隙間の男と金色の球体と介護士
最近気がついたのだが、息子の幼稚園の通園路の途中、ほんのちょっとした隙間がある。
そこは丁度家屋と家屋の間に存在するちょっとした隙間なのだが、これといって何に使われるでもないスペースだ。壊れたプランターやスコップ、割れた鏡などが無造作に転がっており、日の光は当たらない。
暗くてじっとりとしたカビ臭い空気が漂っている。そんな場所だ。
そんな隙間に男がひそんでいる。
息子はもうすぐ5歳になる。
最近の私は毎日息子に朝食を慣れないながらも作ってやり、仕事の前に息子を幼稚園に送り届けている。
それはもう戦場だ。
ドタドタバタバタ。それにしても子供は、どうしてあんなにも教育テレビに熱中して、朝ご飯を食べる手が止まるのだろうか。
それでいてテレビを消すと怒り狂って余計食べなくなる。
この問題が解決できたらノーベル賞ものだ。と、ノーベル賞受賞を安易に考える。
現在妻は足にギプスをはめて入院している。
スノーボードで転倒して、足を骨折したのだ。
いつもはしっかり者の妻なのだが、時々無茶をすることがあり、急な斜面を猛スピードで滑ってこけた。
まるで仰天映像スペシャルみたいに、とんでもなく派手にこけた。
家屋と家屋の隙間にひそんでいる男。
「男」と表現したのだが、おそらく男だろう。
私は2週間前にその存在に気がついた。
朝。息子と何気ない会話をしながら通園路を歩いており、何も意識もしないまま、ふとその家屋と家屋の隙間に視線をうつすと、そこには金色に光る二つの球体があった。
最初は特に気にも留めず、気のせいだろうと思って通りすぎたが、次の日に再びその家屋と家屋の隙間に視線をうつすと、そこにはやはり金色の球体が二つあった。
金色の球体はまわりの空気と馴染めない様子で佇んでいる。
おそらくその不可思議な存在に気がついているのは私だけなのだろう。
他の園ママはおそらく気がついていない。
その隙間にある二つの金色の球体は、私の夢にも出てきた。
そして私に語りかけてくる。
「なんでやろなー、あんたとは気が合うん言うんやろなー。一目見た時から、そうおもぅたんやで。」
夢の中での私の言葉は、全く空気を震わせることは出来ないらしい。
私はどんなにもがいても喋ることができない。
まるで口にガムテープを貼られたような。そんな歯がゆい状態なのだ。
「だったら一つ、ワイの目ぇ見てくれへんかのぅ。ほんならワイと友達になれるさかいに。」
そんなことを言われても、夢が覚めて実際にその隙間の横を通る際、私は意識的にその金色の球体を私は見なかった。
おそらくその二つの球体が「目」なのだろう。
そこには実体がない。
通園路でのその隙間の横を通るとき、私は下を向いて通った。
妻が退院する日。
私はいつもより早めに幼稚園に息子を送った。
その足で病院へ行って、妻の退院の手伝いをするためだ。
もちろん家屋と家屋の隙間なんて見るはずがない。正直に言って、そんな隙間の事を考えている暇は今の私には無かった。
なにしろ妻の退院があるからだ。
セダン型の自家用車のエンジンをスタートさせて、妻のいる病院に向かう。
私は私の立案した予定の遂行を粛々と行うことを好む性質なのだろう。どんなイレギュラーな出来事が存在しても、なんとなくこなせる事ができる気がする。
昔からそうだ。
しかし今日は違った。なぜなら隙間にいた男が、私のセダン型の自家用車の後ろの座席に座っているではないか。
いつの間にここにいたのか。
ルームミラーに映る金色の目をした隙間の男は、何故か私にとても似ている。
腕組みをして、ミラーごしにジッと私を見ている。
私は思わず気絶しそうになった。
私は特に突飛なほど小心者でもないのだが、さすがにこの男の出現には肝をつぶした。
「まいどおおきに。」
このいんちき臭い関西弁は、夢の中のそれであるのは間違いがなさそうだ。
「今から奥さん迎えに行くんやろ?うちもついて行くさかい。」
私は前方を凝視しながら、黙々と車を運転するしかなかった。
目を見ればどうなるのやら。
関西弁の降りしきる中、滞りなく妻の入院している病院へ到着した。
妻の病室へ向かうと、妻はもうすでに荷物をまとめていた。
妻は私と私に良く似た金色の目をした隙間男を交互に、間違い探しを行うように眺める。
「よく似てるわぁ」
妻は感嘆の意を込めて言った。
「ところで金色のあなたは何ものなの?」
松葉杖の具合を確かめながら妻は言う。
「うち?うちはおたくの旦那はんの体を頂いて、楽しい人間生活を送ろう思うてまんねん」
ニコニコしながら隙間男は言う。
「人間生活なんて過酷以外の何ものでもないわよ。だいいち、この人の人生を奪っても一つも楽しいものなんてない。年収250万円の介護士で、ボケた年寄りを相手にする仕事よ。ボケた年寄りなんて、5分おきにおしっこに行きたいって言うし、うんこを触りまくって壁から床になすりつけるのよ。その後処理もするし、体重60キロの体を抱えたりするの。いつギックリ腰やヘルニアになって、職を辞するかわからない。若いときはいいけど、40歳、50歳と年収も増えずに、そのリスクを背負って働きつづけるのよ。ほんと、楽しいことなんて一つもないわよね」
と、妻はよく喋った。
私は「あぁ」と答えるだけだ。
沈黙する時間。
ふと隙間男を見てみると、隙間男は妻を真っ直ぐに見据えている。
妻の視線は、その隙間男の視線と真っ直ぐに合っていた。
「うちはそんな介護士になりたいんや。お金じゃぁ得られない経験がそこにはあるんや。奥さん、介護士の何を知ってるいわはりますん?真面目に良い職業やで!あんた!この人をバカにしたらあきまへんで!」
妻は黒い煙となって窓の隙間から出て行った。
そして、私の隣には金色の目をした妻がいる。
「しくじってもぅた。あんたの奥さんと目を合わせてもうた。かんにんしてな。」
金色の目をした妻は、笑いながら頭を掻きむしっていた。
(おしまい)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
この小説は、私が書いてきた小説の中で一番文字数が多いと思います。
文字数が多いと、途中で飽きてしまわないかと、書いていて心配になるものです。
長編小説を書いている方は、すごいなぁと素直に思いました。