聖女はあの人と生きる日を夢見て死んでいく
漸く全てが終わった。
自らの悪事をバラし、悪役令嬢と言って憚らなかったあの人は私に殺され、そして私は聖女になり世界を支えていた腐りかけていた大樹に再び花を咲かせる事で世界を救ったのだ。
「ここまでよく頑張りましたね。貴女は過去を乗り越え彼女と決別を選ぶ事で聖女になれたのです。……おめでとうございます」
誰かが何かを言っていたがもうそんなことどうでも良いの。だってもうあの人はいないんだもの……。
あの人を殺し聖女となった私は、すぐその後でかつてあの人が住んでいた屋敷に向かい、残り香が残る部屋であれを見つけてしまう。
ーー親愛なる……へ
そう始まる手記はまるで読んでもらう為に用意されたかの様で、持つ手が震えつつも読み進めるうちに私は思い出した。……自身が過去、いえ前世でしてきた事、そのすべてを。
始まりは純然たる恋心。
まだあの人のご両親が生きていた頃私達は出会い、そして一目で私は貴女に恋をしたわ。
昔から人見知りで特に異性が苦手だった私は、おそらく父の影響が強く出てしまったのだろう。
私にはとても優しい父ではあったが、その目の奥に燻る底知れぬ何かは私を恐怖させ、そうして目を逸らしているうちに人の目がまともに見れなくなってしまったのだけれど、あの人だけは違ったの。ううん、違うなんてものじゃない。初めて光に会った、そう本能が感じたのはきっと気のせいなんかじゃなかったわ。
それからのあの人と私、そしてあの人弟とはまるで本物の兄弟かのようにごく穏やかな時を過ぎたけれど、それも一瞬で父があの人のご両親を殺した日から日常が壊されてしまった。
最初は私もまさかと信じてなかったわ。だってあの人とその弟を引き取り、私達の住む家へ招いたのは善意だと信じてやまなかったから。
だけどそれもすぐ否定される出来事が起きてしまった。……そう、父があの人の弟を殴っている姿を偶然目撃してしまったの。
その時の様子はまるで悪魔が乗り移っているのかと思うぐらいひどい形相で、私とあの人の弟の関係を恋人なのだと思い込み、殴りかかっていた父は気が狂っていたのだ。
でなければそんな勘違いなんてまず起こさないし、起こしたからといって暴力にはしるなど、普通では考えられない行動だわ。
だから私は途端に怖くなった。
もし、もし私の気持ちに父が気付いてしまったら……あの人はどうなってしまうのだろうか。
普通ではない父はきっと、いえ……必ずあの人を殺すだろう。
だけれどこのまま見過ごせばあの人の弟は、彼はいずれ死んでしまうかも知れない。
私に選択の余地はなかった。
私が何かを言えば言うほど父の勘違いは深まり、さらなる暴力でもって彼を苦しめるのだろう。それは避けなければいけない。ならば私の取るべき行動は一つしかない。
そうして私は無言のお別れをあの人達にし、極力関わらないと言う方法で、あの人を守っていたつもりになっていたが、運命は残酷だった。
父の暴力が減るのに比例してあの人の弟は何故かやつれていくのに気が付き、私は口の固い女中に話を聞くが彼女は話しずらそうにもごもごとした様子で短く一言、彼が病気であるにも関わらず治療をさせてもらえていないと私に告げた。
その時の感情はショックなどという言葉では表せない程の深い絶望が私を飲み込み、私はしばらく倒れ込んでしまっていた。
そうして私が何もしなかったせいで彼女の弟は何日もしない間に凄惨たる死を迎え、その死を呪った彼女は私を恨み、父に隠れていじめるようになっていった。
でもそれも仕方のない事で、父のしてきた事や私がしてしまったことを思うと、彼女のその悲しみから出る暴力が只々悲しくて、抵抗する気力を持つことが出来ずにいた。だけれどそんな状況が変わったのは高校の頃だ。
父の強い望みによって私は有名女子高に入学し、彼女も私のお目付役として同じ高校に入学、とここまでは良かったけれど事態が変わったのは私に親友が出来てしまったことだ。
こんな言い方は悪いが類は友を呼ぶとでのいうのか、彼女もまた同性愛者であり私と同じく幼馴染みにずっと恋をしているのだと話してくれた。ただやはり幼馴染と言えど自身のセクシャリティーについては言えずじまいで、あの日もそんな話をしていたわ。
ただあの日に限ってはいつも通りとはいかず、ただの恋バナから始まったお互いの好奇心は放課後という雰囲気も相まって乗ってしまったのだろう、ふと顔が近くなったからとかそんな事を理由に、ただ触れるだけのキスを不幸にもあの人に見られてしまったことから事態は急変したの。
そう、私だけに向いていたイジメが勘違いしたあの人によって親友にも向けられ、学校中にある事ない事を吹聴されたのだ。その噂は当然全校生徒が知る羽目となり、私たちは奇異の目で見られ、それは親友の幼馴染も同じだったようで、親友の事をまるで汚物でもみるかのような目で見て一言、死んで。と言われてしまった親友は本当に次の日朝早くの学校の屋上から飛び降り……そして親友の幼馴染はその出来事により心を病んでしまった。
……私も、それまでは彼女のイジメに耐えていたが、人が死んでしまった事実は私の最後の砦だった良心をも壊し、罪悪と慚愧に堪えられなかった私は自らを殺すことで償おうとしたのだ。
「でも……結局のところ逃げでしか無かったのかも、しれないわ」
その後あの人は私が死んだことによってたがが外れ、父をナイフでメッタ刺しにした後、みずからの喉を掻っ切って死んだ事があの手記には残されていた。
結局……何一つ救えなかったのだ。
本当に守りたい人を二度も殺した私は聖女なんかではないのだ。聖女だと嘯くわけにはいかない……。
「……貴女はまごうことなく聖女です。愛でもって悪をうち晴らし、愛でもって過去を乗り越えた。そして今……愛でもって死のうとなさっている」
「………私は、聖女なんかではありません。私の愛は私を守る為だけに存在していた。私の愛は誰も守らないし救わない……そんな独り善がりの愛に何の価値があるのでしょうか?」
「価値なら貴女がご存知のはず。分かっているからこそ死に価値を見いだしせるのでは?」
死ねば会えるというなら私は幾らでも死ぬわ。それがどんな痛みを伴い、この世の地獄を味わうといわれてもいいの。そんなことあの人がいない人生の方がもっと地獄で生きている限り死を伴う痛みと等しいのだから。
「ならばその身を私に捧げなさいな。したらば貴女の望む未来を叶えてあげますよ」
「それって………どういう意味ですか……?」
「言葉のままよ? 貴女がこの世界の贄に成るなるならば過去の……もっとわかり易く言えば前世の貴女とあの人の関係を変えるきっかけをあげるわ」
神自ら贄をせがむなんて……と乾いた笑いが出てきたけれど、よくよく考えてみたらどこの神もみんなそんなものだったと気付き、私は顔だけ動かして虚空を見つめ暫時どうしようか考える。
……いいえ、本当はすぐ答えたかったのに、この神の思い通りになりたくない一心で答えを澱ませていただけ。
「贄に……なったら私はどうなってしまうのかしら? 貴方が私を頭ごとバリバリと食べちゃうの?」
「私は生き物ではないので経口摂取しませんよ。私が貴女を必要な理由はただ一つ。これからする事によっては大きく過去が変わる可能性があり、その保険として聖女である貴女が必要なのです」
「つまり過去を変えると私とあの人は死なずにすみ、この世界にも来ないから聖女なきこの世界は死んでしまう……という事ね」
今私が過ごす時間軸は聖女が救った後の世界で、言ってしまえばもう私は不要品になったのだ。だからこの女神は私を求めている。だってそうでしょう? 私さえいれば過去や未来から、時間など関係なしに再利用できるし、それどころかそういった使い方をどんどんしていけばこの世界にもう他の聖女なんて必要なくなるわ。
「これは貴女にとって始まりであり、そして人としての終わりでもあります。それは貴女が考えているよりも辛いものになるでしょう。それでも……あの人を救いたいですか?」
「………神というのはつくづく意地の悪い性格をしているのね。これからの事を考えると悍ましくって嫌になりそう……。でも私はそれ以上にあの人を愛しているの。だから私が生きながらに死んでいってもいっそ構わないのよ」
「そう。やはり貴女は聖女と名乗るに相応しい人間だったようですね。ではその人生を代償に私から、まだ幸せでただ恋をしていた前世の貴女へ……貴女がこれまでで得た記憶とその結末を贈りましょう。勿論その記憶に耐えられるかどうかも含め、全てが賭けになりますがそれでもよろしいですか?」
「えぇ、勿論。その記憶がパンドラの箱だったとしても、最後に残るのは希望……愛だってもう知っているもの」
だからどうか夢をみさせてください。私であって私ではない私とあの人が愛を両手に生きているであろうことを……。