4.月から紡いだ糸を編む
シェーダと呼ばれる寒風が吹くと、植物たちはみな枯れて大地に還る。作物のなくなった畑は冷たい風の領域となる。
夜空には先日よりも太くなった月が光を増し、月輝祭が刻々と近づく。約束通りルバルトはふたたび魔女の家を訪れた。
「魔女はまだ戻らない」
不愛想なサムに彼は明るく笑う。
「いいんだ、君たちに会いに来たんだから」
「私たちに⁉️」
サムの後ろからジーナが顔をのぞかせて、緑の瞳を輝かせた。
「こらジーナ!」
「あぁ、そうだ。君たちへの贈り物を持ってきた」
「僕の分もある?」
「もちろん。パブロには新しい弓、ジーナにはナイフ。そしてサムには本だ」
「わぁ!」
「すごい、刃がピカピカ!」
子どもたちはすぐに夢中になり、サムは異国の童話を押しつけられた。
「見たらここには魔術書しかないようだ。冬の間退屈だろう、君が二人に読んでやるといい」
きれいな挿絵の童話はルバルトが隊商から手に入れた。お城の図書室で姫君が読むようなぜいたくな装丁だ。サムはこんな美しい本を今までに見たことがない。
「綺麗……」
「気にいったか?」
つかのま本に見入り、我に返ったサムは屈託なく笑うルバルトをにらんだ。
「これは姫君にやった方がいい。きっと贈り物にふさわしい」
「アライア姫に?考えもしなかったな。それに彼女がほしがったのは月光のヴェールだ。月輝祭が終わったら春まで城に来ないか、従者の件も考えてほしい」
サムは硬い表情で首を横に振った。
「ここの暮らしは快適だ。それと従者にはならない」
「残念だなぁ」
心底惜しそうなルバルトにサムは目を合わせない。
「会ったこともないくせに。姫君が本当は鼻も眉毛もひん曲がってたらどうする」
「どうもしない。こんな手紙を寄越すぐらいだ、きっと機転が効いて話しても面白いさ。何より俺が今まで会ったこともない女性だ」
「手紙ぐらいでバカだろ」
怒ったように呟くサムに、ルバルトは苦笑して首をすくめ、ひらりとラバにまたがった。
「ちがいない。月輝祭には手ぶらで行って振られてくるさ」
子どもたちはルバルトを見送り、サムは小屋から出ずに本を抱えたまま動かなかった。
「月光のヴェール……」
あんなヤツ、振られて帰ってくればいい。
ヴェールは花嫁を幸せにする力を持つ。けれどそれは花嫁が自分で願いをこめて編むからだ。
それを欲しがる姫君もどうかしてるが、会ったこともない姫のため、手にいれようとする男もたいがいだ。
「似たもの同士、よろしくやればいいさ」
扉を小さく叩く音がして、ジーナがひょっこり顔をのぞかせた。
「サム、王様帰っちゃったよ」
パブロも弓を持ちあげてみせる。
「王様、次はいつ来るかな。弓をちょっとだけ教えてくれたんだ」
「もう来ないよ。それより王様にもらった本を読んであげる」
サムが本を見せると、二人はパッと顔を輝かせた。
子どもたちが寝静まった晩、サムは魔女の戸棚を開け、長くて細い棒を二本取りだす。
扉を開けて外に出れば、吹き荒ぶシェーダがサムの小さな体を飛ばしそうになる。
エルド山から突きだすようにそびえる岩場にある魔女の家からは、月を映すユーリカ湖と城下町がよく見えた。
白壁と青い屋根のベルニ城には明かりが灯り、ルバルトがそこにいると思うと胸が騒ぐ。
ここに魔女はいないけれど。魔女見習いの自分ならいる。
ユーリカ湖の水源たるエルドの霊水を桶に汲み、サムはひざまずく。水に映した月へ編み棒をさして呪文を唱えれば、月光が輝く細い糸へと紡がれる。
糸が切れることのないように、慎重に指を動かす。スルスルと紡げる糸は朝になれば、沈む月とともに消えてしまう。ヴェールにするには夜通し編まねばならない。
吹き荒ぶ風で体はどんどん冷え切り、髪だけでなく全身がしっとりと露に濡れた。
「なんでこんなことしてるんだろう」
本をもらったから?
子どもたちが懐いたから?
ほめられたのがうれしかったから?
「顔も知らない姫君に贈るって、知っているのに」
月光を溶かしたような、ヴェールよりも美しい銀髪をなびかせ、屈託なく笑う男。
ホッとしたように笑うところも照れくさそうに頭をかくところも、日差しを浴びて輝くユーリカ湖より眩しかった。
でもずっと他の女に求婚する話をしていた。
「従者になれ、だって」
サムは自嘲気味につぶやく。動きやすいとはいえ少年にしか見えない格好だったことを、少しだけ後悔する。
指がかじかむが、体が冷え切る前にヴェールを編み終えなければ。
「編んだって幸せになれないと、知っているのに」
それでも彼女は自分の手を止めず、必死に指を動かした。
『ヴェールがあれば、少なくとも顔を見る口実にはなるし、話ぐらいできるだろう』
「チャンスをやるだけだ。アイツにチャンスを……」
なんとか夜明けまでに編み終えると、明るい月の光を紡いだヴェールは、暁に照らされて冴え冴えと輝いた。彼女の体はすっかりと冷え切り、そのまま崩れ落ちるように倒れこんだ。
次回、『月輝際』で完結です。






