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第二話 原罪

あのホームルームの日。授業は中止になった。クラスメイトは喜ぶ気配なんて微塵も無く、ヘドロのような粘度の高い気持ち悪さが教室を覆っていた。多分、皆んな勘付いているはずだ。何故袴田が死んだのかを。同時に、こうも思った。次は自分だ、と。




第二話 原罪



僕はまた、暗い夜道をひたすらに走っている。やがて遠くに、例の黒い奴が見える。背中を丸めて、ただ何かを見据えている様にも思える。手から、ポタポタと、水の様なものが滴り落ちていて、手でも洗ったばかりなのかな、何て呑気な事を考える。

途端に背筋が凍りつく。これ以上、あいつに近づいてはいけない気がして。でも、僕は進むしかない。こいつの横を通るだけでいい。通るだけで。何も、怖い事なんて無いじゃないか。

10メートル、5メートル、1メートル。そこまで近づいた所で僕の心臓は震え上がる。

街灯の光が、黒く濁った目を写し出す。そうか、こいつは…





ずっと僕を、見ていたんだな。





「なあ、悠。お前、まだ学校に来るつもりか?」

健斗が隣の花瓶を見ながら話しかける。

「他にやる事もないし、家にいたらそれこそ変になるってもんだよ」

僕は窓の外を見ながら、気怠げに答える。最近、雨が強い。

「いっその事、カラオケなんて行ってパァッと気分あげるのはどうだ」

大輔が場を盛り上げるように、声のトーンを高くして言う。だが、僕達の沈黙が拒否の代弁者となった。

たらいをひっくり返したような雨音が校内にとてもよく響く。全員の息遣いでさえ聞こえてきそうな、沈黙。

あれから一週間が経った。もうクラスは、人の数より花瓶の数の方が多い。学校はすでに自由登校になっていた。

警察の捜査が全然進んでいないのは、前の台風で都市部との唯一の道路が土砂崩れで通れなくなったからだ。復旧まではあと二週間はかかるらしい。

「それにしても大輔。お前よくこの雰囲気でそんな事言えるよな」

健斗が若干訝しげな表情をしながら非難する。

「別にそんなつもりはないけどさ。もう俺達高校2年生だ。来年には受験で遊びたくても遊べなくなる。だから―」

大輔が言いかけたその時。

「来年ってあるのかねえ…」

僕の後ろにいた美羽歩美がボソッとそんなことを呟いた。クラスの雰囲気がより一層下がる。

「おい、そんな事言うなよ」

「だって事実でしょ!大体、あんな事をするから皆んな死ぬんじゃない!」

彼女が金切り声をあげる。半泣きのまま、教室を出て行ってしまった。僕達は、呆然としたながらそれを見ているしかなかった。

人は誰しも秘密を持っている。当たり前の事だ。ただ、僕のクラスの秘密はあまりにも罪深くて、一介の高校生が背負うにはとても重すぎるものだった。







あれは、つい二週間前の春――

僕達はここら辺では有名な滝を見学する事になっていた。華厳滝とかそういう立派なものと比べてしまえばそれまでだが、実際見てみるととても良いものだ…と先生が言っていたのを覚えている。一泊二日の社会科見学だった。

実際、学校的には滝なんてどうでも良くて、クラスメイトとはよ仲良くしろよって言うメッセージなんだと思う。実際、僕もここで大輔と健斗と仲良くなったんだし。


「すっごいなぁこれ」

大輔が滝を見ながら、さっきから凄いすごいと騒いでいる。やっぱ都会は違うなーとか適当な事を言って変に感心している大輔を睨みながら健斗が嫌味ったらしく言う。

「都会に滝があるなんて、いつからそんなに都会って言葉は田舎臭くなったんだ?」

「なにおう」

バチバチと火花が散る二人を他所に僕はぼうっと滝の流れる音を聴き入っていた。スピーカーから流れてくるのでは無い、自然の音。心が洗われるような気がして、すぅっと息を吸い込むと水気を含んだ冷たい空気が肺いっぱいに満たされて、とても気持ちが良い。そんな感情に浸っていた時だった。

「あ?何だお前」

何やらどすの利いた声が聞こえて、僕は思わず振り返る。

袴田と米島が男の人にガンを飛ばしていた。

「お前、うちの女子に何触ってんだよ?」

米島が、男に一歩詰め寄る。僕達は慌ててクラスが止まっている所まで走って状況を聞いた。

「なんかね、いきなりこの人が城島さんの腕を掴んで『金をくれ』って叫んできたんだよ。サイテーだよね」

見ると、城島さんは蹲って泣いていて、数人が背中を摩っている。

僕はふと視線を男の方へ移す。ハゲ散らかした頭に、よれよれのジャッケット、すり減って穴が空いているズボン…はっきり言ってホームレスにしか見えなかった。

「お、おい。ちょっとやばいんじゃないか」

大輔がぶるぶる震えながら指を指す。見ると、男子数人と男が取っ組み合いの喧嘩をしていた。勿論、男が勝てるはずもない。

「ちょっとで良いんです…何か、何か恵んで…」

「こいつ!クセェんだよ!」

そんな罵倒の声が周りを支配していた。僕は助けを呼ぼうとして辺りを見回しても、観光客は愚か担任さえ居なかった。

「俺、誰か呼んで…」

健斗が言いかけたその時。僕達は思わず体が固まってしまった。

男子生徒が男を滝から落とそうとしている。まるでゲーム感覚だ。どのくらいの強さで押すと下に落ちるのかのチキンレース。不気味な笑い声が、辺りを歪ませていた。

「お前ら!マジで何やってんだよ!」

気づくと大輔が走って止めようとしていた。僕達以外のクラスメイトは少し遠巻きでまるで他人事のように雑談しながら、今か今かと男が落ちるのを待っている。

僕はあんな奴らと違う。人を殺すなんて事は言語道断。許されない事なのだ。そう思ったのに、そう思っているはずなのに、僕は大輔のように足が動かなかった。何で!何で動かないんだ!そう自分を責め立てても、足は動く気配はない。


――第一、僕が割って入った所で何もできないじゃないか。

うるさい!

――もし止めようとしたとしても、なんかの拍子に落としちまったらお前の人生、終わりだぜ?

いや、だって、そんな事…

――中々観れないよ。人が死ぬ所って。一度観てみたくない?

…………


案の定、大輔は返り討ちにあっている。僕は未だ、動く事ができない。

あぁ、そんな事したら危ないじゃないか!ほら、もう少しで落ちる所だったぞ。うわっ!あとちょっとだったのに!


僕はもう、その他大勢のクラスメイトとなんら変わりのないクズだった。生死を彷徨うドキドキ感。自分が生殺与奪を握ってる優越感。ただ彷徨っているだけのアリを気まぐれで踏み潰した時の快感。自分に反撃は来ないという慢心。それら全てが、今、この場で麻薬のように作用していた。


男が足を滑らせる。ゆっくりと、スローモーションの様に落下する。滝の上流から、下へ――

米田達はその瞬間、もう手遅れな事をしてしまったのを悟ったのか、水をかけられた様に、ニヤニヤしていた顔から一変、とても焦った表情をしていた。やりすぎちまった。そんな呟きが聞こえてきそうな、そんな後悔。

人間っていう生き物はとことん残酷な物で、他人と争う事でしか自己を肯定できないらしい。強者に憧れ、弱者を見下し、同列と競い合い高みを目指す。戦争でも、スポーツでも、テストの成績でさえ、これは変わらない。だから僕達が行ったこの人殺しも、人間の性と言えるのではないだろうか。だから、しょうがない。そう自分を納得させた。無理矢理。

「お前ら…絶対に殺してやるぞ…」

彼の喉が、唸る様な声で最後の仕事を全うする。

「俺をいじめた奴、嘲ったやつ、見せ物にした奴、全員!全員!殺してやる!」

その血走ったで、全員を視認する。焼き付けて、絶対に離さない様に。

男は、滝の底へ消えた。水飛沫すら、僕には見えなかった。

「ハ…ハハッ…マジで落ちちまったよ…」

袴田が、乾いた笑い声を上げる。やべーやべーってひたすら騒いで。でも、自分は何ともないですという様な茶化す発言ばかりが横行していた。内心、ビクビクしているくせに。

「……あれ?お前ら、何やってるんだ?」

教師の間抜けな声に、僕達はびっくりして後ろへ振り向く。

「ごめんな…ちょうどお腹痛くなっちゃってさ。全員ちゃんといるか〜?」

当事者達はみんなヘラヘラしている。でも側から見るとそれは、泣くのを我慢して強がっている子供と変わらない。今こんな事を言っている僕だけど、この時は僕もその子供の一員だったのだろう。ただ、大輔だけは涙を流して泣いていた。肩を、酷く震わせていた。

僕はふと思い出す。彼は両親が去年事故で亡くなっていた。彼の孤独さを、自分と照らし合わせているのだろうか。ただ、奇妙な違和感を感じる。この感覚は、一体何なのだろう。






「なあ、そういえばさ、」

教室で健斗がふと思いついた様に呟く。

「何で、お前あの時笑ってたんだ?」

僕は軽くため息をつきながら、まるでそれが当たり前であるかの様に瞬時に返した。

「何言ってんだ。それはお前も、同じだっただろう」




男の死体は、その後発見される事は無かったという。

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