無いはずのお弁当
高校2年生のひよりはいつものように登校し、バックを開けた。するとあるはずのないものが入っていた。
「は? 何で?」
教室の真ん中の列の一番後ろ。自分の席に到着した私はバッグを開けるなり思わず声を上げた。あるはずのない赤い巾着袋が、教科書の上にちょこんと鎮座していたからだ。
「どうしたの?」
友達の萌香、凛、沙羅が私の席へ一斉に集まってきた。
「今日弁当いらないってお母さんに言ったのに、いつの間にか入ってるんだよね」
私がそう言うと、三人は揃ってバッグを覗き込んだ。
「えー? でも今日お弁当いるよね?」
萌香が凛と沙羅の顔を交互に見て聞いた。
「うん。私は自分で作って来た!」
凛はエッヘンと胸を張り、その胸元を拳で叩いた。
「うちは今日も購買ー」
沙羅は気だるそうに背の高い凛の肩に寄りかかった。沙羅の長い黒髪が、サラサラと流れて凛の拳に当たって止まった。
「みんなはいるかもしれないけどさ、私はいらないの」
私はバッグの中の赤をもう一度確認して、ため息をついた。
お母さんはいつの間にこれを入れたんだろう? 登校直前までは絶対に入ってなかったのに。前髪にスプレーをしに行ったあの時だろうか?
頭の中でお母さんが私のバッグのファスナーを開け、そっと巾着を置いている姿が浮かんだ。
「何でいらないの?」
萌香は首を傾げながら丸い目をより丸くして瞬きをした。
その時、廊下から「おはよー」という眠そうな低い声が聞こえてきて、私は身構えた。
「あ! わかった! ダイエットだ!」
凛が無邪気に笑って私に人差し指を向けたので、自分の顔がブワッと赤くなったのがわかった。このタイミングでなんてことを口走るんだろう。私は向けられた凛の指を慌てて左手でガバッと掴んだ。
「ダイエットなんてしなくていいじゃん!」
今度は萌香がバカみたいに大声を出すので、私は右手の人差し指を口の前に立てた。
「しっ! もういいから、この話は!」
「んもう、バカだな。萌香はー」
ニヤリと笑いながら、凛は萌香の耳に唇を寄せて囁いた。
「恋だよ、恋」
「ちょっと! 凛っ!」
カッと全身まで熱くなり、毛穴という毛穴から汗が噴き出した。このうるさい凛の口を早く塞がなければ。凛の口に両手を伸ばしたが、凛はひょいとそれを仰け反って避けた。
「えー? そうなの? 恋?」
萌香がキラキラした目で私を見た。
「いやっ、違うの。あのね……」
「そういうことならこのお弁当、うちが食べてあげるよん」
沙羅は私のバッグから巾着袋をサッと摘み上げると、自分の席へと持って行った。
「ほらっ、もういいから。ふたりも席に着いて」
私は萌香と凛を追いやり、腰を下ろした。
私の右斜め前には今日も襟足がピンとはねた寝癖頭があった。うん、今日もかわいい。
四時限目終了のチャイムが鳴り、教室は一斉に騒がしくなった。
凛と沙羅は窓側の最前列に座る萌香の元へ、早くも移動している。いつもの癖なのか机を四つ、くっつけているが、そこへ行く気はない。
「ひより、本当にいいの?」
萌香の向かいに座った沙羅が、心配そうに私を振り返って巾着袋を持ち上げた。
「うん。本当にいらない」
私はそう言うと、鳴りそうなお腹を押さえ、廊下へ出た。
「ジュースでも飲も……」
「待って! ひより!」
体育館前の自販機へと向かう私を、沙羅が走って止めにきた。
「何?」
「あれはひよりが食べるべきだよ」
沙羅に手を引かれ、萌香と凛のいる席まで戻ってきた。ここに座ってというように、沙羅は引いたままになった椅子に両手を添えて目配せした。
「じゃね」
私が座ったのを見届けると、沙羅は私の肩をポンと叩き、
「先に食べてて。購買行ってくるねん」
と萌香と凛に声をかけて出て行った。
萌香と凛に目を合わせると、ふたりともニコニコして私に巾着を開けるように進めてきた。
この中に一体何があるのだろう。袋の口に指を突っ込み、サッと開いて中を覗いて見た。
布が光を通した赤い小さな空間には、二つに折り畳まれた小さなメモ用紙と、いつもより一回り小さな弁当箱が入っていた。私はその二つを取り出すと、まずメモ用紙を開いてみた。
『今度一緒に運動しに行こう』
お母さんの字だ。いつの間に書いたのか、ボールペンで一言それだけが書かれていた。
次に弁当箱も開けてみた。中には玄米のおにぎりや蒸しただけの真っ白なササミ。鮮やかな緑色のブロッコリーがギュウギュウに詰まっていた。
「なんでお母さんにもバレちゃったんだろう?」
私は思わず笑った。
「ひよりは感情が表に出やすいんだよ」
凛はメモ用紙とお弁当を覗き込んで微笑んだ。
「ねえ、誰に恋してるか、当てたげよっか?」
凛のニヤついた視線の先は、明らかに教室のある一点を示している。
「ちょっ! やめて!」
私は立ち上がった。今の会話、聞こえただろうか。バレてしまっただろうか。
私は恐る恐るゆっくりと後ろを振り返った。が、私の斜め前の席には誰も座っていなかった。
「私でしょー!」
凛は自分の胸に手を当て、私にウインクをした。
「まじでさー」
凛の悪ふざけに呆れて私は腰を下ろした。萌香はもうずっと前から両手で箸を挟んだままの、いただきますの姿勢を保っていた。
「ねえ、お腹空いたー。先食べちゃうよ?」
萌香は私と凛を睨んだ。
「ごめん、ごめん、食べよ、食べよ」
「「「いただきまーす!」」」
三人の声が揃ったところで、
「ただいまー」
沙羅が教室に戻ってきた。
「購買空いてて助かったー」
白いレジ袋を机に置くと、私の隣に座った。
「改めて、いただきまーす!」
沙羅は私の隣で、甘そうなホイップクリームと粉糖がたっぷりかかったクロワッサンを頬張った。
私と目を合わせた沙羅は、私の口元にパンを持ってきて、「食べる?」と聞いた。
「なんでやねん! 食べたらこの弁当が台無しやん!」
思わず関西弁でツッコむと、沙羅も萌香も凛も、大声で笑った。