ファーストキスの後遺症
怖かった。
ファーストキスの記憶はそれである。
帰り着いた公爵家の自室のベッドに転がって、ヴィヴィアンヌは怒っていた。
返せ! 私のファーストキス。
無理やりだった。
ヴィヴィアンヌの気持ちも確認しないで。
許すまじ!
王太子だろうが結婚相手を尊重しようとしない人間なんて、やっぱりあの二人は兄弟よ。
そりゃあ、王太子殿下はカッコいいし、告白されて、ちょっとのぼせたわよ。
でも、無理やりはダメ。
ヴィヴィアンヌはベッドの上で赤くなったり、青くなったりしている。
王太子殿下のあれは愛情の押し売りだ。
婚約者だから、好きだからって、相手の気持ちを後回しにしていいはずがない。
もしかして、私もジェラルディン殿下にそうしてた?
自分では殿下の好みに合わせようとか殿下の役に立つようになろうとか頑張ったけど、それは殿下が望んだものだろうか?
もっと、お互いを理解しようとするべきだった?
もう涙はでてこない。
後悔はしても、終わったんだと実感する。
新しい婚約者ができて、キスまでしちゃったんだから、昔の婚約者の事で悩むのは止めよう。
でも、新しい婚約者には、強引なキスの仕返しはさせてもらおう。
ヴィヴィアンヌは、思わず笑いが込み上げてくる。
さぁ、夕飯にしなくっちゃ。
美味しいご飯で機嫌を直すのよ、と自分自身を奮いだたせる。
けれど、暴食で太った身体を戻すために、食事制限を自分で言った事を忘れているヴィヴィアンヌである。
タイミングよく侍女のサリーが寝室の扉をノックして夕食の時間だと告げられ、食堂に向かうのだった。
その頃、王太子の執務室では、機嫌のいい王太子に周りが震えあがっていた。
あきらかに機嫌がいいと、周りは邪推をするものである。
「殿下、こちらもお願いします」
側近のレベックが、ディアランが難色を示している書類を前に出す。
書類を受け取りディアランがページをめくったが、書類は机の上に投げ出された。
「これはダメだ、経費も時間もかかりすぎる。どさくさにサインするかと思ったか?」
ニヤッとディアランが口元を緩める。
「それは残念です」
レベックは書類を引き下げながら、婚約がそんなに嬉しいのかとディアランをほほえましく思う。
「ともかく、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう」
ディアランは椅子から立ちあがり、執務室の皆に休憩にしようと声をかける。
普段ならありえない行動に、機嫌の良さが伺える。
だが、そんなディアランにオーデンが溜息をつく。
「殿下」
オーデンが茶の入ったカップをディアランの前に置いて、声をかける。
「非常に言いにくい事を申します」
オーデンだって言いたくはないが、言わねばならない。
オーデンの態度に、ディアランは他の事務官達には仕事を指示して、レベックとオーデンを連れて奥の会議室に入った。
「で、なんだ?」
オーデンが扉を閉めたのを見て、ディアランは確認する。話というのはヴィヴィアンヌの事だろう、というのはわかる。
ディアランとヴィヴィアンヌが庭園に出るのに、警備兵や侍従、侍女が付き添っていた。その中にオーデンもいた。
「殿下、私は2年間ジェラルディン殿下の元でヴィヴィアンヌ様を見て来ました。
ご自分の意志をもち、努力をおしまない立派なご令嬢です」
オーデンは意を決してディアランに言う。
「2年は長いです。殿下が耐えてこられたのも存じてます。そして、今回の婚約をヴィヴィアンヌ様も納得されているようで、嬉しく拝見しておりました。
けれど、あれはダメです」
「アレって?」
何も知らないレベックがオーデンに聞くが、オーデンはそれには応えずに話を続ける。
「我々は見ないようにしましたが、ヴィヴィアンヌ様の嫌がる声が聞こえました」
ブワッと会議室の空気が一瞬で凍り、レベックはディアランを見た。
「悪かった、オーデンが僕の為に言っていることは分かっている」
部屋の空気が緩み、ディアランが首を振る。
「僕も強引だったとは思うが・・」
「殿下。ヴィヴィアンヌ様は、流されるようなご令嬢ではありません。
ヴィヴィアンヌ様はとても身持ちの固いご令嬢です。だから、われわれも守りやすかった。
大事にしておられるなら、嫌われるような行動はお避け下さい」
ディアランが椅子の背に深く身をあずける。
「嫌われるか?」
オーデンは、それに何も答えないが、それが答えである。
レベックも、ディアランがヴィヴィアンヌに無理やり何かしたのだろう、と想像がつく。
あれほど機嫌が良かったのは、婚約の公表だけではなく、ディアランがしたいことをしたのだろう。
女性を寄せ付けなかった分、女性の扱いが分かってない、とレベックもオーデンもディアランを評価したのだった。
読んでくださり、ありがとうございます。
ヴィヴィアンヌは結婚はするけど、お互いを理解して尊重してって、恋愛感情はありませんよね。
反対にディアランは、暴走するほどヴィヴィアンヌが好き。
すれ違ってます。




