続き~それは、アイリス・カーフィーの1日(前編)~
アイリス・カーフィーは、国立学院の二年生だ。
彼女は学園の中では、ちょっとだけ特別な存在である。
魔法学の基礎を一生懸命学んで、遂に二年生へと進級するこの春、ひと学年10名までを定員とする召喚学専攻資格者に選出されたのがその一因。
ちなみに、資格者は1年次の成績を基に成績優秀者への希望調査と学園長、国王との面接試験により決定される。
そんなアイリスにとって今日は召喚学専攻資格者の第一関門とも言うべき、初の召喚契約実地試験日。
発音すると舌でも噛みそうだが、これまた特別な日なのである。彼女にとって今後の進路を左右する重大事だ。
と、いう訳で今日ばかりは、アイリスもいつもと変わらぬ平常運転とは行かない様子だった。
学院2年生となってから通常講義に加え、十人の仲間たちと召喚学基礎を新たに学び始めた四の月から早三カ月。
召喚に関する講座のステージは、座学からついに実地へと移行する。
その第一歩が、召喚原書を自ら選びとり、契約する召喚獣を呼び出す事である。
しかし、初回の召喚はそう生易しいものではない。国とこの世界に新たな力と利益をもたらす可能性を秘める異世界との邂逅…。
もちろん全てがそうではない、召喚者の一護衛にとどまる召喚獣である場合もある。それでも、契約者には異世界の存在をパートナーとする者として、少なくない敬意が払われる。
いずれの場合にしても、地面に花マル書いて、「召喚獣さん出てきてください」などと軽々しく行かないのは確かだ。
この魔法文明最盛期の今なお、第一次召喚は心、知識、才能、そして星の巡りがもたらす祝運がそろって、始めて成せる極難魔法である。
国が召喚学専攻資格者に、ただ一冊、ただ一度だけその希望に沿って与えられる召喚原書。
それに、契約の血、心声、聖火を持って召喚学専攻資格者は異界の存在の招来を乞う。召喚原書は燃え尽きて失われ陣となって獣を顕現させる。
ここで大切なのは乞うと言う部分だ。問答無用に引っ張り出す訳ではない。相手との親和、宿縁が無ければ失敗に終わる。
そして、召喚学専攻資格者たる資格も永久に失われる。
現在、国の保有する召喚原書は193冊。同じ物は一つとしてなく、召喚学専攻資格者と召喚原書の相性は文字通り、神のみぞ知る、なのだ。
そうした事情で、アイリスは学院並立の国立第一図書館の中でも、特に厳重な対物理・魔法衝撃ガラス壁で二重に囲まれた最重要保護文書棚の前で唸っていた。それはもう、力の限り。
「ムー。ムーー。ムム!?。ウムーーー」
当然と言えば当然だが、彼女は目立っていた。とても。すごく。しっかりと。
大半の図書館利用者からは、ここ二三日噂になっている例の唸る美人さんかと、生暖かい目で見守られていたが。それでも、やっぱり注目されているにかわりはない。
多くの他人の目に晒される事で同時に重要文書の盗難防止に一役買うガラス壁。物理的、魔法的衝撃にもしっかり対応。
しかし、棚の前で唸りながらしゃがみ込むアイリスを隠し、花も恥じらう乙女の世間体を護る役目だけは残念ながら担えなかった。
長くその場にしゃがみ込んでいた為、アイリスお気に入りの白いワンピースは裾が皺だらけになっており、ついでに彼女の眉間にも皺の侵攻が始まっていたのたが。人生の岐路で考える人と化したアイリスには些事である。
もともと、学院入学時点でアイリスはかなり人目を引いていた。
長く綺麗なプラチナブロンドの髪、やや碧みがかった黒瞳、細い顎とすっと通った鼻のラインと白い肌。美人と言って差し支えない要件をおおよそ持ち合わせ、それでいて気取るところは無い。やや不器用な感じがあり、本人にも自覚はあるようだ。なんとか頑張ろうとコツコツ努力する姿は健気にも見えて、どこか応援してあげたくなる雰囲気なのだ。
けれど、アイリス本人にはそんな風に自身を演出するつもりも、している自覚もない訳で…気取らない美人さんの無自覚な魅力、またはドジな頑張り屋の可愛いらしいさ、と言うヤツなのかも知れない。
☆
コツンっ!!
そんな中、アイリスの頭に軽い拳骨が降ってくる。軽い感触ではあったが、彼女はようやく、営々と地の底まで潜って行きかねない思索の世界から帰還を果たした。
「痛!……くもない?」
悩み過ぎて周りが見えなくなっていたアイリスは、拳骨を降らせた相手の接近にも気が付いていなかったのだ。しゃがんだまま左右をキョロキョロと見回した後、拳骨の主を見定めようと、首だけで背後へ振り返る。
「あんたねー。怪奇、唸る石像!になりかけているわよ。いえ、服も白いし石膏像かな? まぁともかく、眉間の皺で可愛い顔が台無しなのは確かね〜。ちなみに、ものすごく見られてる」
背後に立って、若干ため息混じりに声を掛けて来たのは、アイリスの幼少からの親友にして、同じく召喚学専攻資格者の第4席、サーシャ・クールであった。
学年五指に入る優秀さに反して、彼女にはそうした人間が放つ特有のどこか冷たい雰囲気は無かった。
短めの髪、適度に日焼けした肌。服装も半袖のシャツ、男物のズボンとスッキリしていてアクセサリーは特に無く、意識している女の子らしいチャームポイントは赤い縁の眼鏡くらいだろう。
清楚さよりは健康的な美しさを感じさせる彼女は学院男子連中にも物怖じしない溌剌とした性格だ。
そんなサーシャだからアイリスの噂を聞いても、一日か二日のことならばしょうがない。まぁ、司書官からも注意を受けてはいないようだし、などと彼女を放って置いたのだっだ。
だが、このガラス小部屋は図書館大ロビーの中央に位置し終始誰かしらが周囲を行き来している。更にロビー全体に中央へ向けて椅子と机が配されており、日々それらを利用する者も大勢いるのだ。
そんな図書館利用者注目のお立ち台で、連続五日目ともなる斯様な行状ともなれば、流石に一言アイリスに言って置いてやらねばなるまい。と、サーシャはこのガラスの小部屋への入室許可を取ったのだった。
「ムー!眉間の皺で試験に落ちたりしないわ。それに、サーシャは昨日試験を無事終えたからそんな風に余裕なのよー。これで、将来の国立図書館司書官の夢は叶ったも同然だものね」
「...…イヤ、待って。試験と皺の関係よりも、仮にも歳頃の乙女たる者の在り方と眉間の皺と唸り声の関係に注意を向けて。あと二、三日もすれば図書館の残念なアイドルって二つ名も夢じゃないわよ」
さっぱりとした性格と日頃女性らしさを意識させる事の少ないサーシャも、乙女の品格に無頓着という訳では無い。それらは時間と場所と相手により適当な選択が為されるべきと思っているのだ。
「そんな事よりも、今は試験よ」
普段から、アイリスは至って真面目な学院生だ。良い成績を修めるべく勉学にも常に真摯に打ち込んでいる。しかし、ここまで試験の鬼では無い。やはり彼女には、かなり焦りと緊張が有るのかも知れない。少なくとも気合いは空回りしている。
そう思ったサーシャは、少しでもアイリスの緊張を解いてあげられればと軽口を叩く事にした。あまり一事にとらわれ過ぎては、上手く行くモノも行かなくなってしまう。
「まぁ、毎年十名の内約半数以上がここで落ちるんだから、こんなの国が主催した博打みたいなモノよ。気楽に行きなさいな。ダメならダメで道なんて幾らでもあるわ」
「博打は、不謹慎よ」
「じゃ、お見合いね。相手は異性とは限らないけど」
「おみあい…」
あまりにも、あんまりなサーシャの言い様にガックリと力の抜けるアイリス。
参考にでもなればと、話題の転換を図る事にする。
「ところで、 サーシャは、なんて召喚原書にしたの?」
「『蒼き湧き出づる知識の獣』にしたわ」
「そっかー。素敵だった?」
「それは、勿論。これからの、人生のパートナーだしね。薄蒼く輝く体躯、靡く鬣、渋い心声、有り余る異界よりの知識。おまけに紳士。契約の記念として背に乗せてくれて学園敷地をぐるりと散策。うふふ。サリアランデさん〜」
うっとりした声で、昨夜の夢見心地な世界へ唐突に旅立つサーシャ。女性らしさをあまり感じさせない普段の彼女しか知らない者ならば、驚く事間違いなしの見事な旅立ちぶりだった。
「うーん。心のお見合いなのかも…。やっぱり直感第一なのかな。ウムー」
夢の世界へ旅立つ乙女と化したサーシャの隣で、アイリスはまた唸り始めた。
☆
さてさて。午前中を図書館で唸って過ごしたアイリスだったが、結局召喚原書を決める事は出来なかった。試験は今宵、午前零時だ。まだ十二時間あるが、それしかないとも言える。
お気に入りのワンピースで気分を変えてみたが、結局直感には何も触れなかった。
そんな訳で気分転換。腹が減っては戦はできぬ。と、アイリスは図書館を出た通りの向かい側、学院生一押しのカフェで昼食を摂っていた。
ドーナツとアイスコーヒーのセットは、リーズナブルで揚げたてドーナツが食べられる彼女のお気に入りだ。
ちょっと子供っぽいとサーシャに言われてしまうのだがドーナツを口に入れた瞬間はつい、両足をパタパタさせてしまう。
屋外カフェテラスには気持ちの良い風が吹いている。絶賛ドーナツ満喫中のアイリスは、昼食時で混み合いはじめた道行く人々を見るともなしに眺めていた。
「ドーナツ、さいきょー♪」
小さな呟きが、雑踏の喧騒に溶行く気持ち良い青空の午後。
本日もアイリス美味しいものランキングにおける不動の一位が新たなる連勝記録を樹立するのだった。
☆
アイリスが丁度ドーナツのひとくち目を楽しんでいた頃。
もし運命と言うものがあるのならば、それは正にこの時足音を立て彼女へと近づいて来ていた。
国立図書館の建つ大通りを、ニ人組の男性と女性が歩いてきて流行りのカフェに背を向けて立ち止まる。女性が右手に黒いケースを下げていて、男性の方がケースを挟むように隣には並んでいる。
目的地は国立図書館だ。馬車が過ぎるのを待って、大通りの向こう側へ行くのだろう。
二人が司書官なのは誰にも一目瞭然だ。真っ白なジャケットに赤いラインの入った制服は司書官のシンボルなのだ。二人はそれ程神経質にでは無さそうなものの、一応ケースの中身を不意の事故などから護っている様子だった。
基本的に国内の治安は平和そのものなので用心は形式的なものなのだ。道端で強盗などここ十年起きていない。
しかし、安心している時こそ運の悪い事は起こるもので、道を急ぐ別の男性が女性司書官にぶつかってしまう。
左側からやや強めにぶつかられた彼女は転びそうになり、腕を振ってバランスを取ろうとした。だが、残念ながら男性司書官のフォローも間に合わず両手を石畳につき、持っていたケースを一緒に叩きつける事になってしまった。
ガンっと大きな音が周囲に響き渡る。ケースは破損して大きく口を開け、中身は見事な放物線を描いて遥か後方へと飛んで行った。
☆
ドーナツと午後の優しい微風、青空と喧騒とを等しく満喫して気分転換を図って居たアイリスの耳にガンっと大きな音がが響いてくる。
誰かが、石畳の地面へと随分派手に何かをぶつけたらしい。
ふと、音がした方向へアイリスが目を向けた。
次の瞬間。
……ゴツっ!
アイリスの頭の上に何かが降って来た。
見事なまでの大当たりである。
「うっ!!?………いっっったー!」
思わず叫んで頭を抑えるアイリス。
今日、頭の上に何かが降って来るのはサーシャの拳骨に続いてニ回目だ。そろそろ神様に苦情を申し立てても良いかも知れない。
キッとまなじりを釣り上げたアイリスは、降って来たモノの正体を見極めるべく足元の落下物に目を向けた。
それは灰色の一冊の本だった。表紙は下を向いていて題名は分からない。ただ、アイリスには本の内容は分からなくても一目でどの様な本なのかは分かった。
召喚原書だ。百合を模した箔押しが背面に有るのは召喚原書を含めた重要図書に共通の印だからだ。
「なんで、こんなものが空から?」
アイリスはまだ痛む頭を抑えつつ、目に涙を浮かべながら本を手に取った瞬間、それはやって来た。
ザッ!
それは、自分の中を風の吹き抜けるかの様な感覚。
それは、世界が塗り変わる様な、真っ白なキャンバスに鮮やかな絵が描かれる感覚。
それは、朝食の自家製ドーナツは、ママレード添えが一番と確信した、記念すべきあの幼き日の革命の朝の感覚……いや、ちょっと違うか?
兎に角。此処暫く美味しい食べ物にしか働かなかったアイリスの全身を駆け抜ける様な女の直感と言うヤツ。それが、この時かつて無いくらいの勢いで彼女を揺さぶったのだった。
「あの、ゴメンなさい。ケガはありませんか?」
革命の朝の感覚?に酔いしれていたアイリスは突然声を掛けられ、やや惚けた風で顔をあげた。
「はい?」
顔をあげたアイリスを、腰を屈めて覗き込んでいたのは国立図書館に所属している司書官の女性だった。
「……」
「……」
既視感から、二人はしばし無言で見つめ合う。
「……あら?すごい偶然。もしかしたら学院のアイリスさんではありませんか。元気でしたか?」
二人にとって、久しぶりとなる偶然の再会。
先に相手が既知だと気が付いたのは、アイリスを上から覗き込んでいた女性司書官の方だった。
それでアイリスも、相手が図書館に足蹴く通った一年生の頃にお世話になった司書官のフィナ・ブレアだと気が付く。嘗ては、金の長い髪に眼鏡細面の、スラリとして落ち着いた感じの司書官然とした女性だったが、今は髪をアップにし眼鏡も無く、耳には小さな紅いピアスをしていて活動的な印象だった。
「わー!お久しぶりです。フィナさんですよね。髪をあげて居るからすぐには分かりませんでした。どうしてこんな所に」
アイリスは立ち上がり、今は王城へと職場を栄転して行った筈の司書官フィナへ疑問を返した。
しかし、それに答えたのはフィナではなく、彼女の後方から男性を1人伴い姿を現した男性司書官の鋭い声だった。
「フィナ!召喚原書は無事かい?」
久しぶりの再会を嬉しく思い挨拶を交わしはじめた2人だったが、彼らの登場でそれぞれが居住まいを正す。
「大丈夫よ、アルマーニ。召喚原書は無事。彼女……えっと、アイリスさんが受け止めてくれていたわ」
そう言ってフィナは、紹介するようにアルマーニと呼んだ男性司書官を振り返りながらアイリスを示した。
厳しい表情で現れたアルマーニだったが、フィナの紹介を聞くと視線をアイリスに向け、抱えられた召喚原書を見てホッとしたのか表情を緩めた。
「そうか、良かった。石畳にぶつかって破損していたり、誰かに持って行かれたりしたら大変だったよ。フィナ、大きな声を出してすまない。流石に俺も焦ったものだから、つい。アイリスさんも移送中の召喚原書を保護してくれてありがとう」
先ほどのアルマーニの鋭い声に身を固くしていたアイリスだったが、思ったよりも柔らかな彼の印象に緊張が解ける。
それで自分が胸元に抱えた召喚原書と司書官の組み合わせからして、フィナがここに居る理由は予想できるものだったなぁと、遅ればせながらアイリスは気がついた。
ちなみに、召喚原書は保護したと言うよりも不運にも受け止めた。しかも角を頭で。といった方が実情としてはより正確なのだが、彼女は取り敢えずその辺の仔細を脇に置いておく事にした。
「初めまして、アルマーニさん。アイリス・カーフィーです。フィナさんには、学院入学したての頃からフィナさんが栄転してしまうまでの半年間くらい、学院図書館でお世話になっていたんです」
「よろしく、アイリスさん。そうですか、貴方があのアイリスさん。私は王城分室でフィナの業務監督兼バディをしているアルマーニ・クリスです」
握手をしながら互いに軽い会釈を交わすアイリスとアルマーニ。
アイリスは、アルマーニが何故か自分のことを以前から知っている様な口ぶりだったのを不思議に思ったが、フィナから聞いていたのかも知れないと思いそれ以上は気にとめなかった。
自己紹介を終えたアルマーニは、今回の騒動の原因だと言う男性…さっきアルマーニが伴なって、フィナの後ろから現れたもう一人だ…を衛士に引き渡しちょっぴりお灸を据えて来ると言うと、更にフィナに一言二言告げ二人のもとを離れて行った。