出会いの時
ディアランはソファに背を深く預けて、ヴィヴィアンヌと出会ったデビュタントの夜を思い出していた。
トラファルガー公爵家の一人娘がデビューするのは聞いていたが、総領娘である令嬢は嫁ぐのではなく婿を取るのだ。
王太子である自分の相手にはならない、と最初から王太子妃枠から外していた。
隣国の大使との会合が長引きデビュタントの夜会に遅れても、あれほど後悔することになるとは考えていなかった。
ディアランが会場に到着した時は、すでに紹介は終わり演舞が始まっていた。
もうすでに何曲か演奏しているようだ。デビュタントの令嬢達は父親や婚約者と最初の曲を踊った後、申し込んできた男性と順番に踊る。
空気が澄んでいると感じた。
こんなことは初めてだった。
その空気を辿れる自分に驚きながら、中央で踊る人びとの中に目が釘付けになる令嬢がいた。
視線が離せない、パートナーの男の背中越しにみる彼女の柔らかな笑み。
近寄ると、その空気は彼女が纏うものだと理解する。
清くて、暖かくて、初めて知る感覚。
美しい彼女が踊る姿に見惚れる、どこの令嬢だろう。次の曲はパートナーの男から奪い取らねばならない。
そして、そのパートナーが弟であるジェラルディンであると気づくと、無性に腹立たしかった。
すでに何人もの男がダンスのパートナーになるべく順番を待っているのだろうが、そんなことは知った事ではない。
曲が終わり、ディアランが歩み寄ろうとした時、ジェラルディンはその令嬢の手を取ると、そっと唇をあてた。
ボン、と音がするかと思う程、その令嬢が真っ赤になった。
「殿下・・」
彼女の言葉は続かず、眩しい笑顔を浮かべた。
その場の誰もが、彼女がジェラルディンに好意を持った瞬間を見た。
ジェラルディンは彼女の手を取ると、踊りの輪から離れて父親の元に連れて行った。
ディアランが踊りを申し込もうとしても、彼女は父親に何かささやくと、侍女を連れてジェラルディンとテラスに出てしまったのだ。
ディアランには、それを見ているだけしかできなかった。
彼女には、ディアランがそこにいるという存在さえ知ってもらえなかった。
彼女が、トラファルガー公爵の令嬢、ヴィヴィアンヌ・トラファルガーだった。
それからすぐに、ヴィヴィアンヌとジェラルディンの婚約が調い、王宮に来る彼女と何度も合ったが、彼女の眼にはディアランは映ってなかった。
ディアランには、ヴィヴィアンヌが王宮に来ると空気ですぐにわかるというのに、ヴィヴィアンヌにはディアランは王太子殿下でしかないのだ。大好きな王子の兄、そうとしか認識されていない。
そして、ジェラルディンがヴィヴィアンヌを疎ましそうに扱うのを見るにつけ、憎悪はつのる。
僕なら、毎日愛を囁いて大事にする。
僕に気がついて、僕を見て。
王宮で彼女の姿を見かけた時は、幸せと苦しみが心をしめる。
まずはジェラルディンの私室に信頼のある侍従を派遣して、ジェラルディンとヴィヴィアンヌが二人きりにならないように手配した。
他の侍従や侍女は、その侍従が懐柔してある。
もしジェラルディンがヴィヴィアンヌに何かしたら、平常心ではいられないだろう。
ディアランを現実に引き戻したのは、王の言葉だ。
「ジェラルディンに何かしていたか?」
「何のことです?」
ディアランが口の端をあげて答える。
「そうか、ジェラルディンが子爵令嬢と懇意にしているというのはハニートラップに引っかかったのだな」
王はディアランの様子で全てを悟ったようだ。ディアランが用意した女性なのだろう。
「もし、ジェラルディンがヴィヴィアンヌ嬢と結婚したらどうしていた?」
「彼女が僕以外と結婚するということは、ありえません。
そんなことになれば、僕は何でも壊せる気がするのです。王家の始祖は人間でなかった、ご存じのはずです」
僕を人間で留めるためにヴィヴィアンヌが必要なんです、そう言っているように王には聞こえた。
ジェラルディンがヴィヴィアンヌと結婚したなら、ジェラルディンは生きていなかったかもしれない。
それほどの底知れない威圧を、王は息子の王太子から感じていた。
「トラファルガー公爵からの婚約解消を受け入れた。
その条件として、王太子妃となることを申し入れた」
ジェラルディンが気づいていたように、王もディアランの気持ちを知っていた。
だが、すでにジェラルディンとヴィヴィアンヌが婚約していたし、ヴィヴィアンヌ自身がジェラルディンに好意を持っていたから静観していたのだ。
ディアランは、テーブルのグラスを手に取ると、一気に飲み干した。
「王家と公爵家の婚約解消と再婚約は、時間かかりそうですね。
それで内密ですか。
わかりました。僕も公表できるように尽力しましょう。
それまでは、ヴィヴィアンヌ嬢への接触も避けましょう。彼女に瑕疵が付くのは良くないからですね」
王子から王太子に乗り換えた公爵令嬢、そう言う者もでてくるだろう。
その分も大事に大事にしよう、ジェラルディンの事など忘れるように。
ディアランは込み上げる喜びに笑みを浮かべるが、それを王は珍しいものを見るように感じていた。
子供の頃から大人びた子供であった。
何でも出来るし、何物にも執着しないと思っていたが、違ったのだな。
8年前、自分の運命をも静かに受け入れていた。王として羨ましく、人として哀しい息子。
王にとっては、ディアランもジェラルディンも大切な子供である。
だが、王妃はディアランを嫌っており、ジェラルディンを可愛がっている。
公式には表に出していないが、自然とわかるものである。それは、王にも、王太子にも、第2王子にも。