続き~それは、アイリス・カーフィーの1日(後編)~
アイリスの昼食は当初に比べて随分と賑やかになった。
と言うのも、幾ら図書館まであと僅かの距離とはいえ召喚原書は国の管理下にある重要物。
学園前の国一番の目抜き通りでひったくりの類に会う様な事はなかなか無いだろうが、さっきの様な不運も無いでは無い。
召喚原書を裸のまま小脇に抱えて持ち歩くのも些かマズイだろうという事になったのだ。
結果、アイリスから返却された召喚原書を持ったフィナがカフェでアイリスと一緒に待機となったからである。
アルマーニの計らいで、アイリスと相席して昼食を取りながら待機する事になったフィナは、件のお詫びとしてアイリスにドーナツの追加を了承してくれた。
テーブルの上はお代わりのアイス珈琲が2つに、様々なデコレーションドーナツで、さながらスイーツパーティの様相を呈している。
普段のアイリスならば、ニコニコ上機嫌。瞳の中にも星がキラキラし始めただろう状況だ。
が、今日この時だけは、非常に稀有な例外となった。
つまり今、彼女の熱い視線釘付けにするのはカラフルなドーナツでは無く、フィナの手元にある召喚原書だった。
アイリスは直感に従い自分の選ぶべき召喚原書をフィナの手元にあるそれ、と定めていた。
ただ、どんな理由でその召喚原書が王城分室から学院並立の第一館へ移送されるのかアイリスには分からない。
何か特殊な事情で場所を移されるのだとしたら、申請しても召喚の儀には使わせて貰え無いかもしれない。
そこでまず、アイリスは自分がこの春召喚学専攻資格者となった事、今日まで召喚原書選びにとても時間を掛けて来たが、まだ良いものに巡り合えていない事などをフィナに話さなければならないと思っていた。
しかし、幸か不幸か、その聞くも涙語るも涙の長大な前置きは不要だった。
時を遡る事、数分。
フィナが追加で購入して来たドーナツとアイスコーヒーをテーブルに置きながら
「そう言えば、急な再会だったのでまだお祝いも碌に伝えていませんでしたね。召喚学専攻資格者に選出されたと聞きました。おめでとう、アイリスさん。一年生からの努力が実って良かったですね」
と、言ってくれたからである。
これをきっかけに、話は自分の予想よりも、軽快に前へ進みそうだ、とアイリスは期待に胸を躍らせていた。
☆
フィナによると召喚原書の移送理由は、本が契約者を探しているから、らしい。そう聞くと何だかおかしな気がするところだ。
当然だか、普通本は人を探さない。
アイリスが素直にそうフィナに指摘すると、司書官たる彼女は少し得意そうな顔でゆっくりと事のあらましを話し始めた。
それは昨夜の事。
夜間の図書警備官は、召喚原書『灰白の遥か巡り添う悪徳の獣』が書棚でひとりでに薄ぼんやりと輝いているのを発見した。何だか幽霊騒ぎにでもなりそうな話だが、ベテラン警備官は取り乱したりはしなかった。これには何度か前例があったからだ。
所定の手順に従い、警備官はその召喚原書を棚から抜きだして移送ケースへと収める。それから慌てずに城内付きの司書官へ連絡を入れた。
そして本日朝、めでたく移送と相成りました、チャンチャンと言う訳で有ると。
「フィナさん、なんだか大事な所が色々抜けている気がしますよ」
「そんなことはありません。事象に正確、脚色も欠落も無いです」
フィナとアイリスがそれぞれドーナツを二つ程消化して、コーヒーを半ば啜った頃、話はアイリスが想定していた斜め下を迷走していた。
情報不足、歯抜けと表現するべきだろうか。いきなりの躓きであった。
しかしそんな所に、今度こそアイリスへの天の助けか、絶妙に空気を読んだアルマーニが市販のハムサンドと新品の移送ケースを携えやって来たのだった。
「やぁ。二人とも。話は終わったかい?」
「アルマーニ!」
「アルマーニさん!」
フィナの背中側から登場したアルマーニが、持ったサンドイッチごと手を左右に振ってアイリスとフィナの二人に声を掛ける。
アルマーニの姿を見たアイリスは、思わず縋るような声を出した。
「アルマーニさん、助けてください。フィナさんはダメダメです」
「うーん。と言うと、今回の召喚原書とアイリスさんの困り事の話しかな?」
「わっ!なんで、分かったんですか?」
「僕は元より、アイリスさんを名前だけは知っていたのさ。これでも王城付き司書官だからね」
アルマーニが僅かに胸を張って言葉を続ける。
「学院長と一緒に王様の所へ面接に来ただろう?その時に見かけたのさ。まぁ、その後もフィナから何度か君の話しは聞いていたのもあるけれど」
あっ!といった具合に納得するアイリスに向けて、揶揄う様な表情の彼は更に続けた。
「それから今、第一館で移送ケースの替えを受け取るついでに、今日実地試験を控えた唸る美人さんの噂をちょこちょこっとね〜」
アルマーニが少し苦笑しながら、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。
グサっ!
......唸る美人さん。
同性のサーシャに言われても全く気にならなかったなのに、異性に言われると何だかとっても痛い。胸を貫通した言葉の矢の鋭さに、アイリスは思わず赤面した顔を手で覆う。
「あー、これは失礼。紳士たるには、一言多かったね」
「アイリスさん、唸ってましたか?他の利用者に迷惑をかけてはダメですよと、言っておいたじゃないですか」
「はい。唸ってました。ごめんなさい」
アルマーニに続き、フィナからの追い打ちも入る。こうなってしまえば、アイリスは白旗をあげて無条件の全面降伏である。
「さて、話しを召喚原書に戻そう。フィナからは何を、どこまで?」
しゅんと小さくなったアイリスを見て、アルマーニが話題を変えてくれた。アイリスは有難く、その話題転換について行く事にする。
「呼んでいて、光って、移送された。とだけ…」
「正確ですよね」
フィナがアルマーニを見て自信満々に同意を求める。
「まぁ、一様は。予備知識の補足や、余談がまるでないけどね」
「ダメですか?」
「駄目だね」
「ダメダメです!」
アルマーニとアイリスの息の合った駄目出しに、今度はフィナがしゅんとする番だった。
ここで、アルマーニがハムサンドをパクリ。それから、どこからともなくミントの葉が一緒に封じられたミネラルウォーターの瓶を取り出すと、これを一口。
「あー。あー。では!僭越ながら、ちょっと話し下手な相棒に変わって僕が、アイリス嬢の助けに成ろうかな。」
そうして、喉の調子を整えたアルマーニ先生による召喚原書講義がカフェの片隅で密やかに開講されたのだった。
「これは非常に稀な例だけど、契約者、つまり召喚学専攻資格者だけでなく召喚原書が、チャンスと言うか宿命や運命みたいな物に強く惹かれる事があるんだ」
アルマーニがアイリスの理解をゆっくりと待つ。
「特に、巡り逢うべき召喚学専攻資格者が祝運の日に近づいて尚、自らを…此処では召喚原書の事だけれども…近くにさえ感じられない時にね。手の届くところに有って、すれ違う時は召喚原書は基本的に沈黙して次を待つ」
アルマーニは更に、ミント水を一口。それからハムサンドを置いて、フィナの食べかけたドーナツの欠片をポンッと口に放り込む。
アイリスはその余りに自然な動作に驚いたが、フィナはいつもの事と言う風だった。
「こうして非常に稀な頻度ではあるけれど、輝いた召喚原書には少し不思議な事が起きる。紙で出来ているのに何人にも開けなくなるんだ。ただ一人出会うべき召喚学専攻資格者を除いてね」
なにかに気が付いたようにチラッとフィナがアイリスに目を向ける。
「ちなみに、僕等みたいな専門司書官はこんな状態の原書を召喚原書の名称に替えて祝運の円環の欠片と呼んだりするんだけど」
ここで更に、アルマーニはテーブルの中央に手を伸ばしドーナツを1つ取り上げると、もう片方の手で輪の一部を千切って見せる。
「このドーナツが祝運の輪。この小さな方の欠片が祝運の円環の欠片、こっちの大っきいのが召喚学専攻資格者」
アルマーニはそれぞれのドーナツのカケラをわずかに振って見せる。
「この小さな欠片は決して他の円環の一部には成れない。なんとなく想像出来るかもしれないけれど、切り口が他とは噛み合わないからね。だから残念だけど、もし召喚学専攻資格者に見落とされるような事が有ると、この召喚原書は永久に誰にも使えない。廃棄処分一直線。開けなければ研究資料にもならないしね。なので基本は、その時点での試験未受験者…今回はアイリスさんを含め4人…に確認してもらう為の移送。という訳です」
パクリ。パク、パク。モグモグ、ゴクリ。ふぅ。
「もちろん、召喚成功が確約される訳じゃないし、他に既に定めた召喚原書が有れば開く事が出来ても、選択は強制され無い。さて、これにてお開き〜。ご馳走様でした」
アルマーニがペロリと指を舐める傍、彼の話を聞いたアイリスは小さく震えていた。
この感情に名前をつけるのは難しいと彼女は思った。でも敢えて表現すれば、やはり喜びだ。
今日まで泣いて、笑って、そして頑張って努力してきた。そんなふうにして自分は今漸く、生涯を共に歩むパートナーになり得る、そんな誰かに巡り逢うチャンスを得ている。
それだけじゃなく、召喚原書もまた向こうから自分を探してくれていた。
それは何だかロマンチックで胸躍る出来事ではないか。
そしてもし召喚に成功したなら、そのパートナーはきっと、自分のもう1つの願いにも力を貸してくれる。
「それは、私です!」
アイリスは、去りかけたアルマーニの持つ召喚原書の入ったケースを、真っ直ぐに指差した。
伸ばした腕と同じくらい、真っ直ぐな瞳で彼女はアルマーニを見ていた。
「ほう!」
彼は小さく口笛を吹いて驚きを顔に表したが、すぐに居住まいを正す。そして、片足を引き胸に腕を添えると、アイリスに向けて優雅に腰を折る。
「それでは、我らが書源の館へ御同道下さい、お嬢さん。王城付き、特級位官、召喚原書取り扱い王権代理最高司書官アルマーニ・クリス、奮って貴女のお力となりましょう」
アルマーニは少しだけキザに、アイリスに片目を瞑って見せた。
☆
アルマーニに案内されてアイリスが入室したのは、学院並立第一図書館の最上階会議室だった。
書源の館とは第一図書館の旧名称で、一部の司書官が格式ある場でその様に呼ぶ事があるのだと、彼女はフィナから教えられた。
「さぁ、開いてみて」
アルマーニに促され、アイリスは目の前に置かれた召喚原書に手を伸ばした。アイリスは自ら声をあげたのに、いざとなると試されている様で緊張していた。
伸ばした指先が召喚原書に触れる。
あの時の様な不思議な感覚は訪れなかった。一瞬不安が過る。
「えいっ!」
それでも、彼女は小さな掛け声と共に召喚原書を開く様に指先に力を込めた。
「あ!」
「うん。どうやら、間違い無いみたいだね」
召喚原書はあさっりとその口を開いた。
「さて、それでは、アイリスさんの試験申請は、この召喚原書『灰白の遥か巡り沿う悪徳の獣』で良いのかな?」
アルマーニは確認するように、アイリスの顔を覗き込む。
アイリスは九割決意が固まっていたが、召喚原書の銘を再度落ち着いて聞き、若干残る不安をアルマーニに正直に打ち明けた。
「はい。お願いします。ただその、ここまで来て何ですけど、悪徳って私で大丈夫…」
アルマーニは、笑ってその心配を論理的に解消してくれる。
「あー、その事か。これという召喚原書に巡り会うと、それだけでなにもかも受け入れてしまう人も多い。銘まできちんと読み解く人は三割位だね」
「そうなんですか?」
「ああ。でも安心して。召喚原書の銘は少し古い時代の言語で記されていて、意味も現代語とは異なる。『巡り沿う』は、人を惹きつける。『悪徳』は悪戯っぽさや何かに縛られない自由な性質を示す語だ。案外と可愛い犬型で、悪戯っぽく誰にでも好かれる感じかもしれないよ」
「はい!」
アイリスは今度こそ、笑顔でアルマーニに頭を下げた。
☆ ☆ ☆
アルマーニがアイリスの試験の手配をするという事で、彼女は第一館を後にした。
アイリスは一度家へ帰り、再びここへ来るのは六時間から七時間後の試験時間の頃になる。
フィナはアルマーニと共に彼女の背を見送りながら、唇を尖らせて彼に話しかけていた。
「随分アイリスさんに肩入れしましたね。やっぱり歳下の娘が好きなのですね」
「人聞が悪いな〜、なんだい?ヤキモチかな?」
悪戯っぽく笑うアルマーニ。
「いえ、そ、そうではありませんが…何故かなと」
多少詰まりながらもアルマーニの言を否定するフィナ。
「彼女、無意識だろうけどカフェで召喚原書を指して、『それは私だ』と言っただろう。ドーナツで例えたけど、あの例の通り召喚原書は召喚学専攻資格者とその未来の一部だ。その本質を感じ取っているのだろうね。召喚原書をただの道具に過ぎないと思う者は、あの言葉を選ばない。彼女は良い契約者になるかもしれない、と思ったのさ」
アルマーニが、かすかに頬を緩めた。
「そうでしたか」
フィナが静かに彼を見つめて頷いた。
これは、アイリスの与り知らぬ話。
☆ ☆ ☆
少し大仰に表現するなら、『刻は来た!』と言ったところだろうか。アイリスの心情としては決して大袈裟では無い。
時刻は午前零時まであと五分程。
学園並立第一図書館、第三庭園中央儀式広場。
皺だらけにしてしまったお気に入りのワンピースを綺麗にし、準備万端のアイリス。
広場の周りに焚かれた聖火。
儀式手順の最終確認を終えたアイリスは、審査官から召喚原書を受け取った。それは、予めアルマーニが手配しておいてくれた物だ。申請手続きの類いは全て完了済みだった。
アイリスは召喚原書をペラペラとめくり、陣の描かれた頁を開く。そして、そっとそのまま広場の中央に置いた。更に、指先をちょっと針で突き、滲んだ血を指の腹に広げると描かれた陣の真ん中に拇印を押す感じでチョンと付ける。
ゴーン!
午前零時。
一日一度だけの鐘が、月夜の空に響き渡る。
響く鐘の音に促されるように、召喚原書から落ち着いた足取りで少し離れる。審査官三名が見守る中、アイリスは召喚契約実地試験、第一次召喚の儀を開始した。
「私は乞い、願う。世の理を超え、世界の隔てを超えて。尚、貴方が許すのなら、刻の彼方へ至るまで、幾億の今日を重ね、共に並びて明日を行こう。私はアイリス・カーフィー。この盟約に答えるならば、門を開いて像を示せ。『灰白の遥か巡り沿う悪徳の獣』」
静寂の中、謳う様なアイリスの声だけが広場へとその波紋を広げる。
直後、パチッ、パチッと音を立て白銀の火花が弾けた。召喚原書があっと言う間に燃え尽き、広場に火花と同じ白銀に輝く陣が広がる。
強く明るく暖かな陣の輝きが、一瞬で辺り一面を飲み込み、アイリスを照らした。
きっと、きっと、上手く行く。
祈る様に、アイリスは目を閉じた。
一日中、ホントに色々な事が起きた。悩んで、ビックリして、感激して、不安になって、そして選ぶと言う決断をした。
色々な人に手を差し伸べてもらい、背を押して貰った。そんな全てが、この今日を締め括る瞬間につながっている。
新しい始まりに、出会えるかもしれない瞬間に。
予感がする、今日は、きっと忘れられない一日になる。
彼に出会った瞬間、アイリスの予感は確信になる。