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白蟻たちの巴  作者: 夢追人
12/12

巣食う蟻 三

白蟻の姿が明らかになってきます。

 高校時代、神野美緒は朝枝香帆と面識はなかった。しかし、美緒の中学時代からの親友である杉田桐子が高校二年から三年まで香帆と同じクラスだった。桐子も、香帆と同じく実質的に母子家庭で、学費の問題で大学進学を悩んでいた。実は、桐子の父親は傷害致死事件を起こして服役中だった。

 香帆には資産家である鳩川という親戚がいて、実際には援助してもらっているにも関わらず、そのことを隠して苦学生を援助する夢育英会の広告塔として活動に参加していた。桐子も香帆に声を掛けられて、活動に参加したり家庭内の問題を香帆や夢育英会の大人たちに相談したりしていた。

 桐子は小柄で可愛く、決して目立たないが真面目で気立ての良い子だった。男子生徒には、もてると言うよりも好かれる、可愛がられると言ったタイプだった。

 高校二年の最初の頃は、香帆もそれなりに人気はあったが、次第に本性を見透かされるようになり人が寄り付かなくなった。それとは逆に、桐子はいつも控えめなのにも拘らず、彼女の周囲には男女を問わず自然と人が集まって、クラスの中心的な存在となっていた。

 三年生になってもクラス変更はなく状況は変わらなかった。ところがある日、桐子の父親の情報が噂となって流れ出た。桐子が中学に上がる頃に父親が事件を起こし、故郷に住み続けることはできず、人知れず愛知県から京都へ住居を変えていたのだが、誰がどうやって情報を知り、そして漏らしたのかはわからなかった。 

 美緒は中学時代に事情を聞いていたが、当然、親にも口外していない。噂には付きものの尾ひれが付き、実際の事件よりも桐子の父親が非道な人間として噂された。それでも、桐子は今までどおりに振る舞っていたが、周囲の反応は微妙に変化した。仲の良かった数人の友人たちは変わりないが、クラス全体の中では、何とはなしに近寄り難く浮いた存在となっていった。

 桐子はそんな冷たい目に耐えながらも勉学に励んで大学を目指した。実家から通える京明大学が第一志望だった。彼女の通う高校には、京明大学への二名分の推薦枠が与えられていた。学年で上位に入らなければ推薦を受けられないが、推薦されれば合格は確実だし夢育英会からの奨学金も受けられる。

 やがて秋になり、校内での推薦一次審査が行われ三名が残った。桐子の他には香帆と男子生徒一名。男子生徒は学年でも上位の成績だったので合格は確定と思われていた。そして次が桐子。三人の中では香帆が一番不利だった。

 このような情報は当然秘密扱いだが自然と漏れてくる。生徒たちの間でも、男子生徒と桐子が順当であり、香帆は一次審査で残ったこと自体が疑問視されていた。ところが、二次審査前に桐子が突然三日間の停学処分を受けた。原因は風俗店でアルバイトをしたと言うことだった。桐子は夢育英会から紹介されたカフェのアルバイトを、学校にも届出て定期的に勤めていたが、風俗店のバイトをしているとは美緒も知らなかった。 

 美緒はすぐに桐子と会って事情を確認してみた。すると事実は全く違っていた。夢育英会の委員と名乗る女性から土曜の夜に連絡があり、一日だけのアルバイトを頼み込まれたのだ。夢育英会も急に依頼されたらしく、依頼を受けた翌日の仕事なので人手が確保できないとのことだった。

 仕事の内容は事務作業で、店のキャンペーン案内の封書を作成する仕事だった。数百枚の宛名を封筒に印刷し、切手を貼り、手紙を入れて閉じる。夢育英会の人にはお世話になっているし、一日だけのことだから学校にも届けずに請け負った。届ける時間もなかった。だがバイト先の会社が風俗店を経営している会社だった。桐子にそんなことがわかるはずもない。

 事務所は風俗店と同じ雑居ビルにあり、一階が店舗、二階が事務所となっていた。桐子は指定された時間に事務所を訪れた。歓楽街の中にあり周囲の環境に余り良い感じはしなかったが、昼間なのでどこの店もシャッターが下りていた。

 桐子の訪れた会社も店はまだ営業していなかった。桐子は二階の事務所に入ると、面倒見の良い中年のおばさんと一緒に作業を行い、夕方、開店前に仕事を終えて事務所を出た。

 ただそれだけだった。しかし、雑居ビルの階段を下りて建物を出たところを誰かに撮影されていた。そしてその写真が匿名で学校に送られ、桐子は教師から事情を聴取された。彼女はありのままを話したが、学校にバイトを届出ていなかったことも、その会社が風俗店を経営していることも事実だ。写真だけを見ると、いかにも桐子が風俗店から出て来たように見える。

 教師が夢育英会にバイト斡旋の事実を確認したが、そのような斡旋はしていないし桐子に依頼した女性も存在しないと言われた。女性の電話番号ももう使われていなかった。そのことが学校側の心証を益々悪くし、以前からアルバイトをしていたのではないかと言った疑念を抱かれてしまった。

 担任教師は良心的で桐子の冤罪を晴らそうと努力してくれた。店に連絡して桐子が働いていないことを証明するようお願いしたが、人の出入りも激しく、いちいち履歴書や住所情報などとっていないと言って断られた。

 桐子の写真を見せても、濃いメイクをして働いていたら判別できず、この子が働いていなかったと断言できないと言われた。店としては、面倒なことに巻き込まれたくないと言うのが本音だろうと担任教師は感じていた。

 何事にも形式的で官僚的な教師たちは、誰でも行っているような一日程度の無届アルバイトであることや、風俗店でアルバイトしていないことを証明出来ない、いわゆる悪魔の証明をできないために嫌疑を捨てきれず、隠し撮りと言う明らかに恣意的な作為が見えるにも拘わらず、真相を探ろうともせずに形式どおりの処分を行った。

 そして二次審査も形式的に進み、停学処分と言う推薦入学には致命的な負荷を背負わされて、桐子は積み重ねて来た努力が報われることなく、絶望の淵に叩き落されてしまった。

 それから数週間後、桐子は死んだ。雨で増水した初冬の宇治川に飛び込み、冷たい水に巻かれて死んだ。自殺だった。しかも桐子が香帆を川原に呼び出し、もう絶望して生きていく気力がないと言った心境を香帆に打ち明けた後、突然香帆の目の前で飛び込んだと言うのだ。

 香帆は、桐子に呼び出される前に自分から声を掛けて話を聞いてあげるべきだったと嘆いていた。いつも桐子の話相手になっていたのに、どうしてもう少し早く話を聞いてあげなかったのだろう。彼女の苦しい心境を吐露させていたら、彼女は自殺なんてしなかったのではないかと、自分を責める発言をしていた。

 美緒は、桐子自殺に関する一連の報に触れても決して信じなかった。桐子の行動についても、香帆の言動についてもあり得ないと確信していた。桐子は、確かに落ち込んではいたが、推薦に落ちただけである。一般入試もあるし、近郊にある他大学へ進む道もある。彼女はそう言っていた。

 しかも、自分をはめたのは朝枝香帆かも知れないと言っていた。夢育英会の委員と名乗った女性の声に聞き覚えがある。いや、声色は変えてあったが、イントネーションとか話し方がどことなく香帆を思い起こさせたらしい。

 桐子と美緒の中学時代からの友人である高岡と言う男子生徒がいた。高校になってからは三人とも別クラスだったが、それでも交流は続いていた。

 桐子の葬儀からの帰り道、美緒は高岡と話をした。高岡も美緒と同じ見解だった。桐子が自殺などするはずがないと確信していた。そもそも桐子が香帆を呼び出したのは、桐子を陥れたのが香帆であることを確かめるのが目的だったと思われるからだ。そんな彼女が自殺する理由がない。

 高岡は、そのことを桐子の母親や担任の教師にも話したが、今はまだ何の動きもない。それで美緒と高岡は、葬儀の帰りに桐子が飛び込んだと言う川原公園に寄ってみた。

 宇治川が勢い良く流れていた。このところ雨の多い天気で水量は定常的に増しており、また濁ってもいた。宇治川はここから数キロ下ると桂川に合流する。この公園は広い川原でゲートボール場があり、子供用の遊具も設置してある。川べりには石造りのベンチが四脚並んでいた。ベンチから数メートル前に進むと川土手になっていて、川の水位は随分高くなっており、土手から3メートルほど下を流れていた。普段なら5~6メートル下を流れている。

 桐子が落ちた時もこんな流れだったのだろう。川原に吹く風は冷たく、川に落ちればすぐに体温を奪われてしまう。美緒は、寒さと恐怖の中で意識を失っていった桐子の心境を想像しようとしたが、あまりの残酷さに涙が流れるだけだった。

 高岡も同じようにじっと川面を見つめて涙を堪えていた。しばらくの間、寒風に吹かれながら二人が佇んでいると、そこへ、みすぼらしい姿をしたホームレスの男が近づいて来た。

「あんたら、あの死んだ女学生の知り合いか?」

 男は二人に話し掛けてきた。高岡が応じると、男は桐子が川に落ちた様子をつぶさに語ってくれた。男はその時、たまたまこの公園の端に段ボールを敷いて休んでいたらしい。寝転んだまま、遠くに現れた女子高生をぼんやりと眺めていたと言う。

 男の話によると、川土手沿いにある石造りのベンチまでやって来た二人は、そこに座る間もなく向かい合って話し始めた。話の内容までは聞こえて来なかったが、口論していることはわかった。

 二人はだんだんエキサイトしてゆき、所々声が届いて来るくらいに二人とも興奮して大声を出していた。そのうち、遂にどちらかが相手を小突いた。突かれた方もすぐに小突き返す。小突き合いが何度か続いた後、背の高い方の子が両手で力強く突き放つと、小柄な方の子、つまりは桐子が後ろに数歩突き飛ばされた。

 その時、踏ん張った後ろ足は雨で緩んだ地面をずるりと滑ったために、突き飛ばされた勢いを止めることができず、更に1~2歩後退し、とうとう後ろ足が宙を踏んだ。桐子は慌てて態勢を立て直そうとしたが、バランスを崩すとそのまま川に落ちてしまった。ほんの一瞬のことで、大きい方の子、つまり香帆も身動きひとつできなかった。

 香帆は慌てた様子でどこかへ電話を掛けて、結構長い間話をしてから一度電話を切り、それから消防に通報したようで、二回目の電話から数分後に周囲はサイレン音で慌ただしくなり、男は人目を避けて消えたらしい。

 一回目の電話はどのくらい話していたのかと高岡が確認すると、10分くらいは話していたと言った。美緒はその話を聞いて怒りに震えた。電話の相手は恐らく大和田だろう。これからどう言い繕うかを大和田に相談したに違いない。実際、香帆は、桐子が弱音を吐いてから自ら飛び込んだと嘘を言っている。

 殺意があったかどうかは別にして、香帆が死に至らしめたことは間違いない。すぐに通報すれば或いは助かっていたかも知れないのに、その努力すらしなかった。自分の保身のための相談に、桐子の命が消えるまでの貴重な時間を費やしていたのだ。美緒と高岡は、男に警察で話してくれるよう何度も懇願したが頑として拒否された。

 そもそも、自分が何を話しても誰にも信じてもらえないし、下手に警察に関わると、この辺りで暮らせなくなってしまうと言った。美緒は親や教師に相談したが、やはりホームレスの言うことを信じることはなかった。

 どうにも納得できない美緒と高岡は、二人で香帆を問い詰めたが、急に虐められっ子の弱者を演じ始めて教師に訴えた。目の前で友人が自殺しただけで大ショックなのに、面白がって殺人者呼ばわりする人たちがいると……。


「どう、これが偽善と欺瞞に満ちた朝枝香帆と言う女の実態よ」

 一瞬、重い沈黙が広がり、昔年の恨みを周囲の人間が同情的に理解してくれることを美緒が期待した瞬間、

「じゃあ、その高岡という男性が、ご遺体運搬の共犯者であり、新幹線で東京まで大和田教授の影武者を演じた人ね」

 と、同情の雰囲気など微塵も感じさせない鈴の冷静な指摘に、美緒は失望すると同時に口を閉ざした。

「まあ、良いわ。そこは刑事さんたちにお任せしましょう。香帆さんへの恨みはわかりました。殺人計画を手助けした動機も。でも、大和田教授のことは許せるの?間接的であっても桐子さんの事故を自殺に見せかけた黒幕よ」

 すると、一旦口を閉じていた美緒が、キッと苛ついた表情を浮かべるや大声で叫んだ。

「許せる訳ないでしょう!」

 全員が目を丸くして驚く。大和田もギョッとした面持ちを浮かべた。美緒は厳しい表情で大和田を睨みつけ、彼を指差しながら更に叫ぶ。

「あいつこそ偽善者の権化よ!色んな慈善団体に顔を出しては弱者の味方のような発言をする。そのくせ、身銭を寄付したことなんて一度もない。寄付をするのは、その寄付が投資として見返りがある場合だけ。慈善団体の活動があればそこで講演を持ち掛け、つまらない話で講演料を分捕り、講演が無い時はイベント後の会食で接待を要求する。あの男が来ればマスコミが付いてくるから、団体側も仕方なく接待するのよ」

 美緒は怒りを呑みこむようにして言葉を終えた。

「あんた、本当に最低の人間ね。お猿さん以下よ!いえ、そんなこと言ったらお猿さんに失礼だわ!」

 鈴も怒りを露わにして大和田を睨みつける。だが大和田は、ふて腐れた表情でそっぽを向いている。鈴はもっと大和田を非難したそうだが、美緒がぽつりと、

「でも、結果的にその男も逮捕されたから良かった……。桐子も喜んでいるわ」

 と零した。

「あんたは、恨みますサイトの運営者が立てた計画を知っていてバイトを手伝ったのか?岩沢事件についても、香帆事件についても」

 安岡が静かに尋ねる。

「バイト募集の段階では全く知らされていません。応募すると限定的な情報は与えられますが、計画全体については見当すらつきません。ただ、募集が始まる頃にサイトで話題になっている案件に関わるバイトが多いので、サイト上で起きている仮想裁判や会員の書き込みを見れば想像はできます」

「では、朝枝香帆や岩沢に関する仕事だと考えて応募した訳だな?」

 安岡の問いに、美緒は静かに頷いてから話しを続ける。

「サイトの掲示板に匿名で書かれている内容を照らし合わせると、私の場合背後の事情を知っていたので、誰がどう動くのか推察出来ました」

「事情を知っていた?」

「香帆に関することについては、大学時代から色々情報を集めていました。いつか、何らかの形で復讐しようと言う考えを持っていましたから。香帆の身辺情報を集めていると、大和田教授や、教授の腰巾着になって甘い汁を吸っている岩沢の情報も自然と把握できました」

「なるほど」

 安岡が溜息を吐くように納得した。親友の恨みを果たした美緒には同情的だが、罪を犯していることは看過できない。

「大和田教授の偽アリバイを告発したのは、元々あなたの計画だったのですね?」

 熊野も質問に加わる。

「当然です」

 怒りのこもった視線を熊野に刺しながら、美緒は大きく息を吸った。しばらくの間不自然な沈黙が続く。すぐには腹落ちしない美緒の言葉を、誰もが戸惑いながら咀嚼しようとしている。

「まあ、とにかく署でゆっくり話を聞かせてください。高岡がご遺体を運んで、二人で現場を偽装したことを今認めるのなら、自首扱いにします」

 谷崎が沈黙を破って立ち上がった。美緒もゆっくりと頷いてから立ち上がる。山中が彼女に手錠を掛けようとしたが、谷崎が首を振った。校内にはまだたくさんの学生がいる。一方の大和田には容赦なかった。谷崎と山中が大和田の両脇に立ち、彼の手錠を隠そうともせずに教室を出て行った。その後を美緒がひとりで歩き、最後尾に安岡と熊野が続いた。

「申し訳ないですけど、鈴さんたちはバスで帰ってください」

 熊野が振り返って告げる。

「このお礼は焼肉よ!お店は私が指定するから!」

 熊野と安岡は、苦笑いを浮かべて出て行った。


大和田教授が逮捕されてから半年が過ぎた。大和田は、ようやく取調べと裏取りが終わったところで、まだ起訴準備中だ。美緒と高岡は、証拠隠滅と殺人幇助の疑いで起訴され、実刑判決を受けたが情状酌量で執行猶予が付いた。並岡は、疑いは晴れたものの、まだ岐阜で勤めており、まだ京明大学の研究室には復帰できずにいる。

 今夜は久しぶりに安岡が京都を訪れ、熊野と二人で鈴との約束を果たしに来ている。事件解決協力へのお礼だ。鈴は、当時焼肉を要求していたが、時間が経ち過ぎた分の利息を上乗せして、南禅寺の料理旅館を指定した。当然、小八木も同席している。

「取り調べは終わったんでしょう?私の推理がどこまで正しかったのか話してよ」

 日本庭園の中庭が見える和室に通されて、お茶を飲みながらひと息入れたところで早速鈴が切り出した。

「俺たちの推理だ」

 安岡が口を挟む。

「とりあえずビールですね」

 小八木がそう言った時、タイミング良く仲居さんが部屋に入って来た。先に出されていたお茶を下げ、ビールの注文を受けてから出て行った。

「それで、今回の事件の真相はどうだったの?」

 鈴がせっかちに熊野を催促する。

「まあ、乾杯が終わってからにしましょうよ」

 だが、鈴は小八木の意見などスルーする。

「まずは、香帆さんが高校時代に桐子さんを川に突き落とした話は本当だったの?」

「大和田の供述だけだから事実かどうかの検証はできないが、事件が起きた後香帆はすぐに大和田に電話を掛け、クラスの女子とケンカになって、小競り合いをしていたら相手が足を滑らせて川に落ちたと言ったそうだ」

 安岡が答えた。

「それで、大和田は何て言ったの?」

「桐子が自分で飛び込んだことにしろと。二人は川沿いのベンチに座り、桐子が香帆に苦悩を打ち明けた後、突然立上って川に飛び込んだと言う筋書きだ。自殺の原因は、京明大学の推薦に落ちたことや、父親の犯した犯罪のことがみんなにばれてしまって居場所がなくなっていたこと。大和田は香帆にそんな指示をした」

「なんて酷い大人なの。すぐに警察や消防に連絡するように言うとか、代わりに自分が連絡するのが大人でしょう」

「当時、香帆は夢育英会の大切な広告塔だった。だから本当のことを話して、加害者にしたくなかったそうだ。恐らく桐子をはめる算段にも大和田が知恵を貸していたのだと思う。本人は否定したがな」

「ビールが不味くなるわ」

「ビールはまだ届いていませんけど……」

「更にまずくしてすまないが、当時、大和田と香帆は既に男女の関係だった」

「最低!女子高生よ!偽善者め」

 鈴が罵倒した時、ビールと先付けが運ばれて、四人は気を取り直して乾杯した。

「もしかして、香帆さんは桐子さん自殺の真相を大和田に握られてしまったことが、最大の弱みになっていた訳ですか?」

 グラスを置くや、小八木が再び話題を戻した。

「そう言うことです。でも、香帆さんの学生時代は、大和田との仲は上手くいっていたようです。互いにとって利益だった。大和田は若い愛人を味わい、香帆さんは成績が悪くても研究室にまで入れた訳ですから」

「強かな女ね。私ならあんな偉そうな親父はゴメンだわ」

「僕たちの想像どおり、研究室に並岡さんが入って来た頃から、大和田と香帆さんの間がぎくしゃくし始めたそうです」

「僕たち?」

 鈴が冷たく熊野を睨む。

「個人情報漏えいの真相はわかりましたか?」

 小八木が安岡に尋ねる。

「大和田の供述では、並岡はシロだ。香帆から並岡はシロだという報告を受けた時に、並岡をかばっている可能性は考えたようだが、嘘を言っているようには思えなかったらしい」

「オヤジに女の嘘を見破れるはずがないでしょう。おバカね」

 安岡をからかった鈴は、先付にある牛蒡の昆布巻きをかじった。

「次に、香帆さん殺害事件の経緯をお話しします。大和田が『恨みますサイト』に初めてアクセスしたのは昨年の秋頃です。特別会員になり、サイト運営者の計画に乗ることを決意したのは年末。年明けより全ての準備が始まりました。美緒さんがサイト上の書き込みから大和田と香帆さんの件だと気づき、バイトに募集したのも年明けの頃。美緒さんが最後に並岡さんの部屋に行ったのが1月です」

「その時に並岡さんのネクタイを盗み、既にコピーを作っていた部屋の合鍵を並岡さんに返した訳ね」

「そう言うことです。香帆さんが殺害された日の行動は、ほぼ僕たちの推理どおりでした」

 熊野はチラリと鈴の反応を窺っている。

「僕たち、で良いわよ」

 椀物を手にした鈴の意識は手元に集中しているようだ。

「香帆さんが鈴さんたちのツアーに参加した理由は、やはり場所と日程だと思われます。美緒さんの供述から、入替ったのは『奥の細道むすびの地記念館』です」

「忠犬小八木の鼻は正しかったわね」

「美緒さんは、わざわざ通販で時間指定の荷物を受け取るように準備し、午前中は自宅待機。荷物を受け取った後大垣に移動し、『奥の細道むすびの地記念館』で香帆さんの到着を待った。バスを降りて休憩所に向かう香帆さんと一瞬目が合ったそうです。香帆さんはトイレで変装用のカツラやサングラスを取って岡山へ向かった」

「カツラ?」

「二人の髪形を合わせるために、二人ともカツラを付けていたそうです」

「なるほどね」

「美緒さんは、ひとりで記念館を出ると喫茶店で時間を潰し、集合時間に大垣城に到着。記念撮影をしてからホテルに移動。 チェックインすると香帆さんの荷物とスマフォを部屋に置いてすぐにホテルを出ました。できるだけ人目につかないようにするためです」

「女子たちは、シャワーを浴びたり、顔を作りかえたり、食事に出るにも時間が掛かるからね。ロビーも夕方は込むから、ホテルスタッフの目に留まらず外に出ることができる」

 鈴が小八木に説明するように熊野の言葉を補うと、椀に残った汁を飲み干した。

「美味」

 鈴は幸福に満ちた面持ちをしている。

「その後、美緒さんは京都の自宅へ戻り、高岡からの連絡を待った」

 そこへ刺身が運ばれて来る。器いっぱいに盛られた海藻や魚貝が上品な脂で輝いている。

「一方、香帆さんは夕方6時には岡山駅に到着し、大和田の車に乗った。岡山を出てしばらく走ったところで大和田は仕事の用事を思い出し、車を止めて車外で電話を掛けた。恐らく、その時に香帆さんがダッシュボードに入れてあるティッシュを使ったのだと思います。その後、津山辺りにある道の駅で、香帆さんが二人分の飲み物を買ってから車に乗ったそうです。恐らく、そこに何らかの薬品を入れたものと思われます。しかし大和田は、運転中だからと言って飲み物を口にしなかった。

 やがて奥津湖に着いた二人は、車を降りて少しの間景色を眺めた。そして車に乗り込む瞬間を狙って、大和田は香帆さんを絞殺した。彼女の抵抗は少なく、あっという間に気を失って絶命したようです。大和田が車を買い替えたのは、念のためだそうです」

「念のため?普通、恐ろしくなるでしょう。愛人を殺した車に乗り続けるなんて」

 鈴がマグロの赤身を口に放り込んだ。熊野はビールをひと口飲んでから報告を続ける。

「大和田は、予め知らされていた協力者の電話番号に連絡し、協力者である高岡の到着を待ちました。夜の8時頃ですから、周囲は真暗で人気もありません。高岡と二人で大型のスーツケースに香帆さんのご遺体を入れて高岡の車に乗せ、大和田はそのまま奥津温泉の宴会場へ向かい、翌朝京都へ帰りました」

 ここまで話すと熊野が刺身に箸を伸ばした。すると安岡が補足する。

「後は、高岡が美緒を拾い、岐阜まで走って並岡の部屋で偽装工作をした。深夜なので人目にも付かなかった」

「美緒さんは、並岡さんのことをどのくらい恨んでいたのかしら?」

 鈴がアワビを箸でつまみながら、どちらにともなく尋ねる。

「美緒の話によると、昨年の秋ぐらいから、他に女ができたことを感じていたようだ。だから別れ話を切り出されても、それほどショックではなかったらしい。そんなことより、香帆への復讐のチャンスが巡って来たことに心が奪われていたのだろう」

「でも、滋賀県の資産家と婚約した訳でしょ?」

 鈴は刺身を全て平らげてしまった。

「それは全くの偶然だったそうだ。仕事仲間たちと行った合コンで知り合ってから、急速に婚約話が進んだようだ」

「やっぱり、合コンは人生の必須アイテムね!」

 鈴が目を輝かせている。

「ただ皮肉なもので、新しい婚約者ができた途端に、並岡の子供を宿していることに気がついた」

「するときの必須アイテムも忘れちゃだめね」

「それで婦人科に行った訳ですね。でも、どうして岩沢さんは美緒さんの後を付けていたのでしょうか?」

 小八木が少し身を乗り出している。

「合コンに参加した美緒の仕事仲間に、岩沢と同部署の社員がいたんだ。美緒の部署は、親会社の営業、即ち岩沢の部署と一緒に仕事をすることも多かったので、美緒の玉の輿話も岩沢に聞こえて来た」

「玉の輿の話を聞いたからって、後を付けたりする?」

 鈴はビールをグイと飲んだ。

「さあ、今となっては真相は闇の中だ。だが岩沢に関する噂を集めてみると、奴は、人の秘密を握っては脅迫まがいの事をして、思いどおりに仕事を進めたり、小遣い稼ぎをしていたようだ」

「仕事の便宜を図らせるならまだしも、金銭まで要求したら犯罪だし、すぐにばれるでしょう」

 小八木が常識的な疑問を口にした。

「話すのも腹立たしいが、岩沢は昔からサイドビジネスをやっていて、元妻の名義で会社も興している。音楽CDや動画DVD、ゲームソフトなどの中古販売をしている建前だが、弱みを握った相手に二束三文の商品を高値で売りつけるのが奴の手口だ。金は会社の口座に入金させる」

「根っから腐った男ね。でもまあ偽善者よりはマシか」

 小八木が鈴のグラスにビールを注ぐ。安岡もグラスをあおってから、

「しかし、美緒さんは資産家との結婚は半ば諦めていたようだ」

と言って、自分でビールを注いでから続ける。

「その頃には、美緒は香帆の復讐に乗り出し、ご遺体の偽装まで覚悟していたんだ。当然逮捕される可能性も考えていた。そもそも資産家のこともそれほど好きではなかったらしい」

「じゃあ、岩沢さんのことは放っておけば良かったのに」

「お前と同じで、腐った人間が許せなかったらしい。裏取引どころか脅迫までやっていたような人間だからな」

 安岡は怒りの籠った息を吐いてから箸を手にする。鈴は、美緒の心情を慮るようにゆっくりと瞬きをしてからビールを飲み干すと、小八木の横顔を愛らしく見つめた。

「日本酒ですね」

「さすが忠犬小八木」

 鈴は小八木の肩を指先で突いてから話題を変える。

「並岡さんの部屋で偽装工作をした後、部屋を出る時に鍵を閉めたのは、バイトの指示どおりだったの?」

「そうらしい」

「しかし不思議ね、運営者の立場なら、鍵を開けておいて捜査がより混乱する方が得策だと思うけど」

「並岡が犯人として逮捕された方が、大和田にとっては都合が良いだろう」

 安岡の考えも一理あると思ったが、鈴は何となくすっきりしない。焼き物を運んで来た仲居さんに小八木が冷酒を注文する。

「岩沢さん殺害の件を話す前に、まず大和田と岩沢さんの関係ですが、ネットに流出した情報のとおり、KG製作所の製品を優先して大学が購入する代わりに裏リベートを受け取っていました。それは十数年も前から続いていたことです。十年ぐらい前から、岩沢さんにも分け前を与えていたようです。昔は、その手のリベートは全て現金で行なっていたようですが、次第にコンプライアンスが厳しくなって現金での支払いが難しくなってきたようです」

「俺たちの仕事も面倒な手続きが多くなってやりにくい」

 安岡がポツリと不満を漏らす。

「そのために、大和田は、産学協同や様々なプロジェクトを立ち上げました。それらプロジェクトの立上げ期と言うのは、大学側の手続きにも時間が掛かるので、大学側の準備が整うまでの期間限定と言うことで、大和田教授の個人名義の口座に設立資金等、外部からの資金を一時プールし、正規の体制が整ってから大学の口座に移すと言う手順を踏み、その初期の頃に潤沢な資金を元手に色々な不正を働いていたようです」

「偽善者を信じたらバカを見るってことね」

 鈴は吐き捨てるように言いながらも、焼魚のどこから手を付けるべきか真剣な目で迷っている。

「大和田の手法は巧妙で、今まで一度もばれていないようです。今回発覚した資金の不正使用に関しても、通常では発覚しないはずだった。たまたまKG製作所の社内監査員が不審に感じたところから解明されました」

「悪事は続かないものよ。ところで、今回の不正利用は本当にKG製作所側のミスだったの?」

 鈴は、グジの焼物に尾の方から箸を入れた。

「大和田の指示です。実際には『恨みますサイト』の計画ですが……。KG製作所側のミス、即ち岩沢のミスと言うことにして全ての責任を取ってもらう。岩沢には五千万円の慰謝料と、海外にある京明大学の関係施設で働いてもらう約束をしたそうです」

「五千万円!大和田教授はかなり貯め込んでいたんですね」

 小八木が、学生には想像もつかない金額に驚いている。

「五千万円と言っても、一時金で二千万円。後は海外施設で勤務する給料に上乗せする嘘の約束ですから、実質は二千万円ですね。岩沢の元妻名義の会社に資本提供すると言う名目で会社の口座に入金したそうです」

「岩沢さんは細かい配慮してますね」

 小八木が奇妙なところに感心している。

「しかし、こうなってしまうと、大和田にとって岩沢さんはリベートの窓口ではなく、逆に自分から金を引き出す脅迫者の存在となります。元々、岩沢へのキックバックも大和田にとっては脅迫されるネタでしたから」

 熊野は説明を終えると、グラスに残ったビールを飲み干して小さく溜息を吐いた。犯罪の説明は虚しい。

「美味しい料理が台無しだな?」

 小汚い人間の話に気分を悪くしているだろうと、安岡が鈴に気を遣っている。

「大丈夫よ。味覚と聴覚を分離したから。この脂が堪らないわ」

「それは良かった」

 安岡は逞しい鈴に苦笑いを浮かべながら、届いたばかりの冷酒を彼女に注いだ。

「ここからが岩沢さん殺害計画のお話です。大和田は、海外での就職に必要な書類関係を渡すと言う名目で、岩沢さんを人目のつかない場所に呼び出します。嵐山の事件現場になった辺りです。岩沢さんには、途中で会社の上司に連絡を入れさせ、あたかもこれから失踪するような、又は自殺でもするような印象を抱かせます」

「夜6時頃に居酒屋から掛けた電話ですね」

 小八木が確認する。

「大和田は午前10時頃に新幹線に乗り名古屋で降りた。再び新幹線で京都に戻り、夜まで時間をつぶします。実際には映画館にいました。 夜8時に嵐山で落ち合ったふたりは、大和田が用意した岩沢さん好みの焼酎でお湯割りを飲みます。元々食事中に酒を飲み、五千万円と海外での新たな生活を想像して機嫌が良かった岩沢さんは、大和田のことを全く疑っていなかったようです。三杯目のお湯割りを飲み干した頃に岩沢が用を足しに茂みの中へ消えたので、その時に毒を入れました。後は、現場を整理し遺書を置いて立ち去った。その後京都駅に戻り、最終の新幹線到着を待って、場内で高岡からEXカードを受け取ります。更に改札口をわざと間違えて駅員と話をしました。僕たちの推理どおりです」

 鈴の前には蒸し物が運ばれて来た。早速蓋を開けると、湯気と共に上品な香りが漂ってくる。

「ワア、蕪蒸し大好き!京都はこれから寒くなるから蕪蒸しが美味しくなるわ」

 鈴は早速あんの部分をさじですくって口に運ぶ。

 そんな鈴の様子に笑いを漏らした小八木は、冷酒を舐めると、

「そう言えば『恨みますサイト』の運営者はまだ捕まらないのですか?」

と、熊野に尋ねた。

「詐欺サイトを運営していた連中を逮捕しましたが『恨みますサイト』とは無関係でした」

「サイトを閉じられてしまったら、実際のところ犯人は捜せないでしょうね」

 小八木は同情的だ。

「確かに難しいですね。サーバーもドメインも、全て海外のサービスを中国人の偽名を使って使用していました。この程度の犯罪では、中国当局に捜査協力を依頼しても相手にされないのが実情です」

「国営でサイバー攻撃するような国が無償で協力なんてする訳がないでしょう」

 鈴の言葉に熊野がやるせない表情で冷酒を飲み干す。少し重い空気になったので、鈴が可愛く笑顔を振りまいて熊野と安岡に酒を注いだ。伏見の酒だ。

「まあ、殺人犯は捕まえたんだし、良いじゃないの」

 安岡は冷酒をチビリと舐めてから、

「本当に、恨みます何たらというサイトの運営者はいたのか?」

と、まだ懐疑的な目で疑問を零した。すると熊野も冷酒を流し込んでから答える。

「大和田は、岩沢さんを殺害したフグの毒も運営者が準備したと言っています。毒は大学にもあるそうですが、学部が違う上に大学は管理が厳重ですから盗み出すのは無理だと言っていました。やはりブラックマーケットに通じる運営者がいたのは確かだと思います」

 安岡は小首を傾げてから、一切れ残っている刺身を口に運んで味を噛みしめた。

「しかし、ZIGENなんて言うウイルス名は、あのサイトにふさわしくないですよね。どうしてもルパンを連想してしまいます」

 小八木が明るく話題を変えて蕪蒸しをさじで突いている。

「どうしてだ?」

「『恨みますサイト』は、公けに訴えられない人や、訴えてもどうにもならないような事件を裁くサイトじゃないですか。勿論、投稿者の一方的な言い分や妄想もかなり入っているでしょうけど。イメージ的には、ルパンよりもデスノートとかの方がピッタリ来ます」

 小八木は蕪蒸しを口に運んだ。

「時代劇なら遠山の金さんですかね?」

「大岡越前だろう」

 安岡も乗って来る。

「オヤジ的連想ね!ここはやっぱり必殺仕事人でしょう。MONDOUなんて名前にすれば良かったのに」

「お前が一番オヤジぽいぞ」

 珍しく安岡が大笑いをした。鈴が安岡に酌をする。

「しかし、今回の事件で得をしたのはサイト運営者だけで、サイトに関わった人たちは誰も得をしていませんね。ある意味全員が痛手を被っている」

 熊野が違った視線の言葉を吐きながら、焼魚の皮をむいて身をほぐし始めた。彼は皮を横に置いて小骨を丁寧に取っている。

「皮が美味しいのに」

 鈴が呟く。

「そうですか?」

 熊野は、皮には余り興味は無さそうで、箸を持ったまま自分で冷酒を注ごうとしている。そんな姿を見つめながら鈴は、

「マグロ、食べないの?」

 と、彼の刺身皿に熱い視線を刺している。

「良かったらどうぞ」

「ありがとう。私が注いであげる」

 愛想笑いを浮かべた鈴が、冷酒の瓶を受け取ろうとした瞬間、不意に彼女の手が止まり、全身の動きが止まり、急に眼を大きく見開くと、

「アアッ!」

と、大きく叫んで天井を見上げた。

「何だ!食べ慣れない高級料理があたったのか?」

 安岡は結構真面目に言っている。

「料理のコースを頼み間違えたとか?」

 結局、熊野は自分で酒を注いだ。

「きっと、コンビニでポイントを付け忘れたんでしょう」

 小八木は慣れっこだ。

「私としたことが!星里鈴、一生の不覚だわ!大ちょんぼよ!星里崇に顔向けできない!」

「何で親父に顔向けできないんだ?」

「かなり深刻ですね」

 三人は、鈴の仕草を可笑しそうに見つめながら酒を口に運ぶ。鈴は両手で顔を覆った後、大きく深呼吸をしてから冷酒を一気にあおった。

「いるじゃない!ひとりだけ得をした人が!皮を切らせて骨を断つってやつよ。自分は一切傷を負わずに得をするなんてあり得ない。要はコスパの問題よ!」

「コスパですか?」

 熊野の呟きと共に沈黙が訪れると全員が思考に入る。そしてほんのひと呼吸置いた後、安岡が小さく唸り声をあげて、

「確かにそうだな。香帆と岩沢は殺され、大和田は殺人犯として逮捕された。並岡は最後まで疑われ、誰も得をしていない。美緒ひとり、得るものがあった」

 と、酒を口に含み、なおも続ける。

「友人の桐子を死に追いやり自分の恋人を横取りした香帆が死を迎え、自分を脅迫した岩沢も消え去り、香帆を援助した大和田をムショ送りにし、自分を裏切った並岡に冤罪の苦しみを与えた。彼女の大嫌いな偽善者たちを成敗し、自分は情状酌量で執行猶予」

「なるほど、コスパ良過ぎますね」

 そう漏らした小八木は、鈴に同調するように彼女の瞳を見つめている。だが、鈴は小八木の視線など全く気に留まらず、

「今、何て言った?」

 と、安岡に向かって問うた。彼は予期せぬ質問に虚を突かれて、

「え?情報酌量で執行猶予……」

と、控えめに答える。

「その前よ」

「自分を裏切った……」

「行き過ぎ!」

 鈴の興奮に安岡は困惑しながらも、

「彼女の大嫌いな偽善者たちを成敗し」

 と、自信なさげに言った。と、その瞬間、

「そう!偽善者よ、偽善者なのよ!アナグラムよ!」

 興奮し切った鈴はそう叫ぶや自分で冷酒を注ぎ、グイと飲み干してから少し酔った目付きで小八木を見つめる。

「大丈夫か?こいつ」

 安岡が心配そうに小八木に視線を送る。しかし小八木もじっと鈴を見つめたまま硬直している。頭はフル回転しているようだ。

「二人とも変ですね」

 熊野が苦笑いを浮かべた瞬間、

「アアッ!」

 今度は小八木が叫んだ。

「何だ?お前ら!」

「だからアナグラムですよ!」

「アナグラム?」

 安岡が小八木をじっと見つめて暗に説明を求める。

「アナグラムです。ZIGENと言うアルファベットを色々な順に並び替えてみて下さい!」

 安岡と熊野はじっと虚空を見つめたまま頭の中で試行を繰り返している。しかし、一向に答えが出て来ないので、辛抱堪らず鈴が、

「G、I、Z、E、N」

と叫ぶと、数秒後に安岡と熊野の全身が硬直した。

「ギゼン……」

 熊野が口走る。

「そう、偽善よ」

「どう言うことだ?」

「まさか、美緒がZIGENを作ったとか?」

 熊野が目を輝かせている。

「そう、美緒さんが作ったのよ。熊野君、あのサイトのキモは何だと思う?」

「秘密情報でしょう。それをネタに相手を脅したり、情報をリークして社会的地位をおとしめたりしていたんですから」

「あら、熊野君にしては上出来ね」

「彼女ならITの知識もありますからね。て言うかプロです」

 小八木もフォローする。 

「他人のパソコンに侵入して情報を取得出来るZIGENは、あのサイトにとっては願ってもないスパイウェアよ」

「じゃあ、美緒がサイトの運営者で、全て彼女が仕組んだとでも言うのか?」

 安岡が猜疑的な表情で鈴と小八木に問うた。

「いえ、技術があっても、毒の入手ルートとか、ブラック社会との繋がりがないとあのサイトの運営は無理だと思います」

 小八木先に答える。

「私もそう思う。恐らく、元々『恨みますサイト』は存在していたのよ。初期のサイトは、投降者本人が持ち込んだ秘密情報をネタにしていた。それが、ある時からスパイウェアZIGENに感染させて関係者の秘密を集めるようになった。つまり、美緒さんが運営者にZIGENを提供する代わりに、今回の計画に協力させた。そう考えるのが自然だわ」

 鈴が興奮を抑えながら言った。

「しかし、お前の想像でしかないだろう。証拠はどこにもない」

 安岡は、冷静と言うより落胆の感がある。

「証拠何て要らないわ。だってもう美緒さんの裁判は結審してしまったんだから、今更どうにもできない」

 刑事たちは当然そのことを認識している。だから安岡にも落胆の色が出ているのだろう。仮に、美緒がスパイウェアを使い、サイト運営者を利用して計画遂行をしたことが証明できたとしても、起訴はできない。更に、もしも起訴できたとしても、犯罪への間接的な関りで、彼女にどれだけの刑罰を与えられるのかも不明だ。特に電子犯罪には法律が追い付いていない。

 料理も終盤となり、ご飯と香の物、吸い物が出て来た。二人の刑事は微妙な心境でご飯を口にしている。逮捕中に全ての事実を明らかにできなかったことが口惜しい。しかし、今更嘆いてみても仕方ないことだ。

 熊野が空気を変えるような明るい口調で鈴に向かって、

「もうひとり得した人を思いつきましたよ」

 と言って笑った。

「誰?」

「岩沢さんの元妻です。岩沢さんのサイドビジネス会社は元妻の名義ですから、口座に貯められた預金は実質的に彼女のものになりますからね」

 軽い口調だ。

「いくらあるかは知りませんけど、少なくとも二千万円はあるはずですからね」

 小八木も羨ましそうに口を出した。

「もっとも、二千万円は早速どこかの会社へ振り込まれていましたけどね、きっと何かの返済に充てたのでしょう」

 熊野がそう言った瞬間、

「それはいつのことよ!」

 と、鈴が再び興奮を高める。熊野は慌てて手帳を確認し、

「岩沢さんが殺害された日の17時頃です。その時間、岩沢さんは居酒屋にいた可能性が高いので、元妻がオンライン操作したと思われます」

 と、鈴の顔色を窺いながら報告した。

「バカね、岩沢さんのパソコン内の情報は全て美緒さんが把握しているのよ。銀行のIDやパスワードも知っていると考えるべきでしょう。どこの会社へ振り込んだのよ?もしも美緒さんが作った架空口座だったら、もう一度逮捕出来るわよ!」

 鈴の叫びに安岡も身を乗り出している。

「すみません、メモしていません。すぐに問い合わせますが、夜なので少し時間が掛かると思います」

 そう言って熊野は、携帯電話を取り出しながら廊下へ出て行った。


 四人は料理旅館からタクシーに乗って、北山にあるバー『やすらぎ』に到着した。タクシー代を払わない鈴が先頭を切って店に入る。

「こんばんは。珍しいお客さんを連れて来たわよ」

 鈴の後から安岡が入って来る。

「ああ、安岡さん。お久しぶりです」

 梅木が愛想良く挨拶をして、カウンター中央の席を勧めた。店はまだ空いている。熊野たちも席に着いた。

「いきなりで申し訳ないですけど、ご存知ですか?夢育英会が大変なことになっていること」

 梅木がおしぼりを配りながらひとりひとりの顔を見て確認して、最後に熊野を見つめた。

「い、いえ、何も」

「今日の午後、大阪地検特捜部が夢育英会へ査察に入ったんです」

「特捜が?」

 四人とも呆然として梅木を見つめる。料理旅館にいる間、事件話に没頭していたので誰も知らない。

「夢育英会本部は京都にあるのよ。大阪地検がわざわざやって来るのに、あんた知らなかったの?」

 鈴が熊野に冷たく迫る。

「僕は非番ですし、そもそも地検と警察は別組織ですから、僕たち現場にそんな情報は入って来ません」

 熊野はそう弁解してスマフォを確認する。だが、ニュースを確認する前にメールを開いている。料理旅館を出る前に問い合わせていた件、岩沢の口座から二千万円が振り込まれた口座名がわかったようだ。

「特捜は何の容疑で調べているんだ?」

 安岡が梅木に尋ねる。

「政治家への贈賄と脱税の疑いです。テレビのニュースではそれくらいの報道しかありません」

 すると、ネット情報を漁った小八木が付け加える。

「他には、外国人留学生にアルバイトの紹介と称して売春の斡旋をしたり、労働意欲のない浮浪者に生活保護などの社会保障制度を最大限利用させる援助をして手数料をピンハネしたり、寄付行為を利用した実質的なマネーロンダリングをしていた疑いなどがあるようです」

「犯罪の見本市だな」

「しかも、特捜が捜査に踏み切ったのは、ある興信所が夢育英会の内部告発と証拠を集めて特捜部に提出したからだそうです」

 と、小八木が付け加えた瞬間、

「興信所!」

 熊野が大きく叫んだ。

「大声出さないで、迷惑でしょう」

「鈴さん、岩沢さんの二千万円の振込先ですが、京都興行と言う会社で、業務内容はずばり興信所です!」

 熊野が控えめな声で興奮を発した。

「え!じゃあ、美緒さんが夢育英会の実態を暴かせたってこと?」

 鈴が一番大きな声で叫んだが、みんな言葉を失っている。梅木も突っ立ったままで仕事の手が止まっている。

「神野美緒、恐るべし……」

 ようやく零れ出た、鈴の溜息のような言葉が静かに響いた。梅木が無言のまま全員の前に水割りを置く。

「美緒さんは、偽善や欺瞞が本当に大嫌いなんですね。ここまでするとは大したものです」

 熊野は感動すら覚えているようだ。安岡は水割りをひと口飲んでから、

「奴らは、偽善とか欺瞞とか言う範疇を超えている。ほとんどの国民が真面目に働き、わずかな給料から税金を払い、この日本社会を支え合っているのに、その屋台骨に寄生し、要領良く振舞って利益を貪る。まるで白蟻だ」

 と言ってカラリと氷の音を響かせた。

「白蟻か……」

 鈴はふっと笑いを零してから、

「マスター、今日のおすすめは何?」

 と、いつもの愛らしい笑顔を浮かべる。

「セコガニが入ってるよ。松葉だ」

「じゃあ、それ頂戴!今日はサービスでなくて良いわよ」

 そう言って、安岡におねだりするような笑みを浮かべた。

「星里鈴、恐るべし……」

 安岡は口元を緩めて、グラスの氷を揺らした。

長時間お付き合いくださり、ありがとうございました!

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