017 不審
黒大樹に戻ると、入り口に果物が積み上げられていた。
どうやらピィが集めてくれたようだ。
奥では、まだシルスが眠りについている。
寝顔はどこか硬く、疲れを感じさせた。
昨日が昨日だ。仕方があるまい。
今日もまた、表情を曇らせるようなことへ仕向けようとしている。
気が重い。
金髪の中に一房だけある緑の毛。
昨日よりも色が鮮やかな気がする。
馴染みが進んでいるのだろうか。
そして視線を下へ向ければ、無防備にさらされた上半身。
ゆっくり上下する双丘に目が行ってしまうのは性だろう。
昨日の森で見た美しさと比較すると、眠っているのもあって、何処か背徳的な感じが強い。
しかし、そう言った感情はわいてこない。
俺だって健全な男子だ。
綺麗な少女の裸を見れば反応だってする……はずなのだが。
やはり精神は肉体に影響を受ける、ということか。
この体は幼すぎるのだろう。たぶん。
「王」
「シルスの前だ。名前で呼んでくれ」
「……ユウ様、術練習、する?」
シルスから視線を外してプウを見ると、黒い薬を持って立っている。
「そうだな。頼む」
シルスはもうしばらく寝かせておいてやろう。
何の術訓練をやるのだろうか。
魔素視か?
個人的には、例の洗浄術を覚えたいが。
悠長なことは言ってられない。
指示されるままに上着を脱ぐと、プウが目の周りに黒い薬を塗ってくる。
やはり魔素視か。
目から首、胸、腕へと描いていく。
いつもの流れだ。
手持無沙汰な俺は、シルスの脇に置かれていた短剣を手に取った。
結構重い。
刃渡りは二十センチほど。柄を入れて三十センチと少し。
革製の鞘から引き抜いてみた。
刃は鈍く光っている。
たしか、プウがこれをシルスの腕に……。
いたいいたいいたい。
思い出すのは止めよう。うん。
あ。そうだ。
プウに試してほしいことがあったんだった。
短剣を鞘に戻すと、部屋の隅にある小石を指さした。
「なあ。あれを前みたいに飛ばせるか?」
4.5センチほどの小石。
前に木片を飛ばして見せてくれた時、石ならもっと威力が出ると言っていた。
それがどの程度か見ておきたかったので、拾って置いたやつだ。
プウはそれを一通り眺めた後、手のひらへと乗せた。
手の中で回転を始める小石。
ちょっとでかすぎたのだろうか。
前みたいに激しくサイクロンしてない。
プウが手を出入り口へ向ける。
射出された石は、まあそれなりの速度で飛んで行ったが、前見た木片ほどの威力はなさそうだった。
「石、大きい。金属、入ってる。弱くなる……」
申し訳なさそうに言うプウ。
やはり大きすぎたようだ。
見た感じプウの小さな手の中で動かすには窮屈に見えた。
多少の空間が必要なのだろう。
あと、金属を含んでいるのも良くないらしい。
「金属は魔素通しづらいのか」
「そう」
何か有用そうな情報だ。
魔素は電磁波に近いものなのかもしれない。
それにしては用途が幅広すぎるが。
「それで、魔素視の訓練をするんだよな?」
頷いたプウは、シルスを指さした。
「金色、使う」
「シルスに手伝ってもらうのか?」
寝かせておきたかったのだが……。
起こすのなら術訓練は後でにして、アレス回収の話がしたい。
「起こす、ダメ。寝てる、良い。緊張、ない」
なるほど。
寝てる相手を使うとやりやすい訓練ってことか。
確かにプウと俺の二人じゃ、それは無理だ。
しかし、寝てる子に無断で何かするのって良くないだろう。
今更かもしれないが。
「それは……何の訓練なんだ?」
「他の人、魔素経絡、見る。調整。色々、役立つ」
結構重要そうな訓練みたいだ。
「ユウ様、金色、一緒行動する。絶対、必要」
詳しく聞いてみると、シルスに繋げたアレスの魔素経絡の中和作業が継続して必要らしい。
それは確かに覚えておくべきことだろう。
「わかった。どうすればいいんだ?」
指示通りにシルスの上に膝立ちにまたがり、手首を押さえて、体を密着させ――
って、おいおいおいおい。
さすがにこれはヤバいだろう。
明らかに事案的行動だ。
シルスの上で膝立ちのまま、プウへ説明を求める。
これだけでも、背徳感がやばい。
プウが説明してくれる。
他者に魔素操作で影響を与える場合、その相手を出来る限り自分の領域内へ入れることが大事らしい。
離れた所からそれらを行うと、相手の領域表層で打ち消されてしまうそうだ。
間に空間や物を挟めば挟むほど、効果が薄くなる。
なるほど。
プウやオッサンがやってたことは、実に理に適ってたわけだ。
加えて、寝ていたり気絶したり、死んでいたりする場合、それらの抵抗がさらに弱まる。
猛毒防腐薬を生きている者にかけても、毒性はあるが、ぼろぼろにしてしまう効果は打ち消されてしまうとのこと。
なんか色々情報がつながってきた。
しかし理解したからと言って、それをするのは……。
「早く。する!」
プウも何だか訓練に気合が入ってる。
ちゃっちゃと終わらせて、抱きしめて欲しいとか思ってそうだ。
「早く!」
く、くそ。
とりあえず、接触しないギリギリまで腰を低くする。
軽い空気椅子状態で結構つらい。
寝てる半裸の女の子に、同じく半裸でマウントポジション。
もう既に犯罪的すぎる。
それから、経絡移植したシルスの腕と、俺の腕を……。
視線を上げると、シルスと目が合った。
驚いて思わず腰を下ろしてしまう。
やっべ! あ、思ったより硬い。
腹筋に力入れてるのか。
なんて場違いなこと考えてる場合じゃない。
シルスはじっと俺へ向けていた視線を周囲へ向ける。
近くで立っているプウの顔を見て、俺がいじってた短剣を見て、視線が帰ってくる。
「な、なあ。落ちついてな?」
あれ、地震?
ではない。シルスが震えている。
そりゃそうだよ。
起きたらいきなり男に組み敷かれてるとか、どんな悪夢だよ!
この震えは怒りか、恐怖か。
どちらにしても何か、
「シ、シルス。これは……」
「殺すの?」
はい?
……いまなんて?
次の瞬間、シルスはその場で身をひねり勢いよく体を持ち上げた。
跳ね飛ばされて床に手をついたと同時、背中への衝撃。
したたかに顔を打ち付け、激しい痛みが襲う。
生暖かさと共に、血の味。
豪快に鼻血を吹きながら振り返ると、出入り口を背に、シルスが短剣をこちらへ向けていた。
想像以上にお怒りでいらっしゃる!
ごもっともな反応ですが!
「シ、シルス。落ち着け!
あれは治療しようとして、やったんだ。やましいことじゃない」
「何を言ってるか、わからないわ!」
聞く耳も持ってくれない。
ですよね。未遂とは言え酷いことしました。
本当にごめんなさい!
ほら、プウも一緒に謝って――
見ると、プウが手をシルスへと向けている。
「――馬鹿、やめろ!!」
プウの手を掴むと同時、高速で射出された何かが壁に当たった。
飛散したそれは、周囲の土器をいくつか砕く。
俺はそのままプウの腕を引いて抱きかかえると、シルスとの間に入った。
「二人とも落ち着いてくれ!!」
言いながら、どの口が言うかとか、やっぱ起こしてから手伝ってもらうんだったとか後悔する。
「ユージア、何て言ってるか、わからない!」
シルスの叫び。
「だからッ」
そこで気が付いた。
俺が今まで使ってたのは日本語だった。
いつからか分からないが、気づかないうちに日本語を使っている。
無意識レベルのバイリンガルとか、どういうことだよ。
元の体の時にそのスキルが欲しかったわ!
そしたら海外フォーラムだって気軽に覗けたよ!
いやいやそうじゃない、落ち着け!
「すまない! とりあえず落ち着いて、武器を下してくれ!」
「あなた、やっぱり変だわ! なんで、あんな言葉話せるの!?」
「――それは」
「闇森人と、仲間だったんでしょ!?」
一理あるが。
「だって、おかしいじゃない!
大切な人がいるって言って、いるのは闇森人の……その子だけなんだもの!」
それは。
短剣をこちらに向けたまま後ずさるシルス。
まずい。
シルスに全力で逃げられたら、絶対に捕まえられない!
そのまま木を出ていこうとしたところで、シルスが大きくつんのめった。
続いてくる破砕音。
粉砕された土器の中から、黄色い小鳥が姿を出した。
「アサカラ オサカン ダナ ゴシュジン」
おまえもな!
どうやら突撃インコに足を強打されたらしいシルスが、顔を痛みにゆがめて立ち上がる。
「アマイゼ ジョウチャン」
ピィは再度シルスヘ向かって羽ばたく。
鋭い金属音。
翼で弾かれた短剣が宙を舞い、壁へ突き刺さる。
ピィはそのままシルスの裏へ回り、壁にあたって反転。
背中に体当りして押し倒す。
「ッああ!」
シルスのくぐもった悲鳴。
床に広がった金髪を巻き込むように、インコが居座っている。
「イッチョアガリ」
髪が押さえつけられ、シルスは立ち上がれない。
あー。女の子の髪にひどいことを。
しかし助かった。
鼻を抑えながら、シルスヘと近づく。
プウは好きに抱かせておく。
「……聞いてくれ」
シルスは答えずに、刺さるような視線を向けてくるだけだ。
あられもない姿で「私は屈しない!」的な目で下から睨み返される。
ううむ、何とも言えない気分になってくる。
早いところこの状況を終わらせたい。
俺の中でシルスの心情を整理してみる。
何故、彼女から「殺すの?」という言葉が出てきたのかわからない。
巨大樹木の森から戻ってくる時には、それなりに信用してくれていたと思う。
そのあとに、闇森人プウと顔合わせ。
続けてアレスの魔素経絡の移植提案。
腕への短剣。
逃げられないように飲まされた毒薬。
招き入れられた黒大樹の中。
目覚めれば腹の上の男。
しかもそいつが訳の分からない言葉を話していた、と。
考えるまでもなく、不安になっていく一方なのは分かる。
でも、殺されると思うのはしっくりこない。
あの状況で心配すべきは貞操の危機であって、命の危険じゃない。
毒投与も生かしておくための行動だ。
どれもが、殺すことを示唆するものではない。
殺すつもりならとっくに殺しているだろうし、こんな回りくどいことはしないと思うのだが。
「なんで……殺すと思ったんだ? 殺すつもりなら、とっくにそうしてると思うんだが」
「そんなの、知らないわよ!」
理屈ではないということか。
これは説得が難しくなってきた。
「だっておかしいじゃない! そんなに日も経ってないのに、闇森人の言葉話せるなんて!」
ああ、確かにそうだ。
「そうしたら、初めから仲間だったって、思うしかないじゃないのよ!」
なるほど、きちんと理由があるようだ。
あれは日本語だったわけだが、確かに、闇森人の言葉と思われても仕方ない。
「でも、殺す理由にはならないだろう」
「それに、なんでユウ様なんて呼ばれてるの!?」
あー。
まったくもってその通りです。
それは、言い訳の余地もないな。
だから言ったんだよ、プウさん。
とか転嫁してるが、徹底しなかった俺の責任だ。
この少女は思ったよりきちんと物を考えている。
「隠し事したり、嘘ついたりするのは悪い人のすることよ!」
ごもっとも。
「騙されて悪いこと手伝って……用が済んだら――嘘をついている人なんて、信用できない!」
その考えなら、筋が通ってる。
果てに殺されるという理由なら、確かに納得できる。
「妹さんの時だってそう! 冷たい態度だと思ったら、急に興奮して、まるで別人みたいだった」
まるで別人。言い得ている。
「私も、きっとユージアみたいに、操られたり、頭がおかしくされたり。
……そんなの、もう死んでるのと変わらない!!」
なるほど。そこも指摘の通りだ。
俺は想像以上にシルスから観察されていたらしい。
巨大樹木の森ではパニックに陥っていたが、今は冷静に物事を判断している。
騙されやすいと思った性格も、善悪に関連する虚偽の在り方。
母と交わした約束からくる信念に因るものだったのだろう。
愚かだったというわけではないのだ。
やはり、この少女には真摯に向き合うべきだ。
「シルスの言うことはそんなに間違っていない。
でも、俺が操るだとか、殺すだとかいうのは絶対にない」
睨み返してくるシルス。
ですよね。信じてもらえる分けないよね。
「そんなことをしたら……俺は、姉に泣いて怒られる」
「……お姉さん?」
頷いて、周囲を手で示して見せる。
「この木に、姉の魂が宿ってる。俺が助けたいと言っているのも、この姉のことだ」
姉と聞いて、少し険の引いたシルスの顔がまた硬くなる。
「魂だなんて。そんなの、信じられないわ!」
「実際に話してみると良いさ」
そこで今まで俺に抱き着いたままだったプウが顔を離した。
鋭い視線を俺へ向けてくる。
一応ちゃんと話聞いてたんだな。
シルスと話し始めて、俺が抱きしめる力を弱めてしまったからかもしれないが。
「金色、導き間、入れる、ダメ!」
「キョウカだってそれを望むはずだ。世話になる人間には礼を尽くす人だ」
まだ言いつのろうとするプウを抱きしめて封殺する。
「シルス。あの言葉は闇森人の言葉じゃない。ちょっと遠い何処かの言葉だ」
だからといって、証拠があるわけでもない。
こればっかりは信じてもらうしかないな。
「……ピィ、シルスの髪からどいてやってくれ。
彼女はもう落ち着いてる。短気を起こしたりはしない」
「シカタネーナ ジョウチャン モウ アバレルナヨ?」
髪からピィが退くと、シルスは俺たちを警戒しながら立ち上がる。
出入り口にピィが移動し、ちょこんと仁王立ち。
逆光に佇むインコは、無駄に迫力があってシュールだ。
「とにかく、シルスも俺の姉に会ってみてくれ。
俺が守りたいのは、それですべてだから」
シルスへ向かって手を差し出す。
ちらりと一瞥したが、掴んではくれない。
「頼む。俺にとって、ある意味シルスのお母さんみたいな人だと思ってくれていい」
母という単語でシルスは息を飲む。
じっと俺の手を見つめる。
「頼む」
「……わかったわ」
シルスは俺の手を取ると、真意を見透かそうとするように、強い目で見つめてくる。
そうだ。それでいい。
「ありがとう」
俺は礼を言って、シルスを連れ部屋の奥へ向かう。