氷竜のケガ
私が怪我をしてからは創成の竜も少しずつではあるが話に返事を返してくれるようになってくれた。溜飲を下げたのだろうか? それとも大怪我を見て哀れんでくれたのだろうか?
ただ、問いに対して答えてくれないことも多々あり聞き取りが進むという程でもない。
あれから外へ出る時は白竜へ会いに行くときに買った鈴を腰に下げるようになっていた。どれ程の効果があるのかは判らないが無いよりはまし程度の効果は期待しよう。ただし、こちらが狩る側になった場合は獲物を逃がしてしまうことになるので鳴らないように布に包みポケットにしまっていた。
助けてくれたお礼を言いたいが、あの氷竜に会うことも見掛けることも無い。白竜のように朝と夕方に縄張りを見回ることもないのだろうか?
「おじいさんは縄張りの見回りはしないの?」
「わしの縄張りはこの洞窟だけだからの」
この竜は少なくとも私が来てから一度も動いてはいない。それどころか何かを食べている様子もない。食べ物は判らないが、竜とはいえ白竜を見る限りでは朝晩に見回るくらいの行動はするらしいし、この竜だけが特別なのだろうか?
「そこにじっと寝ているだけだと身体のどこかに痛みとか出ないの? 人間だったら一日で腰がおかしくなっちゃいそうだわ」
「人とは身体の作りが根本的に違うからな。比べられても困る」
「食事は? なにも食べていないようだけど平気なの? 私が狩れるようなものであれば狩ってくるわよ?」
「竜は子竜でなければほとんど食べはせんよ。魔素さえあれば……。まあ気にするな」
最近は説明が面倒になるとこんな感じで話を切られる。
子竜? そういえば竜は卵から生まれるらしいけど子竜とやらも見てみたい。
「子竜ってどこへ行けば見ることができるかしら? 一度くらいは見てみたいわ」
「青竜の里にでも行けばよかろう。あそこなら何体かはおるじゃろて」
「その青竜に会うのは無理だからって言われたから、おじいさんのところに来たの。行けるくらいなら最初に行っているわ」
そういえば青竜の「里」とはなんだろう?
「里っていうことは集団で生活しているってこと? 詳しく教えてください」
「……面倒じゃ」
今日はここまでのようだ。
そんな日々が続いていたある日の夕方、薪拾いが終わり洞窟への帰りに、ふと北西の空を見上げると竜が飛んでいるのを見付けた。きっとあの氷竜だ。やはりこの辺りに住処があるのだろう。
しかし少し様子がおかしい。なんだかふらついているように見える。そう思いながら見ているとついに空から落ちていくのを見てしまった。見てしまったものは放っておくわけにはいかない。
私は持っていた薪を放りだして落ちたと思われる方向へ走りだしていた。
空から落ちたものを目標に、その落下地点まで向うというのはかなり難しかった。日常ではまず無いことだし、道などないこの森の中を通るだけで方向が判らなくなる。
小一時間ほど進むと、なにかが落ちたように木が倒れている場所に出ることができた。先刻の竜が落ちたのがここだとすれば近くにいるかもしれない。木が倒れている方向を目指し歩くと、やはり竜がうつ伏せに倒れていた。
「大丈夫? 聞こえる?」
倒れているのだから大丈夫ではないだろう。相手が人間であってもこんな時にどうすれば良いのかは判らない。ましてや相手は竜なのだ。
「――ああ、君か。大丈夫だよ。二時間もすれば問題なく動けるようになる」
「本当なの? なにかできることはない?」
「ああ、大丈夫だよ。君は早く帰った方がいい。もう暗くなってきている」
辺りはすでに夜になっている。遠く、西の空はほんの少し赤く夕焼けに染まっているが、それも後、十分もすれば夜の空になるだろう。
「私はもう帰れないわ。明日の朝にでも帰るから、それまでは見ていてあげる」
余計なお世話かもしれない。でも受けた恩を考えればこれくらいはしたかった。
二時間もしない内に氷竜は起きだしてきた。無理をしているのではないだろうか? 私がいることで気をつかわせているのであれば私は邪魔者でしかない。
「本当に大丈夫なの? 動いて平気?」
「ああ平気だよ。ここは人間には寒すぎるだろ。肩に乗って。俺の住処に行くから」
怪我をしている竜に乗らなければならないことに躊躇してしまう。私はなにをしているのだろう。自分の無力なことが情けなく、悲しかった。
氷竜の肩へ座り、小高い丘を登り、ほんの数分歩くと谷になっているその突き当たりへと着いた。振り返るとここまで歩いてきた谷の向う側にその先一帯を見渡すことができる程の景観が広がっていた。月明りだけで暗くはあるが眺めは結構良い。だけどそれ以外はなにもない。
「なにも無いけど、ここがとりあえずの俺の住処だ」
竜といえば洞窟や地底に住むというような勝手な想像をしていたが、こんな野晒しのなにも無い場所だとは思っていなかった。
「こんな場所で平気なの?」
また失礼なことを言っている。私はどうしてこう考えもなく浮かんだ言葉を口にしてしまうのだ。
「ははは。人とは違うからね。竜には飛べる空と寝ることができる場所だけあれば問題ないよ。ああ、あと魔素も必要かな」
氷竜は私の失言など気にしていないように話してくれる。やはり竜というのは優しい生き物なのだ。そうでなければ死に掛けた人など竜から見れば他の動物と変わりは無いはずなのだから。
「そうだ。あなたにお礼を云うつもりだったの。熊に襲われた時に助けてくれたのはあなたなのでしょ?」
「ああ、たまたま上から見ていたら見付けてしまったからね。知らない人間なら助けなかったかもしれないがな」
「ほんとうにありがとう。なにかお返ししたいのだけれど、私はなにも持っていないし……。今日も助けるつもりが邪魔者だっただけだし。情けないわね」
「気にする必要はないよ。そういえば傷の具合はどうだい? 治療があと数分遅れていたら君は死んでいたと思うよ」
それ程の大怪我だとは思っていなかった。傷跡もほとんど残っていない。倒れた時は大怪我だと思っていた。これは死ぬのかなとぼんやり思った。傷跡を見てからはたいした怪我ではなかったのだと安堵していたところだったのだ。
「そんなに大怪我だったの? でもほとんど傷跡は残っていないわよ? 魔法の治療は傷跡すら残さないで治療できるものなの?」
お礼に来たつもりが質問攻めにしてしまっている。なんとも迷惑な人間なのだろう。
「傷跡が残らないように治療してくれたのは、あの創成の竜だよ。俺はそれほど治療魔法が得意ではないからね」
「え? そうだったの……。そんなこと一言も聞かなかったわ」
「帰ったらお礼は創成の竜にも言ったほうが良いかもね」
「ええ。もちろんそうする」
その夜は氷竜の腕と胸に挟まって眠った。その氷竜という名前からは想像できない程に暖かかった。そうでなければ冬のこの北の地では凍死していたことだろう。