第三話 消失
「ほら、これで良いだろう」
男が、どさっと袋を投げ出す。彼は、悪魔と取引していた。
「成程…よくここまで集めたものだ」
「これで全員分だ。さっさとやってくれ」
男が悪魔を急かすと、悪魔はとても醜い声で笑いながら答えた。
「まだ、一人足りないじゃないか」
第三話 消失
また例の暗い夜道を僕は走っている。息を切らせて、やがて例の黒い人影が見え始める。思わずゾッとしてしまう、その濁った目に見つめられながら、そんなの僕はお構いなしに横を通り過ぎる。
良かった。あいつは何もしてこない。
僕は思わず安堵して、また走り続ける。何故だろうか。ずっとビチャビチャと、水を踏む様な異音が背後から聞こえてくる。
追いかけてきている。そう本能が僕に警告する。逃げ切れるだろうか。いや、やるしか無い。
「おい、待ってくれよ悠」
ふと背後から、何やら聞き覚えのある声が聞こえる。
僕は思わず立ち止まって、後ろを振り向く。突然、左手を湿った手で掴まれる。
必死に振り払おうとしても、獣の様な強い力で握りしめてくる。
「やめろ!辞めてくれ!僕は、まだ死にたく――」
そんな僕の悲鳴も虚しく、刃が僕に右手を切り付ける。
「やめろ!」
僕は必死に抵抗する。やがて、刃が眼前に迫って――
「悠!!」
ハッとして僕は目覚める。手に何やら硬い感触を感じる。
「え、父さ……どうして……」
僕はしばらく状況を理解できなかった。何故?どうして?そんな言葉がぐるぐると錯綜する。
「父さん、実は知ってるんだ。悠の学校で起きてる事。相談にすら乗れなくて、本当に…本当に申し訳ないと思ってる」
「いや、そんな事…」
「母さんが居なくなって、父さんだけになってそれが原因で学校で馬鹿にされるのが怖くて。父さんは父さんで、ギャンブル狂いの放任主義ときたもんだ。ハハッ…笑えるよな…」
父さんは乾いた様な声で、ひたすら笑っていた。
「父さんの事はいい。悠、ちゃんと今日も学校へ行きなさい」
「で、でも…」
「今日くらい、カッコつけさせてくれ」
僕は父さんを無意識のうちに切りつけていた。昨夜、何か対抗手段はないかと思って、ナイフを枕元に置いておいたせいでこんな事になってしまった。殺人未遂だ。僕が切りつけた父さんの右腕はとても痛々しそうで、パックリと割れている。
「父さん…謝って済む問題じゃないのは分かってる。…でも…ごめん。本当に」
僕は深く頭を下げる。
「父さんは大丈夫だ。高校生が、そんなに謝るもんじゃない。子供の代わりに謝るのが、親の仕事だからね」
僕は思い出す。まだ、母さんが生きていた頃のこと。どうして忘れてしまったんだろうか。僕が、友達の玩具を壊してトラブルになった時も、怪我をさせてしまった時も、病気がちで体の弱い母さんの代わりに一緒に家まで謝りに行ってくれたのは、父さんだった。
失ってから大切な物に気づくと言う言葉がある。僕はまだ、幸運な方だ。まだ、手遅れじゃ……
――何言ってるんだ。お前はもう、一人見殺しにしたくせに。お前は、罪人なんだよ。
………。
家を出る直前。ふと、カレンダーが目に入る。よく書き込まれたカレンダーだ。競馬や競艇等の重要なレース開催日全てに青丸が付けられている。それなのに、今日だけ。
「ねえ、父さん。一つ聞いていい?」
あぁ、勿論、と包帯を巻きつけた腕をさすりながら答える。
「何で、今日は赤丸がついてるの?何かあるの?」
「うん。とても重要な事だ。だから…」
父さんは多少気恥ずかしそうにしてそのボサボサの頭をかきながら言葉を紡ぐ。
「今日は、早く帰ってきなさい」
◇
学校はもう、人が居なさすぎて機能しなくなっていた。教室にはもう僕と大輔、健斗しか居ない。
黒板に大きく書かれた『自習』と言う文字を見ながら、これからの事を考える。皆んなが消えた理由。それは勿論、僕達があの男を殺したからだ。
僕がこんなに冷静で居られるのは、万策尽きて成す術が無くなったからだ。お祓いに神社へ行っても、うちではこんな強い邪気は払えないと言うし、あの男の事を調べ様にも、身元が分からなければ論外だ。
「ねえ、これさ昔見た映画に似てるよね」
健斗がふと思いついた様に呟く。
「なんだぁ?なんかあったっけ」
大輔が欠伸をしながら答える。
「ほら、夢の中で殺人鬼が殺しにくるやつ。確か…」
「フレディ・クルーガー…だったよね」
僕が恐る恐る言うと健斗は、それだ!と楽しそうに指を鳴らす。
「今の状況ってさ凄い似てると思わない?」
「まあ、確かにな…結局、倒せたんだっけ」
僕がそう言うと、健斗は急に重苦しい表情になる。
「無理だった。一作目しか観てないけど」
「じゃあ俺は、残りの作品で倒せる事を祈ってるぜ」
大輔はいつも呑気だ。ただ今この場では、その呑気さが逆に怖く感じる。何でコイツはこんなに気楽なのだろうか。
「今日はさ、皆んなでパーっと遊ばないか?」
健斗が意外な提案をする。前に大輔が言った事と同じ事。
僕としても、もう学校に居るのは辛かった。教室は、墓場と変わらない。
「多分、僕今日死ぬんだ」
健斗が呟く。とても悲しそうな目で、天を見つめる。
「お前、何を…」
そう言いかけた僕も、彼と同じ窮地に立たされている事を知覚する。夢は、少しずつ進行している。殺されるなら、僕も今日だ。
「だからさ、死ぬ前に僕達で思い出を作っておきたいんだ。何なら一緒に夜を明かすのもいい。お前はどうだ、大輔」
健斗が神妙な顔つきで大輔に問いかける。流石の大輔も、あぁ、と低い声で同意した。
視線が僕に向けられる。僕の同意を待つ顔だ。ただ、僕は……
「お願いだ、悠」
辞めてくれ。そんな目で、僕を見ないでくれ。僕は父さんと約束があるんだ。早く、家に帰らなきゃいけない。なのに。
「……分かった。今日は一緒にいよう」
情けない僕を、笑ってくれ。
◇
その後、僕達は最後の時を過ごした。思い出の駄菓子屋、ゲームセンター、公園、森。これで終わりかと思うと、全てがキラキラしていて、酷く眩しく見える。
僕が死んだら、どうなるんだろうって疑問が常に頭の片隅にこびりついて離れない。やっぱり、この世界はいつも通り続くんだろうか。それとも、僕以外の人は全員AIかなんかで、僕が死んだらその世界は消滅して、また新たな世界ができる――。そんなSFチックじみた妄想をひたすら続けていた。
「悠、大輔。付き合ってくれて、ありがとうな」
僕達は、昔秘密基地を作って遊んでいた山まで来ていた。どうやら健斗は、死地にここを選んだらしい。
「いや、これくらいお安いご用さ」
大輔が気楽に答える。
「僕達も、これでお終いかぁ…」
「人生、楽しかったか?」
健斗が僕の目を見ながら微笑む。それなりかな、と僕はわざと欠伸をしながら発言する。
「でも、今日良いことがあったんだ」
「何々?」
大輔が、興味津々と言った感じで食いつく。
「僕が死んだ後、少なからず悲しんでくれる人が増えた」
「お前…最後に父さんと話せたんだな」
健斗がまるで自分の事のように嬉しそうな顔をする。健斗と大輔は、僕の事情の全てを知っていた。だから当然、父さんとの関係が一つもうまく行っていないのも知っている。
「でも、お前らは良いよなぁ…」
大輔が空の星を見ながら呟く。
「あ、ごめん…大輔」
思わず、自分の事を喋りすぎて、大輔を傷つけてしまった。まだ覚えている。あんなに明るかった大輔が、親が亡くなった直後はひどい落ち込みようで、口を聞ける状態じゃなかった事を。でも、時間というのは便利なもので、ある日突然、いつもの呑気な彼に戻っていた。
「でも、もう良いんだ」
「何が?」
健斗が聞き返しても、反応はない。ただ、彼はニヤッと笑うだけで、それ以上もう言葉を発する事は無かった。
◇
「おやすみ。そして、さようなら、健斗、大輔」
僕は二人が寝たのを確認して、その場を後にする。父さんの所へ、向かう為に。
「父さん‼︎」
僕は戸を勢いよく開けて入る。時刻はもうすぐ0時を過ぎようとしていて、僕は約束を破ってしまった。
「ごめん、帰るの遅くなって…父さん?」
家には、誰かいる気配が微塵もなかった。その代わりに、テーブルの上には豪華な食事がラップに包まれて並んでいる。冷蔵庫にはショートケーキが置いてあった。
僕は改めて今日の日付を確認する。青丸がついている今日。何か特別な日だと言っていた父さん。そうか、僕は忘れていた。今日は――
「僕の、誕生日だったのか」
ふと、テーブルの上に小さな置き手紙がある事に気づく。
『悠、誕生日おめでとう。出来れば直接言ってあげたかったんだが、今日も帰りが遅いみたいだね。夜遊びは、程々にする様に…って、父さんが言える立場じゃないか。父さんも、良く夜中にゲーセンとか行って怒られていたからね』
『まだ、悠が生まれた時の事、良く覚えているよ。玉のように美しい…と言ったら大袈裟かもしれないが、少なくとも父さんと母さんはそう思った。ゆっくりと育って欲しかったから、悠って名前を付けたんだが、お前はギュンギュン早く育っていってな、気づいたら何処か遠くへ行ってしまいそうで怖かったな。』
『今まで父さんらしい事、してやれなくてごめん。どうかしていた。母さんを失ったショックで、酒に溺れて、全く、情けない限りだよ。同じくらい、悠も悲しかっただろうに父さんはその気持ちに気づかなかった…いや、気づこうとしなかったんだ。自分が、世界で一番不幸な人間だと呪った。自分勝手にもね。』
『だからと言うわけじゃないが、今日は罪滅ぼしをしたかったんだ。久しぶりに腕によりをかけて料理をしてみた。母さんは料理下手だったからな。父さんの担当だったんだ。味は保証するよ』
『だから父さんを許してほしい…何て言わない。あんな奴が居たな程度でいい。これは、父さんの純粋な気持ちだ。改めて、誕生日おめでとう。悠。父さんは、一生お前を愛している。』
腕が痙攣する。手紙を持っているのがやっとだった。視界が霞む。何で、何でもっと早く和解出来しなかったんだ。自分から壁を作って、話せる時に話さなくて、いざとなったらこれだ。もう手遅れなのに。まだ、帰ったら話せると思ったのに。
その時。この静寂を、固定電話の音が突き破る。
「は、はい。坂田です。」
出かけた涙を引っ込めて、僕は受話器を耳に押し当てる。
「やっと繋がった…いや、失礼。坂田悠さんですか?」
「はい、そうですけど」
「お父様が、危篤状態に…」
その後の事は、聞いていない。僕は壊れんばかりに受話器を叩きつけて、制服のまま、夜の闇へと繰り出した。




