいよ。おじいさんは行かないの? 年寄りは邪魔になるだけか」
わざと焚き付けるようなことを言ってみた。少しは動いた方がいいに決まっている。
「わしが行かんでも平気だろうよ」
竜でも歳を取ると偏屈になってしまうのだろうか。人間と変わらないじゃないか。
「でも、昨日は私を助けてくれた氷竜が怪我をしていたわ……」
自分の言葉で自分自信の不安が大きくなるのが判る。
「なにか私にできることは無いのかしら? おじいさん、なにかないの?」
「……ないな」
温めただけのスープを遅い朝食として取りながら、自分にできることを考えてはみたが思い浮ぶこともない。
無力な自分がどうしようもなく情けなかった。
「そういえば、氷竜に聞いたのだけれど、わたしの怪我を治してくれたのはおじいさんだって。――ありがとう」
「礼などいらんからさっさと出ていってくれ」
「それはできないわ。それはそれ。これはこれ。出ていくのは話を全て聞いてからだよ」
なにが「それはそれ。これはこれ」だ。全く違うじゃないか。私がこの洞窟へ住んでいるから、おじいさんに迷惑を掛けているのだ。しかも怪我までしている。出ていけと言われても全く文句が言えないはずなのに、我ながら呆れてしまう。
それでも今は帰れないし、帰りたくはなかった。
「人の短い一生を別の種族のことを知るためだけに使っていいのかね?」
「関係ないわ。知りたいから知ろうと努力するだけ。おじいさんには迷惑かもしれないけど、おじいさんの長い一生ならほんのちょっとした時間でしかないのでしょ?」
白竜から聞いた話では、竜の寿命というのは無いそうだ。死ぬのは回復不可能な怪我や病気くらいなもので生きようと思えばその寿命は永遠だと言われた。
ただ、創成の竜が一体しか残っていないのは、他の竜達が生きることに価値を見出せなくなってしまったからであり、そうなった竜はだんだんと衰えてゆき最後には死ぬことになるらしい。それが寿命といえるのだろう。
たしかに数千年を生きればやることも無くなり楽しみも減っていくのかもしれない。私のような欲まみれの人間からすればそこまで生きることができるのは羨ましいだけなのだが。
「おじいさんはまだまだ何百年も生きるのでしょ? あと数十年しか生きることができない、この私の儚い希望を叶えることなんて簡単じゃない」
この年老いた竜が生きているのは、まだなにかの希望や楽しみが残っているからなのだろう。できることなら、してくれる話のお返しや迷惑を掛けているお詫びに、その希望や楽しみを増やすことができれば私も嬉しいのだけれど。
突然、洞窟の氷河側入口方向から「ドン」という大きな爆発音がした。洞窟内は崩れることはなかったが、その振動は崩落の危険を感じさせる程大きいものだ。
「ちょっと見てくる」
外へ出ると、黒い、人の形はしているがその背中には羽を持ち、一目見ただけで邪悪なものだと感じてしまう異形の者がそこに居た。
初めて見る魔族だった。本で見たことのある魔族とは少し違うが間違えないだろう。魔族と言われるものだ。
魔族はその一体だけだが、その上空には氷竜が飛び、口からは炎を吐いて撃退しようとしている。
その魔族と目が合った。
その目は勇敢な戦士の目ではない。恐怖に戦き必死に竜の攻撃を回避しているだけの、まるで人の少年のようにすら見える。
その魔族も炎の塊に見えるものを氷竜へと飛ばして応戦しながらも、なんとか氷河の壁を登り森へと逃げようとしているようだった。
魔族が飛び上り、氷の壁を上ろうとするその時を狙って竜が攻撃をかける。その攻撃を避けるために氷河へ戻る。竜の攻撃が当たる度に魔族は苦悶の顔を見せた。
その繰り返しが何度か行われたが決着はあっけなく、魔族が疲れて動きが鈍くなったように感じたその一瞬、雷のようなもの、それは私には雷に見えたが実際にはなにかは判らない、その雷のようなものに打ち落された魔族は氷河の上に落ち、そこへ氷竜の炎が直撃し、さらに止めに氷竜の大きな口にある牙がその魔族の身体を貫き、魔族の身体は空中に霧散していった。
魔族の身体が消えていく一瞬、その視線がこちらへ向いた。その目は悲しそうだった。私に助けを求めているように感じた。例え魔族であっても傷は痛く苦しく、死は悲しいのだ。死んで良い命なんて無いのではないだろうか。生き物を狩ってその命を食べている自分が言うべき言葉ではないのかもしれないが、この戦いはどんな意味があるのだろうか?
魔族を倒した後、すぐさまその氷竜はこちらを一瞥することもなく西へ向かって飛んでいってしまった。