013 後悔の利用
巨木の森を出て、平地を歩く。
後ろには、アレスの尻尾を抱いて泣きながらついてくるシルス。
シルスをどうするか、考えを巡らせる。
村へ送るのが良いのだろうが、派兵をどうするかという火急の問題がある。
往復するだけで一日つぶれる場所へ、行っている余裕はない。
加えて、次に村へ行ったらもう一度出れる保証もないのだ。
大人に見つかれば、間違いなく止められるだろう。
どこかの部屋に鍵つけて閉じ込められてしまうかもしれない。
クライヴは例外だったが。
黒大樹へ連れていくのも、問題がある。
シルスは素直で良い娘だが、身内ではない。
疑いが足りないところも、情報を明かすのが躊躇われる要素だ。
かといって、傷心の少女一人を村へ向かわせるのも気が引ける。
そもそも、シルスは俺を追ってこの森へ来たのだ。
一人で帰れと言ったりしたら、力づくで連れ帰られるのがオチだろう。
この少女の腕力に勝つのはどう考えても無理だ。
どうしたものか。
後ろへ振り返ると、鼻をすすって尻尾を抱きしめているシルスと目が合う。
ぶっちゃけると、この素直な少女を利用したい思惑もある。
戦士の従者を名乗っていたし、戦闘訓練を積んでいるのは間違いない。
猛毒防腐剤を使えば、短剣で森の獣も倒せる可能性もある。
もっと言うと、アレスの体も欲しい。
あの大きさなら多くの素材がとれるに違いないだろう。
埋葬と称して、シルスに解体と回収を手伝わせることもできるかもしれない。
……我ながら、反吐が出る考えだ。
しかし、意図していなかったとはいえ、結果はどうだ?
幼気な少女の良心を利用し。
森へとおびき寄せ。
その最愛とする家族を死なせ。
その死体の利用を考えている。
まさに、邪悪以外の何物でもないではないか。
だが……今は何としても姉たちの体の素材が必要なのだ。
今すぐに。どんな手を使ってでも。
「シルス。……アレスとは、どういった仲だったんだ?」
気遣った風を装ってはいるが、彼女の誘導と有用性のほどを調べる質問だ。
我ながら嫌になる。
「……アレスは、家族よ」
シルスは肩で涙を拭うと、とつとつと語りだす。
話すのは苦手と言っていたように、順序だっていなかったので分かりずらかった。
でも、掛け合いで誘導してやり、シルスの身の上のことが大体知れた。
シルスは、とある貴族の13女だった。
冒険者の母トライナと、貴族の間に生まれたのがシルスティアという少女だ。
言葉を話せるようになって暫くするまでは、母と一緒に過ごしていた。
しかし、そのくらいになると父へとシルスを預け、母は冒険者へ戻っていった。
13女というのが示す通り、父は息子も多くいた。
腹違いの兄弟達だ。
そんな大勢の父の愛人や子供たちと共に、シルスは広い屋敷で生活していた。
どんな父親なのか聞いたら、会話をしたことがないらしい。
それはおろか、父の顔を今までの人生で数度しか見たことがないとのことだった。
シルスも父には興味が無いようだ。
母について聞いてみると、僅かに笑顔を見せ話してくれた。
シルスを放って冒険に行ってしまうような母だ。
てっきり嫌っているのかと思ったが、そうではないらしい。
シルスは母親のことを強く尊敬しているようだ。
母からは、
『他人へもそうだが、何より自分に嘘をついてはいけない』
そう言われ、育ったという。
それが災いしたのか、シルスは社交辞令などを嫌い歯に衣着せぬ言動が目立った。
結果、シルスは屋敷で浮きに浮いた。
屋敷の娘達からは疎まれ、息子たちとの喧嘩も日常茶飯事。
そんなシルスが一番楽しみにしていたのは、母からの手紙だった。
一か所にとどまっていることの少ない母だ。
シルスから手紙は出せないが、月に一度は必ずシルスの下へ手紙が届いた。
母から伝わる冒険や世界の話は、シルスの心をこの上もなく昂らせた。
だが、そんなある日。
シルスを目の敵にしていた娘達の一人に、手紙が見つかってしまったのだ。
何よりも大切にしていた手紙を隠され、言うことを聞けと脅された。
聞かないなら、全て燃やしてしまうと言われたのだ。
その日から、シルスは娘達に動物であるかのように扱われた。
一つの家具もない部屋に閉じ込められ、食事や排泄までも管理された。
母やシルスと仲の良かった使用人が抗議をした。
しかし、しばらくすると屋敷からいなくなってしまった。
そう淡々と言った彼女に、俺は軽く絶句するしかなかった。
それから半年ほどした頃、突然母が戻ってきたという。
母は屋敷で色々問題を引き起こし、最後にはシルスを連れて出て行った。
その際、シルスは自分を閉じ込めていた娘達の頬を一発ずつ引っ叩いていったそうだ。
彼女なりのけじめだったらしい。
……生ぬるいのではないか?
俺はそんなことを思ったが、シルスは気にしていないようだった。
それからは、シルスにとって夢のような時間だった。
母と二人で各地を旅した。
色々な魔物を見たし、景色も見た。
何よりずっと憧れていた母の戦っている様を間近で見れたのだ。
しかし、それも長くは続かなかった。
母の受けた仕事途中、夜盗にシルスが殺されそうになった。
その時は軽い傷を負う程度で済んだが、小さな子供と女の二人旅。
もっと大きな災難に見舞われるのは自明だ。
「仕方ないわよね。私が小さくて、弱いんですもの」
彼女は悲しそうに呟く。
「母さんは、私を昔馴染みだったルキウス様へ預けて旅へ出たわ。
その別れの時、仲良くするのよって渡されたのが、まだ小さなアレスだった」
ルキウスは中層西国、南西端を領地とするレヴロ伯爵だ。
シルスはその領主の下で、大きな不自由なくアレスと共に生活した。
多少の問題はあれど、腹違いの兄弟姉妹と暮らしていた時と、比べるべくもない過ごしやすさだったという。
母からの定期的な手紙がまた届くようになる。
その度に、母との冒険の時を思い出しながら、憧れだけが強くなっていった。
「私も、母さんみたいな、冒険者になりたかった。
ルキウス様にお願いして、魔素術だって習ったわ」
魔素術。
プウが使って見せた念動力みたいなものだろうか?
あの不思議な力、やっぱり体系化されているのか。
まあ普通に考えれば、研究されてしかるべきものだろう。
「でも、ダメだった。私にはあまり魔素術の才能はなかったわ」
魔素術使いならば、年若くても冒険者をしている者がいる。
しかし、戦士となると肉体が出来上がらない限りは役には立てない。
冒険者を目指すのが遠のいた。
「そしたらね、タハディが来たの」
ルキウスの館に客人としてタハディが訪れ、シルスの生活は一変した。
タハディは気と呼ばれる体内経絡系を利用した肉体強化や、生物の体の仕組みを研究する神殿司祭であり戦士だった。
彼の持つ技術に冒険者への光明を見たシルスは、タハディに頼み込んだ。
そして、どうにかこうにか短い間ではあるが師事を仰ぐことに成功した。
シルスは魔素術の訓練の際も問題になったが、魔素の安定化が苦手だった。
この作業は魔素術の基本中の基本だそうだ。
気を利用した技術にも安定化は必要なことだが、治癒などの体外干渉系以外ならば、そこまで必須ではない。
特に肉体強化ならば、総出力と供給速度がものをいうらしい。
シルスはそちらの方に才能があったようだ。
タハディにも「稀に見る逸材だ!」と褒められ、教えられて一月ほどで、安定化以外の基本過程をマスターした。
そんな折、この森の異変を知ったレヴロ伯ルキウスが、タハディへことの調査を依頼してきたのである。
そして事ここに至るという訳だった。
初めての実地演習だ。胸躍ったことに違いない。
もしこの調査で結果があげられれば、それだけ彼女の夢へと近づけるのだから。
「私とタハディが着いた時、村は大変なことになってた」
悲惨な傷を負った負傷者たち。
獣の再襲撃の危険から、埋葬することもできない、たくさんの死体。
「タハディは、まだ生きている人の治療を行ったわ。
私は、傷を負った人たちを見ているのが怖くなって……部屋に閉じこもった」
うつむくシルス。
そりゃ、仕方ないだろう。
なんせまだ小学生だ。人の生き死にの現場を見慣れるのは早すぎる。
俺だって、六年前に死んだ父の死を乗り越えきれてはいないと思う。
「私。調子に乗ってたわ。タハディに、ダメだって言われてたのに……」
そこでシルスは言葉を区切ると、アレスの尾を強く抱き込んで泣き始めた。
「アレスと二人で、森の獣を少し倒せたからって、いい気になって!
ユージアを……助けに行くんだって、言い訳して!
治癒術も使えなくて、役に立てない村なんかにいたくなくて……」
その場で膝立ちに泣くシルス。
「ダメだって、言われた! でも、私は言うこと聞かなかった!
人を助けるんだ、忙しいタハディに代わって、私が助けるんだって!!」
掛ける言葉は見つからない。
「アレスだって、大きい木の森に入る前に私を止めた!
でも……私は言うこときかなかった、ユージアを助けなきゃダメだって!
逆に怒って! アレスだけなら、逃げれた。戦えた!!
私が、足手まといにならなければ、アレスは死ななかったのよ!!」
地面に額を押し付け、その綺麗な髪が泥に汚れるのも気にせず泣き続ける。
「違う、シルス。シルスが悪いんじゃ」
「違わない! 私はユージアを言い訳に使ったのよ、窮屈で、息苦しい村から逃げて、冒険したかったから!!」
さらに強く、血がにじむほどに地面へと額を押し付ける。
「私、母さんとの約束も守れなかった! 自分に、嘘をついたんだわ!!」
「シルス、やめるんだ!」
肩を引いて起き上がらせようとするが、シルスの力は強くそれもかなわない。
「聞け、シルス。
お前がやっていることは、自傷行為だ。
罪の意識を痛みで償おうとする、卑怯な行動だ!」
「…………」
「自分のしたことから逃げてるんだ」
俺の言葉に、シルスは顔を上げる。
「そうだ。逃げるな、前を向くんだ」
シルスは涙を肩でぬぐって、正面から俺を見る。
「じゃあ、どうしたらいいのよ!?
アレスを死なせて、自分にも嘘をついて、私はどうやって!」
「――俺を助けてくれ」
俺の言葉に、少し戸惑いを浮かべ見つめ返すシルス。
話を聞き、接してきたシルスという少女。
正義感が強く、曲がったことは大嫌い。
どんな些細な嘘をつくことも許しはしない。
ひどい虐待を受けたにも関わらず、ひねくれもしなければ、恨みにも染まらない。
非常に高潔な少女だ。
きっとシルスのお母さんが、三つ子魂鍛えに鍛えた結果なのだろう。
そんな彼女を俺は利用しようとしている。
「シルスは、俺を助けるためにここまで来てくれたんだろ?
アレスと一緒に、ここまで来たのは何のためだったんだ?
自らの行いを悔いるためじゃないだろ?
俺だって、こんな危険な森に来たのには、ちゃんと理由がある。
妹以外にも、守らなきゃならない大切な人たちがこの森にいるんだ。
その人たちを俺は助けなくちゃならない。でも、力が足りない」
シルスの肩を両手で強く掴み、言う。
「お願いだ、シルス! 俺に力を貸してくれ。
危険を冒してまで来てくれたシルス以外に、頼める人がいないんだ!」
言って、シルスの背に手を回して抱きしめる。
「頼む、シルス」
「……私が頼りなの?」
「そうだ」
シルスが強く抱き返してきた。
「……わかったわ、私が力になる」
「ありがとう、シルス」
無謀の結果とその果ての罪の意識。
後悔と贖罪だけだった行動に意味をもたせ、重ねるように弱者からの懇願。
高潔な彼女は、絶対に受け入れるのは分かりきっていた。
「私は何をしたらいいの?」
「まずは……会って欲しい人がいるんだ」
まっすぐ見つめてくるシルスの視線が痛い。
だが、仕方ない。
どうしようもないじゃないか。
こんな少女でも利用しなきゃ前には進めない。
俺だって、家族は大事だ。
絶対に後悔はしたくないのだ。