7-11
まるでスローモーションでも見ているかのように、近江の身体がゆっくりと地面へ傾いていく。
それを僕と和泉は固唾を飲んで目撃した。心臓が大きく脈を打って痛い。武蔵は本当に近江を……? 込み上げてくるものは怒りか悲しみか、とにかく言いようのない感情が全身を巡った。
一方、仲間へ会心の一撃を加えた武蔵は、何事もなかったかのように素知らぬ顔をして僕らの方を振り向いた。「次はお前だ」と言わんばかりに。
近江の剣はブリッランテでも日向と共に一二を争う腕前だ。その近江がやられたならば、彼より劣る僕に勝ち目などあるはずがない。
……でも、引くわけにはいかない!
和泉を守るためならば、僕は。
「おぉおおおおお……ッ!」
「くっ……! 心体増強、短――!?」
有無を言わさず突撃してくる武蔵を前に、僕は最終手段の心体増強を発動しようとした。また和泉に心配をかけてしまうけれど、彼女のためならば僕は命だって捧げられる。
だが発言の途中、空気が震えるのを感じた。
直後、僕の真横を何かが力強い飛翔音を放ち、勢いよく過ぎ去っていったのだ。
それは武蔵の顔を掠めて、彼の頬に一筋の切り傷を与えた。あまりの速さに武蔵は身動きすら取れなかったようだ。
驚いた僕が振り返ると、いつの間にか弓を手にした和泉が、鋭い眼光で武蔵を見据えて2本目の矢を構えていた。いつもの彼女と印象が違うように感じるのは、気のせいか?
「和泉、何してるんだ。早くここから離れるんだ!」
「あぁ……、いい目ですねぇ。前世の貴女を彷彿させますよ、和泉サマ。やはり貴女の中には、前世・和泉の潜在意識が眠っているのですね」
陶酔するように和泉を見つめる武蔵。その瞬間、背筋に寒気が走った。
なんだこの違和感は、あたかも以前から和泉に記憶がないことを知っていたみたいじゃないか。まさか彼女の潜在意識を引き出すために、こんなことを?
「いいでしょう。僕と貴女、現世でどちらが上へ立つ者に相応しいか、勝負です!」
武蔵は斧を八の字を描くように払い、標的を僕から和泉に差し替えて彼女に立ち向かった。
対する和泉も逃げるどころか、矢を構えたまま微動だにしない。最悪の展開だ、僕がもっと早く武蔵の動きを止めていれば!
「はぁあああああッ!」
「やめろ武蔵ぃ――――ッ!」
和泉から数メートル手前で、武蔵は今までで最も高く跳躍し宙返り。
その動きに合わせるように和泉は矢の標準を見定める。
動揺のあまり心体増強のことなどすっかり忘れた僕は、二人の元へ駆け出す。
ダメだ、間に合わな――。
「そこまでだ、武蔵! 話が違うだろ!?」
突如響いた聞き馴染みのある声に、和泉の瞳がハッと見開かれて、弓を引く手が僅かに緩んだ。それでも自分に飛び込まんとする武蔵の姿に、彼女は反射的に目を伏せる。
和泉の頭上から降り立った武蔵は、腕を大きく振り下ろした。〝絶望〟の文字が僕の頭を過ぎる。だが、静寂が戻った空き地で僕が目にしたのは、呑気に今更現れた日向の姿と。
和泉に真っ赤な薔薇の花束を差し出す、得意げな顔をした武蔵の姿だった。
「……は?」
虫酸が走るとは、このことか。……初めて体感したよ。
◇
「それで……僕たちの力量を試すために、和泉を狙うフリして本気を出させたと?」
「嫌だなぁ。そんなに怒らないでくださいよ、安芸君。想定よりも君たちが強かったので、つい僕もムキになってしまっただけの話です。大体、日向君に止められずとも、あのタイミングで止めるつもりでしたよ。僕は女性を襲ったりしませんから」
先ほどまで激闘を交えていた相手に満面の笑みを向けられ、安芸は頭を抱えて溜め息を吐いた。戦闘中の冷酷な表情からは打って変わり、陽気な雰囲気を醸し出す武蔵と俺は今、安芸の前で正座をさせられている。簡単に言うと、お説教中だ。
「俺は止めたんだぞ? お前らが絶対に怒るから止めとけって。だけどコイツ〝ちょっとご挨拶程度ですから~〟って……」
「何が〝ご挨拶〟だよッ、あんな目しておいて。俺、マジで殺られたと思った」
俺の弁解にすぐさま近江が反論した。武蔵の斧に敗れたと思われていた近江は、斧の側面で殴打されて脳震盪を起こしていただけだった。まだ頭が痛むのか、時折眉間を寄せては側頭部を押さえている。
「すみませんねぇ。でも僕は予め、皆さんに懺悔をしておきましたよ?」
「はぁ? 俺は聞いてないぜ」
「懺悔……。まさか、アメイジング・グレイスですか」
顔を顰める近江の隣から安芸が口を挟むと、武蔵は「ご名答〜」と言って無邪気に指を鳴らした。コイツ、状況分かってんのかよ……。
奴が最初に演奏していた『アメイジング・グレイス』には、人の罪に対する後悔と、そんな人にも赦しを与えるキリストの神様へ感謝の思いが作詞されている。武蔵はあの曲で〝許してくれ〟の意思表示をしたと主張しているってわけだ。
武蔵の真意を知った安芸君は、あからさまに不服そうな表情を浮かべた。というか安芸は、戦闘が終わった辺りからずっと機嫌が悪い。未遂といえど近江を殺しかけただけでなく、本来は守るべき存在の和泉にまで牙を剥いたのだから当然だ。
和泉はギャーギャー喚いている安芸と近江の少し後ろで、何故か武蔵に渡された薔薇の花束を抱えて黙り込んでいた。やけに覇気がないのは気になるが、その前に俺にも向けられている安芸の怒りをどうにかしなければ。
「懺悔の話は1回置いておこう。問題は日向、君だよ。いつから武蔵さんと繋がっていたんだ」
ギロリ、と安芸から睨まれ無意識に肩が跳ね上がった。
いつにも増しておっかない顔だ。こうなることは分かっていたのに、やっぱり武蔵に協力なんてするんじゃなかった。
「おいクソ日向、さっさと説明しろ」
続いて、俺の膝を小突きながら攻めてきた近江に一瞬ムッとしたが、ここで口論しても意味がない。
俺は小さく溜め息を吐いて、武蔵と遭遇した日のことを話し始めた。
それは安芸の追求を逃れるために雨の中を飛び出した、あの日の出来事。
『おい和泉、いい加減に……っ!?』
追いかけてきた和泉を返した後、再び俺に近づいてきた人物にそう吐き捨てて顔を上げた。そこで目にしたのが、和泉には似ても似つかぬ優男、武蔵だった。




