氷竜
オトイと別れ一週間程歩いたがやはり一人は辛い。川を渡るだけでも下流や上流へ渡れそうな場所を捜して迂回するのが必要なことに疲弊し、何度も引き返すことを考えたが、やっぱり竜には会いたいという気持ちが足を運ばせてくれた。
その日、また川に当たる。川の迂回はうんざりだ。
河原へ降りようとすると足元に良い感じの大きな岩がある。それを足場に降りようとその岩へ飛び乗ると右側の岩が、動いた。
「うぁ」
よく「飛び上がるほど驚く」などと言うが、驚いたからといって飛び上がることがあるとは言葉上の表現だけで実際にはないものだと思っていた。しかしこの時は本当に飛び上がった。そしてその動いた岩とは反対方向へ尻餅を着いてしまった。
「あぁぁ……」
その動いた岩を見て、さらに驚いた。竜だった。
「こっちが驚いたんだが」
念話で話し掛けられているが、突然の事に云うべきことが言葉として出ない。
「あ……。えと……。――ああ、まず降りますね」
尻餅を着いたのは岩ではなく竜の背中だと気付くと、その言葉がでてくれた。
「ごめんなさい。まさか竜がこんな所に居るなんて思っていなかったので。踏み付けてしまって、ごめんなさい」
「ああ、痛い訳ではないから、気にする必要はないよ。ちょっと驚いただけだ」
「驚かせてしまって、ごめんなさい」
念願の竜に会うことができた。しかし突然すぎて何を云うべきなのか言葉が浮かばない。
「あの、お話を訊かせてください」
「話? なんの?」
「――えっと、――いろいろです」
「……」
この時点では会話にはならなかった。
「まあ、なんとなくではあるが、話は判ったよ」
一通り、自分がここまで来た経緯や、漠然とはしているが竜のことを知りたいという欲求を満すために来たということを伝えることはできた。その竜にとってはピンと来ない話だったろうとは自分でも思う。
「よかった」
さらに北を目指す必要がなくなったという喜びと、竜に話を訊かせてもらえるという喜びがその言葉を口にさせた。
「この河原があなたの住処なんですか?」
「いや、ここに居たのは休みたかっただけだよ」
「それじゃ住処は別なんですね」
「住処……。実はその住処は今捜している最中なんだ」
「そうなんですか。よく引っ越しされるんですか?」
「引っ越し……。いや、初めてだけど」
「どの辺りへ引っ越されるんです?」
まるで近所の知人と道で会った時にでも話しそうな話題だ。
「この辺りは青竜の地だからね。もっと北へ行かないといけない」
「北? ということは氷竜さんなんですか?」
「ああ……、氷竜と呼ばれるね」
その念話にはほんの少し、寂しさとか悲しみが混じっている気がした。
「訊いてはいけないことだったでしょうか?」
「いや、そんなことはないよ」
それから話を訊くために焚き火を焚き、お湯を沸かし、お茶を入れ、岩に腰を掛けるとメモを取り出して話を訊きだそうとした。その時、上空になにかが飛来したように感じ空を見上げると別の竜がこちらを目掛けて降りてくるところだった。
降りてきた竜は、氷竜の前に降り立ち、なにか念話で話をしているようだ。
その話は数分ほど続いたが、ふと降りたった竜がこちらを見たと思った瞬間、バサッという羽撃きと共に上空へ飛び立ってそのまま飛び去ってしまった。
「それじゃ俺は行くよ」
「え。もう行かれるんですか?」
「ああ、ここは青竜の地だからね。あまり長くは居られないんだ」
「さっきの竜さんは青竜さんですよね」
「ああ、そうだ」
「そっか、話を訊きたかったなぁ。ここに来る途中で人と会ったんですけど、青竜に会うのは難しいって言われちゃって。それで北にいる氷竜に会おうと思って来たんです」
「そうだな。青竜は空を飛ぶ所ですら見るのは難しいだろうね」
「あ、それじゃ、難しいというのは本当なんですね」
「それじゃ、行くから」
「ちょっと待ってください」
「待てといわれても、先刻も言ったようにここには長くは居られないんだ」
「――それじゃ、私も連れていってください」
氷竜にとってその願いは迷惑なことだろう。しかしこの機会を逃してしまっては、まだまだ遠い氷竜の生息地へと辿り着く前に引き返すことになるだろう。逃してしまう訳にはいかないのだ。
氷竜は黙り込んでしまった。気まずい雰囲気が漂っている。
「だめでしょうか?」
答えがない。なにを考えているのだろう? 考えているということは期待しても良いのかもしれない。
「――さっきも云ったように俺はこれから自分の住処を捜さなければならない。君を連れて住処を捜すのは骨が折れる。そこで提案なのだが……」
その提案は思ってもみないことだったが乗らない訳がない。それが、その提案こそがこの旅の目的なのだから。
「創成の竜と呼ばれる氷竜がこの先の洞窟に住んでいる。そこへ案内するからそちらから話を訊いてみては? もちろん訪ねて行って拒否されても俺にはどうすることもできないがね」
もちろんその提案を受けるが、拒否されてしまうこともあるのは少し不安だった。