転生皇女ルイーゼの待ち人
プライベートでバタバタして連載の方の筆が進まず。
とりあえずリハビリに書いてみました。
短編ですがちょっと長いです。
よろしくお願いします。
かつて日本人であった私、ルイーゼは異世界の覇者、大地の守護者、地の竜が護るという伝説がある巨大帝国の皇女である。頭が高い控えおろう。
この度、十七年という長い婚約期間を経て輿入れ先の某王国にえっちらおっちら文字通りお輿に乗ってやって来た。めっちゃ遠かった。お尻と腰が痛い。ふくらはぎ、すごいパンパン。エコノミー症候群になるかと思った。
生まれて割とすぐに勝手に婚約者が決まってて、まあ、立場的に政略結婚不可避だよね、はあ、と落胆したのも今は昔。
政略結婚バンザイ!あのギスギスした帝国から逃れられた!
前世で存在した『虐げられ皇女は叛逆した英雄に囚われる』(全一巻)というファンタジーTL小説の主人公ルイーゼは、側妃ですらない、皇帝が戯れに手を出した平民下女が産んだ娘。正妃側妃が産んだ兄弟姉妹の中で一番身分が低く、生馬の目を抜く後宮のドロドロ勢力争いの中で長らく体のいいサンドバッグにされてたのが、タイトル通り〝虐げられ皇女〟な私。
そしてこれまたタイトル通り、〝叛逆した英雄〟がそろそろクーデターを起こす準備に入るところなので、逃げるように輿入れしてきたワケ。だって、巻き込まれたくないじゃん。婚姻前にコッチの生活に慣れたいからとかなんとか理由つけて、予定より一年早くこの国にやってきたのよ。ちなみにこの世界、結婚とお酒は十八歳になってからね。
協力者がいたから本来のルイーゼよりはマシな生活をしてたけど、まあ、大変だったわ、帝国で暮らすのは。正妃派も男児を産んだそれぞれの側妃派も私にとってはみーんな敵だもの。
正妃さまの「穢らわしい野良に拘う者は品性がないと見做す」ってお言葉により、暴力の類がなかったのはありがたい。それでも食事が回ってこなかったり、後宮の女たちは会話してくれなかったり、外出不可の軟禁状態だったり、色々散々ではあったんだけど。命が守られるなら多少のイヤミや不遇くらいは受け入れますよ。や、ヒロインちゃんだから死にはしないんだけどね。
皇帝であるお父様も把握しきれないほどいる子どものうちの後ろ盾がなんにもない、役に立たない娘など興味もなく、皇室全員勢揃いしなくちゃいけない式典以外は公務もなく、後宮の片隅でひっそりと暮らしていたんですよ。あ、ひっそりでもないか。正妃さまの下僕みたいな感じではあった。表向きは正妃さまが養育しているってことになってたけど、侍女にすら軽んじられる皇女だからね、私。誰もしゃべってくんないし。母親に至っては召し上げられてもない。お金つかまされて実家に戻されてる。顔も知らん。
原作では婚約者がいないらしいんだけど、何故か生後三ヶ月で婚約者が決まってさ。その時点でストーリーが変わってんのよ。私自身は前世でそのTL小説とやらを読んだことがなくて、協力者からの入れ知恵なんだけど。
あ、そうそう。協力者も同じ日本からの転生者なのよ。同郷のよしみで助けてくれてたの。自分が悪役に転生したから、もしかしたらヒロインも転生者じゃないかって思ってたんだって。異世界転生モノだとそういうパターンがあるらしい。へー、そうなんだー。今更確認できないけど。
どうやら英雄ってのもまた曲者みたいでさ。いや、式典とかで顔は見たことあるけども。めっぽう強いイケメンで、それなりに戦争で功績立ててんだけど、帝位簒奪のときに正当性を示すために私だけ残して前帝室の人間を皆殺しにするワケ。
まあ、何代にも渡って圧政を強いてたからヤられても仕方ないところはあるけど、箸にも棒にも引っかからない、可もなく不可もなければ瑕疵もない、むしろ虐げられてるで有名な私は温情で生贄に選ばれたって感じかな。家族に思い入れもないだろうから反抗もしないだろうし、的な。
なんかね、帝国のどっかに今の皇朝の血筋じゃないと操作できない防衛のためのなんちゃらがあるらしくて、血が濃いめのヤツを一人は残しておかないとダメだったんだって。私は平民との混血だけど、私の血でもちゃんと作動する。生後すぐに確認済み。つーか、それが出来ちゃったから母親から引き離されて後宮に押し込められることになったとも言える。私の血を悪用されないためにね。
でも、最早伝説と化した地の竜が、まさか生きたまま封印されて結界の動力源にされてるとは思わないじゃない?地の竜が帝国を守ってるんじゃない。帝国が地の竜を利用しているだけだ。いやー、ファンタジーだわ。
原作のあらすじって要は勧善懲悪の後に政略結婚からの溺愛コース、みたいな話らしいんだけどさ。いや、溺愛とかいらんから。初夜から結構手ひどく扱われるらしいよ、原作の私。抵抗する私を魔法で押さえ付けて無理矢理身体を暴かれるとか絶対お断りなんだけど。
身体から始まるラブ、そのうちお互いに絆されるって協力者のあの方は言ってたけど、原作通りにいくとあの方の生まれ変わりであるキャラクターは私と英雄に殺されちゃうから、死亡エンド回避のためにヒロインである私の婚約を早々に決めたそうだ。
私がクーデター前に国外へ出てしまえば、私に殺されることもない。それでも多分、他の誰かに殺されるだろうとは言っていた。
「皇女であらせられるルイーゼさまをお迎え出来、光栄の極みでございます」
「早くこちらの国に馴染めるよう、ご助力願いますわ」
歓待されてる風だけど、本音かどうかは分からない。国境には接してるけど、なるべく帝国の内乱の余波がいかないような、これまた箸にも棒にも引っかからない、大して重要でもない国を輿入れ先に選んだそうだ。なんなら旨味がないから侵略先として後回しにされてるくらいよ。帝国主義ってやーね。
「長旅でお疲れでしょう。当分はごゆるりとなさってください」
「お気遣いに感謝します。遠慮なくそうさせていただくわ」
ビジネスライクな婚約者さまと上記のようなやりとりの後、私は動き始める。と言っても、ほとんどは帝国から連れてきた人員に、帝国に残る一部の人間の亡命の手筈を整えるための準備だ。
あの方も頑張って暗躍し続けて来たけど、どうにもクーデターは止められない。もうその予兆がある。てなわけで、あの方は私に持参金と私費をコッソリたんまり持たせて、なんなら換金性の高い宝飾品も嫁入り道具として下賜して私を送り出してくれた。これで彼を助けてあげて欲しい、と。
最初の頃の計画と違って、あの方は自分の命より助けたい人が出来たのだ。だけど私はあの方も死なせたくない。上手くいくか分からないけど計画の変更をお願いした。恩には報いなければ。御恩と奉公よ。武士なら当然よね。武士だった記憶ないけど。
◇
慌しく月日が流れて行った。帝国から連れて来たあの方の手の者に指示をして、こちらの都に住居を購入。屋敷に勤める者を雇い入れ、受け入れ体制を整え、あの方たちが来るまでの維持管理をお願いしている。
その合間に婚約者と交流したり、ご婦人方と交流したり、この国について改めて学んだり。王太子妃になる予定だから勉強は逃げられない。帝国で最低限の知識はつめ込んできたけど、実際に触れてみないと分からないこともたくさんあるからさ。はぁー、やることも考えることも多くて頭がパンクしそう!
「こちらにすっかりと慣れたご様子、安心いたしました」
「国王陛下や王妃殿下のご配慮と、なによりアルフォンソさまがお忙しい合間を縫ってわたくしに寄り添ってくださったからですわ」
「私たちは夫婦となるのですから当然です」
婚約者さまと微笑み合い、お茶を啜る。緑茶だからこんな高級ティーカップじゃなくて湯呑みがいいんだけど。ズズッといきたいんだけど。せんべいかまんじゅうをくれ。
「そういえば、私たちの結婚式には皇帝陛下のご名代で第七皇子殿下がいらっしゃることになっておりましたが、まだ幼いからとお母君の正妃殿下が付き添われることになったそうですね」
「ええ、そのようですわね。本国からの手紙に書いてありましたわ。父の名代は弟のままのようですけれど」
「その……正妃殿下とルイーゼさまのご関係は……」
「表向きは、養母ということになっております」
裏向きの話は、彼にすることでもない。
ハッキリと言葉にはせず、苦笑するに留めた。口で言うのもなんだしね。ごめんよ、アルフォンソくん。貧乏くじ引かせちゃって。〝虐げられ皇女〟の結婚式になんで正妃なんて来るんだよ!?とか思ってるよね。私もそう思う。だけど、正妃さまは息子をそれこそ溺愛してるのは有名な話だから、おかしな話でもないのよ。
迎え入れる側としては、帝国の正妃とか国の威信をかけて最大級の礼を尽くして迎え入れないといけないから、準備に大変だろう。花嫁の私より丁重に扱わないといけないんじゃない?
私がみそっかす皇女であることはこちらの国でも把握されている。みそっかすであっても皇女は皇女。国内で、っていうか帝室内で最下層のお姫さまでも、一歩国から出たら畏れ敬うべき皇帝の娘。我が国は安物を高く売りつけるぼったくりのような政略結婚を押し付けてもいいと思われている!と、婚約が成った当時、こちらの国では結構反発があったらしい。
ま、そんな奴らも結局は提示された持参金に目がくらんだっていうか、金で黙らせられたんだけど。
この国、貧乏ってほどではないけど、富んでいるとは言い難いからね。質素倹約とか清貧とか、そういう言葉が似合う感じ。国際社会で最低限の王室としての体裁は取り繕える程度よ。前世日本人の庶民な私からすると充分に贅沢ですが。
てなわけで、婚約者さまであるアルフォンソくんは私以上に忙しくなってしまい、それでも度々顔を出してくれることにありがたく、また好印象を持つようになった。溺愛はいらんけど、穏やかな愛を育むことが出来たらいいな。クーデター起きたらこのまま結婚できるか分からんけど。
そんな多忙の原因となった正妃さまはどんな方かというと、十四で嫁いできた後、数年の白い結婚の末、十八で皇帝の閨に侍るもなかなか男児に恵まれず、十九歳で姫を一人産んだものの、先に側妃に皇子が生まれてしまって苛烈な性格になったと聞く。ていうか、そういう設定ってよくあるよね。
二年空けて生んだ子もまた姫で、そのあとは子宝に恵まれず、お褥すべりギリギリに、かなり間が空いた三人目でようやく男児が生まれたのだけど、すでに皇帝には側妃腹の皇子が六人もいる始末。
現在、皇太子位争いが起きてて、骨肉の争いって言葉がピッタリな感じ。皆さんのイライラは大体私にやってくるので、謹んで八つ当たりのサンドバッグを務めさせていただいた。暴言だけならいいよ。どうせ彼らは滅びるのだ。無意味な争いに躍起になっているのを心の中で嗤うことで精神を安定させていた。あれ?私って性格悪い?
で。今回、私の結婚式で帝国の代表として来る予定の第七皇子ディートリヒが正妃さま唯一の男児。十歳になったばかりの私の腹違いの弟である。歳の割にはしっかりしてるから一人でも名代は務まると思うけどね。あの子は死なせたくない。皇帝の子どもの中で私のことを唯一姉と慕ってくれる子だ。ちなみに正妃腹の二人の娘(私の腹違いの姉)はとっくに他国に嫁いでる。
「出来る限り、ルイーゼさまのお力になりたいと思っております」
「お気持ちだけいただきますわ。わたくし、そんなに弱くありませんのよ」
雑草皇女を自負しております。踏まれても踏まれても立ち上がるよ!
「それより、名前を呼び捨てにしてくださらないかしら。わたくしたちは夫婦になるのですから。ね?練習してみましょう?ルイーゼ、いち、に、さん、はい!」
「ル、ルイー、ゼ」
「もっとよどみなく!さん、はい!」
「ルイーゼぇ……」
一見お堅い印象を受ける婚約者さまだけど、どうやら女性が苦手なのか奥手なのか、私の名前を呼び捨てにするだけで真っ赤になっている。こうして揶揄うと楽しいわね。黒髪黒目も前世で馴染みがあって懐かしくてポイント高いわ。
ディートリヒを中心とした使節団がこちらに到着するのは結婚式の二週間前。ここまで来るのにひと月かかるから、正直言って国境越えはクーデターの日付けギリギリだ。もしかしたら英雄側が予定を変更して、使節団一同の出立前に繰り上げるかもしれないし、帰国してからに延期する可能性もある。延期になった場合のことは考えているけど、繰り上げられたらお手上げだ。
馬で来ればもう少し早く着くだろうけど、高貴なる皇子様御一行がそんな軽装で荷物もなく来られるはずがない。それでこっちに到着しても手ぶらじゃ体裁が整わない。まあ、使節団に持たせる予定のお祝い品は私が来たときに持ってきたものを代用することも出来るし、最悪の場合は……多少、こちらの国に泥をかぶってもらうかもしれない。ごめんよ、アルフォンソくん。この国に恨みはないのだが、私の大切な人たちの命には替えられないんだ。
私が無事にこちらに着いた時点で次の目標はディートリヒとあの方の生存エンド。絶対に死なせない!
◇
「はぁ」
美しい筆蹟は正妃さま直筆の手紙だ。憂鬱な気分になる。運命の日が近づいていると否応なく突きつけられる。
結婚式が二か月後に迫ったある日のこと。婚約者さまであるアルフォンソくんと定例のお茶をしていると、帝国からの使節団御一行が少し早めに帝都を出たという報せが来た。
手紙を見てもいいかと聞かれたので手渡そうとしたらソファを移動して真横に座り、私の手元を覗き込む。顔が近くてドキッとする。パーソナルスペースが狭いのかしら。王族なのに変わってるわ。
「どうかしたの?ルイーゼさ、あ、る、る、るいーぜ」
話し方も随分と砕けてきた。なのに、未だ私の名前を呼び捨てることに照れがあるのよね、この人。ずっとルイーゼさまと呼んできたから癖になってるっていうのもあるんだろうから、たくさん練習させないと。
「正妃さまのご希望で寄り道をしてから来るそうよ」
「それは使者から聞いたが、大丈夫なのか?国内が少しきな臭いんだろう?」
「帝国の正妃といえど、自由があるわけではありません。文字通り、後宮という名の籠の鳥ですもの。羽根を伸ばしたいのかもしれないわ」
「君はここで羽根を伸ばせてるかな?」
「もちろんよ。それもこれもアルフォンソのお・か・げ」
「ル、ルイーゼ……」
自分から近づいてくるのは天然無意識なくせに、私から近づくと顔だけじゃなくて首まで真っ赤になって仰け反ってしまう、初心で可愛い人。貴方が私の婚約者で良かった。首が真っ赤な原因が肌の下に収まってるのだもの。私の英雄は体外に排出がデフォルトらしいから。やだわ、血染めの花婿も、血染めの花嫁も、どちらもお断りよ。
「だけど、それくらい鷹揚にかまえているのなら、帝国は安泰ってことなのかな?」
「どうかしらね。帝都は平和に慣れすぎて、戦時中でも危機感はなかったわ」
「大国故、って感じだな」
以前にあの方が送ってくれた使者から聞いた話によると、帝都は正常性バイアスが働いて本当に呑気なものらしい。クーデターの疑いはあるけれど、英雄の名は割れてない。父皇帝も大したことはないとたかを括っているそうだ。実際に、小さな集まりなんかは潰されている。
あの方は、ディートリヒが父皇帝の名代に選ばれた理由を本人に伝えたのだろうか。正妃腹とはいえ、たかが十二歳の子どもが皇帝の名代などおかしな話だ。こちらの国でも訝しんでいる。
由緒正しい正統なる皇子が来ると喜ぶ者、子どもを寄越すなど軽んじられていると憤る者の意見が対立している。
だからといって、歯牙にもかけられない小国が不平不満を伝えられるわけもなく。
「あら。ディートリヒからの手紙も入っているわ」
「〝お役目を立派に果たせるようにがんばります〟か。可愛らしいな」
「そうね」
あの子は分かっているのだろうか。自分に課せられた本当の役目を。きちんと果たせるといい。それが、あの子自身を守ることにもつながるのだから。
◇
「ルイーゼ、報告はもう聞いたかい?」
地理的に多少のタイムラグがあるのは仕方ないこととして、婚約者さまが私の呼び捨てに慣れた頃。ディートリヒの出立から間をおかず、帝国内でクーデター発生の報が入って来た。宮城は制圧され、旗頭である英雄は皇帝一族を皆殺しにし、皇帝は民衆の前で彼自らが首を切り落としたらしい。ストーリー通りの展開だ。
ただ一つ違うことは、私と正妃と第七皇子の不在。正妃と第七皇子には追手をかけているというから、時間の問題かもしれない。どうか、国境越えが間に合って欲しい。ちなみに原作通りだと、皇帝の首チョンパと同じ舞台で私のことを虐げた正妃さまの首を斬らされるのよ、私。「恨みを晴らすがいい」「生き延びたくば殺せ」とか言われてさ。こえーよ。しかもそのあとそのままそこで私との婚姻を宣言するそうだ。やべーな、英雄。サイコパスだわ。
もちろん小説のルイーゼは今の私以上に非力で一発で首チョンパなぞ出来ず、正妃は今までの罪を一気に罰せられるように痛みに悶え苦しみ、壮絶な最期を迎えることになるのだ。
一方、こちらの城の中でも私の扱いにとても困っている。
だって、この世界で最強の後ろ盾であった父皇帝が殺され、私の最大の価値だった皇帝の娘という肩書きは使えなくなった。
一応、莫大な持参金(まだ全額渡してない)が手元にあるのですぐさま叩き出されることはなかったが、それもそろそろどうかな、というところ。最悪で金と共に帝国へ身柄の引き渡し。良くて国外追放。貴金属などの隠し財産は他人名義で購入した例の家に置いてあるし、管理人の身元はまだバレてない。
「あれから何かありましたの?」
「ああ……正妃さまとディートリヒさまがお乗りになっていた馬車が新皇帝から向けられた追手に襲われて国境間近にある崖から落ちたそうだ」
焦った様子のアルフォンソは初め言い淀んだが、口を開けば早い口調で語った。
ヒュッと息を呑む。心臓がバクバクと鼓動を鳴らす。馬車は国境は越えられなかったのか。
「大丈夫か?顔色が悪い」
「ふ、二人の安否は……?」
声が震えて涙で視界が滲む。痛ましい顔でアルフォンソは首を横に振った。
「まだ分からない。崖の下は川だからな。こちらの領土内に流れ込む川だから捜索隊は出しているよ。馬車の残骸は流れ着いているが、人は見つかっていない。……お二人が見つかれば、帝国に引き渡さなければならないけれど」
「そう、ですわよね……」
それはきっと、生死を問わず、なのだろう。母と子の死体であっても晒し者になり、貶められるのだ。帝国もまたそうやって、土地を、人を、国を、征服して来たのだから。
「ディートリヒさまとは、仲が良かったんだろう?」
「せ、正妃さまに、あの子の世話を命じられていたのです。ディートリヒは、わたくしが育てたようなものなのです。あの子だけが、わたくしを姉と呼んでくれる、家族でした。あの子は、あの子はわたくしにとって希望で、癒しだったのです……!」
「そうか……」
見つかるといいな。そう言いかけたのだろう。開かれた彼の口は息を漏らしながら閉じられた。
彼らは見つかれば、更にひどい目に遭うだろう。この国で匿うことは新皇帝に歯向かうこと。彼の立場でそれを大っぴらには出来ない。
分かってる。だけどまだ、希望はある。計画では偽装馬車を出す予定になっていた。国境での検問では本人が出ることになっていたけど、襲撃のタイミング次第では、もしかしたら。
希望は捨ててはならない。あの方はきっとディートリヒを守ってくださっている。あの方にとってもディートリヒは希望の光なのだから。いえ、むしろ……。
もう二度と会えなくてもいい。せめて、ディートリヒとあの方の無事が知りたい。
◇
転落事故の知らせから一か月後。帝国側も王国側も捜索を打ち切った。二人は見つからなかった。関係者からの連絡もない。助からなかったのだろう。
結婚式は数日後だったが、だいぶ前に延期が決まっている。延期というか保留というか、ハッキリと伝えられていないが実質中止だろう。討ち倒された皇帝の娘など、他国にとってはお荷物どころか爆弾だ。英雄たる新皇帝は民意を味方につけている。私の味方は本当にどこにもいなくなった。
喪中ということで私は黒いドレスを身に纏って暮らしていたが、この国でそれを咎める者はいなかった。この国の人たちは優しい。それが新皇帝から見れば、つけいる隙であったとしても。
帝国側からの捜索打ち切り要請と共に、私の身柄の引き渡し要求が来た。使者からでも国王陛下からでもなく、アルフォンソさまから伝えられたのも、きっと彼らの優しさなのだろう。
「ルイーゼはどうしたい?」
「戻らなくては、この国に戦火が……」
「分かってる。でも、ルイーゼ自身がどうしたいか聞きたいんだ」
アルフォンソさまは私の手を握って真っ直ぐに見つめる。そんな目で見ないで。覚悟が揺らぐから。
「帰らないという選択肢はないわ」
「帰したくない」
「わたくしの存在は戦争の火種どころか、国を焦土に変える爆弾よ」
「知ってる」
「好きよ、アルフォンソ。愛になるまで、この気持ち、育てたかった」
「私もだよ、ルイーゼ。初めて会ったときから好きだった」
「うそ」
「本当だよ。手紙を交わして、もっと好きになった。この一年で、ますます好きになって、私の気持ちは愛に変わっている。君は違うの?まだ、愛ではない?」
愛じゃないわ。好意が恋に変わったけれど、まだ愛じゃない。
愛にしたかった。心の底から、思う存分、貴方を愛したかった。
でも、ダメ。私は、あの方とディートリヒを捨てられない。
「ごめんなさい」
アルフォンソは私を強くかき抱き、口付けた。今世で初めてのキス。相手が貴方で良かった。好きよ、アルフォンソ。
だから。
「さようなら」
泣いてくれてありがとう。私を愛してくれた貴方への誠意として、私は誰のものにもならないと約束するわ。
◇
私の身柄引き渡しは、帝国からの申し入れで正妃さまとディートリヒの馬車が落ちたところだった。もちろん、国境まで迎えは来ている。そこで待っていたのは新皇帝フリードリヒ。なんて底意地の悪い男なんだろう。こんな奴に絆されるなんて有り得ない。
私は喪服のまま、フリードリヒの前へ出た。彼は眉根を寄せて、あからさまに不快感を示した。
「我が花嫁は己の立場というものが分かっていないようだな」
誰がお前の妻になどなるものか。罪のない子どもを、私の弟を殺したお前が、尊重されるとでも思ったのか。
私はこんな男に屈しない。
「時間をくれてやる。せいぜい弟の死を悼むんだな。その後は……分かっているだろう?」
返事などする気も起きない。もしかしたら、時間をくれたのは温情かもしれないけれど、そんなものに感謝するつもりはない。
正妃さまのお好きだった白薔薇を用意した。それを崖下に投げ、祈る。
「いつまでそうしている。そろそろ行くぞ」
どれくらい祈り続けただろうか。さすがにもう許されないらしい。
振り向くと、 血のように真っ赤なフリードリヒの長い髪が燃え上がる炎のように風に舞い上がった。黙ったままの私を訝しむので、笑ってやった。オレ様キャラは赤髪が定番、か。あの方と、また前世話がしたかったな。
「これで終いよ、逆賊フリードリヒ。わたくしは、貴方のモノになどならない」
我が皇族の血筋がなければ地の竜の封印は解け、帝国を護る結界は解放される。これまで悪意を弾いてきた結界がなくなれば、他国が攻め入ってきた場合、今までのようにはいかない。
そもそも、初代皇帝がだまくらかして封印したいにしえの竜である地の竜が目覚めたら、竜の怒りで帝国を恨んで滅ぼしてしまうかもしれない。
もう、それでいい。あの方とディートリヒに会えないならば、帝国など滅んでしまえ。
最後の矜持だ。フリードリヒに向かってもう一度微笑むと、気に障ったのかますます顔が険しくなった。近づいてくる英雄に身がすくむ。
だけど、このまま捕まるわけにはいかないのよ。ああ、今世も短い人生だったな。
「なっ!?」
間の抜けた男の声に思わず口元が綻ぶが、あの男からは見えないだろう。
何故なら、私は今、崖から落ちている真っ最中だから。
これまでの人生で印象深いシーンがスローモーションで流れる。走馬灯というくらいだからもっと早いのかと思った。
それでも、あの男の魔法を弾き返して勢いに身を任せるだけの冷静さがあった。
「ねーさまぁぁぁぁ!」
「ルイちゃぁぁぁん!」
ゴウという風圧と爆音とともに、私の身体が重力に逆らって浮いた。生温かい何かに包まれている感覚がして、目を開けると、私は巨大な生物の口に咥えられていた。
「エンちゃん、ルイちゃんのこと食べちゃダメよ!」
『我のことをなんだと思っている!食べるか!』
「ねえさま!助けに来たよ!」
ディートリヒとあの方が、いにしえの竜の頭上から顔を出した。どういうこと!?
「じょ、状況!状況を!」
「寄り道して邪竜神殿に行ったらエンちゃんが起きててね!事情話したらあたしたちに付いてきてくれることになったんだけど、途中でエンちゃんの脱皮が始まっちゃって、それが終わるまでちょっと隠れてたの!」
「いや、意味分からん!ディー!?」
「ねえさま、手短かに伝えることはできませんので、とりあえず国境を越えるまでそのまま我慢してください!」
「了解!」
エンちゃんと呼ばれた竜は川の水面ギリギリを飛行していたが高度を上げて新皇帝フリードリヒの方へと向くと攻撃を仕掛け、その後を確認せずにそのままその場を立ち去った。私たちを連れて。
◇
「ルイーゼ!?」
「アルフォンソ!!」
そのまま王国上空を飛行して、あっという間に王都に着いた。着陸出来る場所がなかったからという理由でエンちゃんとやらはよりにもよって王城の敷地に降り、一時この城は阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。当たり前だわな。古竜が一匹出たら国が滅ぶと思えと言われてんだから。
『すまんが脱皮したてで腹が減ってな。飼葉をくれんか』
「飼葉でいいの?肉じゃなくて?」
『ワシ、草食なの』
そうなの?確かに前世でも肉食動物より草食動物の方が大きかったけどさ。
「貴女様は、帝国皇帝正妃エリーゼさまでしょうか」
「前皇帝、になっちゃったけどね。二度目まして、アルフォンソ王子!まあまあ、立派な若者になって!」
「エリちゃん、言い方がおばちゃんくさいよ」
「もうおばちゃんよぉ、名実ともに!それどころか来年にはおばあちゃんよ!」
「エミーリアねえさまが懐妊されたんだって」
「へえ〜、そうなんだ!おめでたいね!って、そうじゃないでしょうがぁッ!いや、めでたいけども!そうじゃなくて、そうじゃなくて!」
「事情を、説明していただけるかな?」
そう声をかけて来たのは顔を真っ青にしてゲッソリやつれたように見える国王陛下だった。当たり前だよね。古竜引き連れて逃げて来た大国の正妃と皇子なんだもの。
王の身体がガタガタ震えてたのは、誰もが見なかったことにした。
◇
元正妃エリーゼ妃殿下の経緯をすっ飛ばした結果だけの要領を得ない説明だと余計に混乱するので、お口チャックを言い渡してディートリヒに事のあらましを教えてもらうことにした。
二か月前、予定より早く帝都を出立したのは偽装だった。囮側には寄り道は全然違うところに寄ってもらい(有名な温泉地)、その間、二人は邪竜神殿で結界を解き、地の竜が封印されている水晶球を持ち出すことに成功。ディートリヒは邪竜神殿に行くまで、〝帝国の正統なる後継者として竜神の封印強化のお役目を果たす〟と思っていたそうだ。本人は元から皇帝になる気はないが、これは皇族の義務だから、と教えられていた。
私もやったことあるけど、結界強化も封印強化も私たちの血族じゃないと出来ない仕様になってんのよ。フリードリヒが私だけを生かす理由がコレ。
さっき見たあの巨大な古竜を物理法則無視して占い師が持ってるようなサイズの水晶に封じ込めるとか、マジファンタジー。
エリちゃん(あ、正妃さまね)は血族じゃないから結界内に立ち入れないんだけど、適性ある私ら血族はエントランスフリー。ディートリヒは適性アリだから結界素通りして先に封印強化に向かうと、水晶の中ですでに目を覚ました古竜がいた。念話で話しかけられてビックリしたそうだ。『そろそろここにいるのも飽きたし、脱皮が始まる頃なんだけど出してくれん?』と言われたそうだ。
話は建国神話の時代に遡る。とある若者が脱皮不全に陥った死にかけの竜を発見。そういやザリガニの死因は脱皮不全がダントツ多いって聞いたことあるな。
んで、心優しき青年は脱皮を手伝ってあげて、なおかつ弱った竜をなにくれなく世話してくれたらしい。これがまだ一介の王国の王子だった初代皇帝。まあ、この人は平和主義だから帝国主義的侵略行為の類は一切してなくて、その孫の代辺りから領土を広げていくんだけどさ。
王子の手助けで最悪を免れた古竜だけど、脱皮不全によるダメージは深刻だった。なんか外に出てちゃいけない部分がはみ出てたらしい。それは次の脱皮で治るものだから、それまで寝るので安全な場所を提供して欲しいと竜に頼まれる。それが邪竜神殿であり、結界であり、封印だった。アレは竜から国を守るんじゃなくて、竜の方を守ってたんだね。
寝てても有り余る魔力を有する古竜だ。『寝てる間はワシの魔力使っていいぞ〜!その代わり、次の脱皮は子孫に手伝わせるって約束して』と血の契約を交わして、『ワシ、疲れたから寝る』と竜は水晶のなかで永き眠りについた。王子は水晶から古竜の魔力を引き出して、国土防衛の結界を張った。範囲は当時の王国くらいね。コレが結構重要なのよ。長らく絶対不可侵の帝都だったのは、この結界が王子とその子孫に悪意を持つ者を弾くから。ただし、元から結界内にいる人間には通用しない。
時代を経て血が薄まっていくにつれ、古竜と王子との約束も忘れられたのか、どっかの代の誰かが欲かいて約束をなかったことにしたのか、この話は現代には伝えられていない。いにしえの邪竜を知恵をもって封印し、その魔力を使って国を守る結界を張ったのが初代皇帝であると伝えられている。私もこの話聞くまで通説が本当だと思ってた。実際にあるしね、結界。
古竜は千年に一度脱皮するそうだ。ちなみに普通の竜は百年に一度らしい。トリビアだなぁ。愛すべき無駄知識。てなわけで、次の脱皮は千年後。←イマココ
約束の千年はまだ数年先なんだけど、何年か前から起きてたんだって。でも、神殿の方の結界内にはなかなか人が入って来なくてヒマだった、と古竜は語ったそうだ。長いときを生きる竜に数年なんて誤差の範囲じゃないの?え?違うの?
で、もう面倒だから自分で水晶壊して出てっちゃおうかな〜と考えてたところディートリヒが入ってきたもんだからさっさと出せやと騒いだそうで。だけど、神殿の中で解放したら邪竜と思われてる古竜は討伐対象になってしまう。まあ、討伐される前に討伐軍が全滅するだろうけどさ。
なので、然るべきところまで水晶のまま連れて行くから待ってて欲しいとディートリヒは古竜に頼み、そのまま連れ出して来た。実はコレ、計画通り。古竜の封印されし水晶球を持ち出して王国に亡命し、こちらに新たな結界を築くのが目的だったから。それを取引条件としてこの国に二人を受け入れてもらうつもりだったのよ。竜の結界の効果の程は世界中に知られてることだしね。イヤとは言わんでしょ。イレギュラーは古竜が起きてたことだな。
帝国側の結界は、残留魔力で数年持つだろうけど、そのうち消滅するだろうってさ!ハン!ざまあみろ!
そっからは囮側との合流を目指し、さっきいた転落事故現場の山の麓付近で予定通り落ち合い、馬車に乗り込んだはいいものの、途中で刺客に襲われて馬車は崖の下、だけど二人はその手前の森で水晶から解放してあった竜に素早く助けられて無事。竜は上空を飛びながら追従していたそうだ。残念ながら随行員は殺されたか捕縛されただろうとのこと。
一緒に救出された馭者とエリちゃんの侍女、ディートリヒの侍従は無事で、今は三人で脱皮した皮の片付け中らしい。あのサイズの竜の抜け殻の片付けとか大変そうだなぁ。
水晶から出た直後に脱皮が予定より数年早く始まって、山の中に潜伏しながら脱皮が終わるのを待つこと三週間。竜の新しい皮膚が硬化して落ち着くまでに一週間。約一か月かかってしまった。で、ようやく王国にいる仲間と連絡が取れたと思ったら、私が帝国に引き戻されようとしているところだったので、竜を連れて奪還に来たとのこと。
「こ、荒唐無稽すぎる……」
「ねえさまの救出に間に合って良かった」
「こっちはずっと心配してたんだからね!?二人の安否は分からないし、もう、もう、もうダメかと……二度と会えないのかと、思って……!!!」
せめて死んで二人に会いたい。なんてことは思わなかった。異世界転生経験があると、あの世も信じられないし、次の生で出会える保証がないことを知っている。
ただ、あの男に、テンプレオレ様男に、意趣返しがしたかっただけだ。あんな奴、国ごと邪竜に踏み潰されてしまえと、そう思ったのだ。
「では、お二人は我が国に亡命を希望したい、と?」
「ええ、そのつもりです」
「ですが、古竜殿の封印は解かれております。竜は絶対的な力の象徴であると同時に自由の代弁者でもある。この地を守護してくださるわけでもありますまい。そうなれば……」
帝国からの報復があるかもしれない。父親の言葉に、アルフォンソの表情が翳る。私も胸が痛む。私と彼は、結ばれる運命にないのだと。
「ああ、そこは大丈夫!エンちゃん、今回もまた脱皮不全になりかけちゃってね〜?助けてあげたお礼に、ずっとわたくしたちの傍にいてくれるんですって!」
「違うでしょ、かあさま。エンちゃんは元々こっちの方の出身だから、昔のねぐらに戻るって話でしょ」
「だけど、ねぐらに戻るだけなら守護なんてつけてくれないじゃない。そこはわたくしたちのお手柄なのではなくて?」
「そう、なの、かな?」
釈然としないディートリヒと、正妃の仮面を外せばお気楽極まりないエリちゃんの笑い声。ああ、いつもの光景だ。これが私の今の家族。
私はずっと、エリちゃんのポジティブシンキングに救われてきた。
同じ転生者のエリちゃん。非業の死から逃れられないかもしれないのに、いつも前向きで、頑張っていたエリちゃん。
エリちゃんが、終幕の先である今この時を生きている。
「やだぁ、ルイちゃん、泣いてるの?」
「ルイーゼ」
「きゃあ!まあまあまあ!」
アルフォンソがすぐに駆け寄って私の涙を拭う様子を見て、エリちゃんは頬を赤らめ、手を叩いて喜んでいる。
「若いっていいわねぇ!青春だわ!アオハルよ!」
「ちょっと、からかわないでよ!これはそういうんじゃなくて!」
「なによぉ、満更でもない顔してるくせに!そうだわ、陛下。二人の婚約は解消になってしまったのでしょう?どうにかなりませんの?あと少しで結婚というところだったのに」
「だが、新皇帝が今後どう出るか……貴女方がこちらに入国したことは把握しておられるでしょうし……」
「こんなに想い合っている二人なのに、引き裂くおつもり?」
「エリちゃんは自分の恋愛脳を押し付けないの!」
「ルイちゃんはもっと若者らしくキャッキャウフフした方がいいの!わたくしはそれを物陰から覗きたいの!」
それができない性格だって知ってるくせに!覗きたいのってなんだ!そうだ、エリちゃんは推しは壁になって見守りたいタイプだった!視界の隅っこでディーがアルフォンソに頭を下げているのが見えた。息子に気を遣わせんな!
◇
「結界?ワシャ、別にかまわんけど……魔力の使い道もないし」
ないんかい!ていうか、誰!?ところどころ肌に鱗があるんですけど!?
「貴方、エンちゃんなの?」
「そうだぞ」
なんか古竜が人型になってるぅぅぅ!
「竜人伝説は確かにこの国の北方に残っているが……まさか……?」
「古竜になると人型になれるんじゃよ」
「初めて知ったわぁ」
「なにその後出しジャンケンみたいな設定!」
「前回は脱皮不全だったから出来んかったが、今回は万全だったからな。腹もふくれたし、これくらいお茶の子さいさいじゃ!というわけで、エリ!ワシの伴侶になってくれ!」
「あたしもうおばさんよぉ?」
「それを言うたらワシはジジイどころか化石じゃぞ?」
確かに。でも、エリちゃんは若い。見た目だけなら若い。アラフォーだけどアラサーくらいに見える。そして美人。ずっとキツめの化粧してたからアレだけど、今はほぼスッピンなのでむしろおっとりマダムにも見える。古竜はアラフィフくらいの見た目。こちらもまたイケオジだ。声も渋い。発言が薄いけど。
「でも、夫を亡くしてすぐ再婚なんて、なんだか恥ずかしいわぁ」
「しかし、人の生は短い。そなたのようなおもしろい人間、会ったことがない。少しでも長く、そなたの傍にいさせてくれ。そのための伴侶という立場が欲しい」
「んー、そういうことなら?」
竜人は人型を取った古竜であって人間ではないので、人間とは子どもを作ることは出来ないそうだ。ていうか、エリちゃん、異世界あるある〝おもしれー女〟枠かい。
「ディーの意見も聞いてみないとねぇ」
「エンちゃんのことを父と呼ぶのは抵抗がありますが、かあさまには幸せになっていただきたいので否やはありません」
しっかりした子!
「あの〜、まず古竜殿には結界を張っていただきたいのだが……」
国王陛下のお言葉にエンちゃんドラゴンはひとつ頷いて、「そおれ!」と掛け声ひとつで帝国にあったものと同様の結界を張った。
「いんや、あっちのより頑丈だぞい。この国の方が狭いし、ワシ自身も絶好調だからの」
「あ、そうなんです?」
「陛下。これでルイーゼとアルフォンソさまの結婚、お認めいただけますか?」
エリちゃんが正妃エリーゼの顔で国王陛下に伺うと、緊張した面持ちのアルフォンソが私の肩をつかんで引き寄せた。
「分かった。二人の婚姻を許可しよう」
「やったぁ、ルイちゃん!」
「ねえさま、おめでとう!」
「ありがとうございます、父上!ルイーゼ!もう離さない!」
「きゃあ!」
抱きしめられて、顔中にキスの雨が降る。つむじに、額に、頬に、鼻に、もちろん、唇にも。か、家族が見てるからやめて!あ、アルフォンソって、こんな人だったっけ?もっと初心で無垢で、照れ屋だったはずなんだけど!?
「うふふ、お姫様にはやっぱり王子様よね!王道最高!美男子と美少女のイチャイチャ、眼福!」
「美女とイケオジのイチャイチャもおいしいぞ?」
「やだぁ、エンちゃんたら!気が早いわ!わたくし、お付き合いは段階を踏みたいタイプなの」
「そうなのか?」
「ええ。だから、デートから始めましょう」
早速イチャつき出す古竜とエリちゃんにディートリヒと国王陛下は嘆息し、目を合わせて頷き合って城の中に戻って行った。肩を落とす国王陛下の背をディーが手で叩いてるのが見える。何か通じ合うものがあったのかもしれない。
◇
結局、私とアルフォンソの結婚式は一年延期になった。その間、いろんなことがあって、なんやかんやで平和になった。私たち家族の安全も確保出来た。
端的に言えば、一年もかからず帝国は崩壊した。新皇帝を名乗ったフリードリヒも今は亡い。
あれからも難癖つけてこの国に侵攻して来たものの、悪意を弾く結界に阻まれ上手くいくわけもなく。あまりにもうるさく絡んでくるものだから、エンちゃん(あだ名が定着してしまった)が残留魔力を回収しに行って帝国に残っていた古き結界も消滅。そのことが知れ渡ると同時に、今まで無理矢理従わせられて来た国々が独立。すったもんだあって、最終的に〝フリードリヒのせい〟となり、クーデターを起こされ市民に殺されたそうだ。
あんなにバカ強い設定でも、圧倒的物量には負けるらしい。その代わり、民の被害が甚大で、英雄皇帝亡き後は這う這うの体であちらこちらに休戦協定だのなんだのの話を持ちかけ、なんとか国としての体裁を持ち堪えている。どうやら民主主義国家の道を進もうとしているようだけど、それを維持できるほどの基盤が国民にないので、いずれあの土地は分割されて適当な国に吸収されるだろうというのがこの国の見解。
「エミねえさま!マリねえさま!」
他国に嫁いだエリちゃんの娘、エミーリアとマリアンネも結婚式に参列してくれる。エミちゃん、まだ子ども産んだばっかなのに、ドラゴンタクシーなら半日で来られるからって旦那さん(王太子)と子ども連れてわざわざ来てくれたのよ。マリちゃんだってエミちゃんと間をおかず妊娠が分かって、さすがに子どもは置いて来たけどこちらも夫婦で参列よ。日帰りとかドラゴンすごい。
「ディー!大きくなったわね!」
「はい!また身長が伸びました!」
「マリちゃん、来てよかったの?」
「へーきへーき!もう乳離れしてるし!」
私たちは姉妹のように、友人のように育った。三人の共通点は、エリちゃんとディートリヒが大切なこと。
「仲がいいんだな……?」
「し、知らなかった……」
エミちゃんとマリちゃんの旦那さんたちが呆然としている。
「まあ、アナタ。わたくしが妹いじめをする女だと思っていたの?」
「えっ、いやっ、そういうわけでは!」
「やだもうお姉さまったら、お可哀想よ。国の調査でもルイーゼいじめは事実として報告されていたのでしょう?ねえ、お義兄さま」
「ははは、義兄上方は今でも騙されたままだったということか!」
「お姉さまがネタバラシをしなかったからよ、分かるわけないわ」
「あっ、ならアルフォンソさまはご存じなのか?」
「お先に申し訳ない」
ガーンという顔でエミちゃんとマリちゃんの旦那さんはショックを受けていた。嫁いできた二人が調査と為人が一致しないことに頭をひねっていたが、彼らの中ではどうやら帝国後宮のストレスからそういう行為に走っていたのだと結論づけていたようだ。
「あれはね、演技よ演技!お母さまの台本だったのよ」
「はあ!?ますます意味が分からない!いや、ルイーゼ姫のためだったことは分かるぞ!?だが、何故台本まで!?」
「あの頃のお母さまの口癖って、〝後宮は舞台、わたくしたちは女優よ!〟だったわね」
「他にも〝女はみんな女優〟とも言っていたわね」
「あの環境でディートリヒが歪まず育ったのは奇跡だわ」
「それはもう、わたくしの愛と教育のおかげでしょう!」
「ルイちゃんの愛と教育のおかげよね」
「ルイーゼがいたからこそなのは間違いないわね」
「あぁん!二人ともひどいわぁ!」
エミちゃんとマリちゃんはエリちゃんの嘆く姿を見て顔を合わせて笑うと、アルフォンソに声をかけた。
「ルイちゃんはね、わたくしたちの家族ではあるけれど、妹ではないの」
「妹ではない?」
「どちらかというと、お母さまの友人……親友?のような立場よね」
「お母さまとルイーゼは対等なの。もちろん後宮では身分での序列はあったわ。けれど、あの二人は常に表裏一体であり、背中を預け合う仲間なのよ」
「だから、エリちゃんなんて珍妙な呼び方も許される。まあ、言い出したのはお母さまだけど」
「ちゃんづけって可愛いわよね。だけどこの世界のどこにもちゃんなんて敬称を使う言語はないのよ。不思議よね」
後宮の正妃さまの下で育ったからと言って、この世界に存在しない日本語で呼ばれることを受け入れ、抵抗なく使うのは私だけだった。こちらの帝国言語ではちゃんは発音しにくいのだ。今はエミちゃんも使ってるけど。
「二人には実の娘ですら立ち入れない絆があるのよ」
「お母さまは暴走しがちだけど、基本的には無害な人だから安心して。老後の面倒は頼んだわよ、義弟」
「あらあら、エミちゃんたら悪役令嬢が染み着いちゃったのかしら?」
「お母さま、わたくしもう令嬢ではございませんわ」
「それもそうだわね、うふふ!」
悪役令嬢?とエリちゃんの義息たちはそろって首を傾げた。知らなくていいよ。聞き流して。
「ねえ、ルイちゃん!ヒロインも、悪役令嬢も、みぃんな幸せになるエンドってなんて言えばいいのかしら!」
「大団円でいいんじゃない?エリちゃん」
そう。この世界は虐げられ皇女と英雄の物語じゃない。
だから迎えられたハッピーエンド。
ただ一人に依存する溺愛なんかより、よっぽど幸せに満ちあふれている。
「エリちゃん」
「ルイちゃんなあに?」
「私のこと、ずっと守ってくれてありがとう。大好き」
「わたくしもルイちゃんのこと、ずぅっと好きよ!生まれる前からね!」
貴女が好きだったヒロインじゃないけれど、それでも私を好きと言ってくれるエリちゃんがいる。笑ってくれる貴女がいる。
「そろそろ行こうか、ルイーゼ」
「ええ、アルフォンソ。みんな、またあとでね」
「いってらっしゃーい!」
「お幸せにね!」
ああ、なんて幸せなんだろう。
「ルイーゼ」
「アルフォンソ?」
「愛してるよ」
「わたくしも、愛してるわ」
こうして幸せは増えていく。私は、私の大切な人たちをこれからも大切にしていこう。
この世界で私の人生はまだ、続くのだから。