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人を信じられない魔女に恋した少年は、それでも愛を語る

作者: 五月伊織
掲載日:2025/11/17

 人は、真実を告げた口で偽りを語り、愛を囁いたその裏で呪詛を吐く。

 本音と建前を使い分けることこそが、円滑な生活を送る術だった。


 そんな人間を、彼女が信じられないのも無理はなかった。


 人々は言ったという――彼女は神が遣わせた奇跡の代行者だ、と。

 けれど人々はその裏でこうも言ったのだ――彼女は得体のしれない術を使う悪魔だ、と。


 僕は彼女が大好きだ。

 もしも腹を切り裂いてこの思いが真実だとわかってもらえるならば、僕は喜んでそうしよう。

 彼女がこの思いを信じられないのだというのならば、信じてもらえるまで、僕は幾度でも愛を告げよう。

 言葉を疑われるならば、信じてもらえるまで、行動で示すしかないのだから。


 ※


 それは遥か遥か昔、もう記録にすら残らない昔の話だった。

 語り手たちの間に伝わる旋律のない物語があった。

 当時世界は相次ぐ戦争と度重なる天災により、大地は荒廃していた。人々は病や飢えに苦しみ、誰もが明日を夢見ることができない、そんな時代だったと伝えられている。

 

 歴史が変わったのは、一人の女が現れてからだった。

 女は祈ることで奇跡を呼び起こした。

 それは死者を蘇らせることこそ出来なかったものの、病に苦しむ人からその病魔を追い出し、触れさえすればすぐに傷は治癒した。

 荒れ果てた大地すらも、女が願えば緑が芽吹く。

 古のお伽話を具現化したような彼女のことを、人々は奇跡の代行者と呼んだ。


 やがて戦争を続けられなくなった国々は休戦協定を結び、世界は一時の平和を取り戻した。

 それと同時に、歴史の表舞台から女の姿とその名前は消え去ったのだった。


 ※


 アデル・マインは、領主の三番目の息子として生まれた。

 家督を継ぐのは四つ上の長男であり、さらに次兄がいるアデルは、最低限の礼儀作法や勉強を課されたのみで、両親や兄、使用人たちに可愛がられ愛されてのびのびと育った。

 数多のお伽話で語られるような、戦争や飢えと無縁の平和な時代に生まれた彼が、彼女と出会ったのはアデルが十歳の誕生日を迎える前のことだった。


 領地の片隅、シルトという名の町に避暑を目的に滞在していた時、彼は町の側にある森に迷い込んでいた。

 馬車の中から見えた森は、外の世界に疎い少年にとってとても魅力的だったのだ。

 町へついて護衛や家族の目を盗んだ少年は、嬉々としてその森へ足を踏み入れた。

 少しだけ森を見て回り、珍しい花や木の実があれば、それを家族へのおみやげにするためにその小さな手に摘み取った。

 森の側を通り過ぎた時の「危ないから近寄ってはいけない」という警告はもはや頭になく、その森に潜む危険性もなにも考えずにアデルはちょっとした好奇心で足を踏み入れた。

 ほんの少し見て周り、おみやげを家族に持って帰る小さな冒険――そのはずのアデルは、そうして見事に帰り道を見失い、ひとり薄暗い森の中を彷徨っていた。


 家族の名を呼ぶ声は既に枯れ果てて、木に寄りかかるようにして歩き疲れたアデルは座り込んだのだ。

 木々の合間から見える空が濃紺に染まりつつ或る中、このまま誰にも見つけてもらえないのだと、悪い考えばかりが浮かぶ。

 昼間は木漏れ日が差し込んで明るかった森は、今や闇に包まれていて、アデルは心細さに目元を拭った。

 どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえて、いっそうアデルは怯え膝を抱える手に力を込めた。


 また、どこかで狼の声がした。

 風が吹き抜けそばの茂みが揺れ音を立てる度、アデルはびくりと肩を震わせる。

(もうやだ、帰りたいよ……)

 声にならない声で呟いて、アデルはぐすっと鼻をすすった。

「誰かいないの!」

 ありったけの勇気を振り絞って叫んだ声は、闇の中に吸い込まれるように消えていく。

 待てど待てど返答はなく、本当にひとりぼっちなのだと理解して、また、アデルは涙を拭った。

 気のせいか、遠吠えがまた近くなった気がして、食べられてしまうだろうかと、考えた。

 その時だ、彼女が現れたのは。


 月の女神様みたいだ。


「君がアデル君?」

 そう呼びかける女性に、アデルは神話の女神を思い浮かべた。

 腰ほどまでの長い金髪には葉っぱが絡みつき、白いワンピースはあちこち泥だらけの若い女性。

 深い蒼色の瞳は、心配そうにアデルを映していた。

 彼女は呆然とするアデルの側にしゃがみ込むと、なだめるように頭を優しく撫でて問うた。

「うん」

 それだけ返答するのが精一杯でやっと現れた人物にアデルは抱きつくと、それまで我慢していた恐怖だとか心細さだとか、そういったものを全て吐き出すように泣きじゃくった。

「もう大丈夫だよ、安心して」

 とんとんと、彼女はアデルが落ち着くまで優しく優しく背中を撫で続けた。

 それからほどなくして、アデルの両親が手配した捜索隊が二人の元へやって来て、厳重な護衛の元、無事にシルトの町に戻ったのだった。

 町に戻ったアデルを待ち受けていたのは家族からの説教であり、その後迷惑を掛けた町の人ひとりひとりに謝罪することになった。

 その最中、アデルは彼女のことを耳にしたのだった。

 彼女は森に住む魔法使いであり、ルディスと名乗る気立ての良い娘であること。

 怪我をしたときに魔法で治療してくれたり、盗賊がやって来たときには自警団が来るよりも早く駆けつけ一掃したり、町の誰よりも物知りで、特に薬草に関しては右に出るものはいない……などと聞かされた。


 その後、改めて彼女の家へ謝罪と礼を告げに行ったのだ。

 彼女は、アデルの父が渡そうとした謝礼すら断り、アデルに対してもう二度と両親に心配をかけないようにと、簡単な注意をしたのみだった。


 それから避暑のためシルトにやってくるたびに、アデルは彼女の元を訪れた。

 最初こそ邪険に扱った彼女もやがては諦めたのかアデルの訪問を認め、年の離れた友人としての付き合いが始まった。

 ルディスは聡明な娘で、薬草知識以外にも歴史や地理に詳しく、アデルは家庭教師から教わるよりも楽しくわかりやすい彼女の授業に夢中になった。

 初夏から終わりまでのおよそ一月の滞在ではあったが、その間ルディスは勉強以外にも様々なお伽話をきかせ、アデルもまた自分の見て感じたことなどを拙い言葉で懸命に話したのだった。


 アデルがルディスの異変に気づいたのは、出会っておよそ五年が経過した頃だったろうか。

 成長期真っ只中のアデルは、その頃になってようやく気づいたのだ、彼女の容姿が、変わらぬことを。

 出会ったばかりの頃見上げてばかりだったルディスは、今や視線が並ぶほど……追い抜くのも時間の問題だろう。


 そのことを問うた時、彼女は悲しそうに笑っていった。

「私は自分の望みの為に人でなくなったから」と。

 どこか寂しそうに言うルディスを、その時アデルは好きになったのだった。


 ※


 アデルが十七の誕生日を迎える頃には、知らなかった、知りたくなかった様々なことを知った。

 周囲の人間に慕われているようで、ルディスは災いを呼ぶ魔女として陰で畏れ疎まれていたこと。

 直接耳にせずともそのことを理解したルディスは、人目を避けるように森に住み、アデル以外と交流を積極的に持とうとしないこと。

 ふたりきりの時には明るく笑うルディスが、町にいる間はどこか冷たい作り物の笑みしか浮かべないことを。

 それから、寂しがり屋のくせに強がって、傷つきたくないから、ひとりでいようとすること、を。


 そんなルディスが、どうしようもなく愛しくて愛しくて、仕方なかった。

 もしも拒絶されれば、もう二度と会えなくなるかもしれない。

 そんな未来があることを理解した上で、覚悟を決めたアデルは、春、ルディスの家までやってきた。

 アデルは自由にさせてもらってきたとはいえ、貴族の三男坊だ。

 既に親からは家のためにと結婚の話が持ち出されていて、アデルは想い人がいるからと猶予をもらっている身だった。

 もしも拒絶されれば、親に紹介された女性と生涯を共にすることになるだけなのだ。

 ありったけの勇気をこめてノックすれば、

「や、こんにちは」

 アデルを認め、驚きで固まった魔女がいて。

 こんな時期にどうしたのという彼女の問いに、アデルは笑っていった。


「ねぇルディス、僕は君のことが好きだ。友達に対する好きじゃなくって、恋愛の意味でね」

 いつのまにか視点は逆転し、かつてのアデルのようにルディスはわずかに上向き視線を合わせてくる。

「もしも君さえよければ、僕と一緒に来ないかい? 君のことを魔女と罵る輩がいても、僕は絶対に君を守る。僕は、君が大好きだ」

「……」

 ルディスは笑みを浮かべると、短く「誓えるの?」と震える声で口にした。

「私は、己の欲望の為に人でなくなった「魔女」よ。町の人々はこう言うわ、災いを呼ぶ者だと。

 時間の流れも違うの。あなたが年を取り老いたとしても、私はずっとずっとこの姿のまま、ねぇ化物でしょう?」

 平静を取り戻すように蒼の双眸を瞬かせ、ルディスは氷のように冷たい笑みをうっすらと浮かべた。


「すき、好き、スキ……。そうやって言葉を重ねるだけならば誰でもできるの。でもいくら言葉を重ねても真実は本人にしかわからない」

 ルディスは深い蒼色の瞳をアデルに向けた。

「だって、人は愛を囁いたその言葉と口で偽りを告げるでしょう……?」


 わかったら帰りなさいと、ルディスは震える声で告げ、アデルに背を向ける。

 明らかな拒絶に、待ってとアデルは声を掛けた。

「たしかに、人は嘘を言った口で愛を告げるだろう。

 だからこそ人は言葉を重ねるんだよ。相手の心なんて誰も分からない。

 分からない以上、言葉と行動でしか己の思いを伝えることができないんだから」

 背を向けていたルディスはゆっくりと振り向き、冷たい眼差しを向ける。

 その視線を真っ向から受けて、アデルは左手を差し出した。

「……もしも、僕の腹を裂いてこの思いが真実だと分かるのなら、いつでもそうしてくれて構わないよ。

 それで真実、僕が君を愛していると信じてくれるなら喜んでこの身を差し出そう。

 何度でも言うよ、君を愛しているよ。この身が朽ち果てるまで」

 左手を差し出したままのアデルは、もう一度彼女に「大好きなんだ」と告げたのだった。


 ※


 時を渡る魔女ルディス・イェーラ。

 彼女に恋した青年アデル・マイン。


 この両名の名前とそれにまつわる恋物語は、吟遊詩人たちの間で内容を異にしながらも長く語り継がれてきた。

 ある者はつくり話だと笑い、そしてある者はその物語を大事に記憶し語ったのだ。


 有史以来の書物が収められた書庫。

 その奥深く、大切に保管された本がある。

 掠れた銀の文字で書名の書かれた黒い表紙の本。

 その中の一頁にはこう記されていた。


 私は人間が大好きだ。

 人の道から外れ、今や人でなくなってしまったけれど、そうして得た力で誰かを助けられるのならば、私は幾度でもその力を振るおう。

 ――そう決意したはずだった。


 私は普通の人が出来ないことでも、この魔法を使えばなんだって実現することができた。

 傷ついた人を癒やすことも、枯れた大地に緑を呼び起こすことだって、大した苦労も労力も必要がない。

 けれど、そう、なのだ。

 普通の人々にとってそれは神の奇跡であるはずで、ただの人間がしていいことではなかったのだ。

 私は人が好きだ。そして、好きな人に嫌われるのは嫌だった。

 人々に恐怖を向けられたことを知ってから、私は人に深く関わらずに生きてきた。

 そうすれば、私は誰も好きにならずにいられたし、好きな人から嫌われることはなかったから。


 それが変わったのは彼が来てからだった。


 幼い少年は私を好きだと言ってくれた。

 そして青年となって、どんなに拒絶してもめげずにめげずに何度もやって来ては語りかける。


 あの日あの時、幼い彼に出会えた私はこの世界で一番幸運だったのだろう。

 いつ終わるとも知れぬこの長い旅路からすれば瞬くような時間だったけれど、

 彼に出会い、彼の隣で笑い、彼に愛され、彼を愛し、彼と同じ時を過ごすことができて良かったと思う。

 変わらぬ私と、変わってゆく彼と。

 それでもなお、彼はあの言葉の通り、私をずっとずっと愛してくれていた。

 それが辛くなかったとは言わないし、できるならば彼とともに逝きたかったとさえ願うほどに。

 願わくは、いつか生まれ変わる彼に、また会うことができるますよう。


 ボロボロに崩れ変色したその本には、古い文字でそう書かれていた。

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