011 焦燥
走りながら、ピィへ怒鳴る。
「おい! なんで命の恩人なのに仇で返すようなことしたんだ!?」
「デモアイツラ ナカマジャ ネェダロ?」
そりゃそうだが。
「クロタイジュニ コラレテモ コマルダロ?」
そりゃそうなんだが。
「だからって、別のやり方があっただろ!」
「イミ ワカンネーナ」
ピィは黒大樹から離れるように、森の北へ誘導しただけだという。
だが北は、南よりも巨大岸壁に近くて暗い。
そしてその分、魔素も濃く森の中でも特に危険な獣が生息しているらしい。
「ケッコウタツシ モウ シンデンジャ ネェノ」
「お前は黙ってろ!」
「マエハ ハナシアイテ シテクレー シテクレー イッテタノニ ヒドイヤツダゼ」
プウから追加で受け取った獣避けを塗り足す。
くそ。
なんでこいつら、元は動物だからって他者に対して淡白すぎるだろ。
いや……ピィは話せるだけで、今も動物か。
黒大樹から出て行くとき、プウにも止められた。
怪訝な顔で、行ってどうするのかと聞かれたのだ。
どうもこうも恩人だと言い返したら、納得いかないといった顔で、薬をいくつか渡された。
プウも表情に見合った淡白さだ。
少しずつ、教育していかなくてはならないだろう。
情けは人の為ならず。
人間は社会性の強い生き物なのだから。
渡されたのは、猛毒防腐剤、黒薬、獣除け、回収用皮袋だ。
回収用皮袋は、俺の着てきた皮ズボンの素材を再利用してプウが作った。
そんなの待っていられるかと言ったら、一瞬にして作り上げやがった。
かなりの早業だ。
「皮、くっつける。死体、くっつける、同じ。簡単」
と言ってのけた。
この皮袋には、魔素石を融解させて小さくした液体が入っている。
もし魔物を倒せたら、コレに入れて素材を回収して来いということだろう。
そもそも、獣避けで生き物を避けているから、対峙しないとは思うのだが。
しばらく進むと、開けた高台に出る。
木が少なく、遠くまで見渡せる。
なんだありゃ。
遠くの木々を見て呆気に取られる。
めちゃくちゃでかい。
あの木々、一体どれくらいの高さあるんだ?
太さはそうでもないが、高さが尋常ではない。
手前にある木々とのスケール比がおかしい。
木の高さ、100mはあるんじゃないか?
そういえば、世界警察を自称していた某国にあんなでっかい木の森があったな。
急ぎでなければゆっくり見て感慨にも浸りたいが、
いまはそれどころではない。
俺の上を行き来して飛んでいるピィへ声をかける。
ここからあの巨大樹木のところまでは、大分距離がある。
「ここは開けてて見通しが良い。
俺があそこへ向かってる間、先に行ってシルスたちを探してみてくれ」
薬の一つを取り出して、ピィへと差し出す。
「見つけたら、これを渡すんだ」
「アイヨ」
獣避けだ。
これを使えば、あの森でも獣に襲われることはないだろう。
薬をくわえると、ピィはシルス達を探しに飛び去っていった。
俺も巨大樹木の森へ向けて走り出す。
くそ、相変わらず体力の無い身体だ。
少し走るだけで足ががくがくして来る。
汗で濡れた足に、固形黒薬を擦るようにして塗った。
疲れが取れたような感じがする。
シルスの経絡活性には程遠いが、少しは似た効果があるのかもしれない。
やはり木は相当にでかい。
休みなしで走ってはいるが、全然近づいてる感じがしない。
4度目になる薬塗りをしていたところで、ピィが戻ってきた。
「ゴシュジン ……ミツケタゼ」
「どうだった!?」
ピィは近くの石の上に留まると、首を数度動かした後、
「ミドリノ イヌ シンデルノ ミツケタ」
と告げた。
じゃあ、
「シルスは?」
「ワカラン チカクニハ イナカッタ」
そうか。
アレスは、間に合わなかったか。
胸が痛む。胃がむかむかする。
「……案内してくれ。ここから遠いのか?」
「チカイ ハイッテスグダ」
俺は黒薬を塗り終えると、また走り出した。
◆
巨大樹木へたどり着いたのは、それから30分ほど後だった。
あくまで体感の時間だから、正しいことは分からないがそれくらいに思う。
ピィにつれられ、巨大樹の間を抜ける。
この森は黒大樹の森より更に暗く、空気も湿っていて重い。
まだ習得できていない魔素視で見たなら、濃い闇が見えそうだなと感じた。
上を見上げると、濃い霧が掛かっていて見通せない。
不気味な森だ。
「ゴシュジン ソコダ」
ピィの向く先へ視線をやる。
濃い霧を切り分け、歩み寄る。
「う……ッ」
口を押さえる。
周囲を濃い血の匂いが満たしている。
気持ち悪くなるほどの血の匂いと、生臭い獣臭。
視線をめぐらせる、地面の所々に黒ずんだ跡がある。
そして、散らばった緑の毛。
アレスの体毛、か?
更に少し進むと、赤く染まったアレスが横たわっていた。
込みあがるものを押さえ込む。
ひどい有様だった。
食い散らかされて、腹がぽっかりと抜け落ちてしまっている。
顔も噛まれたのか、皮が削げ落ちてしまっていた。
シルス、彼女は何処だ?
アレスの大きな身体の状態をみると、シルス程度の大きさなら全身を食べられてしまっているかもしれない。
「……やめろ、考えるな」
アレスの遺骸の周囲を探してみる。
いない。
やっぱり、食べられてしまったのか?
暗い考えがよぎる。
改めて周囲を見渡す。
更に霧が濃くなってきている。
霧の向こうから、アレスをこんな姿にした何者かが飛び出してくるのではないか。
怖気が全身を包み込む。
獣除けを再度、塗り足した。
「ピィ! いるか?」
「ドウシタ ナニカ ミツケタカ?」
「い、いや……」
心細くなって声をかけてしまった。
下へ向けた視線の先、もう光の無いアレスの目。
俺のことを責めているような錯覚を受ける。
こんなことになるなんて、思わなかったんだ。
仕方ないじゃないか。
どうしたらよかったんだよ?
頭を振る。
今更考えてもどうしようもないことだ。
心が折れそうだ。早く帰りたい。
この広くて霧深い森を探すのなんて無理だ。
そこで思い至る。
「おい、ピィ。お前、どうやってこんな霧深い森でアレスを見つけたんだ?」
「マソ ミタ イマハ マソコクテ アマリミエン」
このインコ様、魔素視もマスターしてやがるのか。
しかし、この霧は本当に嫌な感じがする。長居したくない。
ピィに見つけられそうに無いものを俺が見つけられるはずも無い。
アレスの遺骸へと目をやる。
この死体も、素材になるのだろうか?
「くそ! 俺は何を考えてる!?」
恩人が家族だと言った犬だ。それを素材だと?
しかし、ここで風化させるくらいなら、役に立てた方が良いのも事実なのだ。
新鮮な死体である。
プウの言っていた、上質な素材になるのは間違いない。
プウはこれを見越して回収袋を渡してきたのか?
いや、まさか。邪推だ。
しかし、素材を集めなくてはならないのは紛れもない事実。
「……四の五の言ってる場合じゃない。
俺もキョウカ達をどうにかしなきゃならないんだ」
誰にとも無く、言い訳をする。
でも、こんなに大きな動物の身体を回収袋に入れるには、細かく分断しなくてはならない。
刃物も無ければのこぎりもない。
……死体損壊なんて、冒涜も甚だしい。
「くそッ いい加減腹括れッ」
いつかはやらねばならない。
自分へと一喝し、アレスの遺骸へしゃがみ込む。
ゲームでは素材の剥ぎ取りだなんだと嬉々としてやったりするが、現実では不快感しかない。
むき出しになった肋骨と思われる骨に手をかけ引っ張ってみる。
わずかに動いただけで、折れそうにない。
こんなの、無理だ。
何が素材集めだ。
何が姉たちを救うだ。
何もかも甘すぎだ。泣きたくなってくる。
「ゴシュジン チンタラ スンナ」
「うるせぇな……やってるだろ!」
くそ。
こいつは少しの感傷すら許してはくれない。
俺はアレスの腹から背へ回る。
尾ならどうにかなるかもしれない。
何より、血の匂いのきつい正面にずっといたくなかった。
引っ張るがビクともしない。
「ヒンジャク」
「うるせえって言ってるだろ!?」
そうだ。魔素石を瞬時に融解させたあの液体なら。
回収用革袋を取り出し、中の液体を尾の根元へかけてみた。
煙を立てて、肉はおろか骨すら溶ける。
やべぇ。
この薬もとんでもない危険物だ。
つか、この皮袋が溶けないのはどういった理屈なんだ?
何かプロテクションでも掛かってるのか?
ともあれ、根元が溶かされた尾は、簡単に引きちぎれた。
尻尾といえど大きすぎるので、先の方を薬を使って切り取る。
このまま尾を皮袋に入れれば全部溶かしてくれるだろう。
だが、その綺麗な毛艶の尾を見ていると、それも少々躊躇われた。
一応これはアレスの遺品ということになる。
一番さきっちょのこの部分は、とりあえず残しておこう。
腰紐へそれを結いつける。
しかし、これを受け取るべき少女の姿もない。
「……シルス」
風が頬を撫でた。
続けて、体中を何かが駆け巡っているような違和感。
「……!?」
なんだ。
胸に異物感を感じる。
温かなようなものを感じる。
なんだか頭がくらくらする。
声を後ろから感じ、よろけながら振り返る。
誰の姿も無い。
周囲へ視線を巡らせるが何もない。
「なんなんだ?」
アレスの下へと視線をやる。
もしかして。
「シルス! そこにいるのか!?」
「…………」
細い声が返ってきた気がした。
アレスの遺骸の下に、シルスがいる。
何故だかそう感じる。
俺は声を掛けながらアレスの周囲を回った。
裏あたりの隙間から、アレスの身体と木の隙間に赤い布地が見えた。
「シルス! 無事か!?」
返事はない。
シルスの服を掴んで引っ張ってみるが、
上のアレスの体が重くてびくともしない。
アレスが、シルスを守り切ったのだ。
自らの体を生餌にして。
だが、これではシルスが救い出せない。
「くそ、ご主人様守るのは良いが、気張りすぎだろ」
全身を使って再度押してみるが、アレスの体は持ち上がらない。
本当にこの体は貧弱だ。
小さい頃の俺もこんな力なかったか?
ふと雑巾絞りで全然絞れてないと姉におちょくられたのを思い出す。
そんなことは今考えることじゃない。
どうする。
溶解液を使って、アレスの体を溶かすか?
下にいるシルスにもかかってしまう可能性がある。
彼女はもう、返事すら満足にできない状態だ。
急がなくては、アレスの献身も無駄になる。
「クソッ」
応急処置で、隙間から入れた黒薬をシルスへと塗り付ける。
もしかしたら、薬の効果でシルスが自ら抜け出てきてくれることを期待するが、ことはそう上手く運ばない。
そもそも意識が戻らないのだ。
「ゴシュジン ドイテロ」
振り向くと、ピィがクイッと首をかしげてこちらを見ている。
「ソイツヲ ドカスンダロ?」
「そうだが、何する気だ?」
「イイカラ マカセロ」
言うと、飛んで霧の中へ消えていく。
あいつ、一体……何する――
と思った時、森の奥から激しい破砕音が響いてきた。
咄嗟に音から離れるように身を伏せる。
次の瞬間、枝葉をまき散らしながら暴風と共にピィが突っ込んできて、荒ぶる鷹のポーズでアレスの体にぶち当たる。
大犬の体が冗談みたいに突き飛ばされて、数度転がって木にぶつかった。
翼を広げたままコテンと地面に落ちていたピィが、クイッとこちらへ首を向ける。
まじかよ。
「ドンナモンヨ?」
「……すげーな」
ピィを起こそうと手を掛けるが、重くて持ち上がらない。
いやいやいや。
どんな質量だよ!
広げられた翼の端を引っ張ってみるが、傾く程度しか動かない。
体もめちゃくちゃ硬い。まるで鋼のようだ。
翼広げて体当たりしたのは、貫通してしまわないようにするためか。
「ホメロ」
「今頭掻いても、何も感じないだろ」
「ソレモソウダナ アトデ ホメロ」
「褒める褒める」
ピィは放置して、シルスへと駆け寄る。
アレスに潰されていたわけではなく、きちんとくぼみに入っていたようだ。
服はアレスの血だか本人の血だか分からないほど汚れてしまっている。
真上であの大きな体がむさぼり食われたのだから、この状態も道理であるのだが。
……その時の光景を想像して、身が震える。
家族と呼んでいた者が間近で食われているのを見ていたかもしれないのだ。
気を失っていたことを願わずにはいられない。
体を調べてみる。
目立つところは、肩に鋭い裂傷。
胸にもあるが、こちらは硬皮の胸当てが幸いしたか、体には達していない。
もしかしたら打撲や骨折まで行っているかもしれないが。
黒薬を肩へ直接押し付けて塗るのは痛そうだ。
爪で削るようにして、粉を傷口へまぶしていく。
この場所なら魔素が濃そうだから、沢山使っても問題あるまい。
溶いて全身にかけてやりたいが、水の持ち合わせがない。
硬皮の胸当てを持ち上げ、傷の裏を覗く。
案の定、皮膚がうっ血している。
そこにも小さくした黒薬を放り込む。
あとは、シルス自身の汗でぬれた所に黒薬を押し付けて塗り広げた。
応急処置はこれくらいでいいか。
後は、どうやって安全な所へ運ぶかだが……。
これが問題だ。
この貧弱な体では黒薬塗りをして体力強化したとしても、どれだけ時間がかかるか想像もつかない。
少なくとも、ここへ単身来るだけで一時間以上は掛かったのだ。
途中で目覚めてくれることを期待しつつ、頑張って背負っていくしかないか。
と思ったのだが、実際背負おうとしてみると上手くいかない。
「女の子一人、背負うこともできんとは……」
改めて、俺を背負って森駆けしていたシルスに驚きを隠せない。
俺も経絡活性覚えたい。切実に。
しかし、無いものねだりしてもしょうがない。
パワフルインコでも、さすがに人を運ぶことは無理だろう。
無理、だよな?
「なあ、ピィ」
「ムリダナ」
無理らしい。
「クソッ」
悪態ばかりの自分が嫌になる。
両腕の下から手を入れて、引きずるように移動する。
起伏激しい森を引きずって移動するとか狂気の沙汰だが、これ以外できないのだから仕方が無い。
と、引き上げたところでシルスが呻いた。
気がついたかと安堵するが、目の前の光景を思い出す。
ここはアレスの死体の目の前だ。
「……ん、ぅ」
シルスがまぶたを震わせる。
腕を引っ張るのをやめ、シルスとアレスの間に体を入れる。
「シルス、気がついたか」
「…………ユージア?」
視線が俺を捉え、その周囲へと動く。
状況が飲み込めるにつれ、シルスの顔へ緊張が広がっていく。
次の瞬間、彼女は絶叫した。