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4 リーリエと秘密の部屋

 

 冷たく、硬い床の感触が服越しに伝わる。


 残念ながら今まで起こった出来事は、柔らかなシーツと布団に挟まれる中で、悪夢にうなされていたわけではなさそうだ。


 気が進まずに瞼を開いたが、情景の説明は今のところ不可能とされた。なにしろ、手元がわずか窺えるほどにひたすらに暗く、輪郭がはっきりしないだから。

 恐らく洞窟の最下層まで、不時着したのであろう。巨大な崖に囲まれたことによって出来上がった影と、それにによって生まれた闇の両方が融合し、全てを包みこみんでいる。


 不安ではあるが、周囲の気配を探るより先に己の体調をチェックしたほうがいいかもしれない。身体に痛みは見受けないが、何処か骨を砕いたか捻挫した可能性もある。


 とりあえず、寝たままの体勢で首元から下半身、足の指先まで可動出来るか試してみる。

 脳へ動くよう伝達すると、ブーツに覆い隠された両足の指は、ピクピクと動いてくれた。次は両腕、持ち上げる。肘も直角にどちらとも曲がる。ならば、上半身だけを起こすことは出来るだろうか。


 ──えいっ。あ、普通に起き上がれるわ


 でも、よくよく考えたらこれって異常じゃない? 


 一部の冒険者ならともかく、私は秀でた再生能力すらもないただのモブAなのに。至る所を触っても、出血した様子は見当たらない。 

 どうして無傷で済んだのかを、一人延々と討論しても、らちが明かない。状況把握のために明かりをつけ、周りの様子を確認する。


 体をまさぐり、携帯を取り出して電源ボタンを押す。待ち受け画面が表示され、刺激の強いブルーライトが私の顔近くを照らしあげた。

 画面には現在の時刻が表記されている。どうやら午後の三時半過ぎらしい。山を訪れたのがちょうど正午に切り替わった頃だったため、数時間半も経過していることになる。

 上部の電波マークはバツ印が表示され、圏外とあった。その上、バッテリーの残量を示すマークは半分を切っている。


 今度は膝を伸ばし、完全に立ち上がってみる。何の違和感もなく、地面に足をつけれた。歩行も問題なく可能だ。          

 後方にわずかに下がって携帯を上にかざし、崖上へ、ライトの焦点を当ててみた。しかし、どれだけ四方八方を探っても、あるのは途方もない高さの垂直の崖だけであった。


 連絡もとれない。


 地上に帰ることも出来ない。


「…………………………」


 ─もしかして詰んだ?


 総合的に鑑みると、そう結論づけられ事実にぐにゃりと視界が歪む。


 あ、やばい。泣きそう。


 心細さで気が触れそうになる。孤独というのはこんなにも耐え難いものだったとは考えもしなかった。


 目の縁にうっすらと涙が溜まりこみ、視界もぼやけ滲んできた。

 このままでは、涙腺が決壊し、人の眼(そもそもいない)もはばからず泣きじゃくってしまう。誰もいないものの、それはかなり恥ずかしい。後から、黒歴史として思い出すたび、苦しむ羽目になりたくない。

 私は自身を奮い起こすために、心中で元気づけた。


 ──大丈夫!

 ──周囲を探索すれば、突破口が見つかるはず!!


 頼れる者が一人もいないため、無理やり私自身をなぐさめるしかない。しかし、そのおかげで、ちょっと探索にやる気が湧いてきた。


 幸先の良いことに、岩によって狭まった道なりが前方に出来ているので、ひとまず進んでみることにする。危険と判断した即引き返そう。

 よし、前向きな思考に切り替わってきたことだし、早速出かけよう。


 未知なる世界の冒険へ出発だ!



◆◆◆◆◆◆

 

 …………………………………………………………。


 ──結論から先に述べると何もなかった。

 宝箱とか、セーブポイントもない。まあ、セーブしても状況が詰むだけなので、むしろ山に入る前にロードし直したいところである。


 道中は幸い魔物に遭遇することはなかったし、活劇でよくある分かれ道といったものも存在せず、一本道のように真っすぐ続いていて、至ってシンプル。

 今も彷徨い続けている最中であり、携帯のバッテリー残量に気を配りつつ、たまに目を落とし、電波の繋がりのチェックもかかさない。少し、移動すれば回復するかもしれないと見込んだのもある。


 とはいえ、現状目的もなく、ひたすらうろつくのも限度があった。奥に進めば何かあるはずと、希求にすがり足を運ぶが、手がかりになりえそうなものは今のところ一切ない。


 落下地点で暗闇で息を潜めながら、救援がくるまで大人しく待っていれば良かった。もう随分と奥まで歩いてしまった。相変わらず、光で照らさないと真っ暗で何も見えないという不便な場所である。

 しかも、そのせいで携帯の電力も消費してしまっているし、何故冷静に考えることが出来なかったのかと今更後悔し始めた。

 考えることにさえも、辟易とする。思考も体力を消費するのだろうか。

 私はこうべを垂れて、ふらふらとゾンビのように足だけを動かす物体と化し、前進だけしていく生物と成り果てた。


「このまま餓死すんのか……」


 自分で言ったことが、現実性を帯びてくる。

 ここが死に場所となるかもしれない。最期は病院か、家のベッドで大勢に看取られながら往くのが個人的に望ましかったのに。


 もうおしまいだぁ…………


 さようなら、我が愛しき両親と友人、そして隣人たち。

 ここが私の死に場所になるでしょう


 せめて、最後にお父さんの料理が食べたかった……


 あとあと、近所のラーメンニクアブラマシマシデンジャラスラーメンも食─い゛で っ!!!


 携帯のメッセージに打ち込む予定の遺書を考えていたのに、それをいきなり襲ってきた頭部の痛みによって中断されてしまった。


「……ってぇなぁ………………なんだよ……」


 どうせ岩にでもぶつかったのだろう。出口も発見出来ず、間食も出来なかった空腹感によるストレスからの悪態とともに、ダメージを負った額をさすりつつ、頭を上げた。


「──え?」 


 困惑した己の声。痛みの正体はすぐに判明したが、それはこの鬱屈とした場所では想像もつかないものだった。


 遭遇したそれは、権威を主張するかのようにどっしりと構え、一種の荘厳さも併せ持つ重厚な白い両扉であった。

 ドアノブとなる部分は、アンティーク調の丸い輪っかの形のリングハンドルとなっている。人の手が行き届かない地下空間にはひどく不釣り合いで、不自然極まりない。


 怪しい。この上なく、怪しさしか感じない。

 けれど、この扉から地上に通じる部屋があるとしたらどうだろう。

 あり得ない話だが、可能性はゼロと言い切れない。私みたいに、まんまと、下に落っこちた人専用の脱出口だったら嬉しいのだが。


 ひとまず、中の様子を確かめようと、せかせかと取っ手に当たるハンドルに右手をゆっくり伸ばしてみる。

 しかし、ふいに扉奥からガタガタと物音が聞こえた。何か小さな物体が倒れ、それが連鎖して同じ質量の小物が倒れていったような音。

 ビビって、手を急速に引っ込めた。咄嗟の出来事だったために、心臓がバクバクと凄まじい速度で脈打ってもいる。


 「え…………中に誰かいたりする……?」


 当たり前だが、返事は返ってくることはない。それ以後は何事もなく、音一つ立つこともなく、静寂が辺りを支配する。

 私は扉前で立ち尽くし、一旦思案に暮れてみる。


 よく考えて行動しよう。今日という日はやること、なすことどんな行いをしても、ふんだりけったりだったじゃないか。

 もし、扉を開いて中に凶悪な魔物がいたらどうする。アイテム、装備何も準備が整っていないし、ターン制で相手側からの先攻をうけたらひとたまりもないぞ。

 多岐に渡る論理的な思考たちが、パニックでヒートした脳みそを逡巡し、私を諭す。だが、胸の内が最も割くことは、ただ一つのみ。


 ──いや、もうこの際殺人鬼とか魔王でもなんでもいい!!

   一刻も早くこんな場所から抜け出したい!!


 で、あった。

 そんな短絡的な考えで、迅速に行動を開始した。間近に設けられた扉のリングハンドルの輪に手をかけて、片扉をぐいっと力強くこちら側に引く。

 扉は施錠されておらず、あっさりと開いてくれた。大扉であるため、重量はかなりすると思われたが、意外と感覚は軽めだ。

 しかし、何年も開閉されることはなかったのだろう。蝶番に当たる部分が錆びているのか耳障りの悪い、不気味な音を奏でた。ホラー映画の導入みたいで、少しドキドキする。


 「お、お邪魔しま〜す……」


 のそのそと知人の家に訪問する感覚で、適当な挨拶をしつつ、中に入室する。キョロキョロと辺りをくまなく見回し、部屋の内装を一瞥してみた。

 内部は円卓のように丸い空間の部屋となっており、鋭い光が真夏の太陽みたいに私に照りつけている。天井全体がLEDの照明なのだろうか。


 人が暮らせる程度の広さであるが、家具の類が一切見当たらない。

 代わりに、四方八方にあるのは大量の辞典並みの厚さの書物たちであった。床に適当に散らばったり、乱雑に高々と積み重なっているものもある。読み切ったのか、本に対する愛着がないのだろうか異様に大雑把である。

 部屋自体も汚れは一切ないが、埃と本特有の匂いが充満していて、こんな部屋では人は生活出来そうにない。生活に必要最低限のものすらもないようだ。

 もしかしたら、元の家主はこの謎スペースのに本だけ手放し、捨て去ったのかも。

 

 脱出口の手がかりになり得そうものは何も得られなかった。

 薄っぺらい希望にすがった私が愚かだったのか。がっくりと肩も気力も下げる。仕方なく体力だけでも温存しようと、休めるスペースを探して、斜め左に視線を投げた。


 その際、視界の隅で何かが揺れ動いた。

 やはり、魔物が生息していたのか。私は足の動きを静止し、警戒態勢をとったがすぐに取りやめた。


 ──いた、人がいたのだ。


 斜陽の光を浴びて、黄金色に輝く藁のような豊かな金髪に、王族を想起させるゆったりとした紫のローブから中性的で線の細いうなじと両肩がうっすらと覗く。背中越しで判別しにくいが、わずかな体のラインからして恐らく男性、それもかなり若そうだ。 

 私と同年代か、わずか上程度だろう。

 お上品に座り込み、こちら側に一切気づく素振りを見せない。

 何をしているのだろうか、聞き耳を立てる。パラ、パラと紙を指でめくる繊細で心地よい音がするため、読書をしているのらしい。


 まさか、こんなところに人が本当に住んでいるなんて。しかも、かなり優雅に本を読むのに没頭している。まあ一人で過ごす時間っていうのも大切ではあるが、こちらとしては、誰でもいいので助けを借りたい。

 相手の集中を削ぐのは心痛むが、泰然とした後ろ姿に声をかけることを決心する。私は、控えめに声をかけた。


 「あのー……」

 「フフフッ……」


 やめよう。

 曲がれ右のち部屋を後にして、元いた場所に引き返そう。


 危険からはなるべく遠ざかったほうがいい。それが、賢さというものだ。踵を返そうと背を向けたが、男性の動向が気になってしまい顔だけ振り向き、様子を見てみた。

 半歩離れた私の存在を認知していないのか、本を読み漁りながら、その人物は実に楽しそうである。


 ──どうしよう……ヤバい人? 


 でも、結局Uターンしたところで、劇的な変化が起きることはないだろう。やはり、目前の人物に頼ったほうが正しいのかもしれない。

 堂々巡りをする時間さえもったいないと感じ、男性の方に再び体の向きを変えて、抜き足差し足で前進していく。

 背後に立っているのに関わらず、当の本人は、いまだ熟読を熱心に続けている。凄まじい集中力。 


 これは直接体に触れ、気づいてもらうしかなさそうだ。


 ええい! なんとかなれー!!


「あのっ──」

「誰?」


 最大限まで距離を近づけ、青年とおぼしき男性の肩に手を置いて、声をかけてみる。

 いや、正確には手を置く直前だった。肩に指が触れる瀬戸際、彼が首を敏捷にひねったのだ。余りにも素早い身のこなしに、戦慄が走ると同時に背筋が凍りつく。彼が顔を向けた際に、ふいにかち合った二つの瞳は涼やかな切れ長の目つきの中に、悪魔のような冷酷さが潜んでいた。


「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」


 そのあまりの恐ろしさに、ボリュームが突き抜けるくらいの絶叫を絞り出してしまう。同時におのずと腰も抜けて、私は地面にへたりこんでしまったのだった。


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