宵闇色の。
風が強い日が続いていた。すでに夏の日差しが遠のきつつあるというのに季節外れの嵐が来るそうで、それを口実に会食を早めに切り上げたウーノはネクタイを引き抜きながら寝室のドアを開けた。シルバーグレイの毛皮のコートを適当に脱ぎ捨て、力尽きたようにベッドに倒れこむ。いや、実際すでに目を開けていることが億劫なほど疲れていたのだ。遥か海の向こうの小国で起きたテロ事件に配下の人間が関与していると疑われ、以降4日間不眠不休で末端の末端の構成員まで含めた中から怪しい人間を洗い出す作業に追われた後だった。そうでなければシャワーを浴びずに眠るようなことはしないし、ランプをつけずに部屋を歩いたりもしないだろう。新月の晩、山中に隠すように建てられた屋敷の中は真の暗闇に飲み込まれる。それこそ1メートル先に人がいても視覚ではとらえられないほど。いくらこの屋敷がウーノが知る限りこの世で最も堅牢なアジトであったとしても、自身の目で確かめないことには落ち着かない。普段のウーノであればそのように考えたはずだ。しかし今日に限っては例外だった。何も考えずに衝動的に横たわったベッドはすでにウーノから再び起き上がる気力をきれいに奪い去り、もともと休息のことしか考えられなくなっていた思考はすでにどんな些細なことも考えるのを放棄していた。閉じた瞼の裏でさえ眩暈がする。ぐるぐると回転しながらマットレスに無限に沈み込んでいく、気味が悪いながらも決して不快ではない不思議な感覚に身を任せ、ウーノは早々に意識を手放した。
パシャ、と一回。聞き覚えのある機械音を聞く。しかし目を覚ますには至らなかった。以前酒の席で、「死に際に最も最後まで残っている五感は聴覚である」という話を聞いたことがあるが、それはあながち出まかせでもないのかもしれない。なにせこの時のウーノは、確かに自分以外のナニカが部屋の中で音を立てたにもかかわらず反応しなかったのだから。彼がこの夢とも現ともつかない出来事の異常さに気づいて部下を呼び出したのは、たっぷり20時間後のことだった。
グラスを磨きながら本日幾度目かのため息をついたエミシアに、店主のロイが心配そうに笑いかけた。
「まだ帰ってこないのかい?」
「はい。……すみません、辛気臭くて」
「もともと野良でしょう?エサが取れなきゃ帰ってくるわよ」
あきれたように頬杖をついてそういったのは常連客のリザだ。これから出勤するらしく、濃いブロンドの髪に大きなカールを施し、はっきりとした彫りの深い顔を派手な化粧で飾っている。細い体にひもを這わせるようなデザインの真紅のドレスは背中が大胆に開いていて、女のエミシアでも目を引かれるほどセクシーだ。カジュアルなバーには不釣り合いな恰好にも思えるが、違和感なく馴染んでしまえるのはひとえに彼女のさっぱりした人柄のおかげだろう。
「男に逃げられて、寂しさを紛らわせるために餌付けして飼いならしたはずのネコにも逃げられて、また落ち込んで………ばかみたい」
「うっ………」
相手が誰であっても驕りや物怖じをせず、言うべきことをいうことができるのはリザの美徳である。しかし一方で、どんなときにも容赦がないのが数少ない欠点であることも、短くない付き合いの中でエミシアは理解していた。
「こらこらリザさん、ちょっと手厳しいよ」
状況を的確に表現した正論をぶつけるリザに、ロイが穏やかな口調で素早くフォローを入れる。今のエミシアにとっては最も言われたくないセリフだろうという気づかいが感じられて、申し訳なさからエミシアはますます何も言えなくなった。二人がこんなに心配してくれているのに、自分は大きな隠し事をしているから。
「今日はもう上がっていいよ。お客も少ないし、早めに店じまいにしよう。片づけは僕一人で十分だしね」
「でも……」
「猫ちゃん、今日は帰ってきてるんじゃないかな。予感がするんだ」
「僕の勘、結構当たるんだよ」と付け加えてウインクしたロイは老齢の紳士でありながらませた少年のようにチャーミングで、かっちり着こなしたバーテン服とのギャップに思わず笑みがこぼれた。つられて微笑んだ彼の目元ですでに癖になった笑いじわが深くなる。エミシアがこのバーで働き始めてもう2年余りになるが、ロイは彼女が今まで見てきた中でも抜群に優しく穏やかな、絵にかいたようなジェントルマンである。そして何気ないやり取りの中で事も無げに人の心を救っていく。だからこそメインストリートからは少し距離があるこの店をつぶさずにやってこられたのだろう。しかし同時に、なぜ彼ほどの人格者が好き好んでこんな物騒な街に居を構えるのかと勘繰ってしまう。
「ちょっと、本当に大丈夫?」
「え?ああ、うん、平気」
「顔と台詞が合ってないわ。客商売なのに、取り繕うこともできないなら帰りなさいよ。マスターもいいって言ってるんだから」
相変わらず強い口調だが、今回はロイも頷いて聞いているだけだ。そしてついにはエミシアがずっと持ったままだったグラスをそっと奪い取り、「さあさあ、帰る時間だよ」と彼女をカウンターから追い出した。
「早く帰って、ゆっくりお休み」
殊更柔らかく、有無を言わせない圧力でもってそう言ったロイの背後で、リザも最後に残っていたウイスキーのロックを呷りながら「しっし」と手を振った。ここまでされてなお食い下がるのは逆に申し訳ないように思えてきて、エミシアは今度こそ素直にお礼を言ってバックヤードへ引っ込んだ。
私服に着替えて帰路につく。今日はロイの厚意でいつもより2時間ほど早く上がったが、そもそもバーの仕事は夕方からなので今は深夜だ。一歩表通りに出れば、「トリマロード王国最後の無法地帯」と称されるローテリアの繁華街はその名にふさわしい喧噪を呈している。怪しげなネオンが通りを照らし、非公式な賭博場や売春宿が店を構え、そこに集う人々も見るからにガラの悪い男や外国人、一時的に滞在している貿易船の乗組員、余所では爪弾きに遭うような事情を抱えた者と実に様々だ。中には堂々と拳銃をぶら下げている者もいる。エミシアはそんな通りを、誰とも目を合わせないように気を付けながら決して目立たないように人の流れに乗ってするすると通り抜けた。王都の郊外の生まれで比較的治安のいい地域で育った彼女にとって、2年前に初めて訪れたこのローテリアの日常は衝撃的な光景だった。初めのうちはすれ違う誰もが凶悪犯に見えたし、道で誰かとぶつかったりしたら懐からナイフが出てきて刺されるかもしれないと思っていたくらいだ。両親の死をきっかけに逃れるように移り住んだエミシアにとって、この街で心安らぐ瞬間など一切なかったのである。そんな時に彼女を支えていたのが、彼女を生まれ故郷から連れ出した張本人。10年来の付き合いを経て恋人となったエイトだった。
エイトと出会ったのは記録的な積雪となった真冬の夜、町医者だったエミシアの父が大けがをして倒れていた彼を拾ったことが始まりである。当時エイトとエミシアは同い年の16歳。しかし両親と同じく医学を志して学業に精を出す学生だったエミシアにとって、片腕を失って道端に行き倒れていた外国人のエイトは完全に別世界の住民だった。『大陸人種』と呼ばれる代表的な6人種のどれにも当てはまらない身体的な特徴を持つ彼は、一方で目を覚ましてからは流暢なロード語を操り、エミシアの両親に対しては非常に礼儀正しく振舞った。エミシアはエイトを不気味に思いながらも、未知に対する抑えきれない好奇心を抱いてもいた。中でも彼女の興味を惹きつけて止まなかったのは彼の頭髪と瞳の色だ。新月の夜空を溶かし込んだような、光を吸い込む漆黒の虹彩と、カラスの羽のような艶のある黒髪はエミシアに神話の一節を思い起こさせた。
『―――――太陽神ソレインは、朝の空の青さと金色に輝く陽光からたくさんのヒトを生み、それらの統率者として宵闇と柔らかな月光から一人の少女を造った』
トリマロード王国の創造神であり、世界の基礎を創った万能の創造主ゼムトがその世界の管理者として生み出した六柱神の一人でもある太陽神ソレイン。彼は自らが納める大陸の領土を繁栄させるために多くの生き物を放ったが、最後に金髪青眼の人間・ロード人を造ったとされている。現在もトリマロード王国民の多くはこの特徴を持ち、大人になるにつれて髪の色が暗くなるといった個人差はあれど多くは加齢によって白髪になるまで金色の髪を持つ。であれば、神話上で「統率者として」造られたとされる少女もまた実際に存在したのではないかと思うのが人情だろう。訳された神話をそのまま鵜呑みにするなら、少女は体に黒やほのかに黄味がかった白といった色素を持つことになる。エミシアから見たエイトは髪と瞳が黒く、肌の色は血の気を失ってもなお真っ白とは言えない程度の色味を含んでいた。
「ねえ、あなたはどこから来たの?」
ある日、父が他の患者を診ている隙に勇気を振り絞って話しかけた。残った腕の衰えを防ぐためにしつこく握っては開くことを繰り返していた彼は一応エミシアに視線をよこしたが、すぐに逸らされた。
「遠く、だよ。……恩人の娘さんにこんなことを言うのは失礼だろうけど、君のためだ。あまり僕に関わらない方がいい」
「危ないことをしているから?」
「そうだよ。こんなことになるくらいにはね」
エイトはそう言って短くなった左腕を少し上げて見せた。ひじの関節がギリギリ残るところで切断された腕は幸いにも問題なく動かせるらしい。この調子なら義手を付ければ見た目には目立たないだろうなと、エミシアは父から聞きかじった知識でそんなことを思った。
「それに僕は、君たちが言うところの『東国人』だ」
「……東国人?」
「知らないならそれでいい」
そうは言われても単語を聞いてしまった後だ。知らないということを知ってしまった、とでも言おうか。手がかりを得たエミシアは「東国人」について調べ、そしてほどなくして図書館でその国の名を知った。
「本当に『ヒノアズマ』の人なの?」
「……誰かに聞いた?」
「自分で調べたの。でもほとんど何もわからなかった。ここよりずっと東の海にある島国で、住民はみんな髪と目が黒くて、魔法使いがたくさんいるって。一応ノンフィクションに分類されてたけど、外交をしない国だから事実と異なる可能性は大いにあるとも書いてあった」
地形学や民俗学など普段立ち入りもしない学術書が並ぶ棚で見つけた分厚い本に、申し訳程度に存在を記されていたその国はまさしく神話の具現。国民はみな神話の「統率者」の特徴である宵闇色の髪と目を持ち、大陸ではほとんど失われてしまった魔法をその身に宿す。真面目腐った論文調の文章の中においてその記載はひときわ異彩を放っていたが、数少ない資料のどれにも書かれていて信ぴょう性の高そうな情報である。そして、ヒノアズマ出身の人々は俗に「東国人」と呼ばれているという。ヒノアズマは大陸から見ると遥か東の海上にあることからその名がついたらしい。
「ヒノアズマはちゃんとあるよ。書いてあることもおおむね正しい。純粋な東国人はみんな黒髪に黒い目だし、僕が知る限り8割くらいは魔法使いだ。それも、大陸にいる『残りかす』みたいなのじゃなくて本物の」
「『残りかす』?」
おうむ返しに問いかけたエミシアに、エイトはかすかに皮肉な笑みを見せた。それは麻酔が切れても痛みを耐える素振りすら見せなかった彼の、初めて見る表情の変化だったように思う。
「君、医者になりたくて勉強してるんだろう。大陸神話も満足に知らないの?」
失敬な言い方にムッとしたが、言わんとしていることは理解できた。創造主ゼムトや太陽神ソレインが登場する大陸神話において、六柱神が生み出した6種の人類は当初すべて魔法使いだったとされている。だが、時代が下るにつれて各々の理由で魔法を失っていったのだ。そしてロード人が魔法を失った理由とされているのが、「統率者」の少女を迫害したことなのである。彼女は名をテナと言い、俗に「最愛の仔」「愛娘」とも呼ばれる。一応彼女の生みの親は人間だが、太陽神ソレインに望まれ、神託の後に生まれた存在であることから、この場合の父とはすなわちソレインだ。テナは自分の生まれも役割もよく理解し、常に敬虔な娘だったという。しかし他のロード人たちは、彼女の外見が自分たちと大きく異なったことや、彼女がソレインから与えられた唯一無二の魔法を恐れた。一度はテナを国の旗印として担ぎ上げたが、戦況が傾いたとたんに「テナは勝っても負けても構わないのだ。自分だけはソレインの御力で守られ、たとえ国が滅んでも生き永らえるのだろう」などと宣ったのだ。終いにはテナの世話係をそそのかし、蜂蜜入りの紅茶に毒を盛らせた。当然ソレインは怒り狂い、その報いとしてロード人から魔法を取り上げた。これによりトリマロード王国は他国の苛烈な侵攻を受けることとなり、王家は一度滅亡したと伝えられている。その際、特別に信心深い者やテナを最後まで擁護し続けた者は魔法を持つことを許されたのだが、現在はその血もかなり薄れてロード人の魔法使いは絶滅寸前。使える魔法もごくささやかなもので、少し物を浮かせるとか、マッチ程度の炎を灯すといった具合である。正直に言えば大掛かりな手品の方がよほどイリュージョンだ。エイトが『残りかす』と表現したのはこのことだろう。
「そういう言い方をするってことは、あなたは自分をテナの末裔だと思ってるってこと?」
「ヒノアズマには大陸神話はない。……でも、ヒノアズマの神話に最初に登場するのは『太陽神』だ。全く関係ないとは思わない」
「……そうなの?」
「そもそも神話って、大昔の人類が史実を記録しようとした痕跡のようなものだと思う。記録を残す方法も科学技術も満足になかったせいで理屈が無茶苦茶だったり、権力者に都合がいいように改変されたことはあっても、まったく事実無根の作り話が何千年も語り継がれる方がよっぽどありえない話だと、僕は考える」
きっぱりとそう言い切ったエイトと目が合って、エミシアは数秒瞬きすらできずに黒曜石の瞳を見つめ返していた。エミシアにとって神話とは、幼いころ聞いた寝物語の一つ。一般的な教養としていくつかの話の大筋は知っていても、そこに事実が含まれるなどと考えたことは露ほどもなかった。それがエイトが語る仮説と、何より彼の存在そのものによってロマンあふれる叙事詩へと姿を変えたのである。
「すごい……本当にそうだったら、面白いと思う」
元来の性質として好奇心旺盛なエミシアが食いつくには十分すぎた。それからエミシアは暇があればエイトの病室へ通い、エイトも最初のうちは煩わしそうにしていたものの身動きがとれるようになるまでは逃げ出すこともできずそれに付き合うことになった。
彼は1ヶ月ほど経ったころに忽然と姿を消したが、以降は思い出したように短い手紙を寄こしたり、1年に1回はふらっと顔を見せるようになる。手紙は毎回違う郵便局から届けられる上に一度として送り主が記載されていたことはなかったし、エイト自身が訪れるのは決まって人目につかない早朝や深夜だったが、同じ屋根の下で過ごした1ヶ月の間にエミシアはすっかり彼を怪しむことを放棄していた。むしろ知れば知るほど悪いことができるような人ではないと思えた。エイトはほとんど自分の話をしなかったが、両親がすでに他界していることと幼い妹がいること、その妹のためにこうして一人大陸に訪れていることは話してくれた。行き先はトリマロードに限らず、大陸の六か国はすべて訪れたことがあるのではないかと思わせる話しぶりでもあった。同い年の彼の言葉はとても親しみやすく、世界はエミシアの想像よりもはるかに広く深いことを感じさせた。当時のエミシアに「あなたにとって最も博識な人は誰ですか?」と尋ねたら、身近な教師や高名な学者などではなくまず真っ先にエイトの顔を思い浮かべただろう。同時にエイトの方も、成長してもなおエミシアが自分を拒絶しないことに感心した様子だった。いつまでたっても素性を明かさない外国人である自分を、エミシアはいずれ気味悪がって相手にしなくなると思っていたらしい。確かに、エミシアが通っていた規律正しいハイスクールの模範的な生徒であればそうだろう。「いい人だというのなら、なぜ彼はいつもこそこそしているの?」「大体、片腕を切断するような大けがをするなんておかしいわ。何をしにここに来たの?」「そもそも不法入国者なのでは?」―――――なんてことを言うのかもしれない。
しかしエミシアは違った。彼女の根幹にあったのは学校の校則でも社会通念でもなく、ただ両親の教えである。両親、特に父は近所でも評判の「誰でも治す医者」だった。金持ちも貧乏人も、大人も子供も男も女も、乞食も娼婦もやくざ者も、目につく病人とけが人は誰だって診察室に呼んだし、本人が来られなければ往診にも出かけた。治療費が払えるかどうかは二の次なので医師といえどあまり裕福とは言えない家庭だったが、エミシアはそんな父の姿を今でも誇らしく思っている。
「おれは人間を治すために医者になった。だから、自分が人間だと思った相手は誰だって治したいさ。そして、どこまでが人間かはおれ自身が決める」
なぜ代金を払えない相手を診るのかと問われたとき、父は必ずこう答えた。大陸ではいまだに純血の大陸人種のみを正しき人として扱う人種差別がはびこっていて、普段無差別を信条としている人でも混血の孤児を見ると真顔で「愚かな両親を恨むことだ」と言ってのけたりする。混血以外でも弱者はすべからく人間扱いされないときがある。それに対して父が出した答えだ。だから混血孤児ばかりが集まる孤児院にも定期的に健診に赴いた。常に堂々と自分の道を貫く背中は幼いエミシアに大いに影響を与え、一人の人間としてエイトを信用するという判断をさせたのである。
そんなことを思い返しているうちにアパートメントに着いていた。慣れた手つきで2つの鍵をそれぞれ鍵穴に入れて開錠し、この一週間ほど毎日繰り返している祈りを口にしてドアノブを握る。
「今日は帰ってきてますように……」
ガチャン―――。安アパートの割に重い扉を最小の動作で開閉し、すぐに後ろ手で施錠した。家に入る瞬間が最も油断しているので気を抜かないようにと、一緒に暮らしていたころにエイトに口酸っぱく言われてついた癖だ。手探りで照明のスイッチを探し、真っ暗の廊下を照らす。
「あ……」
確保された視界に飛び込んできたのは見覚えのある人影だった。狭いキッチンスペースで四角い紙のようなものをピンセットで摘まんで、焦ったようにもう一方の手を上下左右に動かしながら視線をさまよわせている。
「ユナ………!」
思わず大声を出したエミシアに驚いたように肩を跳ねさせた少女は、しゅんと俯いて恐る恐るといった様子で彼女の顔を見上げた。
「エミー………」
背中を覆い隠せるほど長く真っすぐの髪と、一重でありながら猫を思わせる形の目。そのどちらもエイトと同じ宵闇色をしている少女・ユナ。
「ごめんなさい……」
その謝罪は無断で外出したことに対してか、一週間の無断外泊に対してか、はたまた廊下に漂う酢のような臭いの発生源らしきキッチンの使用用途に関してなのか。言いたいことは山ほどあったが、エミシアはとりあえず無言のまま近づいてユナを腕の中に抱きしめた。無事に帰ってくれさえすればいいと思っていたのだ。この無法地帯では何より贅沢な祈りが聞き届けられたことを、今だけは純粋に喜んでいたかった。