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しきたり


 石段を登り、境内に入る。

 大主神社。

 珠美の生家であり、村唯一の神社だ。

 境内は鬱蒼と茂る森を切り開いて作られている。

 広大なのは、駐車場も兼ねるからだ。

 今はかなりの台数が集まっていた。

 避難してきた人がいるのだろう。


 境内を抜けると、珠美の家がある。

 村の名家だけあって巨大な屋敷だ。


 ……やっとたどり着いた。


 片道百メートルちょっとだが、今日は嫌に長く感じられた。

 ズボンで汗を拭い、呼び鈴を押す。

 数秒ほど待つが反応はない。


 ……変だな。


 縁側から家を覗く。

 どの部屋にも明かりがついていなかった。

 このご時世に留守ってことはないと思うのだが。


 集会所だろうか。

 神社には村の偉い人が集まって会議するための場所がある。

 祭りの際には事務所にもなるため、百人以上は入れる大きさだ。

 避難してきた村人は、そっちにいるのかもしれない。



 集会所に向かうと、案の定、明かりがついていた。

 扉を開けると、奥から人の気配を感じる。

 玄関には下駄箱に入り切らないほどの靴が並んでいた。


 俺は久方ぶりに肩の力を抜くことができた。

 人がいるってのは、それだけで安心できるものだ。


 プラミーを連れて、廊下をペタペタ歩く。

 突き当たりの襖が大広間だ。

 俺は襖を開けようと手を伸ばし――――。


「では、生贄を捧げるということでよろしいですね?」


 ――――手を引っ込めた。


 大勢の人の気配がするのに、大広間は静かだった。

 だからこそ、その声が俺にも聞こえた。

 生贄。

 実に現実離れした単語だった。


 ……なんだろう。

 すごく嫌な予感がする。


 母屋には誰もいない。

 つまり、古手川家の人間は全員この部屋にいる。

 頭首である珠美の祖母、神主である珠美の父。

 いずれも村の有力者だ。

 彼らが集会所に詰めかけ、何の話をしているのか。


 大広間が騒がしくなる。

 漂っていた緊張感がなくなった。

 村人たちは私語を交わしながら、大広間から出てくる。


 立っていた俺に気づくと、先頭にいた数人がバツの悪そうな顔をする。

 俺をいないかのごとく素通りし、集会所から出て行った。


 部屋から出てくる村人に、若者はいなかった。

 村の有力者かそれに準ずるご意見番的な人々ばかりだ。

 彼らが雁首を揃えるのは、祭りの話し合いくらいのものだ。

 では、祭りの話をしていたのか?


 ……まさか。

 そうだと言われても信用できない。


「源太くん」


 声をかけられる。

 部屋の奥から長髪の女性がやってきた。


 珠美の姉、葉子さんだった。

 物静かで読書の似合う人だ。

 二十になるばかりだが、幼さを感じさせない美人だ。

 町の大学に通っているので、顔を合わせる機会は少ない。


「久しぶりですね」

「そうだね。隣に住んでいるのに久しぶりだね。源太くんが無事で何よりだよ」

「葉子さんこそ無事でよかったです。それで、」

「それで?」

「何の話をしていたんですか?」


 葉子さんも珠美同様、俺の幼馴染だ。

 久しぶりに会う幼馴染にかける最初の言葉が、これ。

 悲しい話だ。


「君には関係ないよ」

「偉い人が集まってるみたいですけど……」

「知らなくていいことだから」


 昔はもう少し笑う人だった。

 三人でお風呂に入ったこともある。

 五歳の頃だ。


「誰かが死ぬかもしれないのに?」

「どういうこと?」

「生贄って何のことですか?」

「……聞いていたの?」


 咎めるような視線。

 俺が悪いのか?

 ……この子を預けに来ただけなのに。


「そっちの子は?」


 葉子さんは、ようやくプラミーに気づいたらしい。


「迷子の子供です。昨日はうちで預かりました。でも、女の人がいるところの方がいいと思って、ここに連れてきました」

「そう。なら、うちで預かるよ。珠美」


 葉子さんは、珠美を呼んだ。

 祖母と話していた珠美が小走りでやってくる。


「なぁに、姉さま? あれ、兄さまがいる?」

「よお。無事でよかった」

「……うん。兄さまこそ」


「珠美。この女の子を家に連れて行ってあげて。迷子なんだって」

「そうなの? 大変だったんだね。お姉ちゃんと一緒に行こう?」


 プラミーは、俺を見上げた。

 肯いて答えた。

 あれほどうるさかったくせに、今だけは大人しかった。


「じゃあ、またね。兄さま」

「おう、またあとで」


 珠美はプラミーの手を握り、集会所を出て行く。

 途中で立ち止まり、


「兄さま」

「どうした?」

「ありがとう、いろいろと」

「……」


 場違いな感謝だった。

 俺は言葉を返せない。

 カカシのように立ち尽くした。

 なぁ、珠美。

 その「ありがとう」にはどんな意味があるんだ?


 俺は背後に立つ葉子さんに問うた。


「少し外で話しませんか?」



 葉子さんを連れて、集会所の外に出る。

 誰にも見つからないよう集会所の裏手に回った。


「それで」

「それで?」

「説明してください」

「何をかな」

「生贄についてです」

「……そうだね。どうせバレることだから、君にだけは言っておくよ」


 葉子さんはそう前置きして告げた。


「明日の夜、大主様に生贄が捧げられる」


 わかっちゃいたが腹にずしりと来る。

 嫌な予感は確信に変わりつつある。

 ……怯んじゃダメだ。しっかりしないと。


「なぜですか」

「説明しなくてもわかると思うけど」

「……大主様の怒りですか」


 神社は大主様という太古の龍神を祀っている。

 大主様は山の中腹にある泉に住まうとされ、その昔は泉の前に祠があった。


 大主様は水を司る。

 日照りや洪水はすべて大主様のお気持ちによって起こるとされた。

 そのため、村人たちは災害が起こるたびに大主様に供物を捧げた。

 人身御供。

 生贄である。


 泉には太古より何人もの巫女が投げ込まれた。

 これが神社で行われる祭りの起源だ。

 夏祭りでは泉に丸太が投げ込まれる。

 丸太が人の代わりというわけだ。


 しかし、丸太に変わったのはごく最近のことだ。

 記録によれば、最後に泉に人が投げ込まれたのは昭和三十二年。

 たった六十年前の出来事だ。


 それは、すなわち、今、村のご意見番となっている老人たちの全員が巫女を泉に投げ込んだ経験を持っていることを意味していた。

 殺人の経験者なのだ。

 そして、彼らはそれが正しいと信じていた。

 おぞましい話だった。


 投げ込まれたのは珠美の大叔母。

 現頭首の妹だった。

 彼女は齢十六にして生涯を閉じた。

 誰にも知られず、故に法に裁かれることもなかった過去の因習だ。


 ……また繰り返すというのか。

 この時代に。


「誰もおかしいって言わなかったんですか? 生贄でどうにかなるわけがないでしょう」

「けれど、この現象を神の怒り以外で説明することはできなかった。君にはできる?」

「……できません。けど、誰かが解き明かします。今は待つべきですよ」


「待てるわけがない。村は明日にも滅ぶかもしれないのに。あの化け物は何? 私たちはいつ殺されるの? みんな不安を抱えてる。だから、大主様に答えを求めた」

「無茶苦茶だ……!」

「無茶なのは承知。私だって生贄で解決するとは思ってない」

「じゃあ、どうして!?」


 堂々巡りだ。

 老人たちはただ不安なのだ。

 不安を解消するために、生贄を捧げようとしている。

 なまじっか権力があるだけに、葉子さんには止められなかった。

 それだけのこと。

 ……それだけだが。


「生贄は珠美なんですか」

「どうしてそう思うの?」

「前回の生贄も姉妹の妹だった」

「賢いね」

「ごまかさないでください。珠美はなんて言ってるんですか」


 返答次第では実力行使も辞さない、と言外に伝えた。

 誰も幸せにならないとわかっているのに、幼馴染を見殺しにできるはずがない。


 どうせ学校もクソもないのだ。

 二人で村を出て、適当な町の適当な避難所に行ってやる。


「珠美は納得していたよ。これが自分の役割なんだって。巫女にしかできないことだもの。古手川に生まれた以上、覚悟はできてる。珠美も、私も」

「本人に確認してきます」

「それはできない」


「どうして!?」

「珠美は君に会わないと決めたから」

「会わない?」

「会えば覚悟が鈍るから。そう言ったのは本人だよ」

「クソっ!」


 思わず地団駄を踏んだ。

 珠美を救うのに難しいことはいらない。

 誤解があるのだ。

 冷静な頭で話し合えば、状況は変えられるはずなのだ。

 だが、周囲がそれを許さない。


 ……それができないよう、制約を課して回っている。


 一刻の猶予もない。

 有力者会議で決定してしまったら、いくら珠美の祖母でも覆せない。


 明日の晩までにもう一度、有力者を集めることは、おそらくできない。

 半分以上が集会所に残っている、今このときを除いて、裁決が覆ることはない。

 腹をくくった。


 俺は集会所に向かって歩き出す。

 その手を葉子さんに掴まれた。


「どこへ行くつもり?」

「それは俺の勝手です」

「直談判するつもりなら見過ごせない。和を乱す者を、今の村に置いてはおけないから」


 頭にくる言い方だった。

 俺は掴まれた手を振りほどくと、集会所に向かった。


「葉子さんが、……いや、あんたがそんなに冷酷だとは思わなかった。あんたはもう珠美の姉じゃない。老人共の手下だ。俺はあんたを許さない」


 言葉は燃料になった。

 怒りを吐き出すほどに、腹の底から新しい怒りが湧いた。

 そのくせ、頭は妙に冷えていた。


 集会所へ行く前に母屋によって、プラミーを回収した。

 こんな場所には置いておけない。

 この子は俺が責任を持って守る。

 朝令暮改だったが、プラミーは黙って俺についてきてくれた。


 改めて集会所に向かうと、その裏手から声が聞こえた。

 葉子さんだった。


「私だって悔しいよ。珠美……、ごめんね」


 裏手から漏れ聞こえる嗚咽と、集会所から聞こえる談笑が実に美しい対比だった。

 一ミリくらい残っていた迷いが消えた。


 俺は集会所に上がり込むと、大広間の襖をぶち開けた。


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