秘伝書の力
呆気にとられたまま、しばし言葉を失った【紅龍】の3人娘。
最初に言葉を発したのは、ミーアだった。
「ど、どうしてくれるんだね。ルークくん。君だってこの秘伝書の希少価値、もちろん学術的な価値についてだが、分からない訳ではないだろう? ああ、ボクは悲しいぞ。この世からたった一冊しかない本が読む前に消えてしまった。うう……」
古書や古文書、特に秘伝書の研究に熱心だったミーア。
やっとの事で手に入れた秘伝書だったにも関わらず、自分では翻訳ができず、各地方の腕に自慢のある鑑定士たちもお手上げだった。
そこに彗星の如く現れた、《翻訳者》のルーク・ファシード。
彼の技術は本物だと、ミーアは確信していた。
ルーク古書店の本棚にあるどの古文書も、外国の冒険者の記録も、異国の絵本に至るまで、実に見事な翻訳がなされており、ルークは帝国一番の《翻訳者》に違いないと思った。
ならば、待ち焦がれた秘伝書を心行くまで堪能できるのも時間の問題だと、ワクワクしていたのに、待っていたのは惨劇だった。
目の前で愛しの秘伝書が消失する様子は、滅多な事では動じないミーアを激しく狼狽えさせるに充分だった。
つまり、今、涙目になってルークに詰め寄っているのも致し方なしと思われた。
「ま、待ってください! 俺は何もしていません! ただ、ページを開いただけで!!」
「うぐぅ……。ボクの秘伝書が……。ページを捲って燃える本なんて聞いた事がないぞ。ボクは生まれてから数千冊の本を読んで来たのだ」
ルークにも似たような言い分があった。
彼もこの仕事を初めて半年だが、既に数百冊の本の翻訳を精力的にこなしていた。
もちろん、その過程で本が燃えるなどと言う事態に遭ったことはない。
大切な本を汚さないように、ルークは仕事をする台の傍には飲み物だって置かない徹底ぶりであり、火器の類など天地神明に誓って近づけたりする事はないのだ。
だが、言い分はあれど、現実問題として秘伝書は燃えて消えてしまった。
ならば、誰かが責任を取らなければならず、適任者は唯一秘伝書に触れていたルーク以外にいない。
「分かりました。原因は不明ですが、依頼を受けていた以上は俺の責任です。この店の本を全て売って、店も手放します。それを換金して……。もちろん足りないでしょうから、あとは俺を奴隷商にでも売って怒りを治めてください」
悲壮な決意を固めたルークに助け船が来航した。
「ま、まあまあ! わたしも秘伝書を読みたかったけど、ね? ルークくんだけを悪者にするのは良くないよ! ほら、ページを開いたら燃えちゃうトラップが仕掛けてあったのかも!!」
ライカが必死にルークを庇う。
が、本についてはミーアの方が知識も豊富であり、論理的な口論をすればミーアの優位がさらに高まるのだ。
「ボクたちだって、何度もページを開いたじゃないかね。鑑定士たちもそうだった。であるのに、発火現象など起きていない。それが今回初めて起きたと言う事は、少なくともこの場に発火現象の起きる原因があったからではと考えるのが自然だと思うが」
「ううーっ! ミーアの理詰めになんて勝てっこないよぉー! ごめんね、ルークくん!」
助け船は割と簡単に沈んだ。
泥で出来ていたのだろうか。
しばしの沈黙ののち、パーティーリーダーのルルナが口を開いた。
「ちょっと、キミ。手を見せてくれる?」
「すみません、普段の仕事のせいで、インクの汚れが酷くて。これでは奴隷商にも安く買いたたかれてしまいますよね?」
もはや奴隷商に売られるところまでは確定事項としているルーク。
ファシード家勘当の時に見せた粘り強さはどこへ行ったのか。
随分と物分かりが良くなってしまっている。
「もう、違う! そんな非人道的なことするわけないだろ? それより、手だよ! しっかり開いて! うん、じゃあ私の手を重ねるね」
「何かとんでもない魔術で俺は爆発四散させられるのですか?」
「ルルナに限ってそれはないない! ルークくん、すぐに諦めないで!!」
【紅龍】を束ねる美少女に手を握られて、ルークは極楽の事を考える。
この極楽とは比喩表現ではなく、死後の世界を指しているのは言うまでもない事か。
「……うん! やっぱり! ルークくん、この辺りで周りの人の迷惑にならなくて、広い場所ってある!?」
「そ、そうですね。港にある古い倉庫なら、今は使われていないものもあるかと」
「じゃあ、そこに行こう。悪いけど、今日はお店を閉めてくれるかな?」
「俺はそこで非業の死を遂げるのですね?」
「君、いくらなんでもネガティブが過ぎるぞ。さっきはなんだ、ボクも言い過ぎたから、そう簡単に命を諦めないでくれ」
秘伝書の価値を知っているルークからすれば、どう足掻いてもお勘定と言う名の制裁が待っているとしか思えなかった。
失意の中、彼の案内で一同は空き倉庫へと移動した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「じゃあ、私が構えるから。キミはその木剣を持って」
「は、はい。もう、言う通りにします。サンドバック代わりになるのは異論ないですが、俺、剣の才能なんてないですよ?」
するとルルナは「ふふっ」と笑って、答える。
「さっきまではね。でも、秘伝書が燃えて、剣を持って、何か感じない?」
「そう言われてみると、なんだか胸の辺りが熱いです」
「ライカ! ルークくんの魔力を測定してみて!」
魔力とは、技や魔法を使用する際に使われる、人間に備わった力の事であり、どんな人間にも一定量存在する。
が、もちろん戦闘向きのスキルを持っている者の方が優れている場合が大半である。
「了解だよ! んー。んんー!? え、えっとー。見間違いじゃなかったら、ルルナと同じくらいの魔力がルークくんから出てるんだけど――」
ライカが戸惑う。
ミーアは落ち着いて見解を述べる。
「ふむ。まあ、体調によって魔法も精度を欠くこともある。ライカ、君は今朝の朝食に出されたサラダに手を付けなかった。だから食事はバランス良くとあれほど言っているのに」
「ううん。ライカの見立てが正しいんだよ。ルークくんからは、凄まじい力を感じる。でも、彼のお店を訪ねた時は普通の男の人だった。つまり、秘伝書から何らかの影響を受けた可能性が高い」
ルークは既に会話についていけていないので、久しぶりに持つ木剣の手触りを確かめていた。
だが、不思議な事に、今なら何か技が出せそうな気がしている。
「さあ、ルークくん! 遠慮しないで、君のイメージに身を任せて私を攻撃をしてみて! 言っとくけど、手加減はなしだよ! 私は《戦姫》だからね!」
「分かりました。やってみます」
そもそも、ルークに拒否権などないのだ。
それを彼も理解している。
ならば、言われた通りにするだけ。
「いきます! せぇぇぇぇぇいっ! てりゃあっ!!」
振り下ろした木剣からゴウッと音がしたかと思えば、それはそのままルルナの構えた剣の前で爆ぜる。
衝撃でルルナは後方に5メートルほど吹き飛ばされた。
「う、うそ……。ルルナがあんな風にやられるところ、見た事ないよ?」
「ふむ。これはまた、実に興味深い事になってしまったな」
ルークは激しい混乱の中にいた。
だが、手に残る爆炎の感触が、彼にこれは現実だと告げていた。




