アップルパイ
「寒い……」
キキはノエルのマフラーを体に巻き付けながら震えていた。
「この小屋、隙間だらけじゃないの! 冷たい風が入ってくるから暖炉の前にいても全然暖かくない!!」
ホットミルクを飲んで寛いでいたゴードンが、キキを窘める。
「文句があるなら森の中に居ればいいだろ。春の植物が生い茂っている辺りに行けば、一年中ぽかぽか陽気が楽しめるんだから」
「うるさい! 私はノエルの小屋でのんびりするのが好きなの! 大体、小屋を建てるんなら森の中にすれば良かったじゃない。そうしたらいつでも快適に過ごせるのに、どうしてわざわざ森の入口の外側に建てたのよ」
キキが喚き出し、ノエルが申し訳なさそうな顔をする。
「何となく……精霊の森は神聖な場所だから、僕みたいなのが住み着いちゃいけないような気がしたんだ」
「ノエルはキキと違って奥ゆかしいからな。ちゃんと精霊に敬意を払っているんだ。キキもちょっとは見習えよ」
ゴードンの言い方に腹を立てたキキが、魔法で鉄の鍋を持ち上げて投げつける。
間一髪で避けたゴードンは、信じられないという面持ちでノエルの腕に縋りついた。
「今の見たか? あいつ俺の頭を鍋で叩き割ろうとしたぞ!」
「二人とも、仲が良いなあ」
ノエルは穏やかに微笑んでいる。
「どこをどう見たら仲が良いと思えるんだよ!」
ゴードンが大声で抗議した。
その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
ノエルが出迎えに行くと、ふかふかの毛に覆われた仔羊が扉の前に佇んでいる。
「あのう……精霊の森に、世界一おいしいお菓子を作る妖精さんがいるって聞いてきたんですけど」
仔羊の言葉を耳にして、キキがすぐさま飛んでくる。
「たぶん私のことだと思うけど、その噂はちょっと間違っているわね。私、お菓子だけじゃなくって料理も上手いのよ」
キキが鼻息荒く宣言する。
「自分で言うなよ。図々しい奴だな」
ゴードンはキキに聞こえないよう、小さな声で悪態をついた。
「うちの牧場にいるおばあさんが、病気になって食欲が落ちちゃって……。何か食べたいものがあるかって聞いたら、『アップルパイ』って言うんです。どうせなら、とびきり美味しいアップルパイを食べさせてあげたくて、妖精さんを探していました。どうか作ってもらえませんか?」
仔羊が懇願すると、キキはふかふかの毛をジロジロ見ながら条件を提示した。
「あんたの毛を全部くれるって言うんなら、作ってあげてもいいけど」
仔羊は少し考えてから
「分かりました。お願いします」
と頭を下げた。
「よし。それじゃあゴードンは森でリンゴを取ってきて!」
キキに言われて、ゴードンは嫌そうな顔をする。
「ええ! 俺も手伝わされるのかよ。それよりさ、俺はアンチョビの次に仔羊の肉が好物なんだ。こいつをラムチョップにして、みんなで食べちまうってのはどうだ?」
舌舐めずりしているゴードンを見て、仔羊は震え上がっている。
キキはゴードンを睨みつけると小屋から叩き出し、台所から壺に入ったバターを持ってきた。
「寒いから冷えて固まっちゃっているかも」
ノエルが心配そうに壺を覗き込む。
「パイ生地を作るには、これくらい冷たく固まっている方がいいんだよ」
キキは魔法でスプーンを操り、壺からバターをほじくり出してボウルに入れ、木ベラで細かく刻んだ。
ノエルが小麦粉の入った袋を持って隣で待機している。
「粉!」
キキの合図でノエルが小麦粉を加え、ザクザクと切るように混ぜていく。
「水!」
予想外の指示に、ノエルは慌てて水を汲みに行き、ボウルに注ぐ。
バターが粒状になったところで、ひとまとめにした生地を窓際に置き、冷やしながら休ませる。
仔羊は、暖炉の前で気持ち良さそうに目を細めていた。キキは仔羊の背に乗ると、ふかふかの毛にもぐり込んだ。
そこへ、真っ青な顔をしたゴードンが巨大なクマを連れて戻ってきた。
「リンゴを木から捥いでいたらクマに襲われちゃってさ。アップルパイを分けてやるから俺を食べないでくれって頼んだんだよ」
キキは仔羊の毛の中で寝っ転がりながら、冷たく言い放つ。
「そういえば、ゴードンはさっきこの仔羊を食べようとしていたんだっけ。きっとバチが当たったんだな。お前なんかクマに食われちまえ」
「キキ様! 何でも言うことを聞くから、このクマにアップルパイを分けてやってくれよ」
ゴードンが情けない声を出して哀願すると、ようやくキキは体を起こした。
「それじゃ、しっかり働いてもらうからね。ノロノロしてるとパイ生地がダレて膨らまないから、キビキビ動けよウスノロども!」
キキの罵声を浴びながら、みんなはそれぞれの配置についた。
ノエルはテーブルに小麦粉をふり、ひとまとめにしたパイ生地を置くと、棒で伸ばしていく。
伸ばした生地をキキが魔法で三つ折りにして、再びノエルが伸ばす。
何回か同じことを繰り返し、再び窓際で冷やしながら生地を寝かせる。
クマが洗ったリンゴを、ゴードンは皮付きのまま薄くスライスして鍋に放り込み、水と砂糖を加えて煮詰めていく。
焦げ付かないように時々かき混ぜ、水分が飛んでとろみがついてきたところでレモン汁を搾り入れた。
タルト型にパイ生地を敷き詰め、フォークで数カ所穴を開けたら、煮詰めたリンゴを流し込む。
上から細長く切ったパイ生地を格子状にのせ、仕上げに卵黄を塗る。
アップルパイをカマドに入れてからしばらくすると、香ばしい匂いがしてきた。クマがごくりと唾を飲み込む。
こんがりと焼き上がったアップルパイは、見るからに美味しそうで食欲をそそる。
「二つ焼いたから、一つはみんなで食べよう」
キキはウキウキしながらノエルを急かし、テーブルにお皿を並べさせた。
切り分けられたアップルパイに、みんなでかぶりつく。
サクッとした歯応えに、濃厚なバターの味わい。舌に残るリンゴの甘酸っぱさと、ほのかなレモンの香り。
ああ、幸せだなぁ。
キキの顔が自然とほころぶ。
約束通り仔羊の毛を丸刈りにした後、アップルパイの入った箱を背中に括りつけてやった。
「仔羊を食べようとした俺が言うのも何だけど、この寒空の下を丸裸で放り出すなんて、鬼畜の所業だよな」
ゴードンがボソリと呟く。
「それもそうだね」
ノエルは急いで自分のカーディガンを取ってくると仔羊に着せてやり、姿が見えなくなるまでゴードンと一緒に見送った。
二人が小屋の中に戻ると、キキは刈り取ったばかりの仔羊の毛に埋もれながら眠りについていた。
ゴードンはそっとキキの寝顔を覗き込む。
「こうして黙って寝ていれば可愛いんだけどなぁ」
「起きている時も可愛いよ」
ノエルが愛おしそうにキキを見つめる。
「お前は本当に趣味が悪いな。変な女に引っかからないように気をつけろよ」
ゴードンは呆れたように言うと、ノエルと一緒に台所の片付けを始めた。
窓の外には雪がちらついている。
明日は何か温かいものが食べたいな。
キキにお願いしてみよう。
ノエルはそう考えながら、スポンジでゴシゴシと食器をこすった。




