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白蟻たちの巴  作者: 夢追人
11/12

巣食う蟻 二

今度は岐阜県警の星里鈴?朝枝香帆殺害の犯人を追い詰める。

「山中さん、ここまでは京都府警の星里鈴としてお手伝いしてきましたけど、ここからは岐阜県警の星里鈴としてもうひと仕事します」

 山中も谷崎も、動作を止めたままポカンと鈴を見つめている。おまえ警察官か?

「大和田教授、あなたを朝枝香帆さん殺人容疑でも逮捕します!」

「えっ!」

と驚いたのは大和田だけではなく、山中と谷崎も同様だ。すると安岡が上着の内ポケットから書類を取り出して、

「逮捕状は岐阜県警から出されています」

 と全員に告げた。

「山中さん、席に戻ってくださる?」

「一体どう言う事ですか?」

 谷崎は、山中が戻るのを待ち切れずに問い掛ける。鈴は、山中が席に戻るのを待ってから、手錠を掛けられたまま消沈してダラリと座っている大和田に向かって再び質問を始める。

「あなたがさっき言った、アリバイの偽装工作のために利用したインターネットサイトだけど、それは『恨みますサイト』で間違いないですね?いつぞやは、そんなサイトは知らないと惚けられましたけど」

「ああ、確かにそんな名前だった」

 気だるそうに大和田が答える。

「美緒さん、あなたもそのサイトの会員になっていましたね?」

 突然、話を振られて彼女は一瞬躊躇ったが、

「はい。だからあまりよろしくないバイトをしてしまいました」

 と、小さく咳払いをしてから久しぶりに言葉を発した。

「どうやって『恨みますサイト』を知ったのですか?」

「去年の年末に商品のモニター募集メールが来て、何気なく添付ファイルを開いたら、いきなり某大学教授の非道と言う題名の告発文やそれに対する書き込みが色々あり、何となく京明大学のことだと感じて、もしかしたら大和田教授のことを言っているのかと疑い始めました。それからは時々閲覧するようになりました」

 ここまでは、予め美緒に確認している情報だ。

「私たちは、『恨みますサイト』を中心に大和田さん、香帆さん、岩沢さん、美緒さんの四人が繫がっていたと考えています。勿論、皆さんから見えるのは『恨みますサイト』だけです。もっと言うと皆さんは利用されていたのだと思います」

「誰に?」

「サイトの運営者たちです。きっと色んな闇サイトを開設しては金を騙し取り、足がつきそうになったらすぐにサイトを閉じて他のサイトを立ち上げる。そんなプロ集団だと思います。警察が全力で追っていますが、逮捕まではもう少し時間が掛かります。もしかしたら、大和田さん、香帆さん、岩沢さんに関わりのある人物、又は組織の関わりも考えられます」

「夢育英会か?」

 谷崎が呟いた。

「さあ、まだ憶測に過ぎませんから……。とりあえずその黒幕を運営者と呼びましょう。その運営者が四人にZIGENを感染させたのだと思います。美緒さんと同様に、感染ファイルを添付したメールが送られて来た。それを開いて『恨みますサイト』の存在を知った。そうですよね?」

 鈴が大和田に確認すると、彼は渋々頷いた。

「小八木の解析によると、ZIGENはリモートコントロールでパソコンを自由に扱うことができます。パソコンのデータをこっそりコピーすることも可能です。そうやって教授の秘密を取得した運営者が投稿を作成する。勿論、本人や関係者にだけわかる程度の情報を出す。教授も自分の裏リベートや香帆さんとの関係を匂わす投稿があるのを見て驚いた。そして特別会員の制度を知り、自分を排そうとしている相手よりもたくさん金を積んで相手を倒そうと考えた。そうでしょう?」

 再び大和田に確認するが彼は答えようとしない。そこへ小八木が事務的な口調でダメ押しをする。

「他人の秘密を窃取して当事者にしかわからない状態で公開し、その当事者をサイトに誘導して特別会員にさせる。当事者同士を争わせてより高額な金を支払った方の味方をする。それが運営者の手口です。あなたはまんまとその手口に掛かってしまった。あなたのパソコンを調べればすぐにわかることです。お判りでしょう?」

  大和田は小八木の詰問に頷かざるを得ない。その様子を確認してから小八木は続ける。

「ここからはかなり想像が入ります。運営者はZIGENによって大和田教授と香帆さんの秘密情報を把握し、香帆さんと大和田さんから相当な金銭を手に入れた。勿論、香帆さんも藁人形を買ったはずです。彼女も致命的な秘密を握られていたでしょうから」

「香帆は、夢育英会や大和田との間で薄汚い関係を築いていたからな、叩けば埃も出るだろう」

 安岡が話し終えるとすぐに鈴が話し始める。

「運営者は、香帆さんに対しては『大和田教授が香帆さんの秘密を暴露しようとしている』と伝え、大和田教授に対しては『香帆さんは、大和田教授の秘密を知っている上に、教授との関係を断ち切って並岡さんと一緒になろうとしている』と伝える。そうやって二人を両天秤にかけた後、より多くの金銭を支払った教授に味方して、具体的な計画と支援を提供した。細かな点はともかく大筋はあっているでしょう、どう?」

 核心に迫って来たためか、大和田は答えない。

「構わず進めてくれ。正式な取調べで、ゆっくりと時間を掛けて確認するからな」

 谷崎が鈴を促す。

「運営者は、香帆さんに対して次のような大和田さん殺害計画を提示した。大和田教授の岡山出張を利用した温泉旅行に香帆さんが誘う。秘密旅行にするため香帆さんは歴史ツアーに参加し、途中でツアーを中断して岡山へ行く計画を話す。計画に乗った教授は自家用車で迎えに来る。岡山駅から奥津温泉まで1時間半ほど掛かるから、どこかで飲み物を買いそこに毒物を混ぜる。もしチャンスが無ければ次回に延期する。もしも殺害できたなら協力者に連絡を入れる。協力者は二人の車を尾行しているからすぐに到着して後の処理を行う。今となっては確かめようもないけど、ざっとこんな計画だったと思います。そして計画に必要なもの、例えば香帆さんの身代わりになる女性や、殺害のための毒物などを準備すると運営者が約束した」

 鈴がそこまで話すと小八木がすかさず、

「実際、香帆さんは僕たちが主催するツアーに参加して途中で入れ替わりましたが、全く気がつきませんでした。香帆さんはずっとサングラスを掛けていましたし、花粉症で体調も悪いと言って誰とも話をしていませんでしたから」

 と、事実を明かすと再び鈴が言葉を付加する。

「まあ、後で色々調べて見たら、バター犬じゃない、忠犬小八木の嗅覚と二枚の記念写真、安オヤジの地道な調査のお陰で、香帆さんは『奥の細道むすびの地記念館』で入れ替わったことはわかったけどね」

「大和田にはどんな計画を提示したのですか?」

 谷崎がチラリと大和田を見てから鈴に問うた。

「大和田教授には、香帆さんへ提示した計画を伝えた上で、彼女が勧める飲み物は口にしないように注意する。勿論、本物の毒ではないでしょうが、口にして死なないと香帆さんに逆襲を感づかれてしまいますから。香帆さんを車に乗せたら、どこか人目に付かない場所に車を止めて並岡さんのネクタイを使い絞殺する。後は、大和田教授の車を尾行してきた協力者に香帆さんのご遺体を引き渡し、協力者が並岡さんの部屋に運んで自殺の偽装工作を行う」

「大和田、どうなんだ?」

 谷崎が大和田に自白を迫った。

「フン、お前たちの憶測だけで殺人犯にされて堪るか。証拠を出せ」

 大和田が最後の抵抗を続けている。

「小うるさいオヤジね、もう立派に殺人犯よ。お聞きしますけど、あなたはどうして車を買い換えたの?まだ新しいのに」

「そんなこと私の勝手だろう。あの車に飽きたから買い換えただけだ」

「本当かしら、あの車の中で香帆さんを絞殺したからでしょう?髪の毛とか指紋とか……。あっそうか、普段から乗せているから出てきても怖くないわね。と言うことは、血痕とか、絞殺される時に彼女が暴れてダッシュボードがへこんでしまったとか」

 鈴が適当に憶測を並べてみるが大和田には効き目がなさそうだ。

「何とでも想像しろ。だがそんなものでは立件できない。ねえ刑事さん」

 大和田は歪んだ笑いを口元に漏らした。

「わかったわ。そんなにお望みなら証拠を出します。あなたも鑑識の指紋収集能力の高さはご存知でしょう?」

 大和田の表情が訝しげなものに変わる。

「車は捨てられたけどね、安オヤジ」

 鈴の指名で安岡が立ち上がり、一枚の大判の写真を全員に向けて見せた。

「これは香帆の遺品です。並岡の部屋に残されたバッグの中に入っていたものです」

「不思議なのよね、色んな物が入っていたけど、マスカットの絵柄が付いたポケットティッシュがひとつありました。よく街で配っている広告ティッシュです。きっと香帆さんは、花粉症でティッシュをたくさん使っていたのでしょう。ところで、マスカットと言えば何を連想しますか?」

 大和田は黙っている。

「熊野君」

「マスカットと言えば、山梨ですか?」

「バカじゃないの!話の流れでわかるでしょう!」

「あー、岡山ですね!」

「そう言うこと。私も最初は見逃していたけど、メール署名の動物キャラクターを見ているうちに、お猿さんや犬や鳥から何となく桃太郎を思い出したの。桃太郎と言えば桃、岡山、そしてマスカット。凄い閃きでしょ!それで安オヤジに調べてもらったの。私のこの鋭い……」

「調査結果をお願いします」

 鈴の自慢気な言葉を遮って、谷崎が安岡に言った。

「このポケットティッシュは、岡山市内の遊戯施設の広告ティッシュです」

 安岡の低い声が大和田には冷たく響いた。

「大和田教授、覚えているでしょ?きっとホテルを出て駐車場に向かう辺りで受け取ったのでは?そしてあなたは、それを車のダッシュボードの中にでも放り込んでおいた。このティッシュの袋には、大和田教授の指紋と香帆さんの指紋がべったり付いていました。ねえ、安オヤジ」

 安岡は大きく頷いて鑑定証の書類を掲げて見せる。

「これは全くの想像だけど、香帆さんは花粉症で鼻をかみたくて仕方なかった。でも、あなたの隣では遠慮していた。それであなたが飲み物を買いに行くとか、タバコを買いに行くとか、車を出たタイミングで鼻をかもうとしたのだと思います。でも自分の持っているティッシュは使い切っていた。それで車の中を探してみたら、マスカットのポケットティッシュがあったのでそれを使い、残りは自分のバッグに仕舞い込んだ。だからあなたは気づかなかった」

 鈴の言葉に大和田は表情を歪ませながら反論する。

「そんな物、私が以前にもらった物かも知れないじゃないか、岡山には何度も行っているんだ」

 すると安岡が間髪入れず、

「残念ながら大和田さん、このティッシュは4月23日から配り始めた物なんです。新しい店のオープン記念です。それ以前に配られる訳がありません。つまり、4月23日にあなたと香帆さんが岡山で一緒にいたと言う動かぬ証拠です」

 と、気合が籠った太い声を響かせる。と、すかさず鈴が凛とした声で、

「もう諦めて正直に話しなさい!あなたは運営者が準備したネクタイを使って香帆さんを絞殺した。そして協力者に連絡してご遺体を渡した。そうでしょう!」

 と、大和田に止めを刺した。著名教授の威厳も威容も大和田からは消え去っている。今は、贅沢をして無駄な贅肉を蓄えただけの中年男に過ぎない。彼はもう観念した様子でゆっくりと首を縦に振った。

「ご遺体を運んだ協力者は誰だ?」

 刑事たちの態度は完全に犯罪者に対するものに変わっている。

「協力者の顔は見ていない。ひとりだった。目出し帽を被って作業着姿だったから顔は見えなかった。体格的に男だと思った」

「場所はどこだ?」

 今度は谷崎が厳しい声で確認する。

「奥津湖の駐車場だ。車の中から景色を眺めている時にタイミングを見計らって実行した」

「やはり男性の協力者がいたのね、ご遺体を運ぶには男性の力が欲しいからね。でも、その男性だけでは自殺に見せる偽装工作はできません。部屋のつくりを知らないから、例え具体的な指示があったとしても手間取ってしまう。それに、そもそも部屋に入れない」

 鈴はひと呼吸置いてから声を大きくする。

「この事件にはもうひとり協力者がいます。しかも部屋の合鍵を持っていて部屋の中を知っている女性。そうでしょう?美緒さん」

 突然名前を出された美緒がギクリとして鈴の方を見つめてから、

「どうして私がそんな手伝いをする必要があるのですか?」

と、いかにも意外そうな表情を浮かべた。

「話は少し戻りますけど、あなたは岩沢さんに脅迫されていましたね?ここでは理由は言いませんが、病院で裏を取ってあります。あなたは単にアルバイトをしただけだと仰っていますけど、岩沢さんが亡くなることは、あなたの利益にもなります」

 美緒は、敢えて反論せずに押し黙っている。鈴がどこまで知っているのかを見極めるように。

「同様に、あなたは香帆さんの殺害にも関わった。単なるアルバイトではなくて、香帆さんが亡くなることであなたも利益を得た。もしかして、あなたも香帆さんに秘密を握られていたのではないですか?それとも、並岡さんを横取りされた恨みですか?」

 美緒の表情が冷たく光って、鈴を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべている。

「どうやら認めないようですね。まあ、良いです。安オヤジ、岐阜で入れ替わった女性の話をして差し上げて」

 予定どおりの展開に戻ったので、安岡は落ち着いて説明を始める。

「『奥の細道むすびの地記念館』で入れ替わった女性は、水門川近くの喫茶店に入って時間をつぶしていた。他のツアー客との接触を避けるためだろう。その女性はキリマンジャロはあるかと聞いた。そして30分ほど雑誌を読みながらコーヒを飲んで出て行った。その間、誰とも口を利いていない」

 安岡がそこまで話すとしばらく沈黙が続いた。美緒は平静な面持ちですっと安岡を見つめている。すると鈴が沈黙を破り、

「香帆さんはコーヒを飲めない体質だったのよ。ご存じなかった?高校時代からのお知り合いなのに」

 と、自然な口調で美緒を釣ろうとした。しかし、彼女は涼やかな視線を鈴に移し、

「どうして私にそんなことを聞くの?」

 と、さらりと言ってのけた。鈴はじっと美緒の瞳を見つめる。だが、動揺はない。

「折角だからお答えしますけど、香帆さんとは高校と大学が同じだったと言うだけで友人ではありません。好みなど知るはずもありません」

 美緒は平然と答えた。その様子を刑事たちは興味深げに観察している。

「もしかして、その喫茶店の女性が私だとでも言うの?」

 美緒が不快な口調で付け加える。だが、鈴は構わずに明るく尋ねる。

「因みに、その店ではキリマンジャロが五百円もすると言って安オヤジは驚いていましたけど、美緒さんは高いと思いますか?」

「普通でしょう」

 鈴の意図を測りながら美緒は慎重に答える。

「ですよね。安オヤジ、美緒さんと最初に会った時のことを話してくださる?」

 一瞬、安岡の面が歪む。打ち合わせにない展開だ。

「そうだな、神野美緒さんと初めて会った時、俺たちはファミレスで待ち合わせた。そこで彼女はコーヒを……」

 と、そこまで言いかけた安岡の目が丸くなる。

「もしかして、キリマンジャロを頼んだのでは?」

 鈴が涼しい瞳で安岡を見つめる。

「そうだ!」

 安岡は興奮気味に美緒を見つめる。

「ちょっと待ってください。キリマンジャロを頼んだだけで共犯扱いですか?」

「ですよね。はやり過ぎよ、安オヤジ。落ち着いて」

 鈴の言葉に安岡は目を丸くしている。

「それに、刑事さんたちにも申し上げたとおり、あの日は一日自宅にいました。岐阜になんて行っていません。宅配業者にも確認をとってくださったのでしょう?」 

 美緒が強い口調で弁明した。

「何時だっけ?」

 鈴が安岡に尋ねる。

「午前11時半頃だ」

「確かに、宅配荷物を受け取ったと言えば、一日中自宅にいたと言うあなたの証言の信頼度は上がります。しかし、仮に正午12時にあなたが自宅を出たとしたら、『奥の細道むすびの地記念館』に15時に到着することはできます。小八木が確かめました」

「余裕で到着します」

 美緒の瞳が曇る。そこへ鈴がすかさず言葉を差す。

「では、安オヤジ、喫茶店でのハプニングを教えてあげて」

 一瞬、安岡は困惑したが、少し記憶を辿るような目をしてから答える。

「確かその女性は、席を立つ前にサングラスをしたためか、薄暗い店内で何かにつまずいて倒れ掛けたようです。その時に飾り棚のガラス戸に手を着いたとか」

「御手つきしちゃったんでしょう?美緒さん」

 鈴はじっと美緒の目を見つめる。

「今、岐阜県警の鑑識さんが、お店のガラス戸から採取した指紋を調べているそうですね?安オヤジ」

「鑑識も忙しいので順番待ちになっていますが、本日中には完了するでしょう」

 美緒はしばらく俯いていたが、小さな吐息を吐いて主張を変える。

「仕方ないわね。岐阜へ行って身代わりになったことは認めます。これも単なるアルバイトですよ。でもご遺体の偽装工作には関わっていません」

 美緒の言葉には落ち着きがあって、嘘を吐いているようには思えない。刑事たちも彼女の表情をじっと窺っている。 

「私が初めて香帆さんのご遺体写真を見た時に違和感を覚えました。服装が整い過ぎていたから。その点は安オヤジたちも気づいていた。でも私は、あの服装の整え方は女性が整えたものだと感じたの。自殺偽装だから、姿勢も衣服も多少は乱れていたけど、全体のバランスが取れていて、とても武骨な男の仕業ではないと確信した」

 鈴もじっと美緒を見つめて話している。

「だから?」

「並岡さんの部屋で偽装工作するには、どうしても合鍵がもうひとつ必要です。ピッキングでこじ開けた跡もなく、香帆さんのバッグに鍵が入っている状態では、もうひとつ鍵があるとしか考えられない」

 一瞬の間に全員の息が止まった。

「どう考えても、並岡さんに内緒で合鍵を作れる人は彼の恋人しかいない。でも香帆さんが合鍵を作る理由もない。となると、もうひとりの彼女、そう、元カノのあなたしか合鍵を作れる人はいない。逃げる時に部屋の鍵を開けておけば良かったのにね」

 鈴の言うとおり、開けておけば外部犯の可能性もあり、捜査はもっと困難になっていたと安岡は思い返した。

「あなたがどう考えようと勝手ですけど、私が合鍵を作ったと言うことを証明できない限りただの推論でしかないわ」

 美緒の顔つきが厳しくなっている。

「それに、並岡さんのクローゼットにあるネクタイを持ち出せるのも、香帆さんとあなたしかいない」

 鈴がさらに推論を重ねる。

「だから、それを証明してください」

「そう仰ると思って、安オヤジに調べてもらいました。そうしたら、犯行に使われたネクタイからあなたの指紋が出てきました。慎重に調べてもらったので間違いありません。因みに大和田教授の指紋は出てこなかった。手袋をはめていたんでしょうね」

 鈴が美緒に挑むような表情で言い放った。

「それが証明?」

 美緒は勝ち誇ったような面持ちに変わる。

「はい、完璧な証拠です」

「あのネクタイから指紋が出たって不思議じゃないわ。だって、私が並岡さんにプレゼントしたものだから……」

 美緒が鈴を冷たい視線で捉えている。

「そうなんです。それが、私の抱いたもうひとつの疑問に対する答えだったの」

「は?」

 美緒はポカンと口を半開きにした。急に何を言い出すのか。刑事たちも言葉が出ない。安岡は、鈴の変化球には慣れてきた。しかし誰も言葉を発しないので、鈴は熊野を目で脅した。

「ど、どんな疑問ですか?」

 熊野が鈴の視線に応える。

「並岡さんはたくさんネクタイを持っているのに、犯人はなぜあの濃紺ネクタイを選んだのか?それがずっと疑問でした。そうなんですよ。あなたは濃紺のネクタイをプレゼントした。ブランドものの良いネクタイですね。だからあなたはあのネクタイを選んだ。プレゼントしたものだからあなたの指紋があっても不思議じゃない。そう思ってあなたも素手で触ってしまった」

 鈴の言葉に美緒は漠とした不安を覚え始めている。

「持ち出したのはいつですか?あなたが最後に並岡さんの部屋を訪れた日ですか?」

 だが、美緒は沈黙を守っている。

「あなたは香帆さんの性格をご存知ないと思いますけど、香帆さんが知ってしまったんですよ、あなたがプレゼントしたネクタイを並岡さんがとても気に入っていると言うことを。それで香帆さんは、去年のクリスマスプレゼントに同じブランドの同じ濃紺ネクタイを並岡さんにプレゼントした」

 鈴はそこまで話すとゆっくりと呼吸をしながら美緒の様子を窺った。美穂の顔面はみるみる蒼白に変わっていく。自分の失敗に気が付いたようだ。

「しかも、香帆さんはあなたがプレゼントしたネクタイを捨ててしまったの。酷い人ですね、だから、香帆さんがプレゼントしたネクタイにあなたの指紋が付いている理由はただひとつです」

 鈴の言葉が教室内に響くと、美緒は肩を落としてそのまま小さくなっていった。鈴は優しい声色に変えて、

「美緒さん教えてください。岩沢さんの殺害を手伝った理由は分かります。脅迫者を消すため。だけど香帆さんの殺害に協力した理由は何ですか?やはり弱みを握られていたんですか?」

 と、尋ねた。

 美緒はじっと手元を見つめていたが、やがてクスクスと不気味な笑いを零し始めた。誰もが、黙ったまま彼女の行動を注視している。気でも触れてしまったかのようだ。やがて笑いを止めた彼女は、

「あの女らしいわね」

 と、呟いてから覚悟を決めた眼光で鈴を見つめた。

「香帆の性格も、どんなに卑しい人間なのかも、私は良く知っているわ」

「すべて話してください」

 鈴もじっと美緒を見つめる。

「欺瞞と偽善の塊みたいな女なの、朝枝香帆という人間は。表面が良く、友人やクラスのため、世のため他人のために尽くしたいと公言しながら、実際には我が身のために周囲の人間を陥れて、利用して、殺人まで犯すような人間なのよ」

「それはまた、ひどい人ね」

 殺人と言う言葉に美緒の被害妄想的な妄信を感じたが、敢えて口を挟まなかった。一瞬、不気味な沈黙を置いてから美緒がゆっくりと過去を語り始めた。

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