007 神父の話と他人の妹
そんなわけで、シルスと向かったのは村の一角の建物前。
黒薬を水で溶かして塗ったお陰か自らで歩くことも可能になっていた。
ほんと、プウ様様である。
だからここまでは、自分の足で歩いてきた。片腕は相変わらず動かないが。
見た感じ、他の建物と大差ない。
しいていえば扉の上に据えられた看板が、他よりも装飾に凝っているくらいか。
文字が読めないので確かなことは言えないが。
視線を上げると、トンガリ屋根の天辺に翼を持った人の像が据えられていた。
宗教関係施設だと思われる。
色々知ってそうな村長に会いに行くのもありだったのだが、シルスは嫌がった。
タハディから、1村長、2駐在、3宿。
その三つの与えられた選択肢で宿を択んだ手前、他のに行くのはダメらしい。
もっと柔軟に考えても良いだろうに。
まあ機嫌悪くなられても良くないし、彼女に従うことにした。
そして向かった先がこの建物というわけだ。
「教会か何かか?」
「そうよ! 神父さんは、物知りだわ」
宗教関係者はまあ、一般人に比べれば知識人が多いよな。
ノックをすると、ずいぶんやつれた様子の中年神父が出てきた。
「どなたですか。今はまだ、配給の時間では……ユージア君、ですか?」
「はい。シルスさんのお陰で、このとおり村へ戻ってくることが出来ました」
驚いた様子の神父に、俺はそう答え、
「でも、記憶があやふやになってしまって……。
色々と話を聞いているうちに思い出してきてはいるのですが」
「……なるほど。それで、私のところへ来たのですか。
良いでしょう。こちらへいらっしゃい」
神父は中から出てくると、俺たちを連れ建物の裏手へ。
小さな小屋があった。
神父は鍵を開け中へと俺達を招く。
三人も入ると狭く感じるほどの小屋だが、小型の祭壇が設けられている。
個人懺悔用の小部屋といった感じだ。
本当に無事でよかった、という前置きをして神父が尋ねてくる。
「それで、聞きたいことというのは?」
「私の記憶を思い出すというのもあるのですが……
シルスさんが、調査に当たり村周辺の風土や歴史を知っておきたいとのことで」
神父はやつれた顔に笑みを浮かべ、シルスと俺を交互に見た。
「そうですか。では、この村の建設理由からになりますか。
ユージア君も、何度もここで聞いている御話の内容を含んでいますしね。
確かに、記憶を思い出す手助けになるかもしれません」
「よろしくお願いします」
神父が語ったことをまとめるとこうなる。
村の名はパマイ。
この村は、黒森の監視と抑制を目的とした村だ。
影地にある黒森は魔素が濃く、危険な獣が生息する。
その脅威の抑制と監視が主な目的である。
また、収入源は森の魔素生物素材だ。
その起源は、過去にあった戦に由来する。
影地に住んでいた闇森人と、日射森に住む光森人との争いだ。
闇森人は今はいない。
影地の魔素生物を巧みに操り、死者すら使役したという邪悪な闇森人。
彼らは大昔に日射森の光森人に打ち倒され、全滅したからだ。
その復活を監視する目的で建てられたというのが、村の歴史的な起源であるという。
へー、邪悪な闇森人か。
それを監視する目的で建てられた村だと。
なるほど、なるほど。
シルスが真剣な顔でこちらを見ている。
うん。
気持ち分かるよ。
シルスってば、正義感強そうだし。
邪悪な闇森人なんて聞いたら、いても立ってもいられないよね。
「ねえ、ユージア」
「シルス。神父さんから話を聞くのが先決だよ。
タハディに相談するんでしょ?」
「……そうね。わかったわ」
俺とシルスの会話が終わるのを待ち、神父は続ける。
「ここ最近黒森の動物達が急に騒がしくなっていたので、城へ嘆願状も出してはいたのですが……」
目を伏せて苦い顔をする神父。
「残念ながら間に合わず起きてしまったのが、先日の獣襲撃です。
ユージア君……君はまだ宙光へ招かれなかった。
きっと何か大切な運命を持っているということなのでしょう。
これからの生活は大変ではありますが、私も出来る支援はさせてもらいますよ」
言って、神父は俺の頭にそっと手をのせた。
「ご両親のことは……とても残念です。
リナーシタさんですが、もうお会いには?」
「……え?」
その名を聞いて、頭に激しい痛みが走る。
そうだ、両親。
この体の持ち主が村出身であるならば、その家族がいることも当たり前だ。
そしてリナーシタ。
その名を聞いて、心臓が強く脈打っているのが分かる。
「妹、は……無事なんですか?」
「ええ。生きていますよ。そうですか。
まだ……お会いにはなっていませんでしたか」
神父の顔に少し影が差したのを感じる。
何か思うところがあったのだろうか。
それにしても、妹か。
流れ込んできた記憶を見るに、幼稚園児と言ったくらいの歳だ。
しかも話から察するに、両親は死んでいる。
村の誰か、または親戚といった者達が世話をしているのか。
歳からして、会わないで数年もすれば俺のことなど綺麗さっぱり忘れるだろう。
そうだ。
このまま会わないほうがいい。
姉達のことでも手一杯なのに、見知らぬ妹まで面倒を見る余裕はないのだ。
そこで、シルスがこちらを気遣うような視線を向けているのに気がつく。
「大丈夫だよ。記憶が曖昧だったからか、あまり悲しさも無いんだ」
「……そう」
神父は俺の体を抱き寄せ、優しく抱擁した。
さすが宗教関係者。間の取り方が絶妙だ。
「大丈夫です。もう、これ以上被害は出ません。
村を心配した偉い人たちが、お城からたくさんの騎士様達を送ってくれています」
「……その騎士様たちは、お強いのですか?」
「それはもう! しかも、今回は数隊規模で来て下さるそうですよ」
数隊規模の、騎士様ねぇ。
やっぱり甲冑とか着込んでるのかな。
タハディの格好を思い出すに、ありえなくはない。
しかし……この家屋が三十程度しかない小村に、結構な規模。
大げさすぎないか?
いや、森の獣の掃討でも行うのだろうか。
神父へと礼を言って、建物を後にする。
開口一番、シルスが言う。
「ユージア。妹さんに、会いに行くんでしょ?」
普通なら、そうするのだろう。
だが俺はそれよりも、もっと込み入った問題があった。
城から派遣されるという、大規模な兵集団。
神父に軽く探りを入れてみたが、今までの派兵とは規模が違うとのことだ。
黒大樹は四方の白い木で封印されている。
それはつまり、封印者がその存在を知っているということだ。
大規模派兵である以上、黒大樹の調査を行うのは自然だ。
プウに達にそれを知らせないと、鉢合わせしてしまう可能性もある。
調査の精度によっては、黒大樹の中の導きの間も見つかってしまうだろう。
どうする?
シルスは獣避けと黒薬をタハディと手分けして持ってきたと言っていた。
獣避けを上手く取り戻して、プウ達のところへ行くしかない。
出来れば、魔素石をたくさん持って行くのが好ましい。
兵達がいつ来るかは、分からない。
タハディとシルスが被害報告調査で来たのが昨日。
大規模なら、多少遅れるだろうがそこまで差は無いだろう。
二人の調査を聞いてから動くという感じなら、神父はあんな言い方はしない。
派兵決定がなされて、その情報が村の神父へ伝わっているのだ。
大小差はあれ猶予が無いのは想像に難くない。
「なあシルス。二人で森へ行って調査してみないか?」
「え?」
言うと、シルスが眉間にしわを寄せる。
さすがに森へ行くと言うのはまずかったか。
でも、時間がない。
何とかして魔素材を集めないとならない。
「ほら。もし出来るなら、ちんちくりんの欲しがっていた魔素石を集めてさ。
二人で取引して先に問題を解決しちゃうとかどうだ?」
「何を言ってるの? 妹さんのところに行くんでしょ!?」
ああ……。
妹のことか。
「ユージア! あんた、変よ!
妹さんが心配じゃないの!? 唯一の家族じゃないの!?」
そうだろうとも。
そもそも俺はユージアじゃない。
そんな大して知りもしない妹のことなんてどうでもいい。
テレビで見る不幸な方々と変わりない。
特に何も無い状態なら、体を貰い受けた恩もあって何かしたかもしれない。
でも今は、そんな時ではないのだ。
くそ。
こんなときにこそ、ピィがいれば。
あいつどこに行ってやがるんだ!?
「早く、妹さんのところ行くわよ!」
「……ああ。わかってるよ」
シルスに連れられ、村を進む。
歩いている最中もどうやって情報をプウ達へ伝えるか考える。
そんな俺へ、シルスは何とも言いがたい複雑な視線を向けてくる。
「あなた、妹さんと仲が悪いの?」
「さぁ。悪くは無いんじゃないかな。あまりよく覚えてないから」
シルスの冷たかった目に、少し憐憫の色が浮かんだ。
「まあいいわ。あんたがどう思っていても、妹さんには優しくしてあげなさいよ」
「俺だって、無碍には扱わないよ」
さすがに意味も無く子供にきつく当たるなんて事はしない。
これでも、エンターテイメントに携わる人間だったのだ。
子供が笑っていれば、無意味に一緒に笑ってしまうくらいには子供好きである。
だからこそ、顔を合わせたくないというのもある。
両親が死んで俺と妹だけ。
そうなると、妹には本当に肉親がこの体の兄だけということになる。
どう対応したらいいかわからない。
「ここね」
神父に教えられた建物の前についた。
ここに妹がいるらしい。
シルスに視線で促され、ノックをする。
戸の向こうから少年の声で返事があった。
「親父か?」
「いや、妹のリナーシタがいるって聞いて来たんだ」
すぐに戸が開くものだと思ったのだが、反応が無い。
間違えたか?
「すみません。妹、いませんか?」
しばらく待って、シルスと顔を見合わせていると扉が開いた。
「入れよ……」
顔を見せた少年には見覚えがあった。
門で見張りをしていたクライヴと、一緒に想起された少年だ。
顔を直接見たからか、他にも色々とイメージが流れ込んでくる。
少年の名はパルペン。
どうやらこの少年は、生前のユージアをよくいじめていたようだ。
身長が高く高校生くらいに見えなくも無いが、顔はどこか幼い。
きっと、年齢はそう変わらないのだろう。
家へと入ると、そのままパルペンは部屋のさらに奥の戸へと向かう。
俺とシルスもそれに続く。奥の部屋では、白い少女がベッドで寝ていた。
「……」
この子が、リナーシタか?
少女は苦しそうな寝息を立てている。
白く見えたそれは、よく見ると茶や赤を含んだ白であると分かる。
つまるところ、全身包帯巻き。
所々が血などの汚れでまだらになっているのだ。
獣に襲われて、一体何がどうなったらこんな状態になるんだ?
あまりの痛ましさに、自分で顔がゆがむのが分かる。
「何でこんなことになってるんだ!?」
誰に向けた訳でもない。
思わず大声が出た。
ちょっと自分でも信じられないくらいの大声だ。
「おい、パルペン!? 獣に襲われたのに、なんでこんな!?」
「ユージア、落ち着けよ」
頭が熱い。
「てめぇ、こんな妹を見て、落ちついていられるかよ!?」
何で見も知らない妹にこんなに熱くなっているのか分からない。
でも、怒鳴らずにはいられないのだ。
心のどこかが激しく燃え上がっているのが分かる。
生前のユージアの感情だろうか?
「獣の吐しゃ液に決まってるだろ。
お前だって前に村守に教えてもらったじゃないか」
獣の吐しゃ液。
その単語を聞いて紐解ける記憶。
そう、森にいる獣の中には口から液を飛ばし、激しい炎症を起こさせるものがいた。
リナーシタはそれを浴びてしまったのだ。
「くそ! シルス、黒薬だ!」
「わかった!」
「それに、なんだって木の掘っ立て小屋なんかに!?」
こんな、衛生管理もまともじゃ無さそうな場所だ。
二次感染に繋がっても不思議じゃない。
「こんな汚い場所、どんな感染症に罹るかわかったもんじゃないだろ!?
なんで病院にいねぇんだよ!?」
シルスから黒薬を受け取る。
リナーシタの近くの木机に置かれた挿し瓶を手に取ったところで、
「馬鹿もんが!!」
怒声が耳を打った。
声の方を見るとそこには大男タハディの姿。
クソ爺が! 今頃のこのこ何しにきやがった!?
この状態の妹がいるってこと知ってたんじゃないのかよ。
なんで黒薬を知ったとき、真っ先に駆けつけなかったんだ!?
「なんだオッサン。何か文句でもあんのか!?」
「大ありじゃ、この大馬鹿者が」
タハディは俺へ歩み寄ると、黒薬を俺から取り上げた。
あまりの速さにいつ奪い取られたか分からなかった。
「返せよ! なに邪魔してくれてるんだ!? 妹に薬使うんだよ!」
「お前さんがこの薬を使ったら、妹さんは死ぬぞ」
は!? 何言ってんだ!?
「逆だろうが! 死んだらお前のせいじゃねぇのかよ!!」
「その薬は、周囲の魔素を吸収して傷口の治癒力を活性化させる。
確かに治癒効果はある。しかし、ここは影地とは違うのじゃ」
何がちがうってんだよ!?
「こんな魔素の薄い場で使用したら、妹さんの魔素経絡に干渉し死を招く。
今さっき調べてきたんじゃから、間違いは無い」
死ぬ?
くそ。じゃあ、どうするんだよ!
このまま妹、死なせるのか!?
「だから、吾輩がおる。任せておけ」
タハディは黒薬を挿し瓶に入れると、手でフタをして振る。
そして、服を脱ぎ始めた。
何をし始めてんだ、このオッサンは。
「おいおいおいおい、頭でも逝っちまったか?!」
「おい、シルス。このうるさいだけの坊主を外へ連れて行け。
そっちの坊主は手伝え。リナーシタの包帯を取るんじゃ」
シルスが険しい顔で近づいてくる。
「はぁ!? 何考えてるんだ!? お前ら揃いも揃って」
「ユージア、タハディに任せて」
「何だシルス、行くわけねえだろ。邪魔――」
一瞬見えたシルスの拳。
次の瞬間、俺の意識は闇へと落ちた。