005 大男と少女(後書きにイメージあり)
ジェットコースターの落下感にも似た、腹の中の浮くような感覚で目覚める。
「落ちる!」
「うるさい! 静かにしてなさいよ!」
俺の叫びに答えたのは、目の前からの少女の声。
金色の髪が風になびき周囲の景色も上へと流れる。
「やっぱ落ちてる!」
「だから、うるさいって言ってるでしょ!? 耳元で騒ぐな!」
俺の上体がぐらりと揺れ、振り落とされそうになる。
思わず目の前へとしがみつく。
「それでいいわ。起きたなら、そのまま静かにして、しっかりつかまってるのよ」
穏やかに返答した少女の声音に、心も落ち着いてくる。
周囲へ視線を走らせると、状況が飲み込めた。
俺は、金髪の結い上げ少女に背負われて、崖を下っている最中だった。
後ろの崖上を向くと、少女の握るロープの先を握る大男。
片腕でロープを悠々支え、笑顔でこちらへ手を振った。
「おお、少年。気が付いたな!」
俺は大男へ視線で答え、少女へ向く。
「村へ、運んでくれてるのか?」
「そうよ」
ロープを使い軽快に崖を下りながら、少女が短く答える。
「あ、あのさ」
「黙っててくれない?」
礼を言おうとしたら、冷たく遮られた。
俺はそのまま言葉を失い、崖降りを見守る。
しばらくすると、少女が崖を下りきった。
改めて礼を言おうと口を開くが、
「何度も同じこと言わせないでくれない!?」
先ほどより強い剣幕で怒られてしまう。
あ、もしかしてしがみついてる所が、いかんともし難い場所だった?
力入れてて硬いのか柔らかいのか分からないが、胸だったりした?
そう思って腕を緩めようとすると、
「私は、しっかりつかまってろって言った!!」
さらに怒鳴られる。
なにこの子怖い。
箸が転がるだけで癇癪起こすお年頃?
世話になってるのに、これ以上気分を害されてもあれなので黙る。
もー何聞かれてもしゃべってあげないんだから! しーらない!
心の中で姉を真似て、そう毒づく。
俺の座右の銘に一期一会があるが、こうも拒絶されてしまってはどうしようもない。
そういえば、姉で思い出したがピィはどうしたんだろう。
周囲へ視線を巡らせると、上から大男が降ってくる。
盛大に土砂を足裏で吹き飛ばしながら、目の前で止まった。
「少年! さっそくシルスと仲良くしているようじゃな!
子供はそうでなくては。はっはっは! 仲良し一番!」
見てなかったが、どんな勢いで崖下ってきたんだこのオッサン。
腰へ丸まって結われたロープを見るに、それを使ってもいない。
俺達が下りてから、時間もそんなに経ってはいないはずだ。
少し見てなかったのを後悔する。
「助けてもらってありがとうございます」
「気にするな、少年よ! 助かって良かった。
それに礼なら、見つけてくれたシルスに言うのだな」
言おうとしたんですがね。
と言うのは、心の中にしまっておく。
少女の機嫌がさらに悪くなっても良いことはない。
「ふむ。内気な少年だな。まあ良い。それでは、行くぞ。シルス」
「はい」
言って走り出した大男と、それに続く少女。
早い。早い。
川辺の大岩の上を軽々跳躍していく。
少女の息遣いが、少し色っぽい。
というか、待て待て。
普通こういうのは、大男が俺を背負うものなんじゃないのか。
少女が不機嫌なのも俺を背負わされてるからじゃないの。
何か言おうにも、少女には黙れと言われてるし、大男は結構前を進んでいる。
叫べば聞こえるだろうが、少女が荒れ狂うだろう。
どうせなら、大男より少女に背負って貰いたいという思いもある。
そりゃーときめきますよ。
しかし、この娘は中学、高校生くらいだろうか。
体格は俺とあまり変わらない。
そんな少女に怪我人運ばせるってどうなのよ?
しかし、すげぇバネだな。
確かにこの動きをするには、俺がしっかりしがみ付いている必要があるだろう。
こっちに衝撃がほとんど来てないのもまたすごい。
しがみ付く力がそこまで強くなくても、振り回されたりしてない。
相当細やかで、洗練された体捌きである。
某シェア№1配達バイクで運ばれる蕎麦の気分を味わう。
しばらく走ったところで前の大男が後ろを振り返った。
「シルス。吾輩はもうしばらく調査を続ける。先に戻っててくれ」
「この子はどうするの?」
少女の問いに、大男は暫し考えて答えた。
「その少年は村の駐在か村長、吾輩らの宿、いずれかに連れて行くと良いじゃろう。判断は任せる」
「わかったわ」
言って、大男は森の中へと入っていく。
まじかー。この癇癪少女と二人きりとか。
あのオッサンの方が、何倍も話しやすそうなんだが。
助けてもらっておいて、そんな贅沢も言っていられないか。
嫌われてるみたいだが、恩人だ。
礼を尽くさねばな、人として。
大体子供に腹を立てるとか、社会人としてどうなのよという感じだ。
少女の足が、大男と走っていたときより遅くなった。
相方がいないから、サボってるのか?
なんとなくだが、そんな性格でも無い気がする。
少し身を乗り出して、少女の横顔を伺う。
「何よ。重心がずれるから、変に動かないでよ」
「スンマセン」
少女が汗をかいてきている。
それに、黒大樹の森より気温も高い気がする。
周りを見て、それもそうかと納得する。
明るいのだ。
空を見ると、見慣れた曇り空ではなく……いや、相変わらず曇り空だった。
ただ、雲を透かす光は森の時より随分と明るい。
きっと、あの空の天井の下から出たのだろう。
雲間が見えないかと空を見ていると、視界が開けた。
見ると、眼下2、300mほど先に家々が見えた。
あれが村か。
5mほどの土塀の上に、5m木製の柵が据えられた、しっかりした外壁だ。
村の中央を川が横断している。
俺のこの体は、あの川を流れてきたのだろう。
人口は少なそうだが、堅固な拠点といった感じだ。
家々はどれも木製で出来ているようだ。
姉と親父と行ったキャンプ場のコテージエリアに似ているな。
しかし、明るいというのに人通りがない。
入り口と思しきところの高見やぐらに、一人姿があるくらいだ。
そこで、思いがけないものを発見する。
「お、おい! 獣が村の中にいるぞ!!」
思わず叫ぶ。
村の入り口と思われる場所に、薄緑色の犬のような獣の姿がある。
大分大きい。しかも、村の内側だ。
「だから、耳元でうるさくしないでって言ってるでしょ!」
「それどころじゃないだろ! ちんたらしてたら、村の人が!」
「あの子は、私の家族よ! 次うるさくしたら、叩き落すからね!?」
え。家族?
なんだよ。なら問題ないな。
どうやらこの少女もペット好きのようだ。
家族と咄嗟に呼んじゃう辺り、相当な動物好きである。
なんか親しみがわくなぁ。
「そうか。早とちりした。うるさくして悪かった」
少女が、今まで一度も向けなかった顔を向けてくる。
少々困惑の混じった表情だ。
「……それだけ?」
ん。まだ謝罪が足りないか。
「いや、だからうるさくしたのは悪かったって」
「……」
「こんなズタボロ少年にこれ以上何を求めるのさ。いや、感謝はしてますが」
「……変なヤツね」
まあ、変なヤツなのは認めますよ。
この場所のこと疎いしね。そりゃ奇行も目立つでしょうさ。
「ちょっと、ここでお話しましょ」
「え、何で急に」
少女は俺を近くの岩へと下ろす。
そして、向かい側に腕を組んで、座る俺を見下ろしてくる。
立ち姿を見て気がついたが、この少女はあまり大きくない。
俺より少しだけ背が高いくらいか。思ってたより幼いかもしれない。
胸が堅かったのは、どうやら堅い皮製の防具を着込んでいるからのようだ。
そして、汗ばんだズボンが張り付いて見えるシルエット。
太ももが良い具合に鍛えられている。
うーん。健康的でとても宜しいね!
それに対し、俺の身体のなんと貧弱なことか。
あまり卑屈になるのは元身体の持ち主に悪いか……。
「タハディが、あんたをどこに連れて行くか、私に決めろって言ったわ」
タハディってのは、あのハゲ大男のことだよな。
確か、村の村長、駐在、彼らの宿のいずれかに連れて行けと言ってたっけ。
「ああ。言ってたな。それで、俺をどこに連れて行ってくれるんだい?」
「それを決めるために、色々聞くのよ。あんたのことを教えなさい」
なるほどね。
ずいぶんな真面目ちゃんだな。
「そうだな。まずは自己紹介から。俺の名は……」
いや、まて。
ここで名前を名乗っていいのか?
良い訳が無い。
元々この村の少年だったと思われる体を使わせてもらってるのが俺だ。
別名なんて名乗ったら、色々と良くない展開になるのは目に見えている。
「……なんだったかな。名前が思い出せない」
訝しげな視線を向けてくる少女。
「そう。じゃあ次ね。あんた、一体なんであんな所にいたの?」
「いたも何も、瀕死で倒れてただろ?」
少女は少し困った様子で考え込む。
「そうね。えーと……そこじゃないのよ。
あんた、何日も前の襲撃で、川に落ちた子でしょ?」
そうなのか。
まあ、あんな大怪我で川流れてきた死体だ。
何かあったとは思っていたが襲撃か。
もしかして、村の人が全然いないのも襲撃の結果か?
というか、そんな大事なことピィ何も言ってなかったぞ。
「いや、わからない。俺、川に落ちたの?」
「こっちが聞いてるのよ!」
「いやいや、怒らないでくれ。
記憶がポヤポヤしてて、思い出せないんだよ」
少女は困ったように、眉間へとしわを寄せた。
俺から視線を逸らして、小さく「どうしよう」とか呟いてるのが聞こえる。
どうやら、少女は尋問になれていないらしい。
まあ、こんな歳で尋問慣れしてる方が不思議か。
ここは一つ、俺が少女を誘導してやろう。
俺はあのタハディとか言うオッサンのところに行きたい。
気さくで話しやすそうだったし。
確か、この少女はシルスとか呼ばれてたよな。
「シルスだっけ?」
「そうよ。私は、シルスティア・アスクスハルバ。そのままシルスで良いわ」
「キミは俺を村長、駐在、宿、どこに連れて行くか決めようとしてるんだよな?」
「そうよ。あんた、なんか怪しいのよ。……そう、変だわ」
それはさっきも言っていたな。
「本当なら、死んでるくらいの傷を負ったって、村の人たちも言っていたもの!」
なるほど、確かに変だ。
ほんとどうやったんだろうね?
何で生きているか、それはきっと姉とプウが知っている。
「十日以上まえのことよ?
もし森で助かったとしても、すぐに森の獣に襲われて死んでるのが普通でしょ」
「それって、俺が死んでた方が良かったってこと?」
俺の返しに、少女は慌てふためいた。
「ち、ちがうわよ! そうじゃないの! ええと……何か変だって言いたいの!」
自分の考えをまとめるように、所々つっかえながら言うシルス。
俺から見ても君らは十分変だし、お互いの常識が違うのには同意だ。
でもこの状況と力量差を考えよう。
「怪しい俺を村に入れたくないの? 危険そうにみえる?」
「そうはみえない。あんた凄く弱そうだし」
はあ。そうですよね。
自分でも分かってるけど、女の子から言われると堪えるね。
「……でしょう? なら村に入れても平気じゃないですかね」
俺は周囲に視線を投げて、身震いしてみせる。
「こんなところで立ち話してたら、また森の獣に襲われちゃうかもしれないし」
「……でも」
俺ってば、凄く弱いですし。
視線をさまよわせるシルスに、言葉を重ねていく。
「でも何だか変な俺を……無責任に村長や駐在に渡すのも気がひけるんでしょ?」
「そうよ。だから、早く色々変なところ、教えなさいよ!」
「怒らないでくれ。とりあえず、キミの宿とやらに行くのがいいんじゃないかな?」
再度、周囲を視線で示してみせる。
「町に入れてもキミなら、俺が変な動きしてもすぐとめられるでしょ?
宿でゆっくり、俺から話聞けば良いんだよ」
俺の言葉にシルスは腕を組んだまま少し視線を落として考える。
そして納得したように一つ頷いた。
「そうね。タハディはどれかに行ってから、別のに替えちゃダメとはいってなかったものね」
「そうそう。そこで俺から謎を全て聞き出せば、万事解決、君もタハディに褒められる」
シルスは安心したようにもう一度頷くと、俺を背負った。
予定通り、この子達の宿へいけそうだ。
「じゃあ行くわよ。しっかりつかまってなさい」
「よろしくお願いします」
この子。他人を簡単に信用しすぎだな。
お兄さん、心配でならないよ。