秘密の練習
敷居を跨ぎ、神棚に向かって四十五度の礼をする。
本座までの歩数を確かめながら的前へ進むと、やはりいつもの道場とはわずかに感覚が違う。
グラウンドの砂埃の匂い、木の床の冷たさ、朝の静けさ。
すべてが集中を強いてくる。
矢を番えると、空気がぴんと張りつめた。
静寂の中で、弦が軋む音だけが響く。
正面の的を見据え、息を肩から落とす。
引き分けではゆっくりと息を吸い、矢を床と平行に保った。
会では、細く息を吐きながら狙いを定める。
――離れ。
鋭い弦音が射場に響き、矢はまっすぐに飛んだ。的心に中り。
「さっすが桜乃ちゃん!」
柚が小声で拍手をしてくれる。
二射目も同じように放ったが、硬い音とともに的枠に弾かれた。
私は小さく息を吐き、次の矢に集中する。
四本引いて一本外した。
二本とも六時の方向――筋力が落ちているせいだろうか。
矢取りのあと、さらに六本引いたが、後半は次第に下へ外してしまった。
柚の方は全部で五中。
朝練はそこで区切り、弓を片付ける。
東野さんが待ちきれないように口を開いた。
「桜乃ちゃんが尊敬してる松葉朱里さんって、桜乃ちゃんより上手なの?」
「もちろん。朱里の射は本当にすごい。東野さんも見たらわかるよ」
「へぇ、見てみたいな。……ねぇ、桜乃ちゃんはいつから弓道してるの?」
「中学に入ってすぐ。朱里はもっと前からだよ。私は朱里を見て始めたの。中学の部員はみんな真面目で優しくて、楽しかった。年功序列はあったけど、ちゃんと先輩たちが面倒を見てくれた」
「じゃあ、その朱里さんはいい先輩だったんだね」 ……先輩? あ、そうか。
柚は朱里が辞めた後に入ってきたから、同級生だって知らないんだ。
「朱里は同級生だよ」
訂正すると、東野さんは目を丸くした。
「えっ、同級生? 部長も先生も知ってたから、てっきり年上かと思ってた」
「朱里は伝説だから。弓道に関心があった人で、朱里を知らない人はいないの」
「すごーい! 朱里ちゃんって何組なの? この学校にいるんだよね?」
「十組」
「特進!? 勉強もできるんだ……天才じゃん」
私は頷いた。
朱里の勉強面での実力は、本当に天才的だった。
こうして、秘密の朝練が始まった。
矢を引くたびに腕は重くなり、矢は的に届かなくなる。
それでも私の心は、不思議と軽かった。
――予選会まで、私は毎日弓を引き続ける。
朱里と、あの日交わした約束を胸に抱いて。




