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マガツヒの神 ~忘れられたラジオ~  作者: 印西たかゆき
2/3

怪異

「――まず、最初の質問です。院長先生から聞いた話によると、終末病棟の患者さん達は全員、認知症を患っているということでしたが、それは本当でしょうか?」


――院長室を後にして数時間後……すでに日は傾いていたが、私は自分の監察医としての職務を投げ出してこの不可解なラジオにまつわる一連の事件の調査に取り組んでいた。

 あの後、再び院長に聞き込みをしたり、病院中の患者や医師、看護師達などを調査した。そして今、私は竹中教授の研究室にいる。


「ええ、本当のようですね。全員とはいかないまでも、終末病棟に入院してくる患者さん達のほとんどが重度の認知症なんだとか……まぁ、いずれの患者さんもかなりお年を召しておられますから、無理からぬことですが……」

「なるほど。では、次の質問です。院長先生の話によれば、この病院に入院している患者さん達の人数は全部で百人以上とのことですが、その中で認知症以外の病気で治療を受けている方の割合はどれくらいなんですかね?」

「さあ……ここは大学附属の病院とはいえ、一般外来も受け付けていますから正確にどれくらいかは……」

「なるほど……」


 まぁ、そんなことを催眠を主に研究している竹中教授に聞いても仕方ないか……だが、やはり終末病棟に限って言えば大多数の患者が認知症をわずらっていたようね……。


「あ、そういえば…以前、院長に茂森さんの話を伺った時は、彼の家族構成までは聞きませんでしたけど、ご両親はどちらに?」

「ご両親はすでにご高齢のために亡くなっています。茂森さんも、すでに五十四歳でしたから。だから、茂森さんは天涯孤独の身だったということですね」


「……」


 五十代で天涯孤独か…やりきれないな……私がそんなことを考えていると、竹中教授が首をかしげながら聞いてきた。


「あの~、それが何かラジオと関係があるんですか?」

「ええ、おそらく…」

「ほう?」


 そのような声を上げる竹中教授に対して、私は自説を展開した。


「おそらくですが、あのラジオからはなんらかの催眠を促す電波が流れています。あるいは音声による催眠かも……いずれにせよ、それらによって茂森さんを含む患者さん達や看護師さん達はおかしな現象に遭ったのでしょう。いえ、正確に言えば、遭ったように錯覚したと言うべきですね。

 もしくは…あのラジオを解体すればすぐにわかることですが、あのラジオの中にはなんらかの幻覚や幻聴を引き起こす物質が含まれていて、それを吸い込んだ者達は、その物質の影響によって次々と怪奇現象に遭ったという幻覚に陥った。

 最後の可能性としては……看護師さん達が遭遇した怪奇現象は本物だが、患者さん達は認知症によって現実との境界が曖昧になり、妄想でそのような怪奇現象に遭ってしまった……ですかね?」

「ふむ、なるほど……」


 竹中教授は私の話を聞いて、しばし考え込む仕草……私がたまたま催眠という言葉を口にした成果、彼なりに知識と経験をフル回転させて考えてくれているらしい。しばらくしてから彼は顔を上げた。


「……それでしたら、たしかにつじつまは合いますね」

「はい」

「しかし…だとすると、今アシュリン先生が行っている調査はかなり難しいものになると思います。

 電波にしろ謎の物質にしろ、あのラジオに原因があるのならばそれを調査すればわかることですが、認知症に至ってはどう頑張っても証明が難しいわけですし……」

「確かに……ですが、これまでの調査で分かったことがあるとすれば、あのラジオを調べてみるべきということです」

「ええ。それに関しては、私も全面的に賛成です」


 力強く頷きながら、竹中教授はそう言ってくれた。そうと決まれば話は早い。早速あのラジオを調べてみよう。


「では、そろそろ失礼します」


 私がそう言って椅子から立ち上がりかけた時だった。


「あ、ちょっと待って下さい」

「はい?」


 突然呼び止められたので振り返ると、そこには一枚の写真を差し出してきた竹中教授の姿が目に入った。


「これは?」

「実は…先日、終末病棟の患者さんの一人が亡くなりましてね。私はその方と親交があったので、これを遺品として引き取ったのです。その方が亡くなる前に撮影された写真なのですが……」

「はあ…?」


 私はそう呟きながら写真を受け取って眺めてみた。そこに写っていたのは一人の中年の男性であった。髪は短く刈り込まれ、痩せこけた頬に無精髭を生やした、いかにも神経質そうな男だ。


「この方は?」

「茂森さんです」

「えっ!?」


 竹中教授の言葉に、私は思わず驚きの声を上げてしまった。この写真に写っている男性が、今回の一連の事件の中心にいる、茂森さん……そう考えると、なぜだか写真に写る男性に言い知れぬ不安を感じてしまう。


「その写真が、何か役に立てばいいのですが……」

「…もちろん。役に立ってますよ。ありがとうございます」


 私は写真を懐にしまい、今度こそ竹中教授の研究室を後にした。


「お気をつけて……」


 背中越しに聞こえてくる竹中教授の声は、私がこれからやることが人間の言い知れぬ暗部に手を出すことへの警告のように聞こえた。だが、それでも私の決意は変わらない。


「さぁ、始めましょうか……」


 私はそう言うと、まず最初に院長室へと向かった。この一連の事件に終止符を打つために……。


                        ※


――それから数時間後……。


「ふぅ……これで全部ね……」


 自分の研究室で私はそう呟くと、手近にあったパイプ椅子に腰を下ろした。目の前には机の上に並べられた十数枚の紙が置いてある。それらの紙は全て終末病棟の入院患者のカルテであり、私はそれらを全て読み終えていたのだ。

 ちなみに、これらのカルテに記されている個人情報については、事前にある程度竹中教授から教えてもらった。なんでも、終末病棟に入院している患者さんのカルテは外部に持ち出し禁止らしく――終末病棟に限らず、ほとんどの病棟の患者さんも同様だと思うが――しかも終末病棟は完全看護のため入院中の患者さんの身の回りのお世話は看護師さん達が行うので、こういった情報は院長であっても簡単には見られないとのことらしいが……。

 だが、今回は特例として特別に見せてもらうことができた。まぁ、今回の事件を一刻も早く解決したいと彼女も考えているのだろう。でなければ、一監察医の私にここまで協力的になるはずもあるまい……。


「ふむ……」


 私は改めてカルテを見つめた。やはり、ほとんどの人が重度の認知症を患っている。中には末期ガンの人もいるようだが……。


「……やっぱり、茂森さんも認知症だったのかしら?」


 私はひとちた。だが、そんなことをいくら考えても仕方ない。私は頭を切り替えることにした。


「とりあえず、今はあのラジオのことを考えないと……」


 私はそう言うと、再び立ち上がった。さっきまでずっと調べ物をしていたので、もう外はすっかり暗くなっている。今日はこのまま帰ろうかと思ったが、念のためにもう少しだけ調査を続けることにした。


(それにしても……本当に奇妙な話ね)


 廊下を歩きながら、私は一人思索にふける。


(自分でその説を唱えて言うのもなんだけど……認知症の患者さん達だけならまだしも、健常者であるはずの看護師さん達や医師達まで同じような幻覚を見るなんて……とても信じられないわ)


 そう……私がここまで調べた結果、わかったことはいくつかあった。

 一つは、今までの調査でもすでに明らかになっていること。つまり、ここ数週間の間に認知症を患った人達が同じ幻覚を見たということだ。

 そしてもう一つは、幻覚の内容についてである。幻覚の内容は人によって様々であったが、共通しているのは患者さん達全員が何らかの怪奇現象に遭遇したということだ。

 例えば、ある人は夜中に誰もいないはずの病室で見たこともない看護師と鉢合はちあわせしたり、また別の人は真夜中の病院の廊下を一人で歩いていて黒い影をまとった患者とすれ違ったり、あるいは誰かに見られているような気配を感じたりしたらしい。

 さらに、中には深夜に院内の非常ベルが鳴る音を聞いた人や、窓の外から女性の声が聞こえてきたなどという報告もあった。その件についての調査では、当時院内の非常ベルはどこも作動していなかったとのことだ。

 つまり、終末病棟に入院していてなおかつ認知症を発症している患者さん達は皆、なんらかの幻聴や幻覚に悩まされているようだった。ここまで考えれば、ほとんどの人間はこの一連の騒動を認知症を発症した患者達の妄想と結論付けるだろう。

 しかし、私の脳裏にはそれを全否定するように、あの特徴的な風貌の茂森さんとラジオの映像が流れてくる……少なくとも、どちらかのうち一つが完全に解明できる状態ならば、ここまで悩むこともないのだろうが……。


(でも、これだけ調査すれば十分よね?)


 私は自分に問いかけた。正直なところ、これ以上は調査のしようがないと思う。カルテを調べる過程で茂森さんの事も重点的に調査してみたが、やはり彼は天涯孤独の身だったようで、彼を見知った者はもはや終末病棟で臨終の時を迎える患者さん達や、その病棟で働いている医師や看護師しかいない。その人たちにも聞き取りをしたが、彼らや彼女たちが話す内容は茂森さんがこの病院に入院した時からの話で、入院する前の茂森さんについて知っている人は誰もいなかった。となれば、残る調査対象はただ一つ……例のラジオだ。


(でも、その前に……)


 私はそう考えて、とある部屋の前で立ち止まった。その部屋の扉には『霊安室』と書かれたプレートが取り付けられている。


(確か、茂森さんはこの部屋に運ばれたんだっけ?)


 カルテには、そのように記載されていたと思う。

 まぁ、特に目新しい発見はないだろう。記録の類なんかは資料保管室の方に入っているだろうし……しかし念のため、私は霊安室で茂森さんの痕跡を調べることにした。

 私はゆっくりとドアノブに手をかけた。そして、そのまま静かに扉を開く。するとそこには――。


「うっ!?」


――そこには、思わず吐き気が込み上げてくる臭気と共に、気を失いかねない光景が広がっていた。

……床一面に敷き詰められた、所々赤黒いシミがついた白い布と……そこに横たわる無数の遺体――そして、それらを見下ろすようにたたずんでいる白衣を着た複数の男女。

 よく見てみれば、遺体の方は防腐されておらず、その肉体からは赤黒い血液が垂れ流れていた。だが、このような光景は本来、霊安室では決して起こりえない光景だ。

 それは白衣を着た男女達の方も同様で、特に何をするでもなく、メスを握ったまま呆然と遺体に目を向けながら立ち尽くしている。


「……っ!」 


――血を流した肉体――メスを持った人間達――その光景を目にした瞬間、私は霊安室の扉を勢いよく閉めて、全力で地下から逃走した。向かう先は警備室だ。


「はぁ!…はぁ!…」


 息が切れてくるのは体力の消耗のせいではなく、目の前に見えた光景のせいだろう。

――やがて『警備室』と銘打たれた表札がライトに照らされて見えると、私はドアを勢いよく開けて室内になだれ込んだ。


「えっ!?」


 しかし、警備室には誰もいなかった。タイミング悪く院内をパトロールしていたとしても、たいていは一人か二人は警備室で待機していると思ったが……。

 慌ててドアを閉めてカギをかけ、警備室に籠城ろうじょうする。そのまま室内に設置された監視カメラの映像を流しているテレビに近づき、カメラ越しに警備員の姿を探した……が、どこにも見当たらない。


「そんな……」


 絶望よりもむしろ呆れた感情に襲われた。どれだけこの病院の警備はおろそかにされていたのだろう。生き残ったら、院長に抗議してやるっ!

 私はそのように考え、武器になりそうなものはないか室内を物色した。


(ハサミ…カッターナイフ…警棒…だいたいこれぐらいか……)


 私はその中で警棒を手に取って再び監視映像に目を向ける。ハサミは刺す以外に使い道がなく、カッターナイフは刃が欠けやすい。この武器の中では、強化プラスチック製の警棒が一番汎用性が高い武器だろう。

 

「……」


……だが、いくら映像に目を向けても、警備員はおろか、私が見たメスを持った不審者達の姿も見えない。普通、あのような光景を見られて逃げられたなら、口封じのために追いかけてきそうなものだが……。


「……そんな…」


 だが、そこで私はあることに気付いた……私が目にしている監視カメラの映像には、人間は誰も映っていない……。

 不審者達の姿が見えないのは、驚いて逃げたから。

 警備員の姿が見えないのは、たまたま誰もシフトに入っていなかったから。

 両者の姿が見えないのはそのようにも考えられるが、映像の中に見えるナースステーションにさえ人影が見えないというのは、どう考えても異常だった。


(……逃げよう)


 しばしの逡巡しゅんじゅんの後、私が下した決断……それは、今すぐこの病院から逃亡することだった。時刻を見ると、すでに午後十一時……少なくとも、明日の午前十時頃までは、この病院からは遠ざかった方が賢明だ。私はそう考えて、警備室を後にする。


『ザ――ッ……ザッ…ザ――ッ……』


 その時、まるで私をこの病院に閉じ込めておこうとするかのように頭上のスピーカーからザッピング音が鳴り響いた。


(ラジオ……)


 私の脳裏に、咄嗟とっさにその単語が思い浮かぶ。次の瞬間には、私ははじかれるように例のラジオが保管されている院長室へと向かっていた。

 もはや逃亡は無意味だろう…この不可解な現象を止めるには、あのラジオを破壊するしかない。この騒動の真相が解明できないのは残念だが――もし本当に実在するならば――私の第六感が『あのラジオを破壊せよ』としきりに警告を出している。そうして私は院長室の前にたどり着いた。


(……よしっ!)


 私は心の中で呟いて、意を決してドアノブに手をかける。そして、そのドアノブを回して扉を開いた。


「っ!?」


 しかし、その扉の先に広がっていた光景を見て、私は思わず息を呑んだ。

――そこには、患者衣を着た人間の遺体が大量に転がっていた。その遺体は、皆一様に刃物で傷つけられたような跡があり、中には何かで首を絞められたのか、喉元に指の跡がくっきりと残っている遺体もあった。


「うぅっ!」


 あまりのおぞましさに、思わず吐き気が込み上げてくる。と、同時に、この状況に対する疑問も湧き上がってきた。


(悪夢だ……)


 その考えは、目の前の状況を表すもっとも的確な言葉であり、そうであってほしいという私の願望でもあった。そのような心持ちのせいか、目の前の状況が次第に非現実的なように思えてきた……果たして、今私がいるこの世界は夢なのか、それとも現実だろうか……?


「あっ……」


 私は無意識のうちに声を漏らした。それは、部屋の奥で横たわっている男性の死体……その死体の顔に見覚えがあったからだ。


「茂森さん……?」


 その人物は、私が竹中教授から受け取った写真に写っていた茂森さんにそっくりだった。しかし目の前の彼は、目を閉じて口を半開きにした状態で事切れている。私は恐る恐るその遺体に近づく。そして、彼の遺体を仰向けにひっくり返すと、首筋にある二つの小さな穴が見えた。


「これは……」


 私は遺体の首についている二つの刺し跡を凝視する。


「注射器の針のあと……?」


 その形状から、私はすぐにそれの正体を察することができた。


「何なんだ……いったい……」


 私は困惑しながら呟く。すると、その時――。


「っ!?」


 突如として、私の背後に何者かの気配を感じた。私は咄嵯とっさに振り返って、手に持っていた警棒を構える。だが……そこにいたのは、先ほど霊安室で見た不審者達だった。彼らは私を見るなり、素早い動きでメスを構え、こちらに向かってくる。


「っ!」


 私は慌てて警棒を振り回すが、相手が素早く動くせいでなかなか狙いを定められない。やがて私は、壁際に追い詰められてしまう。


(殺される!)


 死を目前にし、私は恐怖に駆られた。しかし――。


『ドンッ!』


 不審者の一人が、私めがけて体当たりを仕掛けてきた。私はそれに反応できず、まともに食らってしまう。


「うっ……」


 腹部に強い衝撃を受け、私の身体は宙に浮かび上がった。そのまま床に倒れ込むが、なんとか受け身を取って体勢を立て直す。


「はぁ!……はぁ!……」


 私は荒くなった呼吸を整えながら、再び警棒を構えた。だが、その時――。


「えっ……」


 不審者達の様子がおかしいことに気付いた。彼らはメスを持った手をダラリと下げると、その場に力なく立ち尽くしている。


「……」


 私は警戒しながらも、ゆっくりと彼らに近づいていく。そして警棒の先端を彼らの胸に当てた。


「……」


 だが、不審者達は動かない。まるでマネキンのようにピクリとも動かなかった。


(どうなっている?)


 私は不審者達から少し距離を取り、彼らの様子を観察し始める。


(一体どうすればこんな風に動けなくなるんだ……? 確かめてみるか)


 私は意を決すると、まずは一番近くにいた不審者の頭部に警棒を当てた。

――トンッ……。


「……」


 しかし、それでも何も起こらない。私は次に、その隣の人物に警棒を当てる。

――トンッ……。


「……」


 やはり駄目か。私はそう思いながらも、さらに別の不審者に警棒を振るった。

――バシッ……。

 少し強めに叩いたためか、鈍い音が響いた。しかし、それでも目の前の不審者は微動だにしない。なぜか石膏せっこうを殴っているような感覚だった。


「すまない……」

「っ!?」


 唐突にしわがれた声が聞こえたので思わず振り返ると、そこには先程死んでいたはずの茂森さんが立っていた。


「あなたが……茂森さん…?」

「ああ……」


 深い憂いを帯びた瞳は、写真で見たような偏屈そうな老人の姿とは似ても似つかない。


『ザーーッ……』


……いつの間にか、彼の後ろに見える院長の机の上には、例のラジオが置かれていた。そこからは、相変わらずザッピング音が聞こえる。


「あの機械は何なんですか?」


 私は彼に尋ねた。


「あれはこの病院でのみ作動する機械だ」彼はラジオを睨みつけながら言った。

「なぜそんなものがここに?」

「それは……わからない」彼は首を横に振った。

「ただ一つ言えることは、あれは私がこの病院に入院した時には病室にあったということだ」

「なるほど……では……あなたの死因は?」


 私が尋ねると、彼は一瞬だけ顔を歪めた後、静かに口を開いた。


「私は自殺したのだ」

「自殺?」

「そうだ。数日前、この病院で一人の研究員が亡くなっただろう? 彼に頼んで、私は注射で自殺したのだ」


 彼が……そうだったのか…。


「私は長年連れ添ってきた妻を亡くし、生きる希望を失った。他に親類などもいなかったしな。だから、もうこの世に未練はないと思い、自ら命を絶とうとした」


(そういえば……)


 確か竹中教授が言っていた気がする。茂森さんの妻は、十年前に亡くなっていると。


「だが、できなかった……」彼は悔しそうに唇を噛む。

「どうしても死ぬことができなかった……恐ろしくてな…」

「……」

「だから私は……せめてその苦しさを紛らわそうと、ラジオを聴こうと思った」

「それが、あのラジオですね?」

「そうだ」


 自身の後ろに目を向けて、一見何の変哲もないラジオに顔をしかめながら、茂森さんは続けた。


「あの機械には不思議な力がある。私はそれを実感していた。それで私は思ったのだ。もしや、これを使えば天国にいる妻と交信できるのではないかと……」


『その結果がこれだ』と、彼は自嘲気味に笑みを浮かべる。


「結局、私は何も成し遂げられなかった。妻のことを想い続ければ、いつかは自分を迎えに来てくれるのではないかと思っていたのだが……それは違ったらしい」

「……」

「だが……その代わりとばかりに、私の周囲では次々と不審な出来事が続いた。そして私は、とうとうラジオに向かって『殺してくれ』と……」

「……それで、亡くなったんですか?」

「そうだ。その日のうちに、あの研究員が私のもとにやってきて注射器を二本置いていった。何も言わずにな。それで悟ったよ。『ああ、ラジオが願いを叶えてくれたんだ』とね。

 それで私は、その注射器を打って死んだ。もっとも、病院では死因は末期がんによるものとなったそうだがな。特に検死もされなかった。だが……私は、このラジオを使って自殺したと考えている」

「なるほど……でも、どうして病院内にこれが?」

「おそらく、誰かが持ち込んだんだろう。私の死後も、ずっとここに置かれていたのだろうと思う……さあ、これで私の話は終わりだ。さっさとここから出ていくといい」


 彼は私を追い出すように手を動かす。


「わかりました。それじゃ……」


 私は彼から背を向ける。その時――。


『ガタッ!』


 背後で物音がしたので振り返ってみると、先程の不審者が動き出し、私に襲いかかろうとしていた。


「くっ!」


 私は咄嵯とっさに反応し、警棒を不審者の腹部に向けて振るう。


『ドンッ』すると、今度はしっかりと衝撃が伝わってきた。そのまま不審者は床に転がる。


「こいつらに構うなっ! 行けっ!」


――茂森さんの叫びに呼応するかのように、私は院長室のドアに向かって吸い込まれていった。


(なっ!? 馬鹿なっ!?)


――しかし、そこにあるはずの地面は、漆黒の暗闇に包まれていた。

 そして……そこに落ちていった私の意識も、その暗闇に溶け込むようにして消えていった。

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