4話『持ち掛けられた取引』
少女に連れられ、アウラは今度こそ森を抜けるべく歩き出していた。
獣を相手に大立ち回りを演じた割には、息一つ乱れていない。彼女にとって、あの程度の魔獣退治は日頃から行っているものなのだろう。
その身のこなしと剣技は野性的・暴力的でありながら無駄がなく、何処までも洗練されていた。
突き詰めたような蹂躙。
弱肉強食という文明以前の掟を、彼女はその身で証明してみせたのだ。
なりふり構わない荒々しさと、血に塗れても尚色褪せない気高さ。
本来相反するであろうモノを、先を行く少女は内包している。
―—『私はカレン・アルティミウス。一応この近くの都市を拠点にしてる冒険者なの。以後宜しくね』
彼女は道中、そう名乗った。
(アルティミウス……女神アルテミスか?)
彼女の名を聞いて、アウラは古代ギリシアで信仰された女神の名を想起する。
またの名をディアナ。月を司るとされた豊穣の女神だ。
もっとも、その印象を感じたのもあながち間違いではない。アルテミスは「狩猟の女神」にして「死をもたらす神」でもあるからだ。
「矢で人間を射り、疫病を引き起こすアポロウーサ、あるいはイーオケアイラ……か。確かに、あの戦い振りにはピッタリだな」
「かの大女神に例えてくれるなんて光栄ね。もっとも、職業柄オリオンやヒッポリュトスみたいな恋人はいないし、色恋とも無縁だけど」
「……そういえば、冒険者なんだってね。てっきり傭兵か何かと思ってたよ」
傍らを歩きながら、アウラがそう零す。
加えて、カレンは年もまだ若く、驚くことにアウラと同い年だったらしい。
「正直なところ、仕事の内容はそこまで大差ないわ。ただ、傭兵の場合は国同士の戦争に駆り出されることがあるけど、冒険者は魔獣の退治や危険区域の調査、それから……ギルドの長のお遣いがメインだね」
「今日も、その依頼でこの森に来てたのか?」
「大体そんなところ。元々はオフだったんだけど、なんでか急に依頼を振られたのよ。それでとりあえず探索してたんだけど、魔獣の気配を感じて追いかけていたら貴方と出会ったってワケ」
「成る程ね……それよか、冒険者って結構鎧とかぎっちり着こんでるイメージあったけど、実際はそうでもないんだな」
「実際はそういうヤツの方が多いよ。私は出来るだけ動き易い方が好きだから、最低限に留めるってだけ」
「確かに、さっきの戦い様を見る限り、できるだけ身軽な方が良いわな。……でも、もし一撃喰らったら、とかは考えないの?」
「攻撃は最大の防御って言うでしょ? 一撃喰らう前に仕留めれば済む話よ」
「あ~、そういう感じね……割と脳筋というか、なんというか」
「いや、案外間違ってないかもよ。小手先の技術も悪くはないけど、結局信じられるのは自分が磨いてきた技術と身体だけだもの」
カレンは拳を握ってみせる。
仮に徒手空拳の状態でも、彼女は獣たちを圧倒していただろう。
分厚い毛皮を貫き、筋肉を引き裂いてみせるカレンの蹴りは戦斧に等しい。
如何なる攻撃も避ける動体視力も含め、彼女の能力が鍛錬の産物であろうことは想像に難くない。
「……そうそう。あと、冒険者には幾つかの階級があってね。駆け出しは『原位』から始まって、一人前になれば『天位』。それなりに実力を付けて、試験……まぁ、ギルドから下された高難易度の依頼をクリアできれば『熾天』まで昇進できる。厳密には、『熾天』の上にもう一つ──最高位の『神位』って階級があるんだけど……」
「けど?」
「これに関しては、実は世界で二人しかいなくてね。だから、基本的には『熾天』が頭打ちになるって考えてもらって構わないわ。私の階級もコレだよ」
「ってことは、カレンは実質的な最高位なのか。道理であんなに強い訳だよ」
「私はただ、ひたすらに依頼をこなしてただけなんだけどね。知らない内に昇進してるだけならまだしも、気付いたら『羅刹』なんて渾名を付けられてたわ」
「羅刹とはまた随分と厳つい二つ名を……というか、こっちにも居るんだな」
カレンは軽く笑いながら、己の異名について語った。
羅刹と聞いて、アウラは古代インドで伝承された鬼神の一つを想起した。
人の血肉を喰らう存在としての恐ろしいイメージは、黒い剣を携えて戦う彼女に相応しい。
世界的に有名な叙事詩においても、羅刹の王が神の化身に討たれる説話がある。
眼前の少女に与えられた異名を聞き、この世界が「神話が実在した世界」である事をアウラは実感する。
「冒険者かぁ……仕事、早いトコ探さなきゃだな」
歩きながら、アウラは遠い目で零す。
無事に現地人と出会ったものの、それで全てが解決した訳ではない。
職を探さなければ生きていく術は無く、飢え死するのは必定だった。
「いいじゃない、冒険者。丁度、手頃な武器だって持ってるしさ」
「そうだな、なら冒険者にでもなろうか。——って、はぁ!?」
あまりの急展開に驚愕するアウラ。
命の恩人からの、まさかの勧誘だった。
それも「身元不明」「住所不定」「現在無職」という三種の神器の揃った、まだ会って数時間も経ってないアウラに対しての。
無論、アウラは断ろうと、慌てた様子で言葉を絞り出す。
「いやいやいや、俺別に特別な力も無いし魔術だって何も使えないんだぞ!? 冒険者になっても確実に犬死する未来しか見えないんだけど!?」
「私はこれでも第三階級の魔術師だし、その辺りは一から指南するよ。そうね……三ヶ月もあれば、アンタを一人前まで引き上げてあげる」
「君が魔術師だったってのも十分意外なんだけど、何より三ヶ月って……それ本気で言ってる?」
「本気よ」
自信満々に言い切るカレンに、今度はアウラが訝し気な視線を向ける。
さりげなく、カレンが剣士ではなく「魔術師」という告白をされたが、本人が言う以上は信じるほかない。
「いや、落ち着け俺。恩を売って一生パシリになるろか、そういう条件があるんじゃないか。騙されるな、美味い話には絶対に裏があるぞ……!!」
「流石にそんなことしないわよ。私としては冒険者としての戦力が増えるし、アンタは仕事が得られる上に身を護る術を手に入れられる。互いに利益のある、決して悪い話じゃないと思うけど?」
意味ありげに笑いながら、カレンが言う。
それは彼女の言う通り、双方に利益のある誘いだった。
アウラにとっての利益は勿論の事、冒険者として誘いに乗れば、押し付けられた両刃の剣──ヴァジュラの使い道ができる。
質屋に入れて生活費の足しにするという手もあるのだろうが、あまりにも罰当たりが過ぎる所業だ。
そもそも、アウラは自称天使より「神無き世界の人のために使ってくれ」と頼まれていたのだ。
故に冒険者になれば、彼女との約束──契約を守ることもできる。
さらに、カレンは足を止めて振り返る。
「それに──アンタには私に助けられた借りがある。了承するなら、それで貸し借りはナシってことでいいよ」
念を押すかのように、彼女は続けた。
ソレは単なる勧誘というよりも、アウラにノーと言わせる退路を塞ぐような言葉だった。
「────」
その言葉を受けて、アウラは一つの推測に辿り着いた。
──最初から、自分が断る可能性を切り捨てた上で勧誘を持ち掛けたのではないか。と。
彼女の方は、答えを聞くまでもないという様子だ。
命を助けたのは魔獣退治の副産物なのだろうが、短時間でアウラの身の上を把握し、加えて双方が得をする交渉を投げかけた。
アウラに断る理由など何一つとして存在しない。
だが形式上、ハッキリと答えを口にする。
「——分かった、乗るよ」
「よし、取引成立ね」
間を置いて、彼女の誘いを受け入れた。
この問答を以て、アウラという人間の、この世界での生は劇的に変化する。
もう決して、平凡なレールの上を歩むことは無い。
非日常が日常の世界で生きる事になった以上、常に命を賭すことが自分にとっての常識に切り替わるのだ。
もう取り消すことも、引き返すことも許されない。
「何か、凄く綺麗に言いくるめられた感じがするな……」
後頭部を掻き、苦笑を浮かべながら、アウラは呟いた。
最初から全て、カレンの思惑通りに進んでいるような気すらした。
彼女の勧誘理由は戦力の補充であり、そこに嘘偽りはない。
直観ではあるが、アウラには彼女が自分を騙す為に誘ったとは思えなかった。
全ては偶然。
魔獣と相まみえようとするアウラの窮地を救ったのも、丁度戦力が不足している事も。そして、アウラに職が無く、ただ授かり物の武器だけがあったことも。
「それで、こっからの予定は決まってるのか?」
「ひとまずは一番近くの街——エリュシオンに一旦戻る事になるかしら」
「エリュシオン?」
「私が活動拠点にしてる都市国家よ。そこのギルドに一応在籍しててね。大体だけど、この森から半日も歩けば到着すると思う」
「半日かぁ、ちょっと遠いなぁ」
目に見えてアウラのテンションが下がる。
森の探索と魔獣との格闘で、彼は十分すぎるほど疲弊していた。今すぐにでも休みたいが、さらに半日歩くと聞いて気分が落ち込む。
まだ太陽は中天に輝いているが、到着する頃には日が沈んでいるだろう。
「……ところで、さっきから全く風景が変わってないけど、本当に大丈夫なのか、これ」
周囲を見渡しながら、心配そうな様子のアウラ。
恐らくまだ正午辺りだろうが、太陽の光を木々が遮ることで、幾らか視界が暗い。
全くと言って良い程景色が変わらないこともあり、同じ地点を延々とループしているのではないかと不安にさせる。
「大丈夫よ、コレはこういう仕組みだから」
「仕組み……?」
「今に分かるわよ。ほら、はぐれないように付いてきて」
そう促すカレンの後ろを追うように歩いていく。──最中。その言葉の真意を察する間もなく、答えは明確になった。
「────っ!?」
アウラの視界が、ぐにゃりと歪む。
水面に絵具の雫を落とした時のように、周囲の風景が一切の形を成さなくなる。
実際に、空間そのものに歪みが生じている訳では無い。だがそれは、平衡感覚を失わせるには十分だった。
僅か数秒の間の異常。
アウラの身に起きたソレはカレンに対しても起こっている様だが、彼女は微塵も取り乱すことなく、平然と歩を進めていた。
──そして、目に見える世界が一変する。
眼前に全く別の光景が広がると同時に、風が草を揺らしたのだ。
鬱蒼と木々の茂る森の先に広がっていたのは、先程とは打って変わったように見晴らしの良い爽やかな平原。
雲一つない晴天も、その風景の美しさというものを完璧に補完していた。
正に圧巻の光景だったが、アウラはふと我に返ったように
「景色が……」
「視界が歪んだのは、森を覆う結界を抜けた合図。あの森の魔獣はジェヴォーダンだけじゃないから、外に出さない目的でね」
カレンが淡々と説明する。
感覚を取り戻したアウラが振り向くと、確かに自分が数分前まで迷っていた森がそこにはあった。
最初こそ幻想的な印象を持たせる森だったが、今となっては魔獣が跋扈する恐ろしい森としか思えない。
すぐに目線を逸らし、目の前に広がる平原に視線を向ける。
「……んで、こっから半日歩き続けると」
いくら遠くを見ようとしても、都市らしき人工物──文明の存在を示すモノは見えない。
あるのは、風に揺れる草木だけ。
遥かな過去――神の時代より残る大自然が、未だあり続けている。
「貴方も疲れてるでしょうし、別に一日ぐらいなら野宿しても構わないけど」
「それはそれでありがたいけど、カレンの方は大丈夫なのか?」
「私?」
「いや、それ」
言いつつ、アウラは彼女の服を指さす。
血に塗れた衣服。至近距離にいる彼は口に出してこそいないが、かなり血生臭い。
加えて、カレンとてアウラと同世代──年頃の女子だ。
「さっきの返り血が結構ガッツリ付いてるけど、これで野宿って中々にキツくないか?」
「あぁ、コレなら別に気にしないし大丈夫よ。血の匂いも、正直もう慣れたものだし」
カレンは視線を自分の衣服へと落とす。
かなり染み付いており、洗って落ちるか心配になる程の汚れ具合だった。
しかし、その点に関してはあまり頓着が無いのか、カレンは至って平然としている。
「逞しいなぁ、流石冒険者」
「依頼終わって街に帰るまで着替えらんないし、さっき見たと思うけど、戦う時はいつもあんな感じだからね。もうなんか、汚れることに関しては割り切ってるわ……」
「あ、うん……なんかごめん」
前言撤回。
逞しいというでは無く、彼女は汚れる事に対する抵抗感を抱くことを諦めていたのだった。
確かにあれほど派手に毎度暴れ回っていては、相手が獣であっても人間であっても返り血に塗れることは免れない。
少し俯いていたカレンであったが、すぐに顔を上げた。
「貴方の名前をギルドに登録するのもあるし、早速行きましょう」
「ここから半日で……多分まだ昼前だから、到着は夕方ってところか」
「そうね。街の案内とかは後日改めて私がするから、今日は街に到着さえできれば十分よ」
今日の目標は決まった。
カレンが拠点としているエリュシオンという街。そこが当面の目的地。
奇しくもその名は、数多の英雄豪傑の魂が死後に行くとされる楽園と同じ名を冠していた。
※※※※
「──そういえばカレン、さっきギルドに俺の名前をどうのこうの言ってたけど、アレって何の話?」
「あぁ、アレね。うちのギルドに限った事じゃないんだけど、冒険者をやるには何処かしらのギルドに名義を登録しなきゃいけないのよ」
遠くを見据えたまま、カレンは答えを返す。
身元不明、何処の馬の骨とも知れない者に冒険者としての活動をさせる訳にはいかない、というものだろうと彼は推測する。
「逆に、ギルドに名前さえあれば、一通りの冒険者としての活動は許されるわ。勿論、規定に反する行為が認められれば活動停止になったり、酷い場合は除名にされたりするけどね」
「違反行為って、具体的にはどんな? 同胞殺しとかそんな感じ?」
「ざっと挙げるなら、そうね……アウラが言ったような、他の冒険者に対する殺傷行為とか、登録情報の偽装、所属する国の法令違反、あとは依頼人に対する契約の不履行、かな。まぁ、普通にしていれば処分を下されることはまず無いわね──それと当然だけど、自分から率先して依頼に出ないと、最初の方は一切お金は入ってこないから」
「成る程ねぇ……名前を登録すれば職に関しては解決って言いたいけど、それでも家も金も無いってことには変わらないし、前途多難だなぁ」
アウラは頭を掻きながら、改めて目の前に積み重なる課題に直面する。
一先ず職業の問題は解決したが、まずはそれ相応の実力を身につけなければならない。
住所に金銭面など、問題はまだまだ山積みだ。
「さっき冒険者に四つの位階があるって話してたけど、『原位』から『天位』になるまではどれ位かかるんだ?」
「あぁ、『原位』は本当に駆け出しみたいな連中に対する位階だから、簡単なものからでも地道に依頼をこなしていれば割とすぐに昇格できると思う。逆に、『熾天』以降の位階に上がるのは生半可なものじゃないけどね」
広大な平原を歩きながら、カレンが答える。
冒険者の四位階のうち、最高位の『神位』に次ぐ第三階級——『熾天』。
神を称える最高位の天使と同じ名を冠する階級は、最低でもカレンに並ぶレベルの実力が無ければ辿り着けない。
その事実だけでも、如何に高い壁なのかを理解するには十分だった。
「『熾天』の冒険者は何処の国にも数人はいる。『原位』や『天位』に比べて少数なのは本当だけど、それでも最高位の冒険者に比べれば全然多い方よ」
「そりゃ、最高位が沢山いたら戦力過剰も著しいしな……」
「中には、一つの都市の冒険者や軍が束になっても勝てないようなヤツもいる。だけど、本物の『神位』には遠く及ばないわ。二人しかいない『神位』は都市どころか、単騎で国一つ攻め落とすことだってできる。そのうちの一人は、これから向かうエリュシオンの冒険者ギルドに在籍しているよ」
「……!?」
アウラが思わず目を見開く。
自分の住処——そして人脈の根幹となる場所に冒険者の頂点がいると、カレンは言ったのだ。
いずれは肩を並べることになる。アウラは内心でそう思ったのだが——、
「——といっても、どこにいるのか皆目見当もつかないんだけどね。肝心な時にだけ戻ってきて、帰って来たと思ったら挨拶の一つもしないで出発するんだもの」
やれやれ、とカレンは肩を竦める。
彼女の言う通りであれば、アウラが彼と出会うのは相当先になることだろう。
「やっぱり、そこらのヤツとは格が違うのか?」
「ええ、最強も最強よ。一度手合わせしてもらったけど、それはそれは酷い有様だったわ」
「手合わせって、戦ったのか?」
「戦ったわよ。まぁ、秒で決着ついたけどね」
「秒!?」
カレンは、自らの敗北を正直に語った。
恥じるでもなく、悔いるでも無い。あまりに完敗だったのか、寧ろ彼女は開き直っていた。
第三階級と第四階級。
天使の名を冠する『熾天』と、神の座を示す『神位』。
両者ともに実力者である事に変わりは無いが、その差はあまりにも大きかった。
「流石に最初から全開で行こうとしたら、魔術の詠唱が終わる前に背後を取られて、槍の穂先を突きつけられて勝負アリ。清々しいぐらい綺麗な敗北だったわ」
「槍と剣なら確かに射程距離の相性とかもあるだろうけど、そりゃ出鱈目だな」
「でしょう? 同じ魔術師でも、実力の差を痛い程見せつけられたわね」
「えっ……その人も魔術師なのか? 槍兵じゃなくて?」
意外過ぎる真実に、アウラは戸惑う。
槍を武器として扱う魔術師、それが最高峰の冒険者なのだという。
カレンと同じく、魔術師には難しいとされる白兵戦──弱点とも思える部分を克服した隙の無いスタイルを取っていた。
「私みたいに武器を執る魔術師は結構多いよ、知り合いには鎌を振るうヤツもいるし……でも、ソイツの槍は普通の槍じゃない」
「カレンの剣も十分普通じゃないと思うんだけど……あれだけの魔獣を斬っても全く刃毀れしなかったじゃん」
「私のなんかとは比べ物にならないわよ。——『一度投擲すれば獲物を外さずに命中して手元に戻ってくる』。そんな伝承のある、曰く付きの代物よ」
「必中の槍って、そんな御伽噺みたいな……」
そんな物がある訳ないと言いかけた所で、アウラは言葉を呑み込んだ。
『対象を自動で追尾して打ち倒す武器』は、多くの神話・伝承に偏在している。
例えば、万能の太陽神ルーが振るいし魔剣フラガラッハ
あるいは、北欧神話で最強を謳われた戦神トールの雷槌ミョルニル。
(……いや待て、でも有り得るのか)
一度冷静に、アウラは情報を整理する。
此処は神々の居た世界であり、実際に己が雷神インドラの神器――ヴァジュラを手にしている以上、他の神の武具が存在していても不思議では無いのだ。
カレンの話を聞き、腕を組んで思索するアウラ。
こと投擲する槍であれば、幾つも候補は挙がる。──しかし、アウラがそう考えているうちに、その答えは告げられた。
「——『グングニル』」
端的に一言だけ、彼女は言った。
ただの単語に過ぎないが、その名は余りにも有名。
神話における「槍」の代表格と言ってもいい。
九つの世界を繋ぐトネリコの世界樹より作られ、その槍を向ければその軍勢に勝利するとされる神の槍。アウラが持つヴァジュラと同じく、遥かな過去、この世界を支配していた大神の神器。
暫しの沈黙の後、その語の意味を補足するようにアウラが口を開いた。
「悪霊の狩猟団の長にして、魔術と戦争を司るアースの王・オーディンの槍……投げれば必中必殺って触れ込みの」
「ご名答。さっき言ってたアルテミスの話といい、以外と詳しいのね」
「まぁ、俺も色々ね」
アウラは己が携えたヴァジュラに視線を落とす。
しかし、「自分の持っている剣も実は神の武器です」などとは口が裂けても言えない。
単純に恥ずかしい上、白い目で見られるのが目に見えている。
「その人は、神々が地上世界に残した遺物……いわゆる「聖遺物」の所持者ってだけでも十分規格外なのに、単純な魔術の質も遥かに凌駕してた。そりゃ最高位の位階になるわって話よ」
「でも、その人は味方なんだろ? それなら凄い頼もしいじゃんか。……あーでも、肝心な時にしか戻ってこないんだっけ」
「そう。常駐してたら私の仕事も減るから、ありがたいんだけどね」
「それはカレンがサボりたいだけでは?」
「あはは……バレた?」
カレンは無邪気に笑顔を浮かべる。
今このような笑顔を浮かべていても、いざ戦いとなれば瞬く間に悪鬼羅刹へと変貌するのだから、人間とは恐ろしい。
この辺りは完全にスイッチの切り替えだ。
(聖遺物……か)
軽く俯き、親指を顎に当てるアウラ。
かの大神の武器があるのなら、他の神々の持物も何らかの形で存在している。
自分の知る神がどれほど存在していたかは定かでは無いが、少なくともアインが言っていた神格——ゼウスやエンリル、バアルなど――は存在していると、彼は考えていた。
そのような神々の武具を人間が振るっている前例を聞いたアウラは、次にこう問いかけた。
「……カレンが知っていればの話なんだけど、聖遺物を使うヤツは他にもいるの?」
「ん~……」
そう質問を投げかけると、カレンは腕組して思案する。
神の武器を持つ者が世界に唯一という可能性は考えにくい。少なくとも、自分を含め二人以上は確実にいる。
時間にして十数秒程。瞳を細めつつ解答する。
「言っていいのか分かんないけど……まぁいっか。正確な数は把握してないんだけど、高位の冒険者連中とか、一国の軍に在籍する人間の中には結構いるわね」
「……マジ?」
「知人にも何人かそれっぽいヤツはいるし、貴方が会うのもそう遠くないかも」
そう推測するカレン。
身の回りにそのような人材がいると言える辺り、顔の広さが窺える。
アウラは表情こそ変えずに話を聞いていたが、内心では、様々な憶測と不安が複雑に絡み合っている。
神々の遺物──聖遺物と呼ばれる物を、自分は果たして扱い切れるのか。
そしてそれ以前に、自分なんかが凶暴な魔獣と渡り合えるのか。
出来る限りで努力はするが、本音を言えば、自信はそう強くはない。
「カレンは、普段から魔獣退治の仕事を引き受けてるんだったか」
「ギルドの長に頼まれて別の国まで駆り出されることはあるけど、魔獣退治が殆どね。どうして?」
「魔獣相手にちゃんと戦えるのかなって不安がね。武器を振るった事なんて一度も無いし、それにほら──」
アウラは言って、右腕に精一杯の力こぶを作って見せる。
だが別に突出して筋肉がある訳では無いし、至って人並みそのものだった。軽いランニングなどは習慣として行っていたが、あくまで健康維持目的だ。
「俺、大して力がある訳じゃないし」
「武器を使っての戦いに関しては私が指南するって言ったでしょ?。それか、身体能力は魔術で補強するって手もあるわね。教えることは増えるけど」
魔術と白兵戦を兼ねる。
飛び抜けて身体能力が優れている訳でも無し。地道に筋トレを積み重ねるという手段もあるが、魔術の指南も受けていても良いに越した事は無い。
「魔術一辺倒なら接近戦が甘くなるし、どうせなら両方ともこなせる方が良いしね」
「となると……目指すのはアレか。さっきのカレンみたいに白兵戦でシバキ回す感じか」
「シバキ回すってアンタ、言い方ねぇ。私だって他にも魔術は使えるわよ。さっきは「強化」の魔術しか使わなかったけど」
「ジェヴォーダンと戦う時? あー、そう言えばなんか呟いてたっけ」
顎に指を当て、彼女が襲い来るジェヴォーダンを迎え撃つ直前、口元で何か呟いていたのを思い出す。
その直後、彼女の動きが加速したかのように映ったのだ。
「よく見てるじゃない」
「そりゃあ、あれだけの魔獣を単身で屠ったヤツを見るなって言う方が無理な話だろ」
「あの時に使ったのは『強化』の魔術。『アグラ』はその詠唱だよ。呪文としての歴史は古くて、確か『永遠で強大な方、主よ』を意味する文章から単語の頭文字を抜き出したもの……だったかな」
(文章の省略……カバラの省略法の技法か)
『強化』の魔術詠唱の由来を聞いたアウラは、そう推理する。
単語の頭文字で語句を作るのは、ユダヤ教の秘儀――カバラにも存在する。
ヘブライ語の文章から単語を抜き出す省略法は、まさに『強化』の詠唱の由緒と同じだった。
「でも、唱えるだけで魔術が成立するってワケじゃないんだろ」
「察しが良いわね……丁度良いし、街に付くまで色々と魔術に関して教えてあげる。後で説明する手間も省けるしね」
森を出てから小一時間。まだまだ目的地に到達する様子は無い。
そんな最中、現役の『熾天』の冒険者による、歩きながらの魔術講座が幕を開けた。
「まず大前提として覚えておいて欲しいのが、魔術の定義。一言で言うなら『魔法』との違いってところね」
落ち着いた声色で、カレンは語り出した。
何も知らないアウラからすれば、魔法は完全なるファンタジー。
対する魔術は何処となく怪しく、呪術的な印象があった。
真剣な眼差しで、アウラはカレンの言葉に耳を傾ける。
「魔法は、端的に言えば神々の力。例えば、新たな大地の創造、生命の再生なんかはその範疇に入る。──それで、神々の力を人間で起こせる範囲で再現したものが『魔術』だよ」
「権能の再現。……つまり、神様の力を隷属化したものって訳か」
「言い得て妙ね」
前方を見据えたまま、カレンが答える。
言い方は悪いが、アウラの答えを彼女は否定しなかった。
本来であれば人間が畏れ、一方的に享受していた神の力。
それを人が、人の許された領域で再現して行使する術。それがこの世界における魔術だった。
見方によっては──ソレは、神聖な神の領域を穢す術と言えるだろう。
「それで、魔術を扱う方法だけど、これは簡単。詠唱で魔力に指向性を与えればいい。詠唱を以て、魔力にカタチを与える事で魔力から魔術に変質させる……って感じ」
話を聞きながら、アウラは自分の中で噛み砕いていく。
言葉を以て魔力の在り方を変化させる詠唱は、言わば変換機だ。
「詠唱に魔力ってなると、魔力源としてのマナとかも関わってくるのか……」
顎に手を当てて、推測する。
この世界に満ちる魔力源であるマナ。それを用いて魔術を使うのだと、アウラは事前に聞かされていた。
「確かに、マナを魔力に変換して魔術を扱うのも一つの手段としてある。でももう一つ、オドを扱う方法もあるの。マナが外部に由来する魔力なら、オドは人間が元から持つ魔力ってところかな」
「マナとオド……どっちも魔力には変わりないみたいだけど、何か違いでも?」
「う~ん……所感だけど、自然界にあるマナを使った魔術の方が質が良い感触はあるわ。でも多分、貴方はマナを扱えないかもしれない」
「ん? どういうこと?」
アウラはマナを扱えない。カレンはそう断言した。
当然困惑し、何故そう言い切れるのか更に問おうとするが、カレンはその指先をトン、とアウラの胸の真ん中に当て、
「人間が外部からマナを取り込む為の器官──『魔孔』が閉じているのよ」
彼の疑問に答えるように、解説した。
現代風に言えば、ガソリンを入れる給油口が常に閉じているということだろう。
つまりアウラに許されるのは、オドを使う魔術のみ。
「もしかして……マナが扱えない魔術師ってだいぶ条件悪かったりする?」
アウラは汗を流し、焦りを感じているのが見え見えである。
「力を引き出せば死ぬ」という曰く付き物件を抱えている上、魔術師としてやっていくにも外から魔力を取り入れる事が出来ないという欠点も判明してしまった。
即ち、ゼロでは無くマイナスからのスタートである。
「ん~、あんまり気にしなくていいと思うわよ?」
「んな楽観的な……マナの方が質の高い魔術が扱えるんだろ? だったら扱える魔術師の方が良いだろうに」
「マナを取り込める者が多いだけで、オドだけで魔獣と渡り合う魔術師も居ない訳じゃない。寧ろ、それで高位に上り詰めれたら、教えた側としても鼻が高いしね」
魔術師として真剣にやっていこう、そう心に決めた矢先にあまり嬉しくない宣告をされ、ややブルーになったアウラを励ますかのような言葉だった。
「カレン師匠……」
「師匠はやめて」
「なら先生で」
「別に良いって……どうせ同業者になるんだしさ」
あくまで教師と生徒、師と弟子という関係になる事を否定するカレン。
満更では無さそうな表情を浮かべつつ、二人は街へと歩みを進める。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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