83話『振り返りと疑念』
「……傷が、塞がって────」
現実世界。
林の中で、胸に穴の開いたクロノの傷を治療していたカレンが、違和感を覚えたように零した。
魔剣で周囲のマナを吸い上げ、それを元に治癒の魔術を続けていた。
途中で駆け付けたアウラが持ってきた魔術の触媒──豊穣神モレクの断片の効果もあってか、クロノに空いた穴が球速に塞がっていく。
「良かった……」
傍らで、アウラも安堵したように胸をなでおろす。
「やっぱりロギアから貰って来て正解だったな」
「ええ、これが無かったら手遅れだったかもね。後でロギアさんには礼を言わないと……ただ、なんだろう」
「浮かない顔だな。折角クロノが助かりそうなのに、何か気になる事でもあるのか?」
「いや、安心してるのはそうなんだけど……何だか違和感というか、クロノの魔力の質が少し変わったような気がして。……気のせいかしら」
顎に指を当て、自身の感覚を確かめる。
カレンとクロノの付き合いは比較的長い。クロノがギルドのグランドマスターに命じられてバチカル派の掃討……という名の修行に出る前にも、何度か同じ依頼に出る仲ではあった。
同じ魔術師として手合わせすることもあり、カレンは彼女に宿る魔力の感覚を掴み取っていたのだ。
安堵と違和感。
相反する二つの感覚、その正体を彼女が探っている中──仰向けだったクロノが少し目を開け、苦し気に口を動かした。
「────あ……」
「ッ!!」
「クロノ!!」
意識が戻ったのかと、二人して声を掛けた。
カレンはすぐに意識を切り替え、クロノの手に握らせた魔神の核に魔力を流していく。
(細かいことは後回し、今は治療に専念しなさい……!)
「……っカレ……ン……」
「無理しないで、クロノ。今は傷口が塞がっただけで、中の方はまだ酷い有様だから」
「司教……は……」
「心配すんな、ヴェヘイアならもう倒した。だから今は安静にしててくれ」
辛うじて言葉を発するクロノに、アウラが優しく答えた。
報告を聞いた彼女は安心したように微かに笑って、再び目を瞑った。
「……別に負けるとは思ってなかったけど、本当に単騎で仕留めるとはね。反動の方は大丈夫なの?」
「まだ頭痛とかはあるけど、今回は権能の出力を少し抑えてたからま。エクレシアの時ほど酷くはないよ。つっても、腕はこの有様だけどな。……とりあえずは五体満足だな」
アウラの右腕──ヴァジュラを投擲した方の腕には、止血用の布が巻き付けられている。
自分で治癒の魔術が使えない彼にとってはは、あくまでも応急処置に過ぎない。彼がクロノの下に向かっている時にも出血は酷くなり、布はより赤く染まっていた。
その様子を見たカレンは、一呼吸を置いて
「はぁ……ま、司教相手に無茶するなって方が無理な話だし、クロノの治療が終わったら、アンタの方も治してあげるわ。そのまま傷が化膿したりしても大変だし」
「俺が治癒の魔術が使えないばっかりに、申し訳ないな……」
「謝るなっての。別に恥ずかしいことじゃないし、怪我人がいれば手当するのは当然でしょうが」
アウラを諫めつつ、彼女は言う。
そこに貸し借りなどの感情はなく、カレンはただ、自分にできることをするだけだ。
未だ、クロノの容態は危険なまま。すぐ動けるような状態ではなく、完全に意識を取り戻した訳ではない。
魔剣から吸収したマナを、カレンを経由してクロノの身体に流す。ダインスレイヴの「取り込んだ魔力で術者を強化する」という異能を応用し、クロノの体内に残るオドを賦活させていく。
「……やっぱ、アンタ単騎で司教にぶつけて正解だったわね。アンタ、私がいたら全力で戦えなかったでしょ?」
「正直言うと、そうだな。やっぱり扱う権能の規模が大きい分巻き添えにしちゃう可能性もあったし、一人の方が遠慮せずに戦えたよ。何より、途中でカレンを潰されることすら有り得たしな」
「私が?」
「ああ。ヤツの権能はモレクの冥界──ゲヘナの炎を操ることだけじゃない。ゲヘナそのものを顕現させてた。死者の世界に強引に生きてる人間を引きずり込むんだ、冥界の気に触れた人間が無事で済む筈がない」
「冥界、ね……」
二人して、目を瞑るクロノを見やる。
死者と生贄の魂を燃やし尽くす冥界。
底無しの死の世界を現世に引っ張り出す。この魔神モレクの大権能が、クロノに致命傷を負わせた一手だった。
「ヤツ自身にも相当な負荷があるみたいだったけどな。俺の時にも使ってきたよ」
「え? じゃあなんでアンタは無事なのよ」
「あ────」
当然の質問に、アウラは答えを詰まらせた。
アウラがヴェヘイアを一撃で消し飛ばすべく、インドラの神話の一撃──ヴァジュラの投擲を再演した時のことだ。
「確かに考えてみれば、なんでだろう……」
掌を見つめるアウラ。
司教は交戦中、アウラの一撃を耐え切るべく、再び冥界を顕現させて魔力の供給を得ようとした。
無論、アウラも冥界の範囲内にいた。
にも関わらず、当の本人は冥界の気を浴びても特に影響はなく、神話の一撃を防ぎ切った直後のヴェヘイアに接近して雷霆を炸裂させたのだ。
暫し黙考した後、アウラは「多分」と前置きして、
「神の力を振るう者同士だからっていうのも考えられるけど、俺に宿るインドラの神性も影響してたのかな」
「雷神インドラって、東方の伝承に出てくる神格よね。一応モレクも東の大陸にいた魔神って話だけど、特に関係は無かった筈じゃなかった?」
「そうなんだけど、インドラもモレクも豊穣の神って側面もあるし、牛の神でもあるだろ。前に図書館で古代の賛歌について書かれた本を読んだんだけど、インドラが「水牛」って形容されてる一節があったんだ」
「神性の類似……確かにモレクは牛頭の魔神だし、確かに、あり得なくはないかもね。似たような神性だからこそ、逆にある程度の耐性があるってワケね」
「もっとも、俺の個人的な推測に過ぎないけどな」
言いながら、アウラは立ち上がってどこかへと歩き出す。
「ちょっと、どこ行くの!」
「使えそうな枝を集めてくる。もうじき日が暮れるし、どうせ一晩はここで過ごすんだろ?」
振り返って手を振り、すぐその場から離れた。
足取りも少しは軽くなっており、頭痛も我慢できるレベルにまで落ち着いている。
激戦を終えたアウラは気分転換も兼ね、すたすたと枝集めに出たのだった。
※※※※
「大体、これだけあれば十分か」
木々が生い茂る中、アウラは小脇に大量の枝を抱えて呟く。
夜となれば、魔獣が活発になる時間帯でもある。アウラとカレンがいれば襲撃があっても凌ぎ切れるだろうが、予防するに越したことはない。
振り返り、来た道を戻り始める。
静寂に包まれた林に、穏やかな風が吹く。
一応の危険は去り、緊張感から解放されたアウラだったが────彼は、その場で少し立ち止まって溜め息を零した。
(カレンの、あの痣……)
彼の脳裏に、ガルマと交戦した時の記憶が蘇る。
序盤で、カレンがガルマに追い詰められた時のことだ。
苦しむ彼女の首から頬にかけて、蛇のような形の痣が現出したのだ。痣が現れるのは魔剣ダインスレイヴの異能を行使している時も同様だが、痣の形が明確に違っていた。
アウラが違和感を覚えていた理由はそれだけではない。
「……いや、気のせいか」
アウラが想起していたのは、バチカル派の黒衣に描かれる紋様だった。
ソテル教のシンボル──竜が巻き付く十字架を反対にしたようなマーク。
遠くから見ていたので明確にそうとは言えないが、アウラの目にはひどく似たように映っていた。
己の中に浮かび上がった疑念を振り払い、逃げるように。
そう考えてしまった自分を諌めるように、アウラはカレン達の元へと戻っていく。