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白蟻たちの巴  作者: 夢追人
6/12

人の心に 一

鈴たちの捜査は進んでゆく。そして香帆の過去に絶句する。

 事件発生から十日が過ぎた。鈴はS大学のキャンパスにあるカフェで午後の陽射しを浴びている。晴天なのでテラスに出ている。多くの学生たちが課題をやったり、本を読んだり、友人と大声で話したりして晩春のひと時を楽しんでいる。鈴は次の講義までの空き時間でお茶を飲みながら事件のことを整理しようとしていた。

 安岡たち警察は、並岡を犯人だとほぼ確定しているようだ。動機は、別れ話のもつれと、彼女が漏えい事件の証拠を持っていたと思われること。

 ただ、その後の安岡の調べによると、香帆が大和田教授と付き合っていたことを並岡は知らなかったし、感づいてもいなかった。従って、大和田への嫉妬や、二股を掛けられていたことに対する怒りはない。どちらが別れを持ち出したにしろ、別れ話のもつれか香帆の脅迫が動機。 

 殺害後は、稚拙な偽装工作をして自殺に見せ掛けようとしたが失敗したと言うのが安岡の説だ。並岡は別れ話など一切なかったと言っているが、警察は信用していない。

 この様な状況で、警察は並岡を犯人だと確信しているようだが物証がない。並岡があの夜に職場を出た証拠も、彼が殺害したという証拠もない。警察は、並岡を自供に追い込もうとしているようだ。

 しかし鈴は、香帆が歴史ツアーに参加した理由にこそ事件の真相があると踏んでいる。熊野も、まだ並岡と決めつけるには早いと思っているようだ。ツアー参加の謎を解いてからでも遅くはないと考えている。だが、事件の管轄は岐阜県警なので主導権は取れない。

 鈴は熊野に命じて、香帆の部屋と職場にあったパソコンを小八木に調べさせている。警察の調べでは特筆すべきものは無いとのことだが、鈴は小八木の技量に期待している。

 鈴はホットコーヒーをひと口飲んで香りを楽しんでから改めて思う。歴史にもひとり旅にも興味が無い女が、あの歴史ツアーを選んだ目的は何なのか。歴史に興味が無いのだとしたら、行き先とか日程で選んだと言うことになる。

(アリバイ作り?)ふとそんな考えが脳裏に浮かぶ。だがそれもしっくり来ない。アリバイ作りなら、もっと積極的に人と交わっていても良さそうなものだ。周囲の誰かの記憶に残して証言を得るのが常道だ。しかし、香帆はどちらかと言うと人を避けていたように感じる。時折ひとりの行動があり、証言者がいない空白の時間帯もある。そもそも何のためのアリバイ作りなのか。

 彼女の考えが行き止まった時、小八木がスタスタと近寄って来た。

「あっ」

 その姿を見て思わず叫んだ鈴に、彼は驚いて足を止める。

「口実が欲しかったのかも!」

「何の口実ですか?」

 彼女の予想できない行動に耐性ができた小八木は、運んで来たアイスコーヒーを白いテーブルに置きながら面倒そうに尋ねる。

「香帆さんが歴史ツアーに参加した理由だけど、もしかしたら岐阜方面へ出かける口実が欲しかったのかも知れない」

 鈴はひとりで推理に入り込んでいる。

「誰に対する口実ですか?」

「大和田教授に決まっているでしょう。教授は、当然のことながら香帆さんと並岡さんの仲を知っていた。噂にもなっていたしね。でも、教授にとっては余り嬉しいことではない。食事ぐらいは許せても、肉体関係は許したくない。だから並岡さんの部屋に行くとか、二人で旅行するとか言ったことには良い顔をしなかった」

「身勝手ですね、自分は不倫して奥さんを裏切っている訳でしょう?」

「男なんてそんなものじゃないの?自分の浮気は許しても妻の浮気は許さない。そうでしょ?」

 小八木はアイスコーヒーをストロで吸ってから、

「さあ。逆パターンもあるでしょう。男とか女とか言うよりは人間性の問題でしょう」

 と答えた。

「そうね、いずれにしても、香帆さんと並岡さんはこっそりと隠れて会っていたのよ。勿論、並岡さんは香帆さんが大和田教授の愛人だなんて知らないから、隠れて会うことを疑問に思うでしょう。恐らく香帆さんが、職場で噂されるのは嫌だとか適当な理由を付けて説得したのよ」

「二股は大変ですね。でも、同じ職場ならどうしても周囲に感づかれるでしょうね」

「もしかしたら、教授の嫉妬もあって並岡さんを岐阜に飛ばしたのかも……」

 鈴が勢い良く言い放った。

「しかし、密会するにしても、どうして並岡さんが夜勤の日を選んだのでしょう?例えば翌週末のツアーを探せば、もっとゆっくりと二人の時間を過ごせるじゃないですか」

 小八木の意見に急に甘い声で、

「大和田教授が泊りの出張だったからよ。パパが出張で寂しいから、私はツアーに参加するうー」

 と鈴が言った。小八木は彼女の甘えた声に少し噴き出して、

「想像力豊かですね。そこまでして会いに行ったのに殺されてしまうなんてやるせない」

 と、笑いを飲み込んだ。

「そうなのよねえ、何かしっくり来ないわ」

「それより。大変なんです」

 小八木が何かを思い出したように語気を変える。

「何よ」

「この前バーで話した、京明大学の研究資金についての噂、産学協同プロジェクトでの使途不明金の噂がかなり話題になっています」

「ああ、大和田教授がネコババしている話ね」

「まだ教授が犯人だと決まっていませんから」

「そこはどうでも良いけど、噂の信憑性は?」

「僕の感覚ではかなりTRUEです」

「暗号は嫌い。日本語で話して」

「暗号でもないですけど、信憑性は高いと思います」

「どうしてそう思うの?」

 鈴は、権力のある人がグレーな行為をしていることには抵抗を感じていない。誰でもやるだろうと言うくらいの感覚だ。

「リークしているのが大学の関係者であろうと思われること、間接的な証言がネット上で色々現れていることから信憑性は高いと思います。フェイク情報もたくさんあるでしょうが、マスコミも動き始めているようですし」

「マスコミが一番当てにならないでしょう」

「そんなことはないですよ。権力者叩きや大企業叩きの場合、マスコミは積極的に動きますからね」

「叩いても自分たちに被害が及ばない相手ならね」

 鈴はコーヒーを飲み干した。

「噂を統合すると、KG製作所が京明大学に供出した資金について研究目的外と思われる使途不明金額が数億円単位に及んでいて、大和田教授側か、KG製作所側の誰かが当初の約束と違えたお金の使い方をしていると言うことです」

「金額が大き過ぎたわね。もっと目立たない額にすれば良かったのに」

「最初は小さな額だったのでしょう。でもだんだん感覚が麻痺して来る」

「脇が甘いわね、大和田教授も……」

「教授が犯人と決まった訳じゃありませんから」

 小八木が困惑顔で鈴の暴走を止めようとしている。

「決まったのも同然よ。どんな言い訳するのかな、あのスケベオヤジは」

 ほくそ笑んだ鈴は、小八木のアイスコーヒーをひと口飲んだ。

「まあ、それはさておき、もうひとつ大事な報告があります」

「まだあるの?もう飲み物が無くなったわよ」

「僕のコーヒーを飲んでるじゃないですか」

「あら、間接キスができて嬉しいのね」

「はいはい。で、香帆さんのパソコンを調べた結果ですけど」

 小八木の瞳が輝き始める。この男はこっちの話になると急に男らしくなってくる。鈴はからかい気味に、

「香帆さんと並岡さんのエッチ動画でも出て来た?」

 と笑い掛ける。

「鈴さん、溜まっているんですか?」

「あなたほどじゃないわ」

「良かったら、女性向けの安全なエロサイトを紹介しますけど」

 この男は本気で心配してくれている。

「ありがとう。でも、気持ちだけで十分よ」

「そうですか、必要になったらいつでも言ってください。で、香帆さんの自宅にあったパソコンですけど、仕事関係と思われる意味不明の関数式が載ったエクセルファイル以外は何もありませんでした。写真の類も全て彼女のクラウドフォルダに保管してありました。クラウドにあるものは警察が念入りに調べましたが、事件のヒントになりそうな物は何も保存されていません」

「何だ、何も無かったのか」

「はい。しかし、操作履歴から『恨みますサイト』にアクセスしている痕跡が見つかりました。IDは見つかりませんでしたが、明らかに有料会員になっていました。会員専用ページにログインした履歴も残っていましたから」

「何だっけ、それ?」

「歴史ツアーの時にバスの中で話したじゃないですか。有料会員が恨みを晴らしたい相手やその事情を投稿する。それを毎週一回の会員による投票で、神罰が下るべきかどうかを判定するサイトです」

「ああ、あれね。会員同士で憂さ晴らしして遊んでいるサイトでしょう。しかも本当に神罰が下ると信じて盛り上がっているオタクもたくさんいるとか言う……」

 鈴は記憶を呼び起こしながら小八木のコーヒーを飲む。

「しかも結構な頻度でアクセスしていました」

「へえ。でもまあ、ストレス発散方法は人それぞれだからね。安全な女性向けエロサイトでも教えて上げたら良かったのにね」

 鈴は軽い言葉を吐きながら頭はフル回転させている。

「単なる欲求不満の解消だったのか……」

 そう零した小八木がストロをくわえた。

「それとも誰かを恨んでいた……」

 鈴は小八木からグラスを奪い取って残りのコーヒーを飲み干した。


 翌日、鈴は昼一の新幹線に乗っていた。熊野が大和田のアリバイの裏取りをするために岡山へ向かっていることを察知して、鈴も同行するために熊野にスケジュールを吐かせたのだ。

 小八木は新幹線代が出せないと言って辞退した。鈴はそれなりに収入があるので熊野に合わせて新幹線の自由席に座っている。

「ご両親からの仕送りでしょう?あまり無駄遣いしたら駄目ですよ」

 隣に座っている鈴に熊野が控えめに言った。

「無駄?あんた、無駄だと思いながら経費で出張している訳?国民の血税よ!」

「僕のことではなくて、あなたのことですけど」

 鈴は昼間の新幹線でいきなりビールを飲んでいる。

「私はバイトで稼いだお金で旅行してるだけよ」

「何のバイトをしているんですか?」

「そんなこと警察の人に言える訳がないでしょう。若い女は稼げるのよ」

 鈴はニヤリと笑う。

「違法なことはしないでくださいよ」

「バカね、何でもすぐに信じるんだから」

 彼女はフォーマル衣装に不似合いな幼い笑みを浮かべた。

「それより、早くこの記事を読みなさい」

 鈴が今日発売の週刊誌を差し出す。ヒラリとページがめくれてグラビアのヌード写真が開いた。

「デカッ」

 思わず口走った鈴は、

「オヤジ向けの週刊誌を買うの、恥ずかしいのよ」

 と、ビールを口に運んだ。

「ありがとうございます」

 鈴が京都駅に向かっている途中、小八木からLINEが入ってこの週刊誌の情報を教えられた。彼女は熊野を待つ間に記事を読み終えている。記事の内容は次のようなものだ。

『京明大学と夢育英会の闇』と題されていた。(あれ、KG製作所じゃないの?)鈴は疑問を広げながら読み続けた。

『夢育英会』とは、経済的理由で高校や大学に進めない学生のために奨学金を出してくれる慈善団体だ。低利で長期間貸してくれる。返済は就職してから数十年掛けても良い。そして『夢育英会』に資金を供給しているのは関西圏を中心とした企業で、京明大学もその仲間に入っている。

 百社近い企業が供出している中、最も多額の資金を出しているのが『鳩川』と言う個人投資家だ。記事を読みながら、こんな殊勝な人もいるものだと感心したが、すぐに落胆へと変わった。

 確かに鳩川は億単位の資金を供出しているが、これには絡繰りがある。まず、税金対策であることは誰の目にも明らかだ。鳩川は親から受け継いだ中堅企業を大きくした後、経営からは手を引いて投資家に転身した。その際の株式売却でかなりの資産形成に成功している。

 投資活動は色々行っているが、当然利益には税金が掛かる。寄付金は税金控除の対象となる。しかし、それだけでは毎年寄付の額だけ資産は減ってゆく。

『夢育英会』で奨学金を受けるには条件がある。ある程度成績が優秀であること、毎年成績を報告すること、この制度の運用を夢育英会が指定した業者が行うことに同意すること、だ。

 夢育英会が成績を管理するのは、最終的にそれなりの収入が得られる職業について確実に返済してもらうため。そして夢育英会が運営を委託する指定業者が、実は鳩川が大株主であるところの『ドリームエンタープライズ』と言う小さな会社だ。

 この会社は、奨学生への貸し付けや返済業務をはじめ、学生がひとり暮らしを始める時の不動産紹介や、大学の入学手続き、アルバイトの紹介など、学生生活をサポートする様々な業務を請け負う。

 勿論、サービスによっては学生には他社サービスとの選択権があるが、総じて学生に有利なものが多く、多数の学生が利用している。しかし、この『ドリームエンタープライズ』が行っているのは学生との窓口だけで、実際には色々な企業がサービスを実施し、『ドリームエンタープライズ』には一定のキックバックが入る仕組みとなっている。

『ドリームエンタープライズ』には経営リスクはほとんど無く、利益のほとんどは株主である鳩川に還元されている。

 要するに、鳩川は無税の投資をしているようなものだ。自分が投資した資金だけでなく、他の企業にも資金を供出させて、その資金を回転させて利益を得ている。

「なるほどねえ」

 記事を読んでいる熊野は思わず感嘆している。勿論、鳩川は違法なことは何もしていない。

 今回週刊誌に取り上げられたのは、京明大学から『夢育英会』への資金の流れだ。KG製作所から大和田教授との協同研究に対して提供されている資金の一部が『夢育英会』に寄付されていたのだ。その事実をKG製作所は知らされていなかった。

 そして、最も重要なことは、大和田教授はこの『夢育英会』の理事長に就任しており、毎年一定の謝礼と、『夢育英会』の名前で開催する講演会に参加した講演料などが大和田教授に支払われていたと言う事実だ。

 その具体的な金額にまでは言及していなかったが、研究費用を無断で他の目的に流用したことは大きな問題となって当然だ。

「さすがに不味い状況ですね、大和田教授は」

 記事を読み終えた熊野が感想を漏らした。

「どんな釈明をするんでしょうね。政治家なら、秘書が勝手にやったとか言うのでしょうけど」

 熊野が返そうとした週刊誌を鈴は手で制してから、

「でかいの、好きでしょう?差し上げるわ」

 と意味深な笑みを浮かべた。だが、熊野には伝わらないようで、

「安岡さんにも連絡しておかないと」

 と、スマフォを取り出した。

「もう小八木がしているわ」

 熊野は驚いた表情で、

「優秀な秘書ですね。彼なら何時でも鈴さんの身代わりになってくれるでしょうね」

 と感心した。

「あら、その優秀な秘書からまた新たな情報が入ったわ」

「何ですか?」

 熊野も思わず鈴のスマフォを覗き込む。

「香帆さんの高校時代の記事よ。彼女が高校生の頃にマスコミに取り上げられてかなり話題になったことがあったみたい。ちょっとしたヒロイン的存在として」

「ヒロインですか」

「貧しい家の子供たちにも平等に教育を受ける権利があるって社会に訴えていた。香帆さん自身も交通事故遺児で、お父さんを早くに亡くしていたから、ある慈善団体に参加して広告塔みたいな役割を果たしていたようよ。可愛い女子高生だしね」

 その時、熊野にも小八木からメールが届いた。彼もそのリンクを辿りながら香帆の女子高生時代の複数の記事に目を通す。

「ほんと、可愛いですね」

 香帆がマイクを持って街頭演説している姿や、街を行進している様子、そしてどこかの講演会場で関係者が集まっている集合写真などが記事には貼り付けてあった。

「ほんと、アイドル扱いですね、いやアイドルでも十分通じますよ、この制服姿がとても可愛い」

「オッサン視線で見てないで、刑事視線で見なさいよ」

「見ていますよ」

「その集合写真を見て何も気づかないの?て、言うかこの話の流れで勘が働かないの?」

 熊野は慌てて集合写真をじっと見つめる。鈴は小さく吐息を吐いた。

「あっ、この男性は大和田教授じゃないですか!」

 熊野は、したり顔で鈴を見つめる。だが、彼女は不満気な面持ちで彼を横目に見上げ、

「それだけ?」

 と冷たく言った。

「え?」

 熊野は再び目を細めて凝視する。

「写真を拡大しなさいよ、面倒くさいオヤジね」

 熊野はスマフォ画面を指で広げる。

「他に知っている人の顔はありませんよ」

 熊野が不思議そうに鈴を見つめた。

「人の顔ばかり見ていないで、他にも情報があるでしょう。背景に写っている垂れ幕」

「ああ、確かに。でも良く見えないですね。これは夢?ですかね?次は見えない。その次は英ですね」

「まだわからないの?」

「夢なんたら英。夢育英会!」

 熊野の鈍感な反応に鈴は大きく吐息を吐いた。

「世話の焼ける刑事ね」

「じゃあ、香帆さんは夢育英会から奨学金を借りて大学や大学院へ進んだという訳ですね。そこに大和田教授の影もある」

「理事長だからね。広告塔の役目を果たしてくれた香帆さんを優遇した可能性も大いにある」

 鈴の言葉に熊野も深く考えてから、

「二人の関係が最終的に良い仲で終わったのか、険悪になったのかは別にして、切っても切れない関係だったことは確かですね」

 と言った。鈴はその言葉にゾクッとした感覚を覚える。

「切っても切れない……か。今までで一番良いことを言ったかも知れないわよ、熊野君」

 ニコリと笑んだ鈴がビールを飲み干した頃、岡山到着の車内アナウンスが響いた。


 小八木はランチタイムを過ぎたカフェでひとりの女を待っている。女と言っても随分年上だ。女と待ち合わせをするなど数ヶ月ぶりのことだろうか。勿論、今日はデートなどではない。調査のためだ。だから幾分か緊張している。

 小八木の午前中は、週刊誌に載った京明大学の資金不正利用の記事や、彼がネットで探った香帆の高校時代の情報を鈴たちに連携することと、香帆の自宅パソコンの詳しい調査に費やされていた。

 小八木は席に着いてメニューを見ているうちに自然とパソコン調査のことを思い浮かべた。神経を集中していた分、現在進行形のように様々なことが蘇ってくる。

 香帆のパソコンを警察署で調べた時には余り時間を与えられなかったので、取りあえずログ関係を自分のクラウドディスクに転送しておいた。今日はそれらの情報をじっくりと調べていたのだ。クッキー情報やアクセス情報、エラーログなどを組み合わせて調査を進めた。


『恨みますサイト』にアクセスした後、有料会員専用ページに入っていることはわかる。その後については、URL遷移はわかるものの内容まではわからない。ただ、『恨みますサイト』へ最初にアクセスした原因はわかった。『ZIGEN』と言うファイル名のスパイウェアに感染していたのだ。つまり、香帆が自分の意思でアクセスしたのではなく、誰かにパソコンをリモートコントロールされてアクセスしたと言うことだ。

「次元か。ルパン三世好きな奴かな」

 小八木は小さく呟いて色々と推理してみる。香帆が『恨みますサイト』に入会したと思われるのは今年に入ってからで、ここ2~3ヶ月はほぼ毎日のようにアクセスしている。最初のアクセスはリモートコントロールされた結果だとしても、その後は香帆が興味を持って自らアクセスを繰り返したのか、誰かにずっとコントロールされ続けていたのかはわからない。

 彼女が誰かに恨みを持っていてこのサイトに興味を持ち、仮に藁人形を買ったのだとしても、それで彼女が神罰を受けるのは理解できない。まさか自分自身をやり玉に挙げて神罰を与えてくれと望んだ訳でもあるまい。

 香帆は高校時代から大和田と関わりを持っていた。もしかしたら大和田の不正に香帆も加担していて自責の念に駆られたのだろうか。

 小八木は椅子から立ち上がって大きく深呼吸をした。狭い自室でパソコンを操作し続けていた。少し窓を開けて空気を入れ替える。『あまり推測に走ってはいけない。先入観を持ってしまうとログが示すものを見誤ってしまう。まずは事実だけを積み上げることが大切だ』

 と呟いた彼は、この言葉は鈴の言葉であったことを思い出して苦笑した。刑事ドラマなどで良く聞くセリフだが、警察官僚を親に持つ鈴に言われるとリアリティがあった。

 小八木は冷蔵庫から缶コーヒーを取り出してゴクリと飲み込んだ。甘い感覚が脳内にまで浸み込むようだ。きっと糖分が不足していたのだろう。考えてみれば朝から何も食べていない。

 と、糖分もまだ分解されていないのに、パッと脳内に閃きが走って思わず口走った。

『何も無さ過ぎる』

 香帆のパソコンやスマフォのデータ、連絡先情報など、どんなに人付き合いの悪い人でもある程度のデータは溜まってゆく。まじめに社会で働いている未婚の女性、この時代に生きている二十代の女性で、これほどまでにデータが少ないとは考えられない。

『意図的に消去している』

 そうとしか考えられない。なぜ消去する必要があるのかは不明だが、この状況が彼女の生活模様だと考えてはいけない。

 小八木は意を決した。香帆のメールも若干残っているが、ざっと流し読みしかしていなかった。正直、亡くなった他人のメールを読むのは気が引ける。しかし、ここまで生活のログを消されている以上、残っているものをつぶさに調べるしか手はない。

 彼女を殺した犯人を見つけるためだ。彼は自分にそう言い聞かせて、大和田とのメールからじっくり読み始めた。

 そうして西野芽衣(にしのめい)と言う、香帆の高校時代からの友人と思われる女性とのメールを見つけ、ダメ元でメールしてみたところ、会ってくれることになった。

 ただし、小さな子供がいるとかで、彼女の自宅近くまで行くことになった。そんな経緯で、小八木は125㏄のスクーターにまたがって京福電鉄の清滝駅付近にあるカフェまでやって来たのだ。


 小八木が注文を終えた頃、ベビーカーを押した若いお母さんが店に入って来た。小八木が少し会釈すると、まるで昔からの友人のように親しげな笑顔を浮かべて彼女は近寄って来た。

「若い男の子とお茶するなんて久しぶりやわ」

 と、かなりオバサンが入っているが、香帆と同じ歳だからまだ二十七歳くらいのはずだ。赤ん坊は可愛い寝顔でスヤスヤと眠っている。

「ほんま、びっくりしたわ。香帆が亡くなるやなんて」

 子育てをしているとこんなにもストレスが溜まるものなのかと、小八木のように家庭生活とほど遠い男が気の毒に思うほど、西野は機関銃のように言葉を吐き続ける。

 聞いてもいない彼女の周辺情報や子供の話、育児の苦労話などを勝手に話し続け、なかなか本題に入らせてくれない。挙句の果てに旦那の愚痴まで聞かされた。

「えっと、何の話やった?」

 グラスの水を一気に飲み干した後、彼女は小八木が初対面の学生であることをようやく思い出してくれた。


 新幹線を降りた二人は、大和田が宿泊した市内のホテルへ入った。駅から徒歩で行ける。立体駐車場の建物があり、そのホテルの名前も看板に記されている。その二軒隣りにホテルの白い建物があった。

 フロントで尋ねると答えはすぐに出た。確かに21日金曜の夜9時頃にチェックインして翌朝8時頃にチェックアウトしていた。大和田の写真を見せたが間違いない。

 鈴がスーツぽいタイトスカートを穿いて、大人っぽいメイクをしているためか、相手は鈴を若手の刑事だと思い込んでいる。彼女も小まめにメモをしたりスマフォで写真を撮ったりしてそれらしく振舞っている。

 次に駅前でレンタカーを借りてK大学へ行く。そこでも確認には手間取らなかった。22日土曜日、鈴たちが歴史ツアーに出発した朝、大和田教授は9時前にK大学に入り、午前中は会議やマスコミの取材を受けている。午後はシンポジウムで夕方5時まで大学内にいた。当然ながら複数人の証言が取れた。

 更に、シンポジウムの打ち上げに参加したスタッフにも話を聞いたところ、彼らがシンポジウム会場の片づけを終えて奥津温泉に到着したのは20時30分の少し前で、彼らは行水程度に風呂に入って早々に宴会会場に移ったらしい。

 何せ、主役の大和田教授を待たせる訳にはいかない。教授はゆっくり風呂に入れと言ってくれたが、教授自身はもう風呂から上がって準備ができていた。

 予定時間を5分ほど過ぎて宴会は始まった。宴会の後、教授を含めた全員でもう一度ゆっくり風呂に入り、旅館のラウンジで日付が変わる頃まで飲んでいた。当然朝食にも大和田教授は出ているし、朝9時頃に全員に見送られて自分の車で旅館を出発している。

 鈴と熊野は車を走らせ、国道53号線をJR津山線に沿って上った。次第に田園風景が多くなり、時折訪れる街の中を抜けてゆく。

「どれくらい掛かるの?」

 風景に見飽きた鈴が尋ねた。

「岡山から1時間半くらいです」

「後1時間くらいか。本当に行く必要があるの?大学でスタッフ数人の証言が取れているじゃない。大和田教授が一晩中旅館にいたのは確かよ」

「自分の目と足で確認しないとね」

 熊野が刑事らしいことを言う。

「しかし、お金持ちの人って色々考えるわね。鳩川って人、益々お金持ちになって行く仕組みを作っている」

「そんな人だからお金持ちになれるんでしょう」

 熊野が運転しながら諦め口調で言った。金持ちに成ることなど刑事になった瞬間から諦めているのだろう。

 津山に入ると、市街地は通らないで79号線を北上してゆく。車が少ない割には道も広く綺麗に整備されている。道の駅で小休止してホットコーヒーと鈴のおやつを買った。そしてすぐに出発する。

 カップフォルダーにコーヒーを置いてチョコクッキーを鈴は食べ始める。運転中の熊野の口に時々入れてあげる。その都度彼は嬉しそうに笑みを漏らした。

「こんなデートしたことないの?」

「ありますよ」

 嘘だ。鈴の直感。と、その時鈴の電話が鳴った。

「あら、秘書からよ。もしもし、珍しいわね、電話なんて。いつも文字でしか会話できない男なのに」

 鈴は大きく笑う。

「電話くらいできるって?当たり前でしょう。今時幼稚園児でもできるわ。え?あんたが女性とデート?本物の女?デートクラブじゃないわよね。へえ、とうとう目覚めたのね、現実の女に」

 熊野が聞き耳を立てている。

「西野?誰?香帆さんの高校時代からの友人ですって?へえ、結局年上の女が好きなのね」

 などと、しばらく小八木をからかっていた鈴だが、やがて真剣な表情へと移ってゆく。

「マジ?やらせ?オジサン?」

 鈴の驚く声に熊野も耳が大きくなっている。

「良くやったわね、ありがとう。人妻に溺れちゃだめよ」

 鈴には珍しく、可愛い態度で小八木に別れの挨拶をした。

「何かあったのですか?」

 早く情報を知りたい語気。

「さっきのお金持ち、鳩川さんだけど」

「夢育英会の一番の出資者ですね」

「鳩川さんは香帆さんの叔父だそうよ」

 熊野はすぐには事態を把握できなくて、虚ろな視線で運転を続けている。

「どう言うことですかね?叔父さんがお金持ちなら、奨学金など借りる必要ないのでは?」

「誰でもそう思うわよね、香帆さんと鳩川さんの関係を知ったら……」

 鈴は一度コーヒーを口にしてから話始める。

「小八木が、香帆さんの高校時代からの友人である西野さんとデートしてつかんだ情報だけど、香帆さんは苦学生の振りをしていただけで、実際には、鳩川さんから援助を受けていたらしいの。だから、叔父さんのことは公けにしていない。あくまでも夢育英会が救いになったというストーリを世間に広め、それが結果的に叔父の事業に貢献し、自分が陰で援助してもらう条件ともなっていた。高校時代にはマスコミにも取り上げられた香帆さんだけど、大学に入ると完全に忘れ去られた。だから世間の人は誰も気にしなかったけど、西野さんは不思議に思っていた。だって奨学金で大学に入ったのに、学生寮じゃなくてワンルームマンションで暮らしていたから。しかもよ、学生の頃から今のマンションに住んでいた」

「え?あの高級ワンルームマンションにですか?学生時代から?」

 熊野は、紫野にある彼女の豪華マンションを思い浮かべて大きな溜息を吐いた。

「学生時代から熊野君より良い所に住んでいた訳ね、人生って不公平ね。そんな訳で、香帆さんはアルバイトなんてほとんどしなかったし、高級な召し物もたくさん持っていた。でも、たまに招集される夢育英会の催事や講演会などには質素な服で参加して、アルバイトをしながら大学に通っている苦学生を演じていたらしい。西野さんは京明大学ではないけど、高校時代の知り合いの間でそんな情報が広がっていた」

「みんな京都に住む京雀ですからね、噂は広がるでしょう」

 熊野は自分の言葉に納得している。

「西野さんは大学の二回生の頃にそんな噂を耳にした。あまりに衝撃的で、本人に確かめる勇気はなかった。そのうち周囲の視線の変化を感じたのか、香帆さんは元々少ない旧知の同級生たちとの付き合いも遠退いていった」

 鈴は、小八木からの情報を全て話し終えた。

「香帆さんは、高校時代から広告塔の役目を引き受けて叔父の商売を手伝い、快適な生活を援助してもらっていた訳ですね」

 熊野の言葉には応えず、鈴は窓の外に視線を投げた。熊野は更に考えを口にした。

「叔父の鳩川さんとしても、直接香帆さんを援助するより夢育英会を通じて奨学金を借りてもらった方が宣伝になりますからね。もしかしたら、香帆さんの容貌を利用して、鳩川さんがマスコミに手を回したのかも知れない。奨学金を借りる学生が増えるほど儲かりますから」

 そう語った熊野もまだ衝撃から立ち直っていない様子だ。

「香帆さんのイメージが100パー変わったわ。こんなに強かな女だったとはね」

「でも高校生の頃ですからね、大人の指示に従っただけじゃないですかね?」

 熊野が少し冷静になって来た。

「大人に逆らえなかったのは確かでしょう。でも、逆らう理由も無かった。損得計算は女の本性よ、高校生なら十分計算出来るわよ」

 鈴も衝撃を受けた心を平静に戻しながら続ける。

「と言うことは、大和田教授も鳩川さんも香帆さんも、夢育英会を通じてみんな得をしていた訳ね。なのに香帆さんが殺害された」

 鈴はコーヒーを口に運びかけてやめた。

「香帆さんの殺害と夢育英会との関係は無関係でしょう。犯人は並岡さんの線が濃厚ですから」

「本当に並岡さんが犯人だと思っている訳?熊野君」

 鈴は珍しい生き物でも見るように彼の横顔を見つめる。

「蓋然性は高いです。大和田教授のアリバイが明らかになりましたから。香帆さんの死亡推定時間内に奥津温泉にいたことを僕たちは確認しました。香帆さんが犯行現場である並岡さんの部屋に行くことを知り得る人物、或いは想定できる人物は大和田教授以外に考えにくい。その教授にアリバイがある以上、並岡さんが一番の容疑者です」

 鈴が反論しないためか、熊野はひと息吐いて話し続ける。

「仮に、大和田教授以外に彼女の行動を知り得た人物がいたとしても、殺害現場には鍵が掛かっていました。香帆さんが犯人を部屋に入れたにせよ、鍵を掛け忘れているところへ第三者が侵入したにせよ、香帆さんを殺害して、推理小説のトリックばりに香帆さんのバッグへ鍵を戻すなど、現実の事件では起こりません。現実的に考えた場合、状況証拠は全て鍵を持っている並岡さんが犯人であることを示しています」

 確かに、熊野の言うとおり並岡が犯人である状況証拠は整っている。だが証拠もない。岐阜県警は並岡を自白に追い込む積りなのだろう。でも、その筋に無理があることを安岡は自覚しているはずだ。

 鈴には並岡を犯人と断定することはできない。その理由はまだわからない。だが判然としない違和感がある。いや、この事件の全体像が見えていないような気がする。だが、それを今熊野に説明して納得させるのは面倒臭い。

「もうクッキーあげない」

 鈴はクッキーの箱を抱えたまま窓の外に視線を向けた。


【明らかになった事実】

夢育英会:経済的理由で高校や大学に進めない学生のために奨学金を出す慈善団体。理事長は大和田教授

鳩川:個人投資家。夢育英会への最大の出資者。香帆の叔父。

西野芽衣にしのめい:香帆の高校時代の友人。大学は別。

・KG製作所から産学共同プロジェクト(大和田のプロジェクト)に対して提供されている資金の一部が『夢育英会』に寄付されていた。

・香帆のパソコンは「ZIGEN」というスパイウェアに感染していた。香帆は恨みますサイトの有料会員。




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