人を愛するのに理由はいらない
「ナオ、朝早くすまない。どうしても早急に伝えたいことがあったから」
「フランコ様、おはようございます」
いつもの着古したドレスの裾を上げ、彼に挨拶をした。
心臓は、さらに激しく踊っている。
声、震えていなかったわよね。
「あー、仮面を持ってくればよかった」
姿勢を正したとき、フランコがつぶやいた。
「ダメだ。緊張しすぎてうまく言えるかどうかわからない」
緊張しすぎてどうかなってしまいそうなわたしの前で、彼は視線を彷徨わせつつ独り言をつぶやいている。
そのとき、「ブルルルル」と馬の鼻を鳴らす音がきこえてきた。
「陛下っ、さっさと言っちゃってください」
「エルマの言う通りですよ、兄上」
下から声がきこえてくる。
手すりから見下ろすと、エルマとカストが馬上でこちらを見上げているじゃない。
「わかっている。いまから告げるところだ」
フランコはそう怒鳴ると、軽く息を吸いこんだ。
「ナオ、昨夜はあのような場ですまなかった。あらためて告げたい。おれと結婚してほしい。ではなかった。婚約、そう、婚約だ。婚約してほしい。当然、きみはいまの時点でおれを知らない。おれといっしょにすごして、おれという男を知ってから決めてもらっていい。チャンスをくれないだろうか」
「このわたしを?こんなわたしにおっしゃっているんですか?」
「きみのことだ、ナオ・バトーニ公爵令嬢。この前は言わなかったが、じつはアロイージ王国の宮殿で出会ったとき、きみに一目惚れしたんだ。きみ以外はかんがえられない。あのとき、きみではなく姉の方を連れて帰ってくれと言われたとしたら、きみを指名した。それほどきみを連れ帰りたいと思った」
「そんな……。どうしてですか?こんなわたしですよ?」
「理由など必要ない。人を愛するのに理由などないんだ」
人を愛するのに理由などない。
人から愛されたことがなく、人を愛したことがないわたしにはわからないはずだった。
いままでのわたしだったら、わからないはずだった。
だけど、いまは違う。
人を愛してそれがかなわなかったり、裏切られるのが怖かった。だから、逃げていた。
でも、いまは……。
「フランコ様、わたしもそう思います。人を愛することに理由などありません」
舞踏会のときのように、彼が手を差し出してきたのでそれを取った。
すると、彼に抱き寄せられてギュッと抱きしめられた。
あたたかすぎるその抱擁に、なぜか涙が出てきた。
どうしてかはわからない。
「ありがとう」
彼がささやくように言った。
いつの間にか、エルマとカストはいなくなっていた。
あとで知ったことだけど、フランコはエルマとカストに激励を受けながらわたしのいる客殿にやって来たらしい。
エルマはわたしの部屋を出て行くときにカストと約束があると言った。だけど、二人は約束していたわけではない。わたしの部屋に来るまでに会っていたのである。その上で、フランコとわたしの為にお膳立てをしてくれたのだ。
さらに知ったことだけど、フランコは自分がドラーギ国に行く前にエルマとバルナバにわたしのことを託したらしい。
自分がいなくなると、デボラや宰相がわたしにちょっかいを出すことはわかっている。だから、守ってくれるよう頼んだという。
エルマは、確実にそうしてくれた。
彼女は、初対面からわたしを完璧に守ってくれた。
そして、バルナバやボルディーガ侯爵は、舞踏会が行われることを察知した直後にフランコに使いを出し、彼が即座に帰国する手配をしてくれた。
そのお蔭で、フランコとカストは舞踏会に間に合った。
結局、宰相は失脚した。デボラとともに、領地に追われた。ガンドルフィ公爵家は、嗣子が継いだ。だけど、その嗣子も父親や姉に似て愚か者らしい。女遊びしか出来ない無能者の為、放っておいても近い将来爵位を剥奪されるかもしれない。
そして、ジルド皇子は皇族から除籍された。皇宮から追いだされ、母方の遠縁に身を寄せることになっているという。
いずれにせよ、フランコは政敵をいっきに消し去ることが出来た。
それでも、まだ政敵はいるらしい。




