不公平な取引
次の日、また部活が始まった。
今日は珍しく顧問の真木先生が初めから射場にいた。そのせいか、顕著ないじめは起きなかった。
けれど、私が選考会に出ると広まっているらしく、先輩方から向けられる視線は相変わらず鋭く、肌に突き刺さるようだった。
「桜乃ちゃん、本当に選考会に出るの? 危ないし、どうせ勝てっこないよ……」
隣で矢を拭いていた東野さんが、心配そうに小声で囁く。
彼女の声は震えていて、私のことを本気で心配しているのが伝わってきた。
「今さら引き下がっても、結局いじめられることには変わりない。だから私は逃げないよ」
言い切ると、胸の奥に小さな熱が広がった。
――逃げるわけがない。 中てる者が偉いなんて制度、朱里が聞いたらきっと鼻で笑うだろう。
けれど、腐った空気を変えようとしている私にとって、この制度を利用しない理由はなかった。
矢取りから戻った直後、真木先生が射場の端から声をかけてきた。
「水元さん、話があるから練習後に残ってちょうだい」
先生の横には、いつものように柔らかい笑顔を浮かべた秋野部長が立っていた。
「わかりました」
答えると、先生はひとつ頷き、また射場へ戻っていった。
「桜乃ちゃん! まずいよ。本当に大丈夫?」
東野さんの眉は心配で寄せられている。
「なるようになれ、ってスタンスで行くよ」
できるだけ軽く答えたが、心臓の鼓動は早くなっていた。
その後の練習は淡々とこなし、拝礼の後に残ったのは私と東野さん。
道場には夕方の光が差し込み、それが床に反射して少しまぶした。
「水元さん、それに東野さん。残ってくれてありがとう。――早速だけど本題」
真木先生の声が、静まり返った道場に響いた。
「水元さん。あなたがこの部の腐敗を一掃できれば、松葉朱里はこの部に戻ってくるの?」
思わず息を呑んだ。 朱里の名前をここで聞くとは思わなかった。
「朱里は、待っていると言ってくれました」
小さく震える声を抑え、私は答える。 すると、先生の口元に薄い笑みが浮かんだ。
「あの松葉朱里が……ね。わかった。水元さん、練習する場所はある?」
「一応。中学の頃から通っていた道場に行こうかと」 「そうなの?でも狭い道場にも慣れた方がいいんじゃない?他の人には内緒で、朝礼前と昼休みに学校の道場を使わせてあげる」
それは願ってもない話だった。
けれど、不公平では――。
「不公平ですね、先生」
そう言って入ってきたのは、秋野部長だった。
「あら、秋野さんいたの? 確かに不平等だけど、あなたも松葉朱里にこの部で引いてほしい。そうでしょ?」
「……はーい。そうでーす」
部長は両手を上げ、諦めたように笑った。
「じゃあそういうことで。――ちゃんと勝ってね」 先生は部長を連れて去っていった。
「桜乃ちゃん、良かったね! 練習できるじゃん。私も見に来ていい?」
「もちろん。東野さんも引く?」
東野さんが嬉しそうに目を輝かせる。
「えっ、いいの!?じゃあ遠慮なく。あと、私のことは柚って呼んでよ、私も桜乃ちゃんって呼ぶから」
その無邪気さに、少し肩の力が抜けた。
「わかった、柚。」
こうして、特別な練習時間を得ることができた。
ここまでしてもらって、このチャンスを逃すわけにはいかない。




