遭遇
夏のホラー2022の投稿作品です!
筆者の多作品である『マガツヒの神』シリーズのスピンオフですが、そちらの方を読んでいない方でも楽しめるように書いたつもりです。よろしくお願いいたします!
(暑い……暑すぎる…)
日本の夏は暑いと言われていたが、まさかこれほどとは……これなら、アフガンの方がマシな気がする……湿度の違いだろうか?
今日も相変わらず元気に私のはるか頭上で核融合をしている太陽を睨みつけながら、私はそんなことを考えていた。その時、私にもう一つの悩みのタネがやってきた。
「失礼します。あ、アシュリン先生。あの、先日亡くなった佐藤さんの遺品整理を手伝ってほしいそうです」
「私が?」
私の研究室に姿を見せたのは、私の助手だった。彼女の言葉に驚きつつも、私はいたって平静を装って質問した。そもそも、遺品整理は私の担当ではないし、私はその佐藤という人物とも面識がない。
「はい。他の先生方はみんな所用があるみたいで……」
なんとまぁ、タイミングの悪い……。
「わかった。その佐藤さんという人がいた病室まで案内してくれ」
「はい」
そして、私はその助手に連れられて研究室がある棟とは反対方向にある病棟の四階――終末病棟までやってきた。
終末病棟――名前の通り、この病棟では病気や老衰などで死を待つしかない患者が入院する場所だ。その先入観のためか、このフロアはほかのどの病棟よりもピンと緊張した糸がそこら中に張り巡らされているような気がした……直接解除ができない分、アフガンの反政府勢力が仕掛けたブービートラップよりもタチが悪い。
(あまり長居したくないところだな……)
そんなことを考えながら、私達はエレベーターから降りて廊下の奥へと進んでいく。
「こちらの部屋になります、先生」
「ありがとう」
助手は部屋の扉を開けると、私に入室するように促す。私はそれに従って中に入った。どうやらこの病室は個室のようで、中に入るとそこにはすでに数人の白衣を着た男達がいた。
「ああ、アシュリン先生っ! 来ていただけましたかっ!」
男達の中には医師として見知った顔もあったので、彼らも駆り出されたのかと半ば同情しながら、私は自分のやるべきことを彼らに質問した。
「えぇ、まあ。それで、何をすればいいんですか?」
「それがですね……実は……」
私は、佐藤さんという方が使っていたと思われる机の前に座った。すると、一人の男が話し始める。
「佐藤さんはこの病室で亡くなってしまったのですが、どうも亡くなる直前に誰かと頻繁に世間話をしていたらしくて……佐藤さんには他に親類と呼べる方がおりませんので、遺品を処分するならまずはその方に遺品を引き取るかどうか聞いてからと思いまして……」
そう語る男は、私の知らない人物だった。既知の男に視線を移しても、軽く会釈するばかりでフォローもしてくれない……いったい、どういうことだろうか?
(まぁ、別に気にする必要はないか……私の役目は遺品の整理だけだし……)
そう思いつつも、私は遺品の持ち主のことを少しでも知ろうと質問した。
「そうだったんですか……それで、その佐藤さんというのはどういう方だったんですか?」
「う~ん……僕もこっちの担当ではないので、あくまで看護師による話なんですが――」
それからしばらく、私は佐藤さんという人物について話を聞いた。
佐藤さんは末期の肺がんを患っていた高齢男性で、今年で九十歳になるらしい。だが、病を患ったために余命半年と診断されたそうだ。しかも、末期ガンだったために痛み止めのモルヒネを大量に投与されていたらしい。それでもなお、毎日のように苦しんでいたそうだが……。
彼に関する話の最後に、既知の医師は『ふぅ……』とため息を吐いて言った。
「あの時、佐藤さんは誰と話していたのでしょうかね……?」
「さぁ……」
もしかしたら、苦痛から逃れるために架空の人物と話をしていたのかもしれない……そう思ったが、故人の手前、そのようなことは言えなかった。
「まぁ……とにかく、私達はこれで。他にも書類整理があるので」
「ええ、ご苦労様です」
医師達は立ち上がると、私たちにお辞儀をして部屋を出て行った……遺品整理のために来たわけではなかったのか……。
「それじゃ先生。私も研究に戻ります」
「ああ、ご苦労様」
私は助手に挨拶をして、病室に一人になった。
「ふぅ……」
一人になると、途端に疲れが襲ってきた。だが、肝心の遺品整理がまだ終わっていない。
そう思って佐藤さんが使っていたベッド周辺を観察するが、すでにかなり整理されているようで、私が改めて遺品整理をする必要があるように見えない。
「ん?」
だが、その中で私は目の前の机に気になるものを見つけた。携帯ラジオだ。
まったく……病院にこんなものを、ましてや終末病棟に持ち込むとは……どうやら、生前の佐藤さんはルールや規則を気にしないタイプだったようだ。
私はラジオのスイッチを入れてみた。すると、そこからはノイズが流れてきた。やはり壊れているらしい。私はそれを近くの――おそらく遺品整理のために持ち込まれた――ゴミ箱に投げ捨てると、作業を再開した。
(しかし、どうしてわざわざラジオなんて持ち込んだんだ?)
話を聞く限り、佐藤さんには親類などはいなかったそうだが、入院中に世間話をするような間柄の人がいたのなら、わざわざラジオなど持ち込む必要などなさそうだが……もしかして、いつも会える間柄ではなかったため、その人と一緒にいる以外はラジオを聞いていたとか?
まぁ、そうだとしたら相当な寂しがり屋だったのね……そこで、私は考えることを止めた。そして、気を取り直して掃除を続けることにする。
「あれ……?」
ふと、私は違和感を覚えた。
(なんだこれ……)
佐藤さんの持ち物の中に、小さな布の巾着袋があった。私はその中身を取り出すと、思わず声を上げた。
「こ、これは……!」
そこにあったのは、私がさっきゴミ箱に捨てたはずのラジオだった。慌ててゴミ箱に目を向けるが、そこにはラジオの姿はない。ということはつまり……。
(まさか……瞬間移動…?)
一人でそんなことを考えるが、即座にその考えを頭から消し去ろうとする。あまりにもバカバカしい……科学を信奉する私に似つかわしくない考えだが……同時に、ほかに納得のいく説明がつかないのもまた事実だった。
私は確かに、このラジオをゴミ箱に捨てたはずだ。万が一佐藤さんが同じタイプのラジオを二つ持っていたとしても、それならばラジオは私の手の中にあるものとゴミ箱にあるものとそれぞれ二つ存在していなければならない。
だが、現実は見ての通り、私の手の中に先程捨てたラジオが一つあるだけ……気のせいか、考えれば考えるほど、背筋にうすら寒いものを感じ、誰かにジッと見られているような感覚を覚える。
「……くそっ!」
――私は苛立ち紛れに壁を思い切り殴る。
「はぁ……はぁ……」
私は肩で息をしながらその場にへたり込んだ……殴った拳が痛い。
「どういうことだ……?」
ベッドの横に設置された小さな机にラジオを置いて睨みつけながら、私は途方に暮れた。
『ザッ……ザーー』
「ん?」
突然、ラジオからノイズ混じりの声が聞こえてきた。私は耳を傾ける。
「これは……?」
『ザァ―、ザーー』雑音のせいで、上手く聞き取れない。私はラジオのボリュームを上げる。
「おい、聞こえるか?」
『…………ザッ』
ダメだ。返事がない。ただの屍のようだ……。
(いや、違うっ!……と、とにかく、いったい誰が……)
この病棟にいる人間で、佐藤さんと交流を持っていた者……その者が、今も佐藤さんと連絡を取ろうとしているのか? なぜ?
話をするような間柄ではあったが、亡くなったことを知るほどの関係ではなかったということだろうか? それにしても、私の問いかけに答えないのはおかしい。無視をしているとしか思えない。
「誰なんだ……」
私はもう一度問いを投げかけるが、結局、最後まで返答はなかった。
「クソッ!」
――私は再び壁に拳を叩きつけた。
「はぁ……」
……とにかく、拳が痛い。私はため息をつくと、ラジオを残して病室を後にした。
※
「まったく、ひどい目に遭ったな……」
私は車に乗り込むと、愚痴をこぼした。
「でも、おかげでいろいろと興味深いことが分かりましたね」
「あぁ、そうだな」
さも当然の権利であるかのように隣の席に座る助手の言葉に、私は同意する。
彼女は運転免許を持っていないため、車は運転できない。それならば電車で帰ればいいのだが、なぜかこうして毎日私の車に転がり込んでくる。
それはそれとして、今日一日だけ見聞きしただけでも、佐藤という人物には謎が多い。特に、彼が使っていたというラジオに関しては不可解なことだらけだ。
「なぁ、ラジオの件はどう思う?」
「先生から聞いた限りでは……普通じゃありませんよ」
「そうよね……」
あの後、私は他の職員にも話を聞いたが、皆一様にラジオのことなど知らないと言った。生前の佐藤さんと一番仲の良かった看護師さんですらも、あのラジオについて何も知らないようだった。
もちろん、私も例のラジオが瞬間移動したことについては誰にも話していない。言っても誰も信じてくれないだろうし、もし仮に言ったとしたら、頭がおかしくなったと思われるだけだ。
「とにかく、今はこれ以上調べても仕方がない。また明日来ることにしよう」
「……先生、遺品整理の方はどうするんですか?」
「申し訳ないが、そちらは看護師の人達に任せよう。今は、この難問を克服しなければ……」
――じゃないと、私は安心して眠ることもできない。
私達は――というか――私はそう決心すると、病院を後にすることにした。
※
それから数日後、私はいつも通り研究室にいた。だが、そこにいる者たちの雰囲気は私も含めて明らかに違っていた。まるで葬式のような雰囲気だ。
(まぁ、無理もないか……)
先日、一人の男が自殺した。自殺の原因は遺書も残されておらず、不明だという。
だが、私にはなんとなく予想がついた。きっと、自分の研究が認められなかったからだろう。男はこの病院の附属になっている、とある研究機関に所属する研究員だった。しかし、彼の所属する部署では画期的な研究成果を出すことができず、予算が大幅に削られてしまったのだ。その結果、彼は他の研究員たちよりも多くの給料を失うことになり、それが彼を追い詰めることになったのかもしれない。私にも経験がある。
「先生……」
「あ、あぁ……」
助手に声をかけられ、私は我に返った。
「どうかされましたか?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか……」
……助手は自分の席に戻ると、黙々と作業を始めた。おそらく彼女も、私の不調の原因に心当たりがあるのだろう。そして、それは当たっている。
彼女も、大学の博士課程に身を置くものとして気が気じゃないのかもしれない……もし彼女が困ったとき、私は彼女の助けになれるだろうか?……彼女に、自殺ではなく他の人生の選択肢を選んでもらうことはできるだろうか?……わからない。
だが……もしかしたら、そう考えること自体、私にはおこがましいのかもしれない。私は普段、監察医として死体を相手に仕事をしているため、どうも生きた人間への対処が苦手のようだ。
「ふぅ……」
どうにも調子が悪い。こんな時はコーヒーでも飲むに限る。私が給湯室に行こうと立ち上がったその時――。
『ピーンポーンパーンポーーン♪』
院内放送が始まった。私はイスに座り直す。
「皆さん、こんにちは」
若い男の声が響いた。だが、どこかで聞いたことがある気がする。というか、普段から院内アナウンスを流している男の声だ。だが、今はその声がどことなく硬さを纏っているように思える。
「本日の担当医の皆様は至急、院長室まで来てください」
担当医を全員呼ぶということは、何かあったのだろうか?
「先生……」
助手が不安そうな顔をこちらに向ける。
「あぁ……」
いったい何があったのかは分からないが、面倒なことに巻き込まれたのは間違いなさそうだ。私はため息をつくと、重い腰を上げた。
※
「失礼します。お呼びでしょうか?」
私が院長室のドアをノックして入ると、そこにはすでに四人の医師と院長がいた。いずれも顔見知りである。
「あぁ、来ましたか……」
私の姿を見て、院長はやや疲れた様子で出迎えてくれた。それを見て、私は軽く会釈をする。
私が他の四人と同じようにソファに座ると、院長はため息交じりに話し始めた。
「今日はあなた達に頼みたいことがあるんです……」
「なんです?」
この中でも若手になる女性医師が尋ねる。
「実は、ある患者のことで相談があるんです……」
「はぁ……」
私は隣に座る中年の男性医師を見た。
「その患者というのは?」
「……佐藤さんという方です……」
「佐藤さんですか……?」
……嫌な予感がする。
「佐藤さんがどうしたというのですか?」
「彼の案件についてのことです」
院長のその言葉で、部屋の空気が一変した。
案件……他の病院ではなんと呼称されているのか知らないが、この病院では怪奇現象を意味する。
(まさか……)
「あの……それはどういう意味でしょうか?」
中年の男性医師が、やや緊張した面持ちで尋ねた。
「言葉の通りです。今から言うことをよく聞いてください。その……佐藤さんの件についてなんですが……私としても非常に困っているんです。だから、つまり、その……彼が亡くなってから、病院内でそのような現象が多発するようになりまして……」
「は、はぁ……」
「もちろん、最初は単なる偶然だと思っていました。しかし、その頻度があまりにも多すぎるのです。しかも、どれもこれも似たり寄ったりの内容ばかり……正直、もう手に負えない状況になっています。なので、もしよろしければ、あなた方のほうからも何か手を打てないかどうか、考えていただきたく思います」
「あの……」
その言葉に反応して、部屋中にいる者たちが声の主に注目した。
竹中教授……脂ぎった髪を真横に撫で付け、爬虫類を思わせるギョロっとした目と分厚い唇は、一度目撃したら決して忘れようがない外見といえるだろう。
しかし、そんな彼でも催眠の世界では名だたる権威というのだから、人というのは分からない。
「何か?」
院長が首をかしげると、竹中教授はおそらくこの部屋にいる者たちが思っているであろうことをハッキリと言った。
「私も長く医者をやってきましたので、そういった現象が起こるということについては理解できますが…こう言ってはなんですが、わざわざ私達が対策を立てずとも、放置すればいいのでは?
どうしても現象が収まらなかったり、ひどくなったりするようなら祈祷してもらえばいいわけですし……」
確かに……私達の本業は医師であって霊媒師ではない。私達がそれらの現象を調べたとしても、何か役に立つとは思えない。
「院長。私も竹中教授の意見に賛成です」
中年の男性医師も、賛成の意を示す。他の医師達も同様だ。その様子を見て、院長は小さく息を吐いて口を開く。
「……なるほど。皆さんのおっしゃることはごもっともです……」
それから押し黙る院長に対して、竹中教授が尋ねた。
「…何か、あったんですか?」
その言葉を聞いて、院長は口を開く。
「つまり、その……はじめはいわゆるラップ音のようなものが頻発するようだけでした。それも、決まって深夜帯に起こった出来事です。
ほかにも、夜中に突然、壁から物音が聞こえるだとか、天井から足音が聞こえるなど……あとは、ある日、看護師さんが病室の清掃をしていると、突然扉が大きな音を立てて開いたと思ったら、ベッドの方で人が動く気配がしたんだそうです」
「……」
私は絶句した……それは、確かにすごい。筋金入りの怪奇現象だろう…認めるわけにはいかないが……。
「それと、もう一つ奇妙なことがありまして……」
(まだあるのかっ!?)
私は思わず、心の中で叫んでしまった。
「なぜか、患者さん達の部屋でラジオが勝手に鳴ることがあるらしいんですよ」
「ラジオが……」
「はい。特に、特定のチャンネルに合わせるわけでもないのに……」
「そうですか……」
そう言って、竹中教授は頭を抱えた。
……ラジオ…ここに呼ばれて、どことなく覚悟していた単語が出てきた。
「それから、これは噂にすぎないのですが……」
「なんです?」
別の医師が、ソファから身を起して尋ねる。
「実は、亡くなったはずの患者さん達が廊下を徘徊しているという噂がありまして……」
「死んだ人間が歩き回っていると……?」
「はい」
「そんな……」
「しかし、本当にそうなんです。亡くなったはずの人達が夜の病棟を彷徨いている……これは、どう考えても普通ではありません」
「ま、まぁ、確かにそうですが……」
「それと……」
院長はそこまで言って、大きく息を吸った。
「今、私が話した現象はすべて、終末病棟――つまり生前の佐藤さんが入院していらした病棟で起きていることなんです。しかも、先日亡くなったあの研究員……彼は生前、そのラジオを持っていたそうです」
……院長の発言に、室内は静まり返る。その中で、私の脳裏では様々な事象という点が見えない糸で繋がって線になっていく。私は院長に尋ねた。
「院長」
「はい?」
「私は数日前、佐藤さんが入院していた病室で遺品整理をしていました。そこで、件のラジオと思われる物を見つけて怪奇現象なるものにも遭遇しました。
ただ……その時は私が誰に聞いても、ラジオのことを知らないと言っていましたが……院長はどこでその話を聞いたんです?」
「……」
私の質問に、院長はゆっくりと皺だらけの瞼を閉じて答えた。
「すみません、アシュリン先生。私がその関係者の方々に口止めしていたんです」
「……なぜ?」
やや苛立ちを覚えながら聞くと、院長は変わらず答えた。
「ラップ音だけならば、病院に付き物の怪談ということになりますが、さすがにそれらに加えて亡くなった方までとなると話が変わってきます。
それに、仮にその噂が本当だったとして、もしもそのことが世間に知れたら、この病院の評判が地に落ちてしまいます。だから、あの時には皆さんに口止めさせて頂きました。まさか、こんなことになるとは思いませんでしたから……」
……なるほど。この病院は私立の神明大学に附属している病院……院長の懸念はもっともだし、ある種賛同できる。全面的に肯定することはできないが……。
「わかりました……ちなみに、そのラジオは今はどこにあるのですか?」
「こちらです」
院長はそう言うと、隣の部屋へ通じる扉を開けて私を手招きした。他の者達も後に続く。
隣室は休憩所になっており、いくつかの長テーブルや椅子が置かれている。長テーブルの上には、小さな金庫があり、院長はその金庫を開けて中から件のラジオを取り出してテーブルの上に置いた。その様はまるで、聖遺物を取り扱う聖職者のようにも見えるが、単純にラジオに何かあって祟られるようなことを避けたいだけだろう。日本人の祟りへの畏れは、一神教信者の神に対するそれに似ているような気がする……どちらも経験はないが…。
「これが例のラジオです」
「ふむ……」
私はラジオをまじまじと見つめた。見た目は特に変わったところはない。普通のラジカセだ。
しかし、これまでの経験や話などを頭に入れた状態で見てみると、不思議とそれがただの機械ではないように思える……人間の心理とは、かくも恐ろしいものね。
「このラジオは、いつ頃から院内にあるんですか?」
「私もまだハッキリとした報告は受けていないのですが、数週間程前から終末病棟にあるのだそうです。なんでも、老衰のためにその病棟に運ばれた患者さんが肌身離さず持っていたんだとか……確か名前は…茂森、さんだったかしら?
とにかく、その方が亡くなった後、遺品整理をしていた看護師さん達を経由して別の患者さんに渡ったそうです。なんでも、茂森さんには入院時にはすでに身寄りがほとんどいなかったそうなので……」
「それで、そのあとは?」
「別の患者さんの手に渡った後、看護師さん達の間で怪奇現象の目撃証言が相次ぎました。先ほど言ったように、ラジオを受け取った患者さんが入院していた終末病棟で、です。
はじめは、夜中に急に古い、レコードで再生されたような音楽が鳴り出したり、ザッピング音って言うんですか? ほら、テレビの砂嵐の音なんかが流れるだけだったんです。ただ、その現象は日に日に頻度が増していきまして……」
「なるほど……」
その時にはすでに、このラジオにはなんらかの異変があったのか、あるいは……。
「院長。もしかして、最初にこのラジオを持ってきた茂森さんの周辺でも、怪奇現象は起きていたんじゃありませんか?」
私に聞かれて、院長は顎に手を添えて考え込む。
「う~ん……残念ながら、私はそのような話は聞いていませんね」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。怪奇現象は、茂森さんが亡くなった後に起きたと聞きました」
これは……どういうことだろう? 私が考えている間に、院長は独自の仮説を立てた。
「おそらくですが…ほら、よく言うでしょう? 故人に大切にされていた物には魂が宿るって……おそらく、このラジオもそういった類のものなんじゃないかしら?」
「それでしたら、お寺などに寄贈しては?」
竹中教授が言うと、しばらくして院長はゆっくりと頷いた。
「そうね…それが良いのかもしれません。あ、それと、もう一つ気になることがあるんです」
「何です?」
「これは噂なので、信憑性はあまりないのですが……」
院長はそう前置きしてから言った。
「最近、終末病棟で夜になると患者さん達の部屋から変な声が聞こえてくるらしいんです」
「変な声……ですか? どんな?」
「分かりません。ただ、その……亡くなられた方の声で『助けてくれ』とか、『ここから出してくれ』といったことを言っているように聞こえるんだそうです」
……なんだか事態が悪化してないか?
「そうですか……他には何かありませんか? たとえば、何かが割れるような音だとか、ラップ音のようなものが聞こえるだとか……」
「いえ、今のところは……。あ、そういえば……」
「なんです?」
「実は先日、夜勤の職員の一人が深夜に仮眠している時に突然目が覚めたらしく、ベッドの上で目をこすりながら起き上がったそうです。すると、ベッドのすぐそばに誰かがいたんだそうです。
その人は患者衣を着ていて、髪は短く刈り上げられていて、年齢は五十代くらいの男の人だったそうです」
「……」
「その職員は、驚いて悲鳴を上げてベッドの下に隠れたそうです。
しばらくして、その人がベッドの下から出て行く音がしたので恐る恐る顔を出すと、もう誰もいなかったんだとか……それから、その人は怖くて眠れなくなり、結局朝まで一睡もできなかったと……」
「……」
「しかも、その男の顔は亡くなった茂森さんそっくりだったそうですよ」
私はその話を聞いて、背筋が凍りついた……間違いない。このラジオには絶対に何かある。しかも、どうやら茂森という人物がこのラジオについて一番核心の部分にいるようだ。
しかし、肝心のその茂森という人物はいったい誰なんだろう? 分からない……だが、一つだけ言えるのはこのラジオをこのままにしておけば、また新たな犠牲者が出るということだ。それだけは何としても防がなくてはいけない。私は、この場で結論を出した。
「院長。私にこのラジオの調査をさせて下さい」
「調査……ですか?」
「はい。このラジオの正体を突き止めます。必ず……!」
私はそう言って力強く宣言した。院長は、少しの間考えていたがやがてコクリと小さく首肯した。
「わかりました。あなたにお願いしましょう。ですが、くれぐれも無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます」
こうして、私は調査のために再び病院の中へ足を踏み入れた。