第3話 炎姫 God_and_Extremer
一人と一体は一瞬で肉薄した。
低い唸り声を上げながら数歩で距離を詰めた黒拳獣が、真っ黒い右腕を振り上げる。
圧倒的なプレッシャーがオルフェリスの全身を襲った。
真上から押しつぶすような重圧にオルフェリスが顔を顰めた時には、奴の右腕が轟々と空を切りながら振り下ろされていた。
竦んだ脚に喝を入れ、真横に大きく飛ぶ。
ゴバッッッ!!! と衝撃音を撒き散らし、巨大な黒い拳が地面を砕いた。人体の二倍近くある巨人の拳だ。生身の人間がまともに受ければ、無事ではいられない程の威力を持っているだろう。
喰らえばただ事では済まない。
強い風圧に身体を煽られた彼は、地面を転がりつつも咄嗟に態勢を立て直して敵を睨みつける。
(一撃の威力は凄まじいけど、よく見れば避けられない程じゃない! アレを使われない限り、俺の体力が持てば避け続ける事は出来るはず――ッ!)
浅い回避では風に煽られ態勢を崩し、隙を作りかねない。
逆に大きすぎる回避は無駄な体力を浪費する。
如何にヤツの動きを視て、的確な回避をするか。
戦う能力を持たないオルフェリスが、雇われの冒険者を待つまでに出来ることはそれくらいだった。
『とは言え、お主の言う冒険者とやらはいつ来るんだ?』
「分からない! でも、何とか持たせるしかない」
言いながら最短距離で黒拳獣の背後に回り込む。
彼の行動範囲は黒拳獣の攻撃範囲内だ。
範囲の外に逃れる事も不可能ではないが、どうせ離れたところで二人の一歩の距離が違う。再び一瞬で間合いを詰められる。
常に攻撃範囲内に身を起き、奴の攻撃から逃れることだけに神経を研ぎ澄ます。
直後。
振り返った黒拳獣が遠心力を利用した回し蹴りを放った。太く速い黒色の軌跡が宙に描かれ、オルフェリスに迫る。
「――ッ!」
しかし、その踵は的に撃ち付けられる事なく空を切り、徐々に高度を下げて地面を抉った。
鋭い呼気と共に態勢を低くして蹴りから逃れた彼は、目を見開いて黒拳獣を見据える。
オルフェリスに出来ることはそれしかない。
そして、遂に彼が懸念していたソレが起きてしまった。
轟! と、黒拳獣が両の拳を強く握り締め、高々と咆哮を上げた。
同時に、真っ黒い悍ましい何かが黒拳獣の背中――人体で言う肩甲骨辺りで蠢く。
魔獣とは、魔道を循環する魔障気が集合することで生み出される人害生命体だ。
対して魔物は、魔力が既存の動物に障る事で変貌を遂げる人害生命体。
――違いは、それぞれがそう成るまでの過程だけではない。
個の破壊力・耐久力など、いわゆる『危険度』と言うのは勿論それぞれ違っているが、魔獣と魔物では決定的な差が存在した。
魔獣は、オルフェリスやシーリウス姉妹が持つ先天的な力の様に、その身に『異能の力』を宿して顕現する――!
『何だ、アレは……?』
その身にエルシアを宿したオルフェリスの前で、それは起きた。
ぞわぞわぞわっっっ!!! と、嫌な音を立てながら黒く悍ましい『何か』が形を変えていく。最初はなんの形態も持っていない、ただ黒拳獣の背中で蠢く『何か』だったソレは、次第にまるで背から生える翼の様に体積を肥大させる。
そして出来上がったのは、翼ではなかった。
腕。
水に墨を撒き散らす事で出来上がるような半透明な黒色をした腕。それが、両の肩甲骨から一本ずつ生えていた。
「クソったれが……でやがったか!」
オルフェリスが懸念していた『アレ』。
それはこの『黒腕』の事だった。
この魔獣が黒拳獣と言う名称を付けられたのは、何も身体が漆黒で拳も黒いから、等という安直な理由ではない。勿論それも理由に含まれているが、あくまでそれはオマケでしかない。
背中から伸びる黒い腕。
それが、この魔獣を『黒拳獣』たらしめる主な理由だった。
「ったく、どこまでハードなんだよ。ただでさえ馬鹿みたいな腕力してやがるくせに、リーチまで伸びんだからなぁ!」
突きつけられた理不尽で残酷な現実に対して吠えたオルフェリスを、黒拳獣は背中越しに眼だけで睨みつけた。
予備動作なんてものない。
ソレはただ、肥大する。
背中から生えた二本の黒腕は、沸騰したお湯が弾く気泡の様にボコボコと音を鳴らし、拡大する。太さが二倍ほどに膨れ上がり、ゆっくりと伸長していたソレは――
唐突に、その速度を上げてオルフェリスに殺到した。
明るい昼間、太陽の下に顔を出すには黒すぎるその腕が、空中をうねって左右からオルフェリスに接近すると、ガバッとその拳を開き手刀を生み出す。
少年の華奢な身体を串刺しにする為に。
『フェリス!!』
「分かってる!」
エルシアの声に叫んだオルフェリスは、一歩後ろに後退して思いっきりその身を捻った。
黒腕は、左方向から接近する物の方が僅かに早い。
布が擦れる音が弾け、オルフェリスの左腕をミリタリーコートごと抉った。赤く染まった布切れが空中を舞い、鮮血が飛び散る――事はなかった。
既に彼の傷は塞がっている。
安堵したのも束の間、そこを中心に鋭い痛みが身体中を駆け巡った。
「ぐ、ァァァああああああッッッ!!!???」
悲鳴を上げるオルフェリスの背後で、標的を刺し損なった黒腕が地面に衝突した。重々しい衝撃音を炸裂させながら地面を抉った黒腕は、素早くリーチを萎縮させ黒拳獣の背中へと戻っていく。
「痛ぁああっ!?」
激痛に指先が痺れる感覚を覚える。傷がないことを分かっていながらも、攻撃を受けた部位を確認せずにはいられなかった。
肉が抉れ血が迸る――なんて事はなく、跡形もなく傷が消え去り、地肌が戻っていることに安堵したオルフェリスは、視線を下へと向ける。
その先には、黒腕によって抉れた地面があった。
「今のでこんなに痛えのに、直撃したら俺の意識は本当に持つのか――?」
死なないならば上等だと言った。
しかし、今一度敵対する魔獣の攻撃によって起こった現象を見て改めて考え直す。
必殺の攻撃を受けても傷は付かない。
それはどんなに痛くても死ねないという事。
考えただけでも恐ろしい。
オルフェリスがこの攻撃を避けきる事が出来無くなる状況まで追い込まれた暁には、今以上に強烈な、死んでしまいたいと思う程の激痛が襲いかかるのだ。
避けられない事はない。だが、避けるにしても多大な神経を擦り減らす。
「ゴォォォアアアアアア!!!」
なんの武器も防具も持たないオルフェリスを上手く始末できない事に苛立ちを覚えたのか、怒声を上げながら黒拳獣が走り出す。
黒腕がボコボコと音を鳴らしながら肥大・伸長し、勢いよく地面に突き刺さった。
最初、オルフェリスもエルシアも、その行動の意味を理解することができなかった。
「……は?」
そしてそれは、彼が呆けた声を漏らすのと同事に起こる。
オルフェリスの腕の数倍の太さに膨れ上がった黒腕が、地面に突き刺さったまま伸長した。
黒拳獣の巨大な身体空中にふわりと浮き、一気に目の前まで接近する。
心臓が止まるかと思った。
――一瞬何が起きたのか理解できなかったオルフェリスは、回避行動を取るのに数コンマ遅れる。
『フェリス――ッ!!』
「しま――っ!?」
空中で振りかぶられていた黒拳獣の黒い拳を見て、エルシアが悲鳴にも近い絶叫を上げた。
ぶわっと、肌が泡立つのを感じる。
バゴンッ!!! と。
フルスイングされた黒拳獣の拳が、オルフェリスの脇腹に突き刺さった。
「――ッ」
声を上げる暇もなかった。
声を上げることすら叶わなかった。
その時、オルフェリスは全てを途絶した。
視覚が、嗅覚が、聴覚が、何もかもが消え去り――、
「かは――っ?」
次の瞬間、意識を取り戻した彼の身体は木に激突して力なく地面に倒れていた。
肺から空気が絞り出され、強い痛みを感じる。
しかしそれを覆い尽くすかのように、黒拳獣の拳が発生させた強い激痛が身体全体に広がっていった。
「がァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
一瞬で吸い込まれた空気が肺を痛めつけるのを気にする余裕もなく、オルフェリスは地を転がりながら絶叫した。
肋骨全てが折れていてもおかしくはない攻撃だった。いや、もっと酷いだろう。内臓器官が幾つかスクランブルエッグの様にグチャグチャになっていても驚きはしない。
『フェリス、フェリス! しっかりするんだ!』
「あ……がはっ!? ぐぶごはげぼッッッ!!??」
それでも尚、気を失う事のないオルフェリスにエルシアが悲痛な色の濃い声を掛ける。
ここで倒れる訳には行かない。
そうすれば、新たな得物を求めてこの魔獣は町の方へと向かってしまう。
吐血しそうな勢いで咳き込むオルフェリスだったが、その口から血塊が出ることはなかった。エルシアの言うとおり、身体の何処にも損傷が起きていないからだろう。
視界が眩むような痛みが全身を駆け巡る中、切羽詰った様子のエルシアの声が聞こえてくる。
『フェリス、まずい! 黒拳獣が来る!』
「わがっ、でるよ……ッ! でも、身体が――」
動かない。
禄に運動していない奴が、突然過度の筋トレをした時に感じるような虚脱感。身体に力が入らない感覚がオルフェリスの全身を襲った。
手を付いて起き上がろうとするも、その腕が震えてすぐに曲がってしまう。
『くそっ……このままじゃ……』
壮絶な痛みと虚脱感で動かない身体に拳を叩きつけるも、その拳すらも弱々しい事に舌打ちするオルフェリス。
先程のエルシアの言葉がフラッシュバックする。
激痛が及ぼす精神崩壊の可能性。
ここで動けなければ、あとは一方的に黒丸の攻撃を受け続ける事になる。
『やっぱりダメなのか……我がいても、フェリスの運命は死に――』
悔しさが滲み出るエルシアの声が聞こえる。
言っている意味は理解できなかったが、その言葉が自分を心配してくれているものだと言う事は何となくわかった。
(何やってんだ俺、神様を心配させるとか不敬にも程があるぞ……)
黒拳獣はゆっくりと近づいてくる。
その姿をしっかりと捉えるために大きく目を見開いたオルフェリスは、再び拳に力を入れる。
(立て、動け、動け――ッ!)
その時、自分の中で何かが弾けたような気がした。
(精神を、掌握しろ――ッ!)
直後。
膨大な『熱』が空間を支配した。
突き刺す様な熱気に、オルフェリスは目を細めた。
それは、オルフェリスのものでも、エルシアのものでもない。
第三者の力によるものだった。
彼方から伸びた真っ赤な炎熱のレーザーは黒丸の丸太のような左腕を貫通し、その先にあった木に直撃する寸前で消え去った。
ドサッと音を立てて落ちた黒丸の腕は、ボロボロと風に流される灰の様に消えていく。
攻撃は一度では止まなかった。
次々と伸びる炎熱レーザーは黒丸の右腕、両足を貫通して燃やし尽くす。
黒丸は身体を支える脚を失って地面に倒れた。凶悪な口から漏れるのは、悪意や殺意等と言ったドス黒い感情が詰まった呻き声。
「……燃え尽きろ」
感情を殺した冷めた声が聞こえた。
その瞬間、目の前に新たな影が現れる。
長い金髪を揺らし、碧色の瞳は真っ直ぐに黒丸の姿を捉えていた。黒が基調で赤色の刺繍が刻まれたコートを羽織り、袖から伸びる白く綺麗な掌からは、炎熱のブレードが伸びている。
それは、熱そのもの。
赤く輝くブレードは、魔術によって生まれた代物だ。
より強い熱気を感じたオルフェリスの前で、ソレは振るわれる。
ボバッッッ!!! と音を立てて斬り裂かれた――否、焼き裂かれた黒丸の身体は例の如く灰となって消えていった。
反撃を繰り出す隙すら与えない。
圧倒的な火力で、まさに『一瞬』と形容できる程のスピードで。
その少女は、魔獣を封殺した。
「おま、え……?」
掠れた声で呼ぶオルフェリスに向き直った彼女は、凛とした鈴の音にも似た声で言った。
「何やってんのよ、バカフェリス」
◇◆◇
突如現れた少女は、倒れるオルフェリス背を向けて顔だけ振り返ってそう言った。
美しいロングの金髪と碧眼が特徴的な美少女だ。スタイルの良いモデル体型で、出るトコロは出てて引っ込むトコロは引っ込んでいる、理想的な体格と言えるだろう。
ラウラ=ヴィリアン。
オルフェリスの幼馴染にして、術式『炎熱の舞』を操る魔術師で『炎姫』の異名を冠する少女だった。
「久し振りにこっちまで帰ってきてみればアンタは血塗れで倒れてるし、よく見れば血溜まりも出来てるし、更には魔獣に殺されそうになってるし。驚いて全力で殺しちゃったじゃない」
あっけからんといった様子のラウラに、オルフェリスは心底驚いた表情で、
「ラウラ、お前……」
「な、なによ」
ラウラはオルフェリスを見て、雰囲気が無事な事を確認すると、ホッと一息ついてそう聞き返した。
「――まさか、俺の事が心配で急いで助けてくれたのか?」
「なっ!? バ、バッカじゃないの!? 別にアンタが心配だったからとか、そういうのじゃないし! 私はただ魔獣が目に付いたから冒険者としての勤めを果たしただけだしっ! それに、フェリスが死んだら悲しむ人がいるかも、とか考えただけで全然アンタの為じゃないしっっ!!」
腕を組んで――無意識だろうが大きな胸を強調するように――そっぽを向き、ラウラはそう早口で捲し立てる。
『むぅ……』
どういう意図か、ロリ体型のエルシアがオルフェリスの中で唸っていたが、彼は気にせず苦笑して、
「だよな。いつもツンツンしてるお前に限ってそんな訳ないか」
「うっ……いや、その……」
心の底からそう思っていったオルフェリスの無慈悲な言葉にラウラが息を詰まらせた。
それに気がつかない彼はゆっくりと立ち上がり、
「で、どうして突然帰ってきたんだ? 何かの依頼?」
「……依頼じゃないわ。最近リンシアの町付近で魔物が増えてきているって噂があったから、ボランティアって形でそいつらの討伐に来てるのよ。私の故郷だしね。お金を取って助けるなんて真似はしないわ」
「魔物が増えてる……? ああ、なるほどだからか」
「どうしたの?」
「いや、町で雇ってる冒険者の朝が最近遅いんだよ。毎日大量の魔物と戦ってればそりゃあ疲れるよな」
苦笑しながら頭を掻き、「そういう事情なら恨めないな」と小さく呟く声を聞いたエルシアが独りでに言う。
『……やっぱりフェリスは少し変だよ』
「へ、変……?」
どう言う意味か分からないでいるオルフェリスに、再びこちらに向き直ったラウラの声が掛かる。
「そんな感じで戻ってきたら、アンタが死にそうになってるから……ねえフェリス、アンタ本当に大丈夫なの? 凄い顔色悪いわよ?」
「えっ」
彼女の指摘にドキッとしたオルフェリスは、何かを確認しようと自分の頬を右手で触れて失敗し、無理やり表情に笑顔を張り付けながら言う。
「そうか? いや、多分それは魔獣に殺されかけたからだろ。一般市民で無力な俺が、あんな魔獣を前にしてビビらないはずがないよ」
「……ふーん。で、この血溜まりは誰が作ったの?」
更なるラウラの追い打ちに、張り付けていた笑みを強ばらせる。
これについては誤魔化し様が無かった。先程ラウラが倒した黒拳獣は血を流さず、灰のように消えていったし、この草原は本来、その性質上魔物が近寄ってこない安全地帯だ。故に魔物を倒してその結果血溜まりが出来たと言う言い訳は使えない。かと言って、ここで誰かが血を流す様な出来事が起きたと言うのも難しい。
弱った思考を働かせて悩むオルフェリスにエルシアの声が掛けられる。
『フェリス、我が魔神である事は出来るだけ他言しないようにして欲しいんだが』
思っていた通りの頼みに小さく頷いたオルフェリスは、そしてはてなマークを浮かべた。
その疑問が口に出る前に煎じてエルシアが答える。
『大丈夫だ。「神懸り」の間は我の声はフェリス以外には聞こえない』
なるほど、と口に出さずに納得する。
何とかして現状を誤魔化さなければいけない、と黙り込んで思考するオルフェリスを見て、遂に我慢できなくなったラウラが声を掛けた。
「ど、どうしたのよアンタ……やっぱり体調悪いんじゃ……?」
これ以上彼女に心配をかける訳にはいかない。
内心でエルシアにゴメンと謝りつつ、オルフェリスは咄嗟に思い付いた打開策――もといでまかせを解き放つ。
「体調は全く問題ないよ。ただ実は、あそこの血溜まりは見ての通り、俺が作ったものなんだ」
赤く染まったミリタリーコートを指差しながらそういうオルフェリスを見て、ラウラは眉を潜めた。
無理もない。明らかに致死量に近い出血をしているのにも関わらず、今の様に陽気で言い切られてしまっては、見ている側、聞かされている側は困惑するに決まっている。
オルフェリスに『傷』が出来ていないとなれば尚更だ。
「黒拳獣の鉄拳を貰ってな、結構重症だったんだけど、俺の『使い魔』が一瞬で治しちゃって」
努めて全然問題はなかった風にそう伝えた。
陽気な声でそう告げるオルフェリスの、その言葉を聞いてラウラは目を細めた。
「『使い魔』……つまりアンタは、その使い魔の治癒系統の力によって治療して貰ったから大丈夫だと。そう言いたいのね?」
使い魔とは、契約による絶対的な主従関係で成り立つ対象を指す。その種類は様々だが、最もポピュラーなのが『精霊』だ。
契約するのは主に魔術師が多い。使役するために魔力が必要な故だ。
ラウラの疑う様な視線を受け、オルフェリスは必死に笑みを浮かべる。
「ああ、そうだよ」
ラウラの言葉に肯定すると、中からエルシアの抗議の声が聞こえてきた。
『ちょ、フェリス!! 我が魔神だという事を伝えないでとは言ったけれど、さ、流石に使い魔はないんじゃないかっ!?』
「(悪いなエルシア。許してくれ)」
『むぅぅ……』
素直に謝ると、彼女は何も言えずに唸るだけになってしまった。
こればっかりは本当に悪いと思っている。流石に本物の魔神様を使い魔と称するのは、『魔神』と言う存在の凄さを明確に把握できていないオルフェリスでも『無い』と言い切れた。
とは言え、『使い魔』を使役する者も決して多くはなく、稀少だ。勿論、魔神と比べてしまえば見劣りはしてしまうが……。
「……まあ、フェリスを疑ったってなんにも意味はないんだけど、俄かに信じられなくてね。使い魔を使役するにはそれなりの才能か努力が必要……いや、なんでもないわ」
使い魔を使役するには才能もしくは膨大な努力が必要になってくる。切り傷を治す程度の力しか扱えないオルフェリスが、『才能』で使い魔を使役出来るようになったと考えるのは少々難しい所があった。
言葉を続けようとして一旦やめたラウラが、組んでいた腕を腰に当て、
「それにしても、よく生きてたわね。これだけの血を流すって事は相当な大怪我だったんでしょ」
「いやはや、俺の使い魔が凄く優秀でな。あっという間に治しちゃって」
「ふーん……そんなに凄い使い魔なら私も一度見てみたいわね」
――そして、次なる関門がオルフェリスの前に立ち塞がった。
果たしてエルシアをラウラに見せても大丈夫なのだろうか?
オルフェリスは初めて彼女を見た時、神秘的で神々しいと率直に感じた。実際に使い魔というのを見たことは無いため比べられないが、エルシアは尋常ではないオーラを放っている。
使い魔と言う言葉で誤魔化し切れるか。
(無理っぽいなぁ……)
自問自答を行うオルフェリス。
(仕方がない、取り敢えず先延ばししよう)
そう決断を下した彼は、バツの悪そうな表情でラウラに言う。
「悪いな、今エルシアは疲れて休憩中なんだ。また別の機会にしてくれ」
そしてすぐに、使い魔って疲れて休憩とかするもんなのか!? と言う疑問がふつふつと湧き上がってきたが、彼の内心での不安は次のラウラの言葉に払拭される。
「それなら仕方ないわね」
「ほっ。こんな所で立ち話をするのもなんだし、早く町に戻ろうぜ? 黒鹿亭来るだろ?」
黒鹿亭は、リンシアの町に二つしかない宿の一つで、今オルフェリスが居候させてもらっている宿だ。
この町に雇われている冒険者達も、現在そこに泊まっていた。
「お世話になるわ。あ、それと、私この後すぐに準備して掃討に出るから」
「……了解」
『……、』
歩きだしたラウラの背中を追って一歩踏み出そうとしたオルフェリスは、何もないところで躓いてフラつき、倒れそうになった。ギリギリで踏みとどまった彼はラウラが気が付いていない事を確認し小さく溜め息を付くと、血が乾いて固まった前髪を掻き上げて歩き出す。
その後、遅れてやってきた冒険者逹にラウラの叱責が飛んだのは言うまでもない。