10. 抗えない想い
リーリエが気を失うより、少し前──
逃げ惑っていたザックは、ココイチに手を引かれ、岩陰に息を潜めていた。その間に彼らは、知り合いの冒険者に連絡をとろうと画策していた。
アマナ派出所の騎士たちは、常に巡るまじく事故、事件が発生するアマナ町の対処のために、ナイカーを至る所で飛ばしまくっている。
こういった事態においては騎士団に電話を入れたとしても、他署からの応援は駆けつけない。あくまで、アマナ町の問題であるとして町配属の騎士たちが赴くことになっている。
だからこそ、その手のプロフェッショナルらに連絡を入れたほうが確実だ。
ザックは、ココイチにドラゴンの動向の監視を頼み、緊張でぶれる指を動かしながら、とあるAランクの男性冒険者に電話をかけようとした。しかし、通話のアイコンをタップしかけた瞬間、ココイチが甲高い悲鳴を上げかけ、急いで口を押さえた。
「……リーリエ殿が!!」
「……は!?」
さっと顔だけ岩から姿を出し、ザックとココイチは一連の流れを目視した。
リーリエが吹っ飛んだ音に興味を示したのか、モガーたちにそっぽを向き、混濁する彼女へと無遠慮にドラゴンはズカズカと近づいていく。
そして、歯牙の間から涎をたらしながら顔を下げ、匂いを入念にじっくりと嗅いでいる。
「♡」
機嫌が一転して、好調になったらしい。グルグルと喉を鳴らし、そのままリーリエをぱっくりと絶妙な力加減で咥えた。
そして、翼をはためかせ、上昇していく。自分の巣穴に持ち帰るつもりだろう。彼らは獲物を住処に運ぶまでは、丁重に扱う習性がある。だが、着いたあとは逃さぬよう足を折り、身体の自由を奪う。
餐の時間になれば、容赦なくその牙を剥き、喰らいつくであろう。
「リーリエェェェェェ!!!」
人を遥かに超えるスピードを持つドラゴンに、一般冒険者が追いつけるはずがない。それも、飛行しているならなおさらだ。
ザックが呼び止める声も虚しく、大型生物の影は瞬く間に遠ざかっていく。
「たっ…………たいへん!!」
なんとか起き上がれるほどに回復したモガーは体を起こして、姿を見せたザックたちと合流した。
ドラゴンから放たれた氷山の破片が、おんぶ紐を切り裂いて、倒れた際の衝撃でアーシュの拘束が解かれていた。しかし、モガーはリーリエの事で頭がいっぱいになり、忘れ去られてしまったアーシュはしばらくそこで放置されることとなる。
投げっぱなしにされた彼は、話半分で彼らの会話を聞いていた。
三人集まれば文殊の知恵とも言うが、あまりに予測出来ないイレギュラーに、何をどう行動すればいいかと次第に話し合いは加速していく。
この職業に就き、約三年──。
ある程度訓練や知識は身につけているものの、あくまで脱ルーキーしただけのC級冒険者なのだ。
颯爽と、弱き人々を救う英雄にはまだほど遠い。
「早く冒険者に連絡いれるでござるよ!!」
「通報してる間にパックリ食われたらどーすんだよ!!」
「じゃあ、どうすればいいでござるか!?」
「けっ……けんかはやめよう……」
その一方で、ほったらかしのアーシュは、三人の会話をなんとなくの体で傾聴しながら、リーリエの姿を思い浮かべていた。
非凡なヒト科、性別女。ステータスは弱小。
特徴といえば、頭頂部の左右にピンと跳ねた癖っ毛ぐらいしかない。寝癖か何かなのか、アレは。
彼女の感情に連動し、激しく上下していた気がする。
偶然の一握りしかでないが、自分の野望を阻止したニンゲンだ。
今日、出会っただけの見知らぬ者。
──いや、でも
飲水を分け与えようとしてくれた。
私刑は決して行わず、国の司法に判断を委ねるほどに理性的であった。
敵であったのにも関わらず、己の身を案じてくれた。
底抜けのお人好し、隙だらけの親切なニンゲン。
──だから、なんだ
それを振り払うもう一人の自分の制止に、ぼやけた思考が遮られてしまう。
──所詮他人だし
様々な過程を経て、捻くれた思考を携えてしまったアーシュは、己に折り合いをつけ、割り切ろうとしていた。
しかし、論理よりわずかに灯る感情が、それを拒む。
逃走を図る唯一のチャンスが訪れたにも関わらず、彼の決心は揺らいでいる。
連れ去られたあの女の末路は想像に難くない。
無数に群がるヒトの一端に過ぎないというのに、何故彼女の事を気にかけてしまうのか。
そんな、往来する無数の迷いを断ち切る者が、記憶の中枢に現れた。
──アーシュ
草花や芽を育み、新たな命を尊ぶ暖かな春のそよ風を連想させる穏やさ。そして、国を治世する王妃としての覚悟をもった者の声。
愛しき肉親、懐かしき母との思い出が蘇った。




