アンチョビサラダ
「これ、よかったらどうぞ」
可愛らしい声が聞こえてきて、キキは昼寝から目を覚ました。
もぐりこんでいた毛布の中から顔を出すと、ふわふわの髪をした若い娘が、ノエルとゴードンに蓋つきの容れ物を差し出しているのが見えた。
ゴードンがサッと手を出して受け取り、蓋を開けてお礼を言う。
「こりゃ美味そうだ! ありがとう、ニコラ」
「ゴードンの大好物じゃないか。良かったな」
ノエルも容れ物の中を覗き込みながら、嬉しそうな声を上げる。
娘は頬を染め、消え入りそうな声で
「ノエルもぜひ食べてね」
と言うと、足早に立ち去って行った。
キキは何だか面白くない気分だ。膨れっ面をしながら、ゆっくりと羽を広げて二人の方へ飛んでいく。
「ちょっとそれ、食べさせてみなさいよ。どうせ大したことない味だと思うけど。人間の分際で、私より美味しいものが作れるわけないんだから」
「なんだよ、ひょっとして妬いてるのか?」
とゴードンがからかう。
「ブヒブヒうるさいから黙っててくれる? この豚野郎」
キキに罵られたゴードンは、顔をひきつらせながらも言い返す。
「俺の体型を見て豚野郎って言っているんなら、勘違いもいいとこだぞ。これは脂肪じゃなくって筋肉なんだ。よく覚えとけ、この鶏ガラ女」
「駄目だよゴードン、キキにそんなこと言ったらーー」
ノエルが止めに入ったが、既に手遅れだった。
キキはゴードンに魔法をかけて、彼を豚の姿に変えてしまった。
「おい、ふざけるなよ! 早く元に戻せ!!」
ゴードンが喚き散らすのを、キキは愉快そうに見ている。
「大人しくしていないと、カマドで丸焼きにされるよ」
ノエルが耳打ちするとゴードンは口を閉ざし、不貞腐れたように床の上で寝そべった。
「ニコラが持ってきたのはアンチョビだよ」
そう言ってノエルは先程の容れ物の中身をキキに見せた。
「アンチョビ?」
キキは匂いを嗅いでから、ひと口つまんで食べてみた。
「しょっぱい!」
「カタクチイワシの塩漬けのことだよ。このまま食べてもいいけれど、パスタに入れたりピザにのせたりしても美味しいんだ」
ノエルの話を聞いているうちに、キキは何だかお腹が空いてきた。
「それじゃ、このアンチョビを使ってサラダを作ろう」
キキは窓を開けて、木の枝に止まっていた小鳥達に向かって叫んだ。
「アライグマを見つけ出したら、小屋まで手伝いに来させて!」
「ノエルは卵を取ってきて」
キキに言われて、ノエルは急いで鶏小屋へと走る。
キキは魔法を使い、水の入った鍋を火にかけると、ノエルが持ってきた卵を入れて茹で卵を作り始めた。
そうこうしているうちに数匹のアライグマが到着したので、タライに入れたジャガイモをジャブジャブ洗ってもらう。
その間にもう一つの鍋で湯を沸かし、きれいになったジャガイモを皮付きのまま放り込んでいく。
「次はタマネギ!」
キキの指示でアライグマが皮を剥き、ノエルがスライスしていく。
「トマトも洗って切る!」
アライグマがせっせと洗い、ノエルがくし切りにする。
潰したアンチョビに、オリーブオイルと酢、すりおろしたニンニクを混ぜ合わせれば、手作りドレッシングの出来上がりだ。
「ツナとブラックオリーブも欲しいところだけれど、贅沢は言えないわね」
キキは、茹でたジャガイモを魔法で粗く潰しながら呟いた。
大きな皿に野菜や茹で卵を綺麗に盛り付けて、最後にアンチョビドレッシングをかける。
「床に這いつくばって謝るなら、人間に戻してあげるけど?」
キキが腕組みをしながら豚になったゴードンを見下ろす。
ゴードンは渋々キキの言う通りにした。
人間に戻ると、苦虫を噛み潰したような顔で椅子に座り、サラダに手を伸ばす。
ひと口食べた途端に、険しかった顔がゆるんでいく。
「絶品じゃないか。いくらでも食べられそうだ」
ゴードンに褒められて、キキは満更でもなさそうだ。
アライグマと小鳥達もおこぼれにあずかっている。
その横で、ノエルがサラダを容器に取り分けて蓋をした。
「それ、どうするの?」
キキがノエルに尋ねる。
「ゴードンに頼んで、ニコラに持って行ってもらおうと思って」
「……ノエルが持っていけば? あの娘、ノエルに気があるみたいだし」
キキに言われて、ノエルは笑い出した。
「そんな風に見えた? 全然違うよ。ニコラが好きなのはゴードンだもの。工房にアンチョビを届けに行ったら、ゴードンは僕の小屋にいるって言われて、わざわざここまで来たんだってさ」
「信じられない。あんな奴のどこが良いわけ?」
キキは、サラダを貪るように食べているゴードンを見ながら、ちっとも納得がいかない様子だ。
「ゴードンは意外とモテるんだよ。人付き合いが上手だし、世話好きで頼りになるからね。引っ込み思案のニコラのことも、いろいろ面倒見てあげてるんじゃないかな」
ノエルが温かい眼差しをゴードンに向ける。
「私はノエルの方が断然良いと思うけどね」
キキはポツリと言ってからテーブルの方へ飛んで行き、サラダを口に運んだ。
野菜の甘みとアンチョビの塩気に、ドレッシングの酸味も加わって、オリーブオイルの香りが口の中で広がる。
やっぱり、私の作るものは最高に美味しいわね。
キキはサラダを食べながら、心が満たされていくのを感じていた。




