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泡沫  作者: 舘山 悠
2/5

一話/逢


 「おはよう。式の時、隣だったよね?」

 緊張と不安に押し潰されかけて机に突っ伏したまま寝た振りをしていた拓哉の肩を叩いて起こしたのは、近藤(こんどう) 一義(かずよし)。同じクラスだというのは式の時に知った。急に叩かれたせいで、拓哉は思わず体を跳ねさせてしまった。一義は驚いた顔をしながら手を引っ込めた。

 「あ、ごめん、寝てた?」

 「いや、大丈夫」

 慌てて取り繕うような拓哉の対応は不自然だった。自分でもその挙動不審ぶりに気付くほどに。頭を掻きながら笑って誤魔化すと、一義も笑みを浮かべた。

 「面白いね、君」

 面白い、と言われたのは初めてだった。その一言がとても新鮮で、暖かくて、拓哉の緊張をほぐすようだった。



 幼い頃から父親の仕事の都合で、引越しと転校を繰り返していた拓哉は、場に溶け込む、友達と作る、という一般的な子供らしいことがことごとく苦手だった。一人っ子で引っ込み思案な性格な性格なども相俟って、親しい友達を作ったこと等は全くと言える程無く、友達と呼べるものはあまり多くなかった。



 「え?あ、ありがとう」

 面白い、という言葉に対しての返し方がよく解らなかった拓哉は戸惑い、言葉を詰まらせた。

 「俺、かずよしって言うんだ。よろしく」

 「よろしく。たくやでいいよ」

 差し出された右手を握ると、どこか安心した気持ちになった。

 「今日、よかったら一緒に帰らない?」

 「え、まあ、いいけど……家、どこなの?」

 「近いと思うよ。実はこの間、君が引っ越してくるの見てたんだ」

 会話が終わり、授業開始5分前のチャイムが鳴ると、一義は自分の席へと戻っていった。

 拓哉は、深く息を吐いた。

 家族以外の人と会話をする、という事は約2ヶ月ぶりだった。



 中学に入るまでは様々な場所に行った。物心ついた頃に住んでいた場所は雪が多かったのを覚えている。その後も、大きな山が見える街や、昼も夜も眠らない程賑やかな街。

 気付いた頃からこんな生活が続いていたせいか、各地をを転々とする事は、大して特別な事では無いと思っていた。それに伴って、学校も転校に続く転校。1ヶ月滞在しなかった小学校もあった。初めのうちは転校生というレッテルでちやほやされ、一躍クラスの人気者になる。拓哉自身もそれを不快に感じた事は無かったし、殊更注目の的を演じる事には慣れていた。

 しかし思春期に差し掛かる小学校6年生間際、3ヶ月近く在籍していた学校での事だった。

 拓哉に初めて、恋心が生まれた。今になって考えると、恋心と呼ぶよりは憧れや尊敬に近い、見上げるような感覚だったのかもしれない。

 その女の子はクラスではあまり目立たない方だったが、幼いながらも目鼻立ちが整っており、成績も優秀で、学年の男子からは密かに人気があった。

 見惚れれば見惚れる程、自分の特異な家庭環境が頭の隅に追い遣られるのは容易くなった。なってしまった。

 そしてある日、意を決して拓哉は彼女に告白する事にした。

 放課後に用があるから部活が終わるのを待っていてもいいか、と彼女の所属する金管バンド部の部活が終わるのを、音楽室前の廊下で気が遠くなる程待った。

 壁越しに聴こえるトロンボーンやトランペットの、少しぎこちない演奏を一音一音記憶出来る程、時間を長く感じていた。

 漸く彼女が部活を終えて出てくると、帰りながら話そうと、二人で歩いて帰った。

 家が近かった事もあって、帰り道は彼女の住むマンションの前まで送る事ができ、マンション中庭にあるベンチに二人で腰を下ろした。

 木製のベンチは堅く、西日で少し暖められていた。2月の夕方の空気はとても透き通っていて、肌をちくりと刺すような冷たい柔らかさがあった。



 帰りのSHRが終了すると、生徒は一斉にスクールバックを片手に教室を出る。教室に廊下に、所構わず黄色い幸せが響いている。

 同じ小学校同士の友達との会話だろうか、お前は違うクラスなのか、アイツは何組だ、という声が絶えない。ふと、吹き抜けるような孤独感が拓哉を襲った。他所の街から越してきた拓哉と顔馴染みだと言う生徒は、もちろんどこにも居なかった。俯きながら鞄に手をかけようとした時だった。

 「よう、帰ろうぜ」

 同じ肩を叩いたのは一義だった。朝のそれとなんら変わらない感触だった。

 ああそうか、約束をしたいたんだ、とその時まで忘れかけていた拓哉だったが、一義によってそれまでの孤独感は何事も無かったようにかき消されていた。

 学校から二人の家まではバス停3つ分程の距離だった。

 この時期の夕方は心地良い。

 「入学式の時さ、あくびしてたでしょ」

 一義は信号待ちの時、ふと切り出した。

 意識してなど居なかったが、欠伸が出ていたのなら、気の抜けた顔をまじまじと見られたと思うと実に恥ずかしいことだ。

 「え、本当に?なんか恥ずかしいな。変な顔見られたかも」

 「そんな事無いよ。羨ましい」

 羨ましい。これまた妙な言葉をもらった。欠伸が出来る事が羨ましいのだろうかと思ったが、無論、理由は他にあった。

 「俺ああいう式みたいなもん苦手でさ。ずっと緊張しまくってたんだよね」

 なるほどそういう事か、と薄笑いを浮かべた。

 「あんまり緊張とかしないタイプ?」

 一義は目の付け所が面白いな、と思った。

 「緊張しないっていうよりは、緊張するって事に慣れたせいかも」

 「どうして?」

 次々と疑問をぶつけてくる一義に、拓哉は少し怖気づいた。自分から話す事が苦手になったせいもあるためか、説明の仕方がよく解らなかった。家庭環境をどこから説明したら良いのかも。



 「俺さ、ゆきちゃんの事好きだ」

 たったこれだけの言葉を発するのにかかった時間は、いつのまにか空の端を藍色に染めていた。

 「え」

 予感していたか否か、彼女はその返事だけで精一杯のようだった。夕陽で赤く照らされていた頬だったが、拓哉の言葉で更に紅く色付くのが解った。

 「返事が欲しいとかじゃないんだけど、好き」

 一度壊した壁を乗り越えるのは容易いもので、何故好きなのか、いつから好きなのか等、自分でも驚くような事を矢継ぎ早に話し、それだけで満足してしまった拓哉は、彼女に別れを告げると、足早に家路へと急いだ。

 拓哉の話を聴いていた彼女は終始、照れくさそうに、でも少し嬉しそうに、目の前の少年を上目に見ながら、何度も何度も頷いていた。



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